久遠の空 参萬打感謝企画 雷(いかづち)の花嫁 四

雷(いかづち)の花嫁 四

update:2008.05.02


 どこからか声がする。
 自分の名前を呼ぶ声が。
 はふと覚醒した。

 「、大丈夫か」
 土方の声が聞こえてきた。
 「あ・・・土方さん・・・?」
 は手を宙にさ迷わせた。土方はその手を握った。
 「どうだ、どこか痛えところはねえか」
 いつもよりも幾分か優しい口調で土方が問う。
 「はい、どこも・・・いえ、少しだけ手首が痛いですけど」
 散々もがいた時に紐で手首が擦れてしまったらしい。
 「それだけか」
 「はい」
 ふっと土方が溜息を漏らすのが聞こえた。

 「帰るぞ。立てるか」
 「はい」
 握った手をぐっと引かれ、は立ち上がった。
 が、ふらっとして足元が定まらない。
 「・・・」
 「どうした?」
 土方は彼女の様子がおかしいことに気がついた。


 「目が見えません」
 は正直に告げた。


 きっとあの狐が目に口付けをした時に作用したのだろう、の瞼はこすってもこじ開けようとしても開かなかった。
 「・・・仕方ねえ。あっちに出口らしい光がある、とりあえず帰るぞ」
 土方はの手を握り、ゆっくりと歩き出した。
 は同じ速度でついて行った。

 婚礼衣装のままなのか、非常に歩きづらい。
 足の下の地面がふわふわと頼りない。
 きっとここは夢の中なのだろうとは思った。

 「・・・このまま見えないまんまだったらまずいですね」
 しばらく歩いた頃にが言った。
 「その時はその時だ、腹括れ」
 土方が素っ気無く返した。
 「でも・・・今でさえご迷惑を掛けているのに・・・」
 は見えないながらも下を向いた。
 「俺の兄貴も目が見えねえんだ」
 土方が言った。
 「家を継いでいるのはもう死んだ二番目の兄貴の子どもなんだけどな、一番上の兄貴が見えねえんだよ」
 土方が続けるのをは黙って聞く。
 「けど、何も不自由なくやってるぜ。三味線だの何だのって道楽してよ」
 語尾を茶化して土方は言った。
 「・・・そうなんですか」
 の雰囲気も軽いものに変わる。

 「見えねえ奴の世話なんか慣れてら。だから気にすんな」
 土方は握る手にぐっと力を込めた。
 「・・・ありがとうございます」
 はその力を感じ、心から感謝の言葉を述べた。
 いつも土方はこうしてくれる。安心させてくれる。
 それに対して何も返せない自分が情けなく思えるほどに。


 「私、また助けていただいたんですよね」
 ふわりふわりと揺れる道を歩きながらは言った。
 「あ?・・・まあな」
 土方が苦笑いをする。
 「お礼しなきゃ、斎藤さんにも。・・・この夢から抜け出したら」
 は口元だけで笑った。

 その時、ぴたりと土方の足が止まった。
 も同時に足を止める。
 「夢だと思ってんのか」
 「え、だって夢でしょう?こんなに足元がふわふわしているところなんてあり得ません」
 土方の問いには答えた。

 「・・・礼は何でもいいのか?」
 唐突に土方が聞いてきた。
 「ええ。私に出来る範囲の事なら」
 もっとも、このまま目が見えない場合は会津藩での自分の立場がどうなるかわからないから、あまり金のかかることはできないかもしれないが。
 「今でもいいか?」
 土方が自分に相対するように立ったようだ。声がまっすぐ前から聞こえてくる。
 「はい・・・」
 今ここで何を所望されると言うのだろう。は少し不安になった。


 「・・・」
 言いあぐねているのだろうか、土方が黙っている。も口を噤んだままだ。


 ややあって、土方の手が肩に乗せられるのを感じた。
 それから顎に手を掛けられた。



 そっと、唇に何かが触れた。



 「・・・?!」
 柔らかで、少し湿ったこの感触は、まさか。


 「ひ、土方さん・・・?」
 はその可能性に焦った。


 「何だ?」
 「今・・・何をしたんですか?」
 思わずは確認の言葉を放った。

 「礼をもらった」
 「いや、あの、そうじゃなくて、具体的に何をしたのか・・・」
 唇に何を触れさせたのか。

 「わかんねえのか?」
 「わかりませんよ、見えないんですから・・・」
 だから聞いているのに、とは心の中で思った。

 もう一度、唇に感触が落とされた。
 「っ」
 は何かが顔に近づいてくるのを感じ取りながらも、それを避ける事が出来ない。
 「ちょっと、土方さん?」
 本当に何をしているのだろう、この男は。
 多分予想に違わぬことをしているのだろうとは思う。
 しかし、それを彼が自分にする理由が見当たらない。

 二度、三度と。
 同じことが繰り返された。

 「や、やめてください・・・んっ・・・」
 決して先へは踏み込んでこない、軽いもの。
 「礼をもらってるところだ、黙ってろ」
 その合間に土方が笑いを混じらせた声で言う。その声の振動が自分の口元辺りにするのは何故なのだろう。
 「駄目です、ちょ、ちょっと」
 は見えないながらも手を前に押し出した。
 「夢だと思ってんだろ、そういう時ぐれえ大人しく出来ねえのか」
 その手を捕えられ、はどうすることも出来なくなって顔を下に向けた。

 「顔を上げろ」
 からかいを含んだ声で土方が言う。
 「いやです」
 自分に何をしたのか答えてくれるまでこの顔は絶対に上げない。
 はそう思って唇を噛み締めた。

 土方が溜息をついたようなのが聞こえ、手が解放された。
 はすかさず手を顔の前に上げる。
 「夢なんだろ?」
 土方が一歩前に出た。
 「夢です・・・きっとそうです・・・」
 小さい声でが答えた。

 「夢なら・・・いいだろ?」
 身を屈め、土方が耳元で囁いた。



 「・・・っ、夢でも、駄目です」
 はぐっと手を突き出した。



 「いてっ!」
 聞き慣れた声がした。


 はっとしてが目を開けると、そこは屯所の土方の部屋だった。
 いつもの天井が視界に入る。
 そしてそっと横を向くと、そこには土方が顔面を抑えて横たわっていた。
 「いてえな、何しやがんだこの野郎」
 「え、あ、・・・すみません」
 自分の両手が前に突き出されている。察するに、寝ぼけて土方の顔をはたいたのだろう。
 「散々人の名前を呼んでるから何かと思って覗いてみりゃあ・・・」
 土方は鼻の辺りにがつんとくらったらしく、僅かだが涙目になっていた。

 夢だった。
 やはり夢だった。
 は体を起こして長い溜息をつく。

 「・・・とんだ災難だったな」
 の布団の横に座ると、土方はぽつりと言った。
 「え?」
 は問い返した。
 全てが夢ではなかったのか。
 「今斎藤が始末をつけに行ってる」
 「始末・・・?」
 きょとんとするに、土方は説明を始めた。


 伏見稲荷には、不思議な場所がある。
 立ち並ぶ鳥居の少し手前で左に入るその場所。
 土方と斎藤が行った時には狐のまやかしで塞がれていたそこには、古より社殿がなく、杜を朱色の玉垣で囲い、禁足の地としている社がある。
 その由来は一般には公開されておらず、ただ人の出入りを禁じている。
 誰もが立て札を読み、それに黙って従ってきた。

 その囲いの中に、死体が埋められていた。
 桜の木の下を深く掘り、外からは容易には分からないように草木を被せられて。
 斎藤の通報を受けて奉行所が調べたところ、状況からしてそう日にちは経っていない様子だった。
 伏見稲荷の宮司を呼んで斎藤が洗いざらいを話すと、宮司は仰天した。
 それはきっと、この社の神に違いないと。
 斎藤は神事に付き合うこととし、全てが終わるまで隊務はお構い無しとした。


 「そうだったんですか・・・」
 自分が発端だったのだ、またしても。
 それなのに始末をつけに行ってくれている斎藤に、そして自分が目覚めるまで側にいてくれた土方に、改めて感謝の念が沸き起こる。
 「ったく、ヘンなことばっか持ち込むんじゃねえよ」
 心配でしょうがねえ、とそれに続く言葉を飲み込み、土方はの額を人差し指で弾いた。
 「いたっ・・・す、すみません・・・」
 思わず声を漏らしてしまったが、はそれをすぐに謝罪の言葉に変えた。
 しょんぼりと頭を垂れる彼女を見て、土方は無事に帰ってきたことに対して安堵の息を吐いた。


 でも・・・。
 きっとあれは夢だったに違いない。
 現実感のないあの“帰り道”は。


 は土方の唇をじっと見つめた。
 何も証拠などあるはずはないのに。


 その唇で、
 私に、
 キスしましたか?

 なんて聞けない。


 土方は、自分を探るような眼差しで見つめるに、何だよと眉を寄せた。




 何日かして、は礼代わりに土方と斎藤を食事に誘った。
 いつもより少しだけいい料亭を予約して、酒もふんだんに飲めるように手配した。
 だが、どんなにが勧めても土方は酒を断り、一滴も飲まなかった。


 もう先にもらってるからいいんだよ、飯だけで。


 斎藤に酌をするを横目で見ながら、土方はひとりで笑いを茶とともに喉へと流し込んだ。