久遠の空 参萬打感謝企画 雷(いかづち)の花嫁 三

雷(いかづち)の花嫁 三

update:2008.05.02


 深夜、騎乗した二人の影が道を進んでいく。
 伏見稲荷までは屯所からでも馬で行けばすぐだ。
 西本願寺の前を通り、鴨川を渡った。



 伏見稲荷大社。
 宇迦之御魂神(ウカノミタマノカミ)を祀る、全国の稲荷神社の総本社である。
 五穀・食物をつかさどる神であり、五穀豊穣とともに殖産興業の神でもある。
 和銅四年、つまり西暦七二二年にここに鎮祭し、弘仁二年・西暦八五二年に社殿が移されてから、ずっと京を見守り続けてきている伝統ある社だ。

 が、今の土方たちにはそのような話はまるで興味も関係も無い。
 大きな赤い鳥居を前に、彼らは馬から降りた。

 頭上の空には星も月も見えず、厚い雲が渦巻いていた。
 そして流れの早い雲の合間には稲光りが混じる。

 「いい天気だな、退治日和だ」
 けっと土方が目を細める。
 「まったくですな」
 斎藤も苦笑いをしながら馬の轡を取った。


 長い石畳の参道の奥に楼門が見える。
 提灯らしき灯りがぼんやりと怪しく、誘い込むように光っていた。その先には漆黒の闇。
 あの向こうのどこかに、彼女がいるはず。
 「・・・待ってろ」
 土方はそう呟いて羽織の裾を翻すと、鳥居をくぐった。



 楼門の前に立つ。
 風が衣服を揺らし、足元からはぞくぞくとするような何かが這い上がってくる。明らかに“ヤバい”気配だ。
 「太閤様も立派な物をお立てになりましたな」
 「・・・ああ、そうだな」
 この楼門は豊臣秀吉が寄進して建てたと言われている。
 だがこれもやはりこの二人には今必要のない話だ。
 二人は物陰に何か潜んでいやしないかと、慎重に歩を進めた。

 するとどこかからチチッと音が聞こえてきた。
 「副長、上です!」
 斎藤が声を上げ、それに反応した土方が視線を向けた。目の前に明るい光が出現し、咄嗟に体を横に転がす。
 土方が居た場所に、その光が降ってきた。

 ちりちりと音を出して焦げる石畳を見て、土方は唾を飲み込んだ。
 「危ねえな」
 「次も来てますよ」
 冷や汗を拭う間もなく、次々と光が二人に襲い掛かってきた。
 「門の奥へ!」
 土方と斎藤は階段を駆け上がり、楼門の奥へと走り込んだ。

 後ろを振り返ると、光が降り注いだ辺りの石畳は黒く焼け焦げていた。
 門の左右に座る狐の像の口から白いものが立ち上っているのが確認できる。
 「あの口から光が・・・」
 土方はふーっと溜息をついた。
 「そのようですな。俺が先ほど打たれたのも同じものかと」
 斎藤も汗を拭った。
 パリパリと音を立てて光は消えていった。


 楼門の次には拝殿が控えていた。
 その前にも狐が狛犬よろしく鎮座している。
 「・・・斎藤」
 「はい」
 土方は首の辺りを掻きながら言った。
 「俺たちは何だって律儀に敵の攻撃の的になるところを通ってんだ」
 「左様ですな」
 斎藤も土方に同意する。
 「アホくせえ、後ろを通るぞ」
 「承知」
 二人は狐の像の後ろを通り、他にも攻撃してきそうな像などがその辺にないかを確かめながら、細心の注意を払って進んで行った。


 おかげでその後は何も無かったのだが。
 「妙だな・・・確かここを左に行くとアレだったはずだよな」
 土方は首を傾げた。
 「そうですな、左に行く道があったはずですが」
 石段を登り鳥居をくぐって左に行けば目的の場所に着く筈だったのだが、なぜが道が無い。森で覆い隠されている。
 「姑息なマネしやがって」
 「まあ我々が進むのはどの道あちらでしょうな。あの空、見てください」
 彼らの右上空を、斎藤は指差した。
 伏見稲荷に来た時よりももっとどんよりと厚い雲が垂れ籠め、稲妻が雲を照らすように光り輝いている。
 目を凝らすと、雲の中にぼんやりと白い光を放つ球体が存在しているように見えた。
 「仕方ねえな」
 「仕方ありませんな」
 二人はやれやれといった表情でさらに奥へと進んだ。


 左右の柱に“奉”“納”とひと文字ずつ刻まれた朱色の門が一列に長く続く。
 携帯用の火打石を使い持参した箱提灯に火を入れ、土方と斎藤はその下を延々と歩き続けた。
 それぞれ一度か二度はここを訪れたことがあったが、こんなに面妖な雰囲気で、距離も長かった覚えはない。
 きっと狐の妖術か何かに違いないと二人は思った。

 そして一列の鳥居が終わったと思うと、今度は鳥居が二列になったいわゆる千本鳥居の前に出た。
 こちらも先が見えないほど鳥居がずらずらと建てられ、どちらの入り口からも底冷えするような暗く重たい空気が吐き出されていた。
 人が入るのを拒絶するような、そんな空気が。
 土方と斎藤は顔を見合わせると、無言でそれぞれ右と左に入っていった。


 提灯のあかりが吸い込まれてしまいそうな暗闇の中、土方はのことを思った。
 今どこにいるんだ。無事なのか。手荒な真似をされてなけりゃいいが。
 斎藤の話を聞いたときには到底信じられないと思ったが、現に狐の像にあんな目に合わせられ、今もこうして気味の悪い空気の中に居ると、 信じられない方がおかしかった。
 必ず助ける。
 土方はぐっと拳を握り締めた。

 一方の斎藤も、左の鳥居の列を慎重に進んでいた。
 自分がついていながら何と言う失態。危険を察知しておきながらを攫われるとは、何と無様な。
 きっとさっき見たあの雲の中には居る。
 必ず助ける。
 斎藤はきりっと唇を引き結んだ。


 「・・・」
 千本鳥居を抜けたところで、斎藤は辺りを見回した。右は木々に覆われて、左には細い獣道が続いていた。
 まだ土方は来ていないようだった。並列しているから長さは一緒のはず、途中で何かあったのか。
 土方のことだから心配はいらないと思い、斎藤は左の道へを足を踏み入れた。

 下草を踏んでどんどん先へと進む。鳥居の時と同じように、いつまで続くのか分からないほど歩かされた。
 「・・・」
 斎藤は忍耐強く一歩一歩進んでいった。
 長い長い道に時間の感覚が狂わされ、一刻も早くを取り戻したい気持ちで焦ってくる。
 しかし斎藤はそれを封じ込め、ただひたすらに道が終わるのを待ち続けた。



 急に視界が開け、足元の草が石畳に変わった。
 斎藤は慎重に慎重を重ねて周りの様子を探った。



 「また貴様か」
 突然声が聞こえ、ヒュッと風が吹いた。
 斎藤が体勢を崩したところに、天から引き裂くような音が降ってきた。
 まずいと本能が判断し、反射的にその場から飛びのいた。

 身を伏せた場所から空を見上げると、自分の居た場所に向かって白く鋭い雷が駆け下りてきた。
 先ほど自分を打ち倒した正体がそれであると確信を得る。
 斎藤は地面をしたたかに打ったそれを見て、あの下に居たら命が危なかったかもしれないと冷や汗を流した。

 身を起こして声のした方向へと目を向けると、黒と灰色の雲が渦巻く空が轟々と音を発し、稲光りが絶え間なく起きていた。
 そしてその中に、目が痛くなる程白い光を湛えた球体が浮かんでおり、ふたつの人影が佇んでいた。
 斎藤は目を凝らして光の中を観察した。


 「・・・」
 間違いない、あの人影のうちのひとつは。
 消えた彼女だった。


 は気を失っているようで目を閉じていた。
 意識のない彼女は両手を縛られて横で誰かに抱えられている。
 白い束帯姿で凛とした空気を放っている、あの狐だ。再び土方に酷似した姿になっている。
 斎藤は油断無く辺りを見回してから立ち上がった。


 「・・・そいつを放してもらおうか」
 斎藤は滅多に聞かせるのことの無い、どすの利いた声で光の中心に居るものに話し掛けた。
 「なかなかにしつこいな・・・」
 狐は自分の攻撃が当たらなかった事に苛立ったのか、明らかに不機嫌な表情をさらした。
 「そいつを放してくれればそれでいい。放せ」
 斎藤はただを取り戻せればそれでいいと思っている。
 狐を深追いする気は全くなかった。
 だが、もし彼女を離さないとあらば・・・。
 先ほどの例があるので刀の柄には手こそかけなかったが、常に意識をそちらに向け、いつでも抜刀できるように心を構えた。


 ゴロゴロという音の中、しばし二人は無言のまま睨み合った。
 「・・・貴様の望みは何だ。そいつをどうするつもりだ」
 緊張は決して解かずに斎藤が聞く。
 「代償として我が花嫁とし、我が世界に連れて行く」
 狐は口の両端を吊り上げて言った。
 「代償とは?」
 斎藤の尋問が続く。
 「我が地を汚した引き換えと言う事だ・・・」
 狐の周囲の空気が振動する。
 「問答はここまでだ。これ以上邪魔立てするとあらば、貴様の命はないぞ」
 すうっと狐の左手が上がり、斎藤の方にその掌が向けられた。
 斎藤は身構えた。
 何とか一足飛びにあの近くまで駆け寄れば、あとは刀で何とかなるかもしれない。
 その機会をどう作るか。斎藤は相手に注意しながら考えを巡らせ始めた。


 その時。
 何かが斎藤の視界を切り裂いて狐に向かって飛んでいった。
 「うっ」
 それが顔に当たり、狐は呻き声を上げた。
 斎藤はそれが飛んできた方向へと視線を移した。

 土方が手に石礫を握り締めて立っていた。

 「副長」
 「待たせたな」
 にっと笑って右手で石を軽く投げては捕えながら、土方は斎藤の隣に並んだ。
 「石礫とは考えましたな」
 斎藤もふっと笑った。
 「ケンカする時はココを使うもんだぜ」
 土方はとんとんと米神あたりを人差し指で軽く叩いた。

 「あれがそうなのか」
 左腕に石を幾つか抱え、狐を見据えて土方は斎藤に問うた。
 「はい。横にいるのがかと」
 斎藤は狐の向かって左側を指差した。
 土方は目を凝らしてそちらを見た。

 白い衣装のその隣に。
 同じく白い衣服で力なくうな垂れている人影がある。
 その身に纏っている装束に土方は思わず目を見張った。
 白は白でも、あの装束は。

 「おい待て、ありゃあ婚礼衣装じゃねえか!」
 白打掛と綿帽子。
 僅かに傾いでいる綿帽子の下には赤く縁取られた唇が見える。

 しかも。
 「何だアイツは、俺と・・・同じ顔?!」
 彼女を支えている人物の顔を見て土方は驚いた。自分そっくりの顔ではないか。


 「ん・・・」
 土方の声が聞こえたのか、は目を覚ました。
 「気がついたか」
 狐は腕の中で身じろぎをした彼女に声をかける。
 は目を何度か瞬かせてから声のする方へと目を向けた。
 土方の顔がある。
 白い古風な格好をして。
 「土方さん・・・?」
 まだぼんやりとする意識のまま、は土方の名を呼んだ。

 「違う!」
 土方は地上から大声でそれを否定した。
 「それは俺じゃねえぞ!俺はここだ!」
 稲妻と風の音の中、土方は怒鳴りつけるように言葉を放った。

 「え?」
 その声がの元に届いた。がそちらを向くと、土方が、そして斎藤が自分を見上げている。
 よくよく見ると、自分は宙に浮いていた。
 先ほどまでとは違う着物を着て。
 しかも白い光を放つ赤い紐で両手首がしっかりと結ばれている。
 首を曲げて横を見れば、土方と同じ顔をした誰かがいる。
 「えっと・・・」
 どこから解決すればいいのだろう。
 何故土方らしき人物が二人いるのか。どうして自分は宙に浮いているのか。手首の拘束は何の為か。そして土方(?)と斎藤がその下にいる訳は。

 が思案気な顔をしていると、狐がそっと耳打ちしてきた。
 「そなたを我が妻に迎える」
 「・・・・・・はい?」
 言われた事を一歩遅れて理解したは眉を寄せた。
 「代償としてそなたを娶ることにした。桜の木に触れてあれほど急速に体内へと気を取り込んだものは今までおらなんだ。 そして揚げを口にして瞬時に我が世界の因果を受け付けたのも、長い間生きてきたがそなただけだ」
 そう言いながらの顎に手をかけ、唇を上に向ける。

 「!・・・ちくしょう、この野郎!」
 土方は口汚く罵ると、手にした石を思い切り投げつけた。
 だがもう狐にその術は通用しなかった。周りに思念で幕を張っているようで、石がそれに跳ね返ってかつりと地面に落ちる。

 「その資質、我が妻にふさわしい。一体どこから来たのか知れぬが、そなたこの世のものではなかろう」
 鴨川のほとりのあの桜の木、あれが全ての始まりだったのだ。
 あれに触れた時にが倒れたのは、桜の木から伝わるあの狐の世界の気がの体に一気に流れ込んだせいだったのだ。
 それから屋敷内に入り酒と膳を勧められ、小松菜と煮含めた油揚げを口にして気を失ったのは、狐の世界の因果律に取り込まれたからだった。
 それらを簡単に赦してしまったのは、彼女が元々は別世界の住人であったからこそ。
 狐の言葉からはそう解釈するしかない。


 「だが私にも情けというものがある。いきなり我が世界で二人きりというのも寂しかろう。だから、そなたの心の中を最も占めている男の顔で これからの時を過ごしてやることにした」
 優しげな口調と、土方そっくりの顔で狐が言った。
 「私の心を・・・?」
 自分の心を一番占めているのが、土方だと言うのか。

 下では男二人がじりじりと焦れながら様子を伺っていた。
 囁くようになされている会話は、土方と斎藤には聞こえていない。


 ちらりとは下を見た。


 「・・・確かに、私は土方さんのことを思っています」
 は低く呟いた。

 「そうであろう?だから・・・」
 「でも」
 狐の言葉を遮り、は不自由な手で綿帽子を剥ぎ取った。

 「それは一番お世話になっているからであって、それ以上でもそれ以下でもありません」
 そう。の彼に対する心情はそれだけでしかない。
 それ以外の感情を持つことは、この身に固く禁じている。

 だが、今彼女が土方に向けている感情は、他人を思う最大限の心であるのだ。

 「なっ・・・」
 否定され、狐はたじろいだ。
 「私を見初めてくださったのなら光栄ですが、どなたか別の人をお探しください」
 は射抜くような視線で狐を見た。
 「待て、そなただけなのだ、今まで我が因果を受け入れたのは」
 それまで自信に満ちていた狐の顔に、焦りの色が浮かんできた。
 「申し訳ありませんが、お断りします」
 ぐっとは拘束された拳で狐の胸を押した。
 「離さぬ、やっと見つけたのだ、我が妻になるものを!」
 狐はの体を掻き抱いた。

 「・・・!」
 下からその様子を見ていた土方は苛立ちの頂点に達した。
 「テメェ、何してやがんだ!」
 だが投げ物が利かない以上どうすることも出来ない。

 は狐の腕から逃れようともがきながら、必死に辺りを見回した。
 きっと何か策があるはずだと信じて。

 何かが視界の端で揺れるのに気がつき、は狐の背後に視線を向けた。
 自分たちを取り囲む思念の幕から、一本の細くて赤い糸のようなものが出ており、狐の後ろの空に渦巻く空間へと吸い込まれている。
 もしかすると、あれが狐の世界とやらの異空間と繋がっているのかもしれないと、は思った。
 は身を縮めて下に勢いよくしゃがみこみ、狐の腕から脱出した。

 「!」
 狐は慌てての体を捕えようと腕を伸ばした。
 だがのほうが一瞬早く思念の幕から出る赤い糸に手を伸ばした。

 細く赤い糸と、の腕を拘束する赤い紐が交差した。
 すると、接点が強烈な光を放ち、ぶつりと何かが切れる音が響いた。


 その音とともに、黒く分厚い空の雲が稲妻によって真っ二つに分断された。


 「あああ!」
 狐が叫び声を上げた。
 「そなた・・・何を!」
 雲が急速に動き始め、一点目掛けて吸い込まれていく。
 秀麗な眉を寄せ、狐はの体を捕まえた。
 突然掴まれた反動ではがくりと大きく揺れる。
 「私はそちらの世界に行く事は出来ません。ごめんなさい」
 きっぱりとは言い切った。
 「駄目だ駄目だ、そなたを必ず連れて行く!」
 狐はの顔を両手でぐっと抑え、上を向かせた。

 そして、土方と同じ顔で唇を近づけ、その両目に押し付けた。

 「・・・っ」
 が瞼に衝撃を感じると、視界が暗くなった。そして体から力がふっと抜けていく。
 彼女がもがくのを止めたのが下からでも確認できた。


 「後はこの口から因果を含めてしまえば・・・」
 狐はの頭の後ろに手を差し入れ、



 己の唇を、彼女のそれに落とした。



 「野郎・・・っ!」
 目の前で惚れたオンナが別の男に口を吸われている。それが自分の顔を写した奴だと言うのも土方にとってはますます癪な話だ。許せない。
 かくんとの体が揺れ、狐は再びその体を抱えた。
 二人を包む思念の幕から、先ほどに切られた赤い糸がしゅるりと伸びた。

 「・・・あれか!」
 斎藤はだっと駆け出し、脇差を抜き放った。
 そしてその糸目掛けて力一杯投げつけた。

 刀は鋭い軌道を描きながら飛び、異世界に再び繋がる寸前のところで赤い糸を断ち切った。
 金属で斬られた糸は形を失い、さらさらと砂のように細かくなって空中に飛散していく。


 「あ、ああ!何と言うことを!」
 狐はそれを感じて真っ青になった。
 後ろの渦を巻く空間が狭まり、異世界への入り口が閉じて行く。
 「あれでは一人しか通れぬ・・・!」
 狐は悔しそうに叫んだ。

 「じゃあテメェ一人で行きやがれ!」
 土方はそう短く怒鳴ると、石礫を投げつけた。
 少し大きめのその石は、糸が消滅した途端に薄くなった思念の幕を突き抜けて狐の手に当たった。
 その痛みに思わず狐はの体を離してしまった。

 支えを失ったの体はするりと幕を通り抜け、真下に落下した。
 土方と斎藤は素早くその下に滑り込み、彼女の体を受け止めた。

 「くっ・・・折角の花嫁だったのに・・・」
 糸で力を供給されていたらしく、狐はだんだんと弱ってきて土方の顔の変化を保つ事が出来なくなった。

 「アンタが何故このようなことに及んだのかは大体察しがついている」
 斎藤は土方にを預け、ゆっくりと空を、狐を見上げた。
 「俺たちが始末をつけようから、安心してそちらに帰るといい」
 斎藤の顔からはもはや修羅の表情は消え、穏やかなものになっていた。

 「・・・いいのか」
 狐は息を乱しながら言った。
 斎藤は頷いた。
 「請け合おう。それにこいつは返してもらった。もうアンタに用はない」
 くっと親指でを差し、斎藤は告げた。
 狐がに視線を向けると、それを抱える土方とも目が合った。
 土方はまだ機嫌の悪そうな顔だったが、仕方がなさそうに首を縦に振った。

 「・・・すまなかったと・・・その女に伝えてくれ」
 狐はくるりと振り向くと、尻尾を引き摺るようにして、黒と灰色の雲が渦巻く空間へと消えていった。
 雲がその後ろを包み込むように動き、小さく稲妻が光を放つと、静寂が訪れた。



 空にはまだ厚い雲がちぎれてゆっくり飛んでいるものの、先ほどまでの異様な天候は終わりを告げていた。
 「、しっかりしろ」
 目を開けない彼女の頬を、土方は軽く叩いた。
 すると、叩いた頬からピリピリと何かが立ち上った。
 「つっ」
 土方はそれが自分の手を突き刺すような感覚を得て反射的に手を引っ込めた。
 「・・・まだ狐の力が体内に残っているのかもしれませんな」
 斎藤が横から口を出した。
 「ちっ」
 土方は短く舌打ちした。


 斎藤はしばらく考え込んでいたが、の手首を取った。
 そしてその手首を結わえている赤い紐をするすると解いた。
 その紐にもまだ狐の力が残っているようで、針のような細く小さな稲妻が斎藤の手を刺す。
 「?」
 土方は斎藤が何をするのか黙って見ていた。

 斎藤はの右手に紐を結わえ直し、もう一方の端を土方の左手に結びつけた。
 「何だ?」
 訳がわからずに土方は眉を顰めた。

 「御免」
 と斎藤が言った途端、土方の鳩尾に鋭い痛みが走った。
 「・・・斎藤っ、貴様・・・何のつもりだ・・・っ」
 意識が遠のいていく。土方は完全に油断していた。
 「おそらくこいつは精神を半端に連れて行かれています。アンタがこいつの心を連れて来て下さい」
 この紐で繋がっていればきっと見つけられるはずです、と斎藤は付け加えた。
 「阿呆かテメェ・・・そんな理屈、どこで覚えやがった・・・」
 薄れ行く意識の中で土方は声を絞り出した。


 「以前、ものの本で読みました」
 斎藤は事も無げに言った。
 「何っ・・・」
 何だその根拠のなさは。
 そう思った瞬間、土方の意識は途切れた。