久遠の空 風年表
『風光る』内の記述を年表にしてみました。単行本になっているところまでまとめてあります。
よって史実とは異なる内容もございますのでご注意ください。
登場人物の生れ年は数え年に準じています。
管理人の独断と偏見でエピソードをまとめておりますので、記事の詳細・簡潔につきましてはご相談ください。
「出来事」欄内の記事の順番については、特に単行本に記載がない場合、刊行順にしました。
誤字脱字・認識の違いによる記事内の誤りの指摘を歓迎いたします。メールフォームからお願いします。



風光る年表


1814年

 土方為二郎生まれる。(24巻)

1821年

 土方喜六生まれる。(24巻)

1822年

 富永玄馬生まれる。(16巻)

1824年

 神谷リン生まれる。(16巻)

 徳川慶勝生まれる。(29巻)

1827年

 佐藤彦五郎生まれる。(24巻)

1828年

 篠原秦之進生まれる。(10巻)

 土方大作生まれる。(25巻)

1829年

 井上源三郎生まれる。(1巻)

1831年

 土方ノブ生まれる。(24巻)

1832年

 佐藤順之助(松本良順)生まれる。(15巻)

1833年

 山南敬助生まれる。(1巻)

 沖田ミツ生まれる。(8巻)

1835年

 近藤勇生まれる。(8巻)

 南部精一郎生まれる。(15巻)

1835年

 土方歳三生まれる。(8巻)

 会津公松平容保生まれる。(8巻)

 鈴木大蔵(伊東甲子太郎)生まれる。(10巻)

 内海次郎生まれる。(10巻)

 この辺りの年に、松本セイ(のちの良順の妻)生まれる。(16巻)

 美賀(一橋慶喜正室)生まれる。(29巻)

1836年

 沖田キン生まれる。(8巻)

 佐野七五三之助生まれる。(10巻)


 山崎烝生まれる。(25巻)

1837年

 鈴木多聞(三木三郎)生まれる。(10巻)

 佐藤彦五郎、名主を継ぐ。(25巻)

 一橋(徳川)慶喜生まれる。(19巻)

1838年(天保9年)

 佐藤泰然(順之助の父)が長崎留学から戻る。息子・順之助と松本セイに天然痘の予防接種(人痘) を試みる。玄馬、泰然が開いた蘭学塾の講義を覗き見るために順之助の遊び相手になる。

1839年

 永倉新八生まれる。(1巻)

 加納鷲尾生まれる。(10巻)

 玄馬の父が病に倒れ、跡目相続の準備のため玄馬は御家人・神谷家の娘リンと結婚。(16巻)

1840年

 原田左之助生まれる。(1巻)

 玄馬の父死去。玄馬、医学への志を押さえきれずに、リンの助けを借りて御家人株を売り、豪商の 三男坊・嘉一郎を養子に迎える。(16巻)
 河合耆三郎生まれる。(25巻)

1841年

 富永祐太郎(祐馬)生まれる。(16巻)

1843年

 佐倉泰然が、佐倉藩主・堀田正陸の招聘に応じて佐倉に診療施設も兼ね備えた蘭学塾・順天堂を設立 。玄馬も参加する。玄馬、リンと朝顔市へ。(16巻)

1844年(天保15年)

 斎藤一生まれる。(1巻)

 藤堂平助生まれる。(1巻)

 夏に沖田宗次郎、江戸・麻布の白川藩下屋敷にて父・沖田勝次郎(下級藩士)と母ナオの長男と して生まれる。(8巻)
 徳川茂承(紀州徳川家)生まれる。(28巻)

1845年

 土方、奉公先の番頭に襲われるも、抵抗して未遂。夜道を上野から多摩まで徒歩で帰る。(5巻)

 宗次郎の父・勝次郎、病死。沖田家は家名断絶を免れるも扶持を失う。(8巻)

 土方作助生まれる(25巻)。

1846年

 春、沖田家、母ナオの故郷多摩郡日野村へ移住。窮乏を極める。(8巻)

 宗次郎の姉・ミツ、郷士の三男である井上林太郎(沖田林太郎)を婿として迎える。(8巻)

 徳川慶福(家茂)生まれる。(19巻)

 多摩川の氾濫により、土方家の土蔵・物置・母屋の半分が流され、移転する。(24巻)

1847年(弘化4年)

 順之助、姉婿の蘭医・林洞海に仕込まれて順天堂へ。玄馬はこの頃、玄庵と改名している。(16巻)

 冬、勝五郎(勇)と歳三、日野の佐藤家で出会う。(24巻)

 慶喜、一橋家へ養子に出される。(29巻)

1848年(嘉永元年)

 菅原まさ生まれる。(15巻)

 リン、祐太郎を伴い順天堂の玄庵を訪ねる。養子の嘉一郎に縁談が持ち上がり、嘉一郎の実母が 富永家を乗っ取ろうとしていた。リンの提案で富永の家を明け渡し、リンと祐太郎は長屋に移る(16巻)。

 順之助、幕府御典医の松本家との縁談がまとまる。(16巻)

 勝五郎、天然理心流に入門。(24巻)

1849年

 正月、日野宿本郷で火災。刀を持った乱心者に、歳三の大ばあ・えいが斬り殺される。(24巻)

 勝五郎、天然理心流の跡取りとして養子に入る。(24巻)

 富永セイ生まれる。(5巻)

 中村五郎生まれる。(14巻)

 島崎勝太(勇)、近藤周斎の元へ養子に入る。(13巻)

 大蔵の父・専右衛門、同僚から疎まれて讒言にあい蟄居閉門の処分を受ける。大蔵と弟の多聞 は母の故郷・志筑藩で暮らす。(13巻)

 松本セイがトキ、佐藤順之助が松本良順と名を変える。(16巻)

 孝(深雪の妹)、生まれる。(26巻)

1850年

 大蔵、水戸へ遊学する。(13巻)

 田中初音生まれる。(16巻)

1851年(嘉永4年)

 八木為三郎生まれる。(1巻)

 歳三、再び江戸へ奉公(伝馬町の木綿店)に出る。店一番の美人(2つ年上)を相手に“男デビュー”を飾る。 が、店にバレて2ヶ月も経たないうちに首になる。相手の美人とは3両で手切れ。(24巻)

1852年

 春、宗次郎の姉・キン、江戸勤番の三根山藩士・中野由秀に嫁ぐ。翌日、母ナオが痛風と発覚。姉・ミツ妊娠。(8巻)

 秋、宗次郎、口減らしの為、江戸市ヶ谷の天然理心流誠衛館道場・近藤周斎(近藤勇の義父)の元へ 下働きに出される。勝太(勇)・土方と出会う。(8巻)

 冬、専右衛門、私塾を開いていたが病を得て亡くなる。蟄居閉門中に体を壊し、無理がたたった末のこと であった。大蔵が多聞を助手にして塾を継ぐ。(8巻)

1853年(嘉永6年)

 セイの母・リン死去。(1巻)

 春、宗次郎、土方に右腕の骨を折られる。完治後、勇と共に八幡様へ。兄とはぐれたセイと出会う。 周斎と立会い、正式に門人になる。(8巻)

 夏、アメリカの使節ペリーが浦賀沖に来航。大蔵、攘夷に加わるため上京。多聞は攘夷戦を睨んで 塾を武道中心に切り替えるが失敗。塾は閉鎖に追い込まれる。その後、年代は不明だが多聞は養子に迎えられる。 しかし自己嫌悪から酒に溺れて不祥事を起こし離縁される。母にも見捨てられるが、一念発起して北辰一刀流の免許皆伝を受ける。(13巻)

1855年(安政2年)

 乙卯の火事。大地震による火災で、焼失家屋数約10万戸。(8巻)

 一橋慶喜、美賀と結婚。(29巻)

1856年

 この頃、原田、故郷の松山で「切腹の作法も知らねえ下司野郎が」とバカにされ、“つい”切腹。未遂。(8巻)

 良順、長崎に留学が決まり、生きて帰れぬ覚悟で暮れに玄庵を訪問。(15巻)

 この年、谷三十噤A備中岡山で同輩を斬り、国の裁きを受ける。(26巻)

1857年

 徳川家茂、一橋慶喜と争いながらも第14代将軍に就く。(19巻)

1858年

 八木勇之助生まれる。(1巻)

 永倉新八、脱藩。(9巻)

 江戸に種痘所が設けられる。(16巻)

 富永一家、順天堂以来の旧知・日野良耕(妻・唯)医師の元にやってくる。日野は労咳にかかって いたため、診療所を任せるために富永を江戸から京都へ呼び寄せた。半年後、日野死亡。(21巻)

 正一生まれる。

 徳川義宣(慶勝子息)生まれる。(29巻)

1859年(安政6年)

 土方、宗次郎に負け、天然理心流へ正式に入門する。(25巻)

 安政の大獄で一橋慶喜が“慎”の刑を科せられ、4年間外出も面会も文のやり取りも禁ぜられる。この間、妻の美賀が出産するも赤子は5日で死去する。(29巻)

1860年(安政7年)

 3月24日(旧暦3月3日)、桜田門外の変。(25巻)

 勝太、清水家家臣・松井八十五郎の長女ツネと結婚。(25巻)

 十月(旧暦万延元年9月)、土方喜六死去。作助が家を継ぎ、隼人と名乗る。(25巻)

1861年

 勝太、天然理心流四代目宗家を継承。近藤勇と名を改める。(25巻)

 宗次郎、免許皆伝。塾頭となる。(25巻)

 近藤周斎の妻ツネの侍女・サエが宗次郎に告白。宗次郎に断られ、懐剣で喉を突き自殺未遂。 一命はとりとめたものの、駕籠で故郷に帰される。宗次郎、生涯不犯の誓いを立てる。(9巻)

 大蔵、佐賀町の北辰一刀流・伊東道場の婿養子に入り、伊東姓を名乗る。その後、三木三郎が会いに 訪れる。(10巻)

 この頃、土方が労咳に罹患。半年ほどで快癒する。(16巻)

1862年

 斎藤、同じ道場で剣を学んだ同輩の若い旗本を真剣勝負で斬り殺す。父に諭され、京にある父の知人 の道場(吉田道場?)に身を寄せる。(17巻)

 中村、同じ道場の兄弟子に無理矢理押し倒されて、相手の××を蹴り上げ再起不能にする。(17巻)

 小花の娘・ユキ生まれる。(18巻)

1863年(文久3年)

 明里の父で丸小船の船頭をしていた秀次が体を壊す。(11巻)

 土方、三味線屋の一人娘・お琴と見合いをする。(17巻)

 春、宗次郎、元服し“総司”と名を改める。(10巻)

 上洛浪士隊にが結成され、上京。(10巻)

 4月(旧暦3月)、蘭法医・富永診療所に長州勤皇派の浪士3名が押し入り、元幕臣の玄庵・長男祐馬を殺害する。 総司は助けに入って浪士を二名斬殺、一名逃亡。セイ、逃げた浪士の起こした火災に巻き込まれる。(1巻)
 10日後、頂妙寺に収容されていたセイを翠月尼が訪ねて引き取る。生きる気力をなくしていたセイ は、引き取られた千寿庵の庵主さまに力づけられる。セイ、死んだ事にしてくれと書置きを残して庵を 抜け出す。(21巻)

 5月、長州がアメリカ・フランス・オランダの船に突如発砲。攘夷戦。(1巻)

 6月(旧暦5月)、セイ、仇討ちのため名前を神谷清三郎と偽り壬生浪士組に入隊。その夜、総司に女子だと露見。 総司、近藤の従者・荒木佐十郎を長州の間者として処断。(1巻)
 セイ、隊服をもらう。斎藤一、江戸の実家より帰還。数日後、京都守護職・松平容保から、隊創設に かかった費用の全額支給と、今後支給される禄高の決定が下知される。一人当たり3両の俸禄の噂を聞 き、百名近くの入隊志願者が現れる。山城勘二、船戸辰吉と組んでセイに乱暴。総司の介入により未遂 に終わる。(1巻)

 総司、島原の小花の娘・ユキの元を尋ねて手形をもらってくる。以降、月一でユキとの連絡係をする。(18巻)

 セイ、島原(別名:西新屋敷)の置屋「花屋」にて祐馬の元恋人・明里(さと乃)と会う。総司に 小花という馴染がいると知りショックを受けるが、二人の間に何も無いことを知る。同時に「花屋」 にて長州脱藩の佐伯某を捕獲。(2巻)

 7月(旧暦6月)、大阪にて壬生浪士組の名を語る押し借りが横行。総司・斎藤・芹沢鴨・セイらで解決に向かう。 偶然行き会った山城勘二の実家の旅籠に宿泊。セイ、家族を殺した長州人の一人・缶藤四郎と出会う。 敵が谷浜の善楽寺を拠点にしている事を知り、潜入するが発見され捕らわれる。後から駆けつけた総司と斎藤に救出され、缶の自害にて仇討ち終了。 セイに着いてきた山城は囮になって斬られ、死亡。(2巻)
 翌日夕刻、総司から離隊を促されたセイが斎藤に発見され、会話しているところへ芹沢が道を譲らなかった力士・熊川を誅殺。 力士総勢20名と大立回り。セイと斎藤、乱闘に参加。セイ、壬生浪士組残留を決意する。(2巻)

 夏、総司はこの頃からセイを離隊させようと懸命になる。そこで、3日間のうちに総司から一本取らなければ離隊という条件を突きつける。 最終日にセイ、初花(生理開始)。明里に助けを求める。その時、総司を油断させ一本取る。今後、生理の時は明里の元に3日間の 居続けをするようになる。総司、立ち合いにてセイの大刀を折る。代わりに笄付きの大刀を贈る。斎藤、セイが女子ではないかと疑う。(3巻)

 8月(旧暦7月)、昨年5月の攘夷戦に対抗し、該当3カ国にイギリスを含めた計4ヶ国が報復。たった半時で長州側の砲台を壊滅に持ち込む。(10巻)

 屯所にしている八木邸に、四条堀川の太物問屋「菱屋」の妾・お梅が30両の取立てに来る。 芹沢、お梅に一目惚れ。セイ、芹沢にお梅が妾である事を告白。芹沢は取立てにやってきたお梅に同情し、狼藉。 荒れに荒れて、島原の揚屋(料亭)「角屋」で暴れた挙句7日間の営業停止命令、13日には生糸商「大和屋」を焼き討ちなどの暴挙に出る。 セイ、芹沢に額を鉄扇で打たれるも暴挙を阻止する。お梅、菱屋から芹沢の元へ。同日、長州と尊皇攘夷派の画策により、 攘夷祈願を目的とした孝明天皇の大和行幸が決定される。(3巻)
 翌14日、大和行幸の報を受け、尊攘派が動くと睨んだ壬生浪士組幹部は密かに警護の準備を進める。 同日四つ、局長近藤勇・副長土方歳三・同山南敬助の3名、黒谷本陣(金戒光明寺)へ内密に 呼び出される。芹沢、お梅に贅沢の限りを尽くさせる。(3巻)
 18日、“8月18日の政変”勃発。会津・薩摩・朝廷内の公武合体派が、大和行幸の延期と 長州・尊攘派の御所追放を求めクーデター。壬生浪士組も御所の御所固めに赴く。御花畑の警護に当たる。しかし、クーデターは長州と尊攘派の 京都放逐によりあっさり終結。壬生浪士組は会津公より「新選組」の名を下される。(3巻)

 14日に会津公より下された沙汰で、芹沢一派を粛清することになる。副長新見錦、芹沢の名を借りての 遊興三昧を咎められ、料亭(?)「山乃緒」にて総司に討たれる。(3巻)

 10月28日(旧暦9月16日)、芹沢一派粛清。近藤主催の新見追悼会が島原の「角屋」で行われる。芹沢・平山五郎・平間・ 野口の計4名をその場で悉く酔わせ、八木邸に戻って泥酔したところを、土方・山南・総司・原田左之助で強襲。 芹沢・お梅・平山は死亡。平間・野口は逃走。セイ、明里のところに外泊するよう総司に仕向けられるが、屯所に戻る途中で総司と遭遇。 下手人が総司(たち)だと知る。表向きは長州派の奸賊の仕業とされた。

 秋、局中法度書(隊規)制定。
  一、士道に背くまじき事
  一、局を脱するを許さず
  一、勝手に金策致すべからず
  一、勝手に訴訟取り扱うべからず
  一、私の闘争を許さず
  右条々相背き候者 切腹申し付くべく候也
 尚、敵と対して後ろ傷を受けた場合、相手を討ち取らぬ限りは有無なく敵前逃亡と見なし切腹の対象。 さらにそれを恐れて敵を回避すれば無論士道不覚悟としてこれも切腹と為される。平隊士・田上又二郎が切腹を申し付けられる。 田上は張番を殺害し逃走を図るが、セイに誅伐された。セイはこれが初めての人斬り。この後、切腹を恐れて脱走者が相次ぐ。 この秋だけで中谷久之助ら4名が脱走し、切腹させられている。(4巻)

 発句帳騒動。(4巻)

 セイ、桂小五郎と接近。(4巻)

 “お菊”騒ぎ。(4巻)

 斎藤、宮川町「橋田屋」の陰間・雪弥と出会う。斎藤に惚れた雪弥は、彼の思い人であるセイに斎藤を譲るよう強要するが、 斎藤の介入で事なきを得る。(5巻)

 初冬、近藤は祇園の料亭「一力」にて行われた諸藩周旋方会議に招かれる。(5巻)

 土方、ダンダラの羽織の廃止を提案、四月朔日まで私服着用とする。同日、法度に背いて処罰された中谷久之助の姉・しのに襲われるが、 発句帳を刺されただけで無事に済む。後日、しのにおびき出され、彼女に雇われた侍たちに囲まれる。土方、駆けつけた沖田と共に敵を撃退。しのは自決する。(5巻)

 大坂屋与兵衛の息子・松太郎生まれる。(27巻)

 田安亀之助生まれる。(28巻)

1864年(文久4年・元治元年)

 総司の3人目の姪・クマ生まれる。(13巻)

 セイ、斎藤に棟打の指南を請う。総司、山南の覚え書から手貫緒を知り、セイに贈る。(5巻)

 2月20日、元号が文久から元治と改まる。(5巻)

 3月、水戸で天狗党の乱勃発。(5巻)

 春、土方は姉への贈り物を求める途中、刀好きの浪人・古川友弥(会津肥後守御抱刀工・会津十一代和泉兼定)と出会う。(5巻)

 夏、公武合体優先を盾に攘夷を断行せずにいる幕府へ、攘夷の為に京へ上ってきた隊内に不満が募る。 山崎、急進攘夷派の長州勢が京に出戻っていることと、大樹公(14代将軍・徳川家茂)の江戸引き上げの噂を持ち込む。 セイ、新選組解散を提案する総司に食って掛かり、翌日まで蔵籠めにされる。(6巻)
 翌日から新選組は市中に特別厳戒態勢を敷き、不逞浪士の取締りを強化する。 近藤、家茂が東帰するなら組の解散もやむなしとの建白書を提出。(6巻)

 5月、将軍東帰。近藤、老中・松平雅楽頭より将軍の再上洛まで京都守護の命を賜る。同日、山崎より 密書が届く。「次ノ者ニ就キ 至急詮議サレタシ 木屋町四条上ル 薪炭商“桝喜”コト  桝屋喜右衛門(古川俊太郎・出身は近江)」(6巻)

 7月8日(旧暦6月5日)早暁、永倉新八以下5名、「桝喜」を訪れ古高(桝屋)を同行。「桝喜」の蔵から武器・弾薬・甲冑 ・倒幕派とやり取りした密書が発見され、新選組が蔵を封鎖。(6巻)
 永倉・原田らが古高を拷問中に蔵が破られ、大量の武器・弾薬が強奪される。土方、五寸釘と 百匁蝋燭を使い古高の口を割ることに成功。「今月22日前後、風の強い夜に、御所に火を放ち、 中川宮と容保公を殺害して帝を長州までお連れする」との計画を聞いた近藤は、暴挙を食い止めよう とする。(6巻)
 暮六つ(20時頃)新選組、局長近藤以下34名、町会所(祇園石段下)に集合。共に探索に当たる会津藩があと半刻以上 準備にかかると聞き、夜五つ(戌の刻、21時30分頃)の申し合わせを待たずに出動準備。(6巻)
 六つ半、隊を二手に分けて出動。近藤隊は11名(総司・永倉・藤堂平助・谷・武田・奥沢・セイ 他)で鴨川の西を、土方隊は23名で東を捜索。(6巻)
 夜四つ(22時50分頃)、近藤隊が三条小橋西端の旅籠「池田屋」に到着。浪士たちを発見。 2階に近藤・総司・セイの3名が駆け上り、戦闘開始。総司倒れる。セイ、1人で奮闘する。捕縛された浪士たちは、池田屋の主人に助けられ逃走。

 翌日、浪士の一人秋吉が長州藩京屋敷に現れ、桂に池田屋での仔細を報告する。(6巻)

 池田屋は潰れ、女中のお悠は貧しい実家に帰れず、池田屋の新造の斡旋で新しい奉公先へ出る。が、その実態はお妾奉公だった。(6巻)

 セイ、近藤の養子になる話を持ちかけられる。(6巻)

 京都の五条大橋に斬奸状が張り出され、新選組は池田屋襲撃に対する尊攘派の糾弾を受ける。巡察に 呼び子が採用される。巡察中、隊士の上野と小菅が襲われる。下手人・秋吉は総司に斬られる。(7巻)

 会津藩より池田屋の恩賞金が出る。一人10両プラス働きに応じて上乗せ。山南、島原で明里と出会い結ばれる。 明里、山南への恋心とセイへの同情の板ばさみに苦しみ、セイが女子であることを山南に暴露。(7巻)

 夏、池田屋事変により活動の中心人物を失った長州は、新選組や容保公を憎悪し挙兵。山崎・嵯峨・ 伏見に布陣。新選組も九条河原の銭取橋付近に陣を敷き、迎え討つ。セイ、山南や藤堂らと共に屯所で 留守居を申し付けられる。山南、セイの総司への思いに心に打たれ、出陣を許可。セイのために発注しておいた 鎖帷子を渡す。(7巻)

 7月19日早暁、禁門の変。焼き討ちの炎が京都市中に燃え広がり、延焼3日間。被災個数約2万8千。「どんどん焼け」と呼ばれる。(7巻)
 20日、六角獄舎の加勢に出向いた山南と藤堂、滝川奉行の命により罪人たちが槍で突き殺されて いくのを目撃する。セイ、長州兵を追い伏見を経て山崎天王山に向かう途中、家族を亡くした正一に会う。(7巻)
 21日、山崎天王山にて長州残党は自刃・壊滅。(7巻)
 土方、帰営を暮六つにして解散。町の復興を手伝う。山南と藤堂は帰営後、六角獄舎での事件を 近藤たちに報告。滝川奉行に無礼を働いた罪で切腹の可能性が出てくる。藤堂、仲間に促されて 島原へ。向かう途中、池田屋で奉公していた女中・お悠(新しい奉公先は延焼)と出会い、激しく詰られる。(8巻)

 5日後、斎藤が「大火に乗じて六角獄舎で勤皇の志士たちを惨殺したのは新選組だ」との風聞を 持ち込む。監察方の調べにより島原が出所と知った藤堂は、島原に赴き局見世に出ていたお悠と 会って誤解を解こうとする。後日、お悠を買いに来た六角獄舎の幕吏が噂をまいた張本人だと判明。 藤堂に返り討ちにされる。お悠、島原を出て行く。土方、藤堂を新入隊士勧誘の役にあて、東下 させる。(8巻)

 新選組、編成変更。全体を10組に分け、従来の助勤役を組長とし、その下に伍長2名ずつを配置。 セイは総長山南の小姓になり、隊士部屋から総長の個室へ引っ越す。(9巻)
 総司と離れたところを狙い、一番隊を中心とするメンバーがセイに恋文を送る。3日後の十五夜戌の上刻、斎藤も参加して壬生鎮守の森 にてセイ争奪戦。斎藤と、恋文を発見し乱入してきた総司の一騎打ち。総司が勝つ。(9巻)
 翌日早暁、三本木の茶屋で酔いつぶれていた永倉(と原田)が、茶屋の従業員の話から 近藤が身請けした三本木の芸妓・駒野に恋人がいることを知る。後日、その事実も含め、 池田屋以降の近藤の態度に反感を持った永倉は、原田・斎藤と共に容保公に糾弾のための建白書を 提出。そのまま黒谷に留め置かれた3名は、翌日容保公に謁見。斎藤の計らいで、同席した近藤と和解。(9巻)

 9月初旬、将軍家茂の再上洛を請うため、近藤東下。建白書を差し出した件で謹慎中の永倉を伴う。山南、セイに総司とサエの話をする。(9巻)

 10月末、近藤・藤堂帰京。伊東甲子太郎、三木・内海・加納・篠原・佐野ら7名と共に新選組に加入。(10巻)

 初冬、新選組・隊内で大規模な改革を行う。文武共に師範制度を設け、隊士を教育する構造ができた。(10巻)

 土方と伊東が試合。汗で足を滑らせたものの、土方が勝つ。(10巻)

 この頃から、屯所移転の話が出る。(10巻)

 伊東、山南と同室になる。セイ、一番隊へ配置換え。総司・斎藤と同室になる。(10巻)

 12月(旧暦11月)、長州が、禁門の変における謝罪文書を責任者3名の首と共に幕府に提出。(10巻)

 セイ、一番隊復帰直後の夜の巡察で正一を発見。(10巻)  禁門の変で親を亡くした正一は、造り酒屋の若夫婦の家へ養子に行っていたが離縁し、養子の口利きをしてくれた長屋の大家の元へ。(11巻)

 某料亭にて、山南と伊東一派が密会。伊東は攘夷断行を訴え上京する天狗党を幕府が阻止しようとしているのに対し、 誤解を解き幕府と天狗党を和解させようとする。そのために近藤を説得することへの協力を山南に頼んだ。 ところが、東帰の際に出会った蘭方医・松本良順の話を聞いた近藤は、遠謀攘夷論を展開。山南は板ばさみになり悩む。(11巻)

 明里の元を訪れた山南は、正一に財布を届けてもらう。正一、山南にいろは歌を書いてもらう。(11巻)

 12月、料亭での密会の10日後、天狗党が加賀で投降。(11巻)

 正一、山南の指南で明里に礼状を書く。(11巻)

 この年、加賀藩で元治の変。(元治の獄とも。勤王派臣下の断罪騒動)(26巻)

1865年(元治2年・慶応元年)

 3月(旧暦2月)、一橋慶喜、天狗党および追討総督の田沼玄蕃頭意尊・総勢350余名を斬首刑に処す。(11巻)
 前回と同じ料亭に会した伊東一派は嘆き、新選組を攘夷集団へ導く事、もし叶わぬ場合は近藤局長を斬り、新選組を殲滅する事を誓う。 同席した山南も同意する。が、屯所に帰営した山南は近藤が幕府を見限る男ではないと改めて確認する。(11巻)
 翌日、山南脱走。大津にある明里の実家を訪れ、明里に手紙を残す。総司が追手として選ばれ、大津にて確保。一泊した後に帰営、切腹。 介錯役は総司。大和屋の座敷に呼ばれていた明里と、窓越しの別れを交わした。夜、”黒髪”を舞った後に明里が自害しようとする。 それを止めようとした正一に声が戻る。(11巻)
 山南の野辺送りの2日後、山南の親元受けと母の迎えで明里が請け出される。セイ、屯所の近くに妾宅を持ち、明里と正一を住まわせる。(11巻)

 セイと総司が12年前に八幡様で出会っていたことが発覚。セイ、斎藤が山南の死の真相を知っているのではないかと探るが、斎藤の機転(ふんどし)で誤魔化される。(11巻)

 3月(旧暦2月末日)、土方、当月中(残り2日)に前川邸を引き払い、六条の西本願寺への移転を宣告。 門主の広如が長州贔屓の勤皇派であり、佐幕派の新選組屯所を拒んで断られる。伊東が清三郎を若衆姿に仕立て上げ、 その姿で広如を惑わせて堂宇の借用証文に署名させる。(12巻)

 サエが総司を訪ねて屯所へやってくる。(12巻)

 新選組、西本願寺へ屯所を移転。太鼓楼・北集会所と付属の2棟を借り受ける。組長・組下とも同室になる。(13巻)

 総司、江戸で隊士を徴募している藤堂に合流する事を命じられる。三木、セイに慕わしい気持ちを抱き、深夜の剣術指南をする。 三木は、酒を過ごしてセイに乱暴。斎藤から情報を得た総司に助けられる。江戸行きでセイを守れない総司は、離隊を提案する。 セイは総司が江戸に出立するまでに己を守れる強さを身に付けると約束する。(13巻)

 西本願寺の裏方に勤めるギン、屯所の縁の下に潜っているところを伊東と内海に見つかる。ギンの亡くなった主人に似ていることを利用し、 伊東は西本願寺と懇意になる。(13巻)
 伊東と寺の癒着に気付いた斎藤は、土方に報告する。(14巻)

 セイ、隊への在籍をかけて深夜に総司と対決。勝敗はつかなかったものの、総司はセイの離隊を思い留まらせる。以降、総司 はセイを毎日朱雀野の森へ連れ出し、“神谷流”の剣術の稽古をつける。(14巻)

 斎藤の報告を聞いた土方は伊東の行動を阻止するため、江戸行きの人選を自分と伊東、斎藤に変更。(14巻)
 この頃、千寿庵の庵主さまが米寿を祝った後亡くなる。(21巻)

 4月中旬(春たけなわの頃)、伊東・土方・斎藤の3名、隊士徴募のため江戸へ出立。初日は石部の旅籠(大坂屋?)に宿泊。 品川宿にて藤堂と伊東の妻・ウメ出迎え。藤堂はここで初めて山南の死を知り混乱する。伊東・藤堂は三田 (伊東宅)へ、土方・斎藤は誠衛館へ。翌日、誠衛館を訪れた藤堂は立ち直っていた。山南の件に関する藤堂の憎悪を引き受けようという 意図に気がついた伊東による策略であった。見透かされた土方、奇跡の“逆転勝利”に持ち込む。(14巻)
 土方、江戸にいる間にお琴と会い、縁談を破談にする。(14巻)

 6月(旧暦5月)伊東・土方・斎藤・藤堂の幹部4名、52名の新入隊士を率いて西本願寺の屯所へ帰営。仮配属にて 一番隊に加入した中村五郎がセイが女子ではないかと疑う。仮配属終了後、相田と山口の直訴により、中村は十番隊へ異動となる。(14巻)

 7月(旧暦5月)、将軍家茂公の上洛が本決まりになる。近藤、セイの元服を提案する。(15巻)

 屯所に松本良順法眼が訪れる。隊士たちの検診を会津藩医・南部と共に行う。また、屯所内の衛生環境を整えるよう土方に指示する。 土方はそれを受け本願寺僧坊の風呂桶を借り、湯殿の支度を整える。松本法眼はセイの正体に気付くが、彼女の決意を知って 「如心遷」なる病気の診断をデッチ上げ、近藤以下幹部連中を納得させる。 この日の法眼の診察の結果、病床者は70名余り、うち2名が心臓病と労咳(肺結核)でその他は感冒・食傷・梅毒であることが判明した。(15巻)

 原田、巡察中に呉服商家の娘まさと出会い一目惚れ。満月の夜にまさの家へ忍び込んで求婚する。翌日、まさは屯所を訪れ原田の求婚を受け入れる。(15巻)
 原田、まさを娶る事を近藤と土方に報告。二人は士農工商に則り、まさの身分が商人であることを理由に反対する。 が、まさの家が苗字帯刀御免の商家であることが判明。身分の釣り合いに不都合無しとなり、原田とまさは無事に結婚する。(16巻)

 この夏、新選組は休息所制度を導入。組長以上の幹部に限り、営外居住(屯所の至近距離に妾宅・居住を構える事)を許可。 また、幕府からの要請により銃砲・火器訓練の導入、松本法眼の助言で家畜の飼育とそれによる滋養摂取、新しい隊服の制定(羽織から袴まで黒一色)もなされた。(16巻)

 祇園で火事発生。総司、火事場泥棒1人にかすり傷を負わせ、どつかれて倒れた田中初音を助ける。(16巻)

 斎藤、七条新地に店を構えた雪弥と祇園での隊務中に出会う。斎藤はセイの身代わりでも構わないと雪弥に迫られるが、雪弥の旦那であるご隠居が 乱入。斎藤との仲だけは許せないというご隠居に反抗する雪弥だが、雪弥が大人になる為にわざと突き放していたというご隠居に心を開く。(16巻)
 翌日(と思われる)、家畜の屠殺準備中にセイが豚に襲われ足を切る。総司が木屋町の松本法眼宅までセイを抱えて運び込む。 松本法眼、総司の過去を知る。セイ、松本法眼から父親の話を聞く。(16巻)

 総司に縁談。南側芝居で総司が見合い。セイは浅葱色の着物の女子姿になり、こっそり様子を見に行く。 男に絡まれるが隠密行動中の斎藤に助けられる。総司は見合いを抜け出す。セイに絡んできた男が手下を連れてお礼参りにやってきたが その場に駆けつけた総司に後ろを取られて逃げていった。総司はセイに何故女子姿で出歩いているのか詰問する。答えに詰まった セイだが、斎藤がセイに密偵を頼んだということに。南側芝居に戻った総司は縁談を破談にされ、怒った土方に風呂茹でにされた。(16巻)

 中村、セイが男だと”理解”し、茶屋で憂さを晴らそうと有り金をはたいて豪遊。同じく憂さ晴らしに飲み に来ていた伊東と偶然遭遇。酔って心情を吐露する中村を、伊東は優しく諭す。(17巻)

 近藤、芸妓を1人身請けし、実家に帰す。駒野に子どもが出来、秋に出産予定。(17巻)

 大坂に派遣中の七番隊組長・谷三十郎が、新選組の名を騙り金策した浪士を梟首したという情報を 山崎が持ち込む。他にも谷の正義感から来る生き過ぎた行為に、大坂における新選組の評判はガタ落ち。近藤と一番隊が大坂に 乗り込む。八軒屋の船宿・京屋(京屋忠兵衛)の元に身を寄せる。近藤と三十郎で会談するも、三十郎の考えは変わらず。 セイは三十郎から密偵の嫌疑をかけられる。在坂していた七番隊の慰労の宴会が行われた夜、帰り道で賊に襲われる。 新町に逃げ込んだ浪士を処断しようとした三十郎を近藤が喝破し、道中の太夫・深雪を助ける。 三十郎の功を急ぐ気持ちは、谷の名前に武士身分を取り戻したいが為のものだった。近藤、大坂での新選組の評判を鑑みて撤退を決意。翌日帰営。(17巻)

 晩夏、三番隊・佐山善郎の商家の妻女との不義密通が発覚、切腹。伊東と中村の衆道関係が斎藤に露見し、土方に報告される。 帰営した近藤と土方・伊東で大坂の処遇について話し合いがもたれるが、伊東は近藤へ不信感を募らせていく。(18巻)

 伊東、花香太夫を身請けし休息所を設ける。総司に「花屋」の小花から文が届く。総司、約半年振りに小花の娘・ユキの元を訪れ、 小花にユキの近況を報告する。総司も休息所を持ち、小花とユキを囲おうとするが、その気持ちが愛情からでないことに気がついた小花は 他に男がいると嘘をつき、総司と決別する。(18巻)

 秋、新選組、長州征討戦に向けて洋式調練を強化しようと努力中。会津藩から師範が派遣される。(18巻)

 会津十一代和泉守兼定(古川友弥)、総司に頼まれた刀(一尺八寸)を持って屯所を訪問。総司はセイのためにこれを兼定に注文していた。(18巻)

 11月4日(旧暦9月16日)、兵庫沖に英米仏蘭4カ国の公使が9隻の軍艦を連ねて来訪。安政期(1854〜9年)以来曖昧に されてきた通商条約に今度こそ天皇の許可を取り付けるべく幕府を強請しに来た。連合の代表は英使パークス。新選組はいつでも討伐に赴けるよういきり立つ。(18巻)
 11月9日(旧暦9月21日)、近藤、征長における大樹公下坂の場合を考慮している会津公の命により、大坂の様子見に赴く。 総司・セイを伴い、京屋に宿泊。大坂城内では条約締結・兵庫開港を許可しない帝と、召集をかけても未だ登城してこない一橋慶喜に重臣たちが頭を抱えていた。 追い返された近藤たちは、新町のうどん屋で昼食。深雪太夫の道中の噂を聞く。胃痛で倒れた近藤に、セイは深雪太夫を呼ぼうとし、揚屋「吉田屋」 へ行く。座敷に上げていた町人・浮之助に土下座して深雪を貸してくれるよう頼むが、謗られて逆上する。 しかし、相手が近藤とわかり、深雪は自ら外出を浮之助に求める。翌早朝帰京。(19巻)
 将軍徳川家茂、天皇から長州征伐の勅許を取り付けることに成功。(19巻)
 11月10日(旧暦9月22日)夕刻、近藤は会津公の元を訪れ大坂の状況を報告する。(19巻)
 11月11日(旧暦9月23日)家茂公下阪。(19巻)
 11月14日(旧暦9月26日)一橋慶喜、大阪城へ登城。すでに城内では兵庫開港を決議していたが、慶喜は帝の許可無き通商条約 締結・兵庫開港に反対し、まずは回答期限延期の使者を兵庫へ立たせ10日の延期を4カ国連合に承諾させると、自ら朝廷へ赴き帝の勅許を得よう とした。しかしすでに時遅く、幕府が独断で兵庫開港に踏み切ったとの報が朝廷に届いており、10日の期限延期を慶喜が知らせたことで混乱は収まった ものの幕府に対する朝廷の非難は凄まじく、阿部豊後守と松前和泉守が朝廷直々の命令で罷免された。(19巻)
 11月17日(旧暦9月晦日)罷免の報が大阪城に届く。家茂、すべては慶喜の謀だと激怒。(19巻)
 11月18日(旧暦10月1日)家茂、孝明天皇に辞表を提出。(19巻)
 11月20日(旧暦10月3日)家茂、東帰するべく大坂を発つ。慶喜が現れ家茂と会談。家茂は二条城へ戻った。 その後慶喜は公卿・大名・平藩士同席による初の朝議を行い、諸藩の総意として朝廷に通商条約の勅許を脅し取った。 これにより兵庫開港は不許可となったものの、4カ国連合は満足し帰国していった。(19巻)

 12月(旧暦11月)近藤、長州の尋問使・永井主水正尚志らと共に西下する命を受け、8名を伴い随行する。伊東が同行 を申し出る。選ばれなかった総司は近藤に食い下がる。近藤は総司を天然理心流の跡取にしようと考えており、土方の画策によってそれを知っ た総司は納得して近藤を送り出す。(19巻)
 西下当日、セイは落ち込んだ総司を連れ出し、総司はぜんざい9杯半を完食。稲荷神社で近藤たちの 無事を祈ろうとしたところ、男が倒れているのを発見する。男は寺町通りの“西洋伝法写真処”の主人・ 大坂屋与兵衛だと判明。セイは総司の提案で女子姿にて写真に収まった。(19巻)
 後日、与兵衛が屯所へ写真を届けにやってくる。他の隊士たちに女装姿を見られたくないセイは写真を持って屯所を脱走。 山南の墓に収めた。だが山南の墓参に来た土方に発掘されてしまう。(20巻)

1866年(慶応2年)

 1月上旬(旧暦11月下旬)、近藤に随行して行った山崎から裏の密書が届く。総司、土方にくだんの写真を突きつけられる。(20巻)
 同日夕刻、土方はセイを連れ出し特命を与える。セイ、山崎の隠れ家・髪結いの床伝にて斎藤と共に「幕府要人暗殺の下手人と目される人物・ 坂本竜馬の潜伏」を確かめる任務に就く。(20巻)
 セイ、翌日伏見着。薩摩藩御用達の船宿「寺田屋」に潜入。宿の前で生理で倒れ、宿の女将・登勢、その娘・お春、薩摩藩士・才谷梅太郎に 助けられる。セイは才谷が坂本と怪しむ。セイが伏見にいると気付いた総司は伏見へ急行。才谷に絡まれているセイを見て逆上する。 セイの咄嗟の機転でその場は収まり、才谷は船に乗る。(20巻)

 伏見後の顛末
 1日目:総司は伏見で坂本を取り逃した罪で蔵で謹慎処分になる。斎藤とセイの報告で土方は、伏見奉行所か ら依頼されていた今回の任務の真相を知る。セイは褒美に3日間の休暇の後、三番隊へ異動となった。 総司に連座して蔵で謹慎するも、意識した総司に置いていかれる。副長室まで総司を追っていったセイ は総司に「三番隊への異動は自分が願い出た。女子のようにまとわりつかれるのに嫌気がさした」と 突き放される。それを己の総司への気持ちがバレたと思ったセイは屯所を出奔し、比叡山にある千寿庵 を訪れる。(21巻)

 2日目:巡察中にお里(この頃から地唄を教え始める)と出会った総司は、いなくなったセイがお里の 元にいない事を知り動揺する。セイは千寿庵の翠月尼に助けられ、出家させてくれるように頼む。しか しセイの心を見抜いた翠月尼は拒否する。翠月尼、下の村に住むスエの労咳を看病する。お里、セイの 居場所を突き止め総司に知らせる。翠月尼にすべてを打ち明けたセイは、逆に翠月尼の過去を聞かされ 、「好きな人が生きているのなら、それ以上何も欲しがってはいけない」と諭される。(21巻)

 3日目:セイ帰営。道場で気合を入れ直してから顔を出そうとしていたが、その場で寝てしまっ ているところを総司に発見される。総司はセイを愛しいと思う気持ちに気付き、涙を流す。(21巻)

 4日目:セイ三番隊へ異動。土方と斎藤の策略で、一番隊と三番隊の勤務はすれ違うように組ま れる。土方から斎藤へ「総司と神谷は衆道の関係にあらず」という事実を突き止めるように指令が出る。 斎藤は己の妄想と、セイの兄・祐馬の夢に悩まされる日々が続く。そして思いを自覚した総司に恋の 宣戦布告。(22巻)

 5日目:巡察中、鼻血を出して休憩する斎藤の前にお里が現れる。 セイはお里を路地裏へ引き込み、新選組に居続ける事を反対するお里に今の自分の気持ちを話して説得 する。自分の想いを、祐馬の魂が宿っているように思える“無念桜”の前でセイに告白しようとした斎藤は、 桜の木の根に躓いてぼやくセイの言葉と祐馬の言っていた台詞と、“根拠のない勘”として片付けていた ことからとうとうセイ(清三郎)が女子である事に気づく。(22巻)
 セイを残して屯所に戻った斎藤はすべてを知っている総司に殴りかかる。斎藤は土方にすべてを話し セイを離隊させて嫁に取ると宣言するが、総司にあっさりと事を託される。しかし肝心の土方が黒谷から 呼び出されてなかなか帰ってこない。セイは斎藤に女子だと気づかれたかもしれないと思い総司に泣きつく が、すんなりと斎藤の元へ戻される。その日の夜、道場で稽古に励む総司に、昼間の取り乱しを謝りに 来たセイだが、同じ場で稽古をしていこうとするのを拒まれ、迎えに来た斎藤に連れ戻される。(22巻)

 6日目:黒谷に一泊して不在の間に副長代理を任された谷三十郎から、セイの口添えで休暇をもらった 斎藤は、治療=遊郭行きを監視するセイを撒く。昨日西本願寺に潜入して捕縛した密偵が逃走し、それ を追跡中の総司と出くわす。相手の待ち伏せにひっかかり斬り合いになるが、斎藤も含めた一番隊は即撃破。した かと思いきや、息のあった相手に総司が斬りかかられ、それを庇おうとしたセイが右肩に重症を負う。 屯所に戻ってきた土方に斎藤が、総司とセイは衆道関係にないこと、己が恋のあまり病にかかったこと、 ほぼ完全に肉体が女子化した神谷は総司の元に置いておくのが最適である事を報告し、セイは一番隊に 復帰する。(22巻)
 セイはかろうじて一命を取り留める。脱退させようとする法眼を総司は自分が必ず守るからと説得する。(23巻)

 近藤、広島で伊東の手引きによる闇討ちにあう。伊東、近藤に対する認識を改める。(23巻)

 原田に子が出来る。六月出産予定。(23巻)

 2月1日(旧暦12月16日)、近藤一派は岩国へ向かい、永井主水正一行は帰途に着く。(23巻)
 2月7日(旧暦12月22日)、近藤帰還。(23巻)

 旧暦大晦日、セイ復帰。(23巻)

 旧暦1月2日、セイ、近藤の小姓に任命される。伊東の不審に気がつく。(23巻)

 3月8日(旧暦1月22日)一番隊、伏見奉行からの要請により坂本龍馬捕縛に赴く。セイも坊主姿で密かに寺田屋へ行くが、 一番隊とかち合うのを避けて逃げる最中に総司に見つかり殴られる。蔵籠め中にお春がやって来るも、坂本を斬ろうとしたと言って追い返す。(24巻)
 3月9日(旧暦1月23日)、セイは詮議にかけられるも無罪放免となる。(24巻)
 3月10日(旧暦1月24日)、寺田屋事件。(24巻)

 3月(旧暦二月)、土方、近藤のために深雪太夫を身請けする算段を整える。(25巻)
 3月28日(旧暦2月12日)、河合耆三郎、隊費私消の罪で切腹。(25巻)
 4月3日(旧暦2月28日)、小川信太郎、馴染みの妓の実家が困窮しているのを助けるために隊費を盗んでいたことが発覚し、斬死。(25巻)
 4月(旧暦3月)、近藤帰京。深雪、五百両で身請けされて、大坂より京の近藤の妾宅へ。(25巻)
 新緑の輝く頃、孝も身請けされて近藤の妾宅へやって来る。(26巻)
 深雪、孝が近藤と理無い仲になったのを知り、二百両で手を切る。(26巻)

 5月15日(旧暦4月1日)、谷三十噤A備中松山の秋津新之助に祗園階段下で斬られて死去。(26巻)
 5月(旧暦4月)セイ、近藤の頼みで副長付になる。伊東の別宅に、三木・内海・加納・篠原・中村らが頻繁に出入りしているのが確認される。
 セイ、土方と写真を取り合いになり、写真が割れてしまう。大坂屋与兵衛の元へ修理の依頼をしに外出しようとしたところ、内海に誘拐される。 伊東の別宅にて軟禁されるが、土方と沖田の介入により助けられる。後日、大坂屋を訪れた総司とセイは、割れたビードロ写真が鶏卵紙に複製されていて安堵する。 この時、中岡慎太郎(大山彦太郎と名乗る)と会う。(27巻)

 7月18日(旧暦6月7日)、原田に息子誕生。茂と名付けられる。土方、南部より大樹公が病に伏せていることを聞く。同日、第2次長州征伐開戦。(28巻)

 8月29日(旧暦7月20日)、松本法眼の手当の甲斐無く、将軍徳川家茂死去。(28巻)

 9月頭(旧暦7月末)、セイ、次期将軍就任を賭けて、一橋慶喜の夜伽を引き受ける。(28巻)
 9月28日(旧暦8月20日)、家茂薨去とともに一橋慶喜が徳川宗家のみを相続することが公布される。(29巻)
 九州の小倉が陥落した報を受けた一橋慶喜は、勅命を持って第2次長州征伐を休戦に持ち込む。(29巻)

 土方、セイを一番隊に戻す。一橋慶喜を将軍にしないため、伊東と密会を重ねる。尾張前藩主・徳川慶勝を将軍に押すべく伊東が遊説に立つが失敗する。(29巻)

 10月(旧暦9月)、三条高札事件。(29巻)

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