久遠の空 死装束紅ノ乱 後編

死装束紅ノ乱〜シニショウゾクベニノラン 後編



取り落とされる杯。
零れ出る酒。
ごほごほという咳き込みと共に前のめりに倒れる総司。
悲鳴を上げながら支えるセイ。
抑えた口元から滴り落ちる鮮血。
それは縞袴だけでなく、白無垢をも朱に染めていった。

「沖田先生!沖田先生!」
セイは白無垢が汚れるのを厭わず、総司を抱えた。
お里も平五郎も、傍に寄って心配そうに総司の名を呼んだ。
「オイ沖田、これ以上は・・・」
病状を知りすぎるほど知っている松本が止めに入った。
「だ・・・大丈夫・・・です。ハァ・・・・・・続けましょう」
唇も顎も喉元も血で濡らしながら、総司が顔を上げた。
「しかし沖田・・・」
松本がもう一度、静止の言葉をかけた。
「法眼、お願いです。この・・・三三九度が終わるまででいい・・・」
青白い顔で途切れ途切れに、だがしっかりとした口調で総司は言った。

私にはもうこれしかない。
彼女に剣を教えてやることも、一緒にどこかへ出かけることも、
そして共に末永く生きることもできないのだから。
だから、これだけは。




双方震える手で、三三九度の杯を交わし終えた。
その場にはもう、祝言特有の幸福な空気など
微塵もありはしなかった。
零された酒の匂い。
そして、それ以上に、生身の体から吐き出された血の匂い。
ただ一人、総司だけが満ち足りた表情でいた。


すぐに総司は着替えをさせられ床に押し込まれた。
平五郎が諸々の片づけをし、セイとお里が衣装を解いている間、
床についた総司と松本は二人きりでいた。

しばらくは二人とも黙ったままだった。
総司が懐に手をやり、半紙を一枚出して松本に渡した。
「なんだこりゃ」
松本は訝しげに紙を広げた。
「ゆうべ・・・書いたんですけど」
総司が天井を見据えて言った。
カサリと小さな音を立てるそれを、松本は見やった。

それは「親類書」だった。
要するに家系を記したものだ。
半紙の右側には総司の家系が書かれていた。
総司の父の名、母の名。
姉二人の名。姉たちの子どもの名。
左側にはセイの家系。
セイの父、母、兄。
書かれた文字は、以前のような達筆とは
まるで異なっていた。

「残念ながら・・・私は自分の家の親類書を見る前に
近藤先生の下へ行ってしまったので・・・父母より上の代に
ついては知らない・・・」
息を継ぎながら総司は話した。
「神谷さん・・・いえ、セイの家系のことも
存じませんが、まぁ・・・うちと同じところから
書き始めるってことで・・・いいことにしました。
兄上のお名前、祐馬さん・・・ですよね、
間違ってないか・・・心配です・・・」
兄上のところ、斎藤さんの名前でもよかったですかね、と
薄く笑って、総司はきつそうに眉根を寄せた。

「沖田・・・」
松本は総司の顔を見た。
その目には、様々な患者を看取ってきた医師の、
知識と直感からくる絶望の色が浮かんでいた。

「法眼・・・あなたが持っていてください・・・
私は・・・長くない・・・セイがそれを持っていたら・・・
それを守ろうとして危険な目に遭うときも・・・あると・・・
思います・・・でも、あなたなら・・・」
総司は、ごほ、と強めに一度咳をして、しばし呼吸を整えた。
そして言葉を搾り出した。
「・・・あなたなら、感情にとらわれずに、それを
扱って・・・くれると信じています・・・
もし・・・それをこの世に・・・残しておくこと、が
・・・よくないと判断したら・・・燃やして・・・下さい」

「おめぇはそれでいいのか?」
松本は親類書を丁寧に折りたたんで言った。
「おめぇがコレを書いたってことは、
なんらかの形でおめぇとセイの関係を残したいってことだろう?
だったら、俺よりセイが持っていた方が
意味があるんじゃねぇのか?」

いいんですよ、と総司は掠れた声で答えた。
「あの人は・・・祝言を挙げたという・・・事実を
胸に刻んだと思います・・・この、祝言の・・・ことは、
今・・・この軒下に・・・いる・・・五人しか知らない・・・
それはそれで・・・いいんです・・・けど、
ふふ・・・それでも、この秘密を・・・残しておきたいのは、
私の我侭で・・・それを彼女に背負わせたくない・・・
だから・・・あなたに・・・共犯になって・・・もらい、ます」
お願いするというよりは、決定事項を告げるだけ。
総司はいたずらっぽく微笑み、疲れた、と言って目を閉じた。


総司が休んで間もなく、セイとお里の着替えが済んだ。
寝に入った総司の隣の間で、松本と平五郎を交えて
今日のことや今後のことについて少々話し合った後、
松本とお里は帰っていった。
平五郎も、何かあったら呼んでくださいと声をかけ、自室へ戻った。




夜中にふと目が醒めた。
セイの様子を伺おうと、隣の部屋に入る。
障子の隙間から薄明かりを取り込んだ。
顔色は薄暗いので見えないが、よく寝ている。
安心した総司は、廊下に出た。

夜空を見上げた。
薄い、とても薄い三日月があった。
 
自分の提案で、突然夫婦になった。
もちろん喜びはあれど、問題はたくさんある。
己の病、新選組の動向、倒幕派の様子。
そして、自分が逝った後のセイのこと。
黙っていても背中に感じる「その時」を前に、
考えなくてはならないことは山ほどあった。

薄い月のある夜空をもう一度見上げる。
まるで、今宵行なった私たちの婚儀のようだ。
儚げで、触れれば消えてしまいそうな月。
彼女をこの腕に抱きしめる事も、
夫婦の契りを結ぶ事も叶わないけれど。




それは静かに、そして確かに、
ただ、そこにあった。