清く澄みたる井戸「じゃあ土方さん、明日はそういうことで」 「オネガイシマース」 が黒谷から帰ってくると、ちょうど土方の部屋から沖田と神谷が出てきた。 「さん、お帰りなさい」 「お帰りなさい」 「ただいま戻りました」 「今からお夕食ですか?遅いけれどもきちんと食べてくださいね」 「はい神谷さん、ありがとうございます」 ひとしきり会話を交わしてからは部屋へと入っていった。 「土方さん、ただいま戻りました」 「ああ」 「明日って今お聞きしましたけど、何かあるんですか?」 荷物を片付けて羽織を脱ぎながらは聞いた。 「あ?・・・総司たちの話か?」 「はい」 は衣桁に羽織を掛けると静かに座った。 「明日、井戸の掃除をするんだとよ」 それを横目で見ながら土方は話し始めた。 「見回りの無い非番の隊士たちの手を貸して欲しいと言いに来やがったから、非番なら好きにすりゃあいいって言ってやったところだ」 ・・・それで神谷さんの“オネガイシマース”が空々しく聞こえたのか、とは思った。 せっかく役に立つことを思いついたのに勝手にしろと言われてむくれる神谷の顔が目に浮かぶ。 「どうかしたか?」 黙り込んだに土方が聞いた。 「いえ、何でもありません。私も明日お休みなのでお手伝いさせてもらっていいですか?」 「・・・好きにしろ」 「ありがとうございます」 井戸の掃除なんか何が面白いんだと土方は思ったが、こちらの時代のことをいろいろと知っておこうと言う姿勢は悪くない。 終わったらメシでも食いに連れて行ってやるかと、夕餉を摂りに部屋を出て行くの背を見送った。 翌日、八木邸の庭に隊士たちとが集合した。 「いいですか皆さん、日頃お世話になってる八木さんたちの為に、心を込めてお掃除しましょうね!」 襷がけをした神谷が張り切って言った。 「非番なんだけどなー」 「まあ神谷の号令じゃ仕方ねえな」 まだ日が昇ったばかりの時間にたたき起こされた面々は、欠伸をしながらも笑顔で単の裾をからげ始めた。 その端っこでも襷をかける。 「さん、よろしくお願いしますね」 神谷が寄って来た。 「いえ、どういう風にするのかなって私も興味があったので」 は覚束無い手つきで襷をかける。 「え、もしかしてさん、井戸のお掃除したこととか見たこととかないんですか?」 神谷は驚いて言った。 「・・・ええ」 元の時代には身近に井戸などなかった。いつも顔を洗ったり炊事の際に汲んでいるあの深い井戸の底がどうなっているのか見てみたい。 その辺りは軽い好奇心だったが、手伝いはまじめにするつもりだ。 「じゃあさんにはとっておきのお手伝いをお願いします」 にっと神谷は笑った。 「どんどん引っ張ってー!」 神谷の掛け声で、太い縄の先にくくりつけられた大きな釣瓶が引き上げられる。 男たちが釣瓶を上まで引くと、井戸端で沖田が釣瓶を両手で持ち、中の水を捨てる。 また釣瓶が井戸の中へ投げられ、釣瓶に水が入ると神谷が声を掛けて男たちが引き上げる。 その作業が延々と、ある程度井戸の水が無くなるまで繰り返される。 日がどんどん高くなる中、過酷な重労働であった。 「あっち〜〜!」 「神谷ぁ、まだか〜?」 もう何十回汲み上げたかわからない。 慣れない炎天下の作業で、屈強な男たちも音を上げ始めた。 「もう少しです、皆さん頑張ってくださいね!」 井戸の底を覗き込み、神谷が大きな声で答えた。 「おー」 「よーし、仕方ねえ、もうちょっとやっかー!」 「お願いしまーす!」 ひと呼吸置いた後に、また縄が引っ張られ、水が汲み出された。 「・・・神谷さん、私もお手伝いした方が・・・」 神谷の横に立ち、孔口(井戸の屋根)の下ではまだ何もせずにただ汗を拭っているだけである。僅かな木陰もないところで汗だくになって作業をしている隊士たちに申し訳ない。 「いいんですよ。あ、そろそろいいかな」 井戸端には簀子(すのこ)を敷き、水浸しになった地面に直接立たないようにしてある。 神谷は幾つか用意しておいた桶に残りの水を溜めた。そして空の釣瓶を簀子の上に置いた。 「皆さんお疲れ様でした!どうぞ休んでください」 神谷がそう声を掛けると皆は一斉に八木邸の縁側へと走り、涼しい日陰に倒れこんだ。 「じゃあ始めましょうか」 にこっと笑って神谷がを見た。 「はい?」 は首を傾げた。 神谷は釣瓶から縄を解くと、ぴしりと両手で張ってに近づいた。 「はいさん、両手上げてください」 言われるままには両手を上げた。 神谷はの胴にぐるぐると縄を巻きつけて、固く縛った。 「・・・何ですか、これ」 は結び目を指差した。 「ここからが本当の井戸掃除なんですよ、さん」 ふふっと神谷はまた笑った。 「・・・」 は縄につかまり、そろそろと影の中へ身を降ろして行った。 「大丈夫ですかー?壁、滑ったりしませんかー?」 「大丈夫です」 上では井戸の外で縄を神谷と沖田が掴み、ゆっくりとを井戸の中へと進めていた。 中はひんやりとしていて暗かった。水が先ほどまであったし、井戸の口は狭い上に屋根が掛けられているので当然だ。地上とはまるで別世界のようである。 は腹から尻にも回した縄を片手で握り、内壁に素足を突っ張った。そしてもう片方の手にささらを持ち、内側に貼られた瓦をごしごしと磨いた。 「これを“井戸替え”って言います」 縄を少しずつ送りながら神谷は井戸の中へ喋った。 「年に一度、中に入ってしまったごみや内側の汚れを落としてきれいにするんです」 へえ、とは思った。 井戸の掃除をすることなど考えたこともなかった。が、水自体がどんなに清浄でも外からの汚れは入る。特に飲み水に使用する井戸は、清潔を保っておかなければいけないはずだ。 「そろそろ水、いいですかー?」 沖田がの様子を見て言った。 「お願いします」 が上を向いて返事をすると、沖田は桶から釣瓶に水を汲み、壁伝いにそろそろと水を流した。がこすった汚れが水で流れ落ちていく。 広さは無いが深さはあるため、ぐるぐると回りながら全ての瓦を磨き上げるのはとても骨が折れた。 が、梅雨の晴れ間の炎日に水を汲み上げることと比べたらとは思い、体に食い込む縄の痛みに耐えて掃除を続けた。 はそこそこの時間をかけて下までたどり着いた。 底に足を付ける。縄の突っ張りが緩み、痛みから解放された。 下は砂地で、汚れを落とした水が脛の辺りまで溜まっていた。 目を凝らすと、濁った水溜まりの中から透明なものが湧き出てきているのが見えた。 下からこうしてじわりじわりと水が湧いて、毎日の生活を潤してくれているのだと初めて知った。 濁々しい色を掻き分けるようにして、透明なその身をもって下の砂を映す様子は何だか心に迫るものがあった。 「さーん、釣瓶下ろしますよー!」 「あ、はい」 底に溜まった汚れを汲み出さなくてはならない。それを排除したらやっと仕事は終わりになる。 上から釣瓶がそろりと下げられてきた。は下でそれを受け取ると、手を振った。 神谷はそれを確認すると、滑車からが縛られている縄を外し、釣瓶のついた方の縄と交換した。 が水を汲み、神谷と沖田が引き上げる。 何度かそれを繰り返して水は湧き出してくる透明なものだけになった。 「もういいですよ」 は上に向かって声を放った。 神谷は滑車から釣瓶のついた縄を外し、またがくくられている縄に交換した。 いや、しようとした。 「あ」 何度も縄を引き上げた神谷の手から一瞬ふっと力が消えて、の縄が滑り落ちた。 沖田も手を伸ばしたが、汗を拭いていてほんの僅かに気づくのが遅かった。 縄は暗い井戸の底へと引き込まれていった。 「いたっ」 縄の先端がの頭にぼとりと落ちた。 「・・・これって」 自分の体から伸びている縄を手繰ると、落ちてきた縄にたどり着いた。 「・・・」 は固まった。 釣瓶のついた方の縄を下ろしての縄と結び、まずは先端を引き上げてもらってから滑車に通し、は無事に井戸から脱出できた。 「ごめんなさいさん、びっくりしたでしょう?」 井戸の口から身を出したに神谷が駆け寄った。 「ええ、ちょっと」 は苦笑いを僅かに口の端に上らせた。 「もう、神谷さんはおっちょこちょいなんだから」 沖田が横から神谷をつついた。 「うっ・・・それはそうですけど、沖田先生だって結局間に合わなかったじゃないですか!」 神谷が言い返してつつき返す。 「でも縄を手放したのはあなたですからね、私じゃないですよ」 ふふんと笑って沖田は言った。 「あ、あの、無事だったんでもうその辺で・・・」 は二人の間から顔を出した。 「無駄だよさん」 同じ苗字の山口眞一郎がぐっとの襟首を掴んで後ろへ引っ張った。 「あの二人、何かにかこつけていちゃいちゃしたいだけなんだからよ」 「へ?」 「そうなんだよなあ・・・」 「そうなんだよ・・・」 が後ろを振り向くと、平隊士の面々がため息顔で並んでいた。 神谷と沖田の方を見ると、これは私が悪かったけど、あの時は沖田先生が、いや神谷さんがなど話題がさらに別なところへ飛びながらどつき漫才を繰り広げている。 「はあ・・・そうなんですか・・・」 は普段あまり屯所にいないし所属も違う。知らなかったので、物珍しそうに二人の様子を眺めた。 「あ、そうだ、忘れてた」 神谷が沖田との漫才をやめてはたと気がついた。 「台所で西瓜冷やしてあるんだった。今切って出しますね」 たたっと軽い足音を立て、神谷は台所へ向かった。 「神谷さん、私もお手伝いします」 は神谷の後を追った。 「いいですよ、切るだけですから。それよりも着替えてきたらどうですか。濡れたでしょう?」 神谷に言われては自分の着物を見た。 こすった汚れを流す水が井戸の内壁の瓦の継ぎ目で跳ね返り、全身のところどころが濡れていた。 「じゃあ、お言葉に甘えて着替えてきます」 は八木邸を出て、前川邸の門をくぐった。 庭を突っ切り、式台からではなく縁側から直接土方の部屋へと向かった。 土方の部屋の前にある井戸は前川邸の井戸を担当した隊士たちがすでに掃除を終えたらしく、地面の水溜りも外側が乾き始めていた。 「土方さん」 は縁側には上がらず、開いている障子の奥に座る土方へと声を掛けた。 「終わったのか?」 文机から顔を上げ、土方がの方を見遣った。 「はい、終わりました」 「そりゃあご苦労・・・ってお前、その格好でここまで来たのか?」 「はい、ちょっと濡れちゃったんで私の行李を取っていただけませんか?」 「馬鹿野郎、どこがちょっとだ」 土方はあきれたように立ち上がって納戸を開いた。 頭も肩も袖から見えている腕も、裾から伸びている白い足も水浸しだ。 本人は全く気づいていないようだが、手足に濡れた衣が張り付いている姿はなんとなく悩ましい。 それは土方が彼女を女だと知っていることも多分に含まれているせいかもしれないが。 「・・・ったく」 そんな格好でうろつくんじゃねえよ。誰かに変な目で見られたらどうすんだ。 忌々しそうに土方はの行李を縁側へ押し出した。 「ありがとうございます」 は行李を開け、乾いた手拭いを出して肩にかけた。 「どうやったらそんな格好になるんだテメェ」 「井戸の中に入れてもらったんです。中を掃除させてもらいました」 土方に答えながらは髪の元結を解き、手拭いで頭をごしごしと拭いた。 乾いた布の感触が気持ちいい。思わず笑みが零れる。 はふーと息を吐いて頭を振った。髪が自然に広がり、ぽたりと雫が垂れ落ちた。 (・・・っ) 首元を水滴が伝ってゆくその光景が、妙に土方の心を持っていく。 「・・・どうかしました?」 視線に気がついて、は土方に問うた。 「何でもねえ」 ぷいと土方は横を向いた。 こんなくだらないことで何を考えているんだ、と自分を心の中で殴りつける。 惚れているというのはこんなに面倒くせえことだったのか。 土方は自分に嫌気が差してきた。 は手拭いをもう一枚出して手足を拭くと、着物の水気を確認して縁側へ上がった。 そして他出していて居ない近藤の部屋を借りて素早く着替え、土方の部屋へと戻った。 「土方さんって・・・」 納戸に行李を納めると、はゆっくりと口を開いた。 「お聞きすると、“何でもない”っておっしゃる事が多いですよね」 それ以外に何言えってんだ。 本当のことが知りてえか? 「お疲れなんじゃないですか?後で何かおいしいものでも食べに行きます?」 は土方の傍にいざり寄った。 こいつの野暮天もいい加減どうにかしてやりてえ。 土方は目を眇めてを見下ろした。 が、彼女が土方の気持ちに気づいていないのは、土方がなるべくそれを表に出そうとしていない努力の表れでもあることに、こちらの本人も気づいていないのだ。 端から見れば、野暮天の彼女と伝えきれない彼、どちらもいい勝負なのではあるまいか。 どの道この後、彼女を食事に誘う予定だった。ちょうどよかった。 そう思った土方が、じゃあ出かけるかと言おうとしたその時。 「さーんっ」 神谷が庭の奥から走ってきた。 「あ、神谷さん。今八木邸に行きます。西瓜を」 皆で食べるんですよね、とが続けようとした。 「いえいえ、今から二人で出かけましょう!」 神谷は副長室に上がり込み、着替え終わったを見て腕を取った。 「あ?」 「え?どちらへ?」 を誘おうとした土方も、八木邸に行くつもりだったもきょとんとした。 「西瓜は皆さんで食べてもらって、私たちはおいしい甘味屋さんに行きましょう」 待ってたんですよと言わんばかりに神谷は目を輝かせた。 「甘味屋さんですか?」 「オイ神谷、そんなのは総司を連れてきゃいいだろ!コイツじゃなくても」 副長室の二人はそれぞれ思い思いの言葉を口にした。 「嫌ですよ、沖田先生と一緒だったらあの食べっぷりを見てるだけで気持ち悪くなるのに、つられて食べて余計に苦しくなるじゃないですか。私だってたまには適量を守って楽しく食べたいんですっ」 沖田の食べる光景を脳裏に浮かべてげんなりした後、神谷はぱっと顔を上げてと腕を組んだ。 「そう言う訳で副長、しばらくさんをお借りしますんで!」 神谷はそのままぐいぐいとの腕を引き、廊下を歩いていった。 「待て神谷、ソイツは俺が」 食事に連れて行くんだと土方が言うのも聞かず、二人は縁側を下りて庭へと消えていった。 「いいんですか神谷さん、沖田先生じゃなくて」 は心配して聞いた。 「いいんですよたまには。それに」 目当ての甘味屋への道を歩きながら神谷はの方を向いた。 「私が沖田先生の甘味屋巡りの道連れになったのはさんのせいなんですからね、今日ぐらい責任とって一緒に食べてくださいよ?」 神谷は半分責めるような眼差しを向けて、自分より少し背の高いを覗き込んだ。 「・・・っ」 は神谷から視線を逸らして体を折り曲げた。 「どうしたんですか、さん」 急にそっぽを向いたを心配して、神谷は手を伸ばした。 「す、すみません」 体を起こしたは、笑いを懸命に堪えていた。 「これ言うときっと神谷さん怒ると思うんですけど・・・かわいいなって」 は思ったことを隠さず口にした。 いつも自分の気持ちに真っ直ぐで、突き通す意思を持つ。それを他人に正直に伝えられるのが神谷の長所だと思った。 「もう、さん!私は、オトコです!」 「ごめんなさい」 往来で大声を出す神谷には頭を下げた。 「そんなこと言ってからかうと、甘味屋さんでの支払いはみーんなさんに押し付けちゃいますからね」 「いいですよ、別に」 すっと背を伸ばし、は神谷と視線を合わせた。 「何なら一緒に夕餉もどこかで済ませますか?出来ればこの前土方さんと行ったお茶屋さんにもう一度行きたいんですけど」 食べないで酔って寝てしまったので、とは恥ずかしそうに笑った。 「ああ、いいですねえ!じゃあそうしましょうか」 神谷は目を輝かせて肩を並べた。 二人は日が中天に昇ってきたところを歩き、甘味屋へと入った。 時間的に、甘味が昼餉のようになってしまった。 その後、以前が土方と訪れたお茶屋で食事をしてから屯所へと戻った。 明けて翌日。 は黒谷に出かける前に、神谷と共に八木邸に入った。 「おはよう、勇坊、為坊」 「神谷はん、山口はん、おはよう」 「おはようございます」 そして八木家の子どもたち、勇之助と為三郎と一緒に、昨日掃除した井戸へ行った。 「昨日、甘味屋さんで喋ってるときに、さん、どうしてこの時期に井戸の掃除をするんだって言ってましたよね」 甘味屋に入って食べながら井戸の掃除について神谷と話していた時、なぜこの暑い時期にやるのかと、は疑問を口にした。 春先や秋口など、もっと涼しくて動きやすい時期にやればいいのではないだろうか。 「その理由はね、これなんですよ」 神谷はそういって、勇之助と為三郎を井戸の前へと押し出した。 彼らの手には、五色の紙できれいに飾りつけられた笹が握られている。 「七夕・・・」 「そうです。勇坊、為坊」 「はーい」 「はーい」 子どもたちは井戸の上に笹を掲げた。 「見てください」 は神谷に背を押され、井戸を覗き込んだ。 すでに一晩が経ち、井戸の中にはいつもどおり水が湛えられていた。 きらきらと朝日を受けて輝く水面に笹飾りが移る。 「本来は織姫が機織の名人であったことから、女子の手習いの上達を願って始められた行事だそうです。そこから転じて、子どもたちの手習い全般の願掛けするものになったんだそうですよ」 「へえ・・・」 「井戸の清水に笹飾りを映すと縁起がいいという言い伝えです」 「あー、だからこの時期に井戸を掃除して・・・」 何となく井戸掃除の口実めいたものを感じはしたが、きっかけは何であれ、掃除ができるのはいいことである。 そういうことを楽しみを織り交ぜて出来るこの時代を、は感心して眺めていた。 と神谷は八木邸を出た。 「神谷さん、これ、昨日の私の分です」 は懐から紙包みを取り出し、神谷に渡した。屯所を出る際に財布を忘れてしまったため、代金を神谷に立て替えてもらったのだ。 「いいのに、私が誘ったんですから」 「私こそ、本当はご馳走するつもりだったのに折半ですみません」 は断る神谷の手に紙包みを握らせた。 「・・・そうだ、土方さんがね、口をきいてくれないんですけど」 ふと思い出したようには言った。 「え?」 「昨日神谷さんと出かけたじゃないですか。帰ってからどこに行ったのか聞かれたから、甘味屋さんと、土方さんとご一緒したお茶屋さんに 行ったって言ったら、その後黙っちゃって・・・」 「へーえ・・・」 神谷は眉をぴくりと動かした。 「何か怒らせるような言い方をしたんでしょうか。もし今日土方さんが機嫌悪かったらごめんなさい」 じゃあ黒谷へ行ってきます、と言っては前川邸の方へと戻っていった。 (・・・勝った) 神谷はにやりと笑った。 土方の機嫌が悪いのは、自分が土方からを取り上げて連れ回した挙句、二人でしか行ったことのない見世に行ってしまったからなのは明白である。 (副長って、さんのこと好きなのか・・・) しばらくはこのネタで楽しむことができそうだと、神谷はほくそ笑んだ。 が、これから午前中に行われる稽古で自分が土方にこてんぱんに伸されるのを、まだ神谷は知らなかった。 参考文献: 『大江戸ものしり図鑑』 花咲一男監修 主婦と生活者 2000年 『近世風俗史(四)(守定謾稿)』 喜多川守定著 宇佐美英機校訂 岩波文庫 2001年 『徹底比較 江戸と上方』 竹内誠監修 PHP研究所 2007年 |