多少こちらの男のほうが細面で目が釣りあがっている感があるが、それ以外の造作や顔の輪郭はまるで血を分けた兄弟かと思えるほどに似ていた。
いや、兄弟どころではない。まるで本人だ。
余りの類似ぶりに斎藤ですら目を見張った。
に至ってはもう完全に驚いて、彼から目を離せずにいた。
「・・・私の顔に、何か?」
男はゆったりと笑いながら部屋に入ってきた。
しずしずと畳の上を滑るように歩き、ほとんど音を立てずにふわりと座布団の上に座った。
「ご主人、お手数をおかけ申した。おかげでこうして連れの気分もよくなってきたようなので、そろそろお暇を」
斎藤が何とか意識を切り替えて男に申し出た。
「お急ぎですかな?・・・こうして出会ったのも何かの縁です。一献いかがですか?」
にこりと主人は口の端を吊り上げると、ぱんぱんと手を打った。
すると先ほどの襖がまたすっと開いて、そこに酒と食事の乗った膳が置いてあった。
主人は立ち上がると、自ら客の前に膳を運んだ。
「お、恐れ入ります」
未だ土方と同じ顔をした男に慣れぬは恐縮しながら礼を言った。
「盃をお取りください」
朱塗りの銚子を持ち、主人はを促した。
「」
斎藤はすかさず目で制止する。
飲むな、と。
「季節のものですから、ひと口だけでも召し上がってみて下さい。・・・そちらのお侍様も」
静かな笑みを浮かべて主人は斎藤にも盃を持つように勧めた。
はもう盃を持っている。斎藤は仕方なく盃を手に取った。
真紅の塗りの盃に、とろりとした透明な液体が注がれていく。
その最後に、桜の花がほとりと落ちてきた。
「桜酒でございます」
ふたりの盃を満たすと、主人は静かに酒瓶を置いて言った。
「我が家の桜になる花を塩漬けにしたものを浮かべましてね、春のいい香りがいたしますよ、どうぞ」
確かに、よい加減で燗にされた酒からは馥郁とした香りが漂い、注がれた水面の向こうに桜の花が咲く光景が見えるような気がする。
「・・・いただきます」
は誘われるように盃に口をつけた。
「!」
斎藤が鋭く呼びかけた。
だが、はこくりとその一杯を飲み干してしまった。
「おいしい・・・」
は溜息と共に感想を漏らした。
「お口に合いましたかな、それはよかった。もう一杯いかがです?」
主人は嬉しそうに笑い、に酒を勧めた。
「ご主人、申し訳ないがあまりこいつに勧めないでいただきたい」
酒にはあまり強くないので、と斎藤は男に厳しい視線を投げかけて言った。
「そんなに強い酒ではございませぬ。あなたもお試しになるといい」
主人はに酒を注ぎながら斎藤に流し目を送った。
「それとも、昨今のお侍様は招かれた先での酒を断るのが礼儀なのですかな」
世のことには疎いもので失礼、と主人は言い、ふと笑みを見せた。
そう言われては斎藤もひと口くらい口をつけぬわけにはいかなくなった。
油断なく主人とに目を光らせながら、自分も注がれた盃をくっとあおった。
何というべきだろう、口に含んだ途端に柔らかな香りが広がり、喉の奥に酒が滑り込んでいく。
先ほど注がれている様を見ているときにはもう少しとろりとしたように思えたが、喉越しはさらりとしていて後に残らない。
思わずもう一杯を所望してしまうような、盃を差し出してしまうような味だ。
がおいしいと言ったのもわかると斎藤は思った。
だが、斎藤はそこで飲むのをやめておいた。
自分の勘が告げている警戒を解かずに。
は勧められるままに次々と杯を重ねていく。
「、いい加減にしないか」
さすがに斎藤も、がまったくペースを落とさずにお代わりをするのを見て辟易してきた。
あまり飲まれても今度は帰りに差し障る。
「はい」
はまったく顔色を変えずに飲んでいた。斎藤の話も聞いているのかいないのか。
「ではお膳をどうぞ。こちらも当家自慢の精進料理で、お気に召していただけると思いますよ」
土方そっくりの顔の主人は、彼が普段見せないような柔らかな表情で料理を勧めた。
「はい」
その顔を見て、は顔を少し赤らめた。
膳の上には上品に盛られた料理が所狭しと並べられていた。
様々な形をした古そうな焼き物の皿に、野菜や穀物、海草などが調理されて鎮座している。
そのうちの一皿に、はふと視線を落とした。
赤く小さな深めの小皿に、油揚げと小松菜の煮浸しがよそわれていた。
皿の赤と小松菜の緑の対比が美しい。
そして油揚げがその中間を横切るように配置されているのも目を引く。
はその小皿を一番先に取り、箸でつまむと口へと運んだ。
「食ったな」
ぞっとするような、低くおどろおどろしい声が室内に響いた。
はっとして斎藤が部屋を見回すと、知らないうちに襖や柱が歪んでおり、辺りは暗い空間になっていて、時折稲妻が明滅している。
現実とは思えない光景になっていた。
やはり自分の勘は正しかったのだ。
主人を振り払ってでも、が途中で倒れようとも、屯所へと戻るべきだった。
「!」
一刻も早くこの部屋から、この家から出なければ。
斎藤は隣に座っているに手を伸ばし、腕を掴んだ。
がくりとは揺れ、ゆっくりと頭を斎藤の方へと向けた。
その瞳は虚ろで、生気がまるで感じられない。
「・・・!?」
そして、その様子を見て驚く斎藤の目の前で、の体は前に倒れていった。
がしゃんと音を立てて膳がひっくり返る。
だが、ひっくり返る側からその上に乗っている皿は消えていって。
「!」
斎藤はの体を支えようと手を出したが、
「何・・・?」
なぜか彼女の体が、するりと自分の手を通り抜けていく。
斎藤の手をすり抜けたは、ふわりと宙に浮いた。
仰向けになったその体は、ゆったりと漂いながらある場所へ向かう。
の体が二本の腕に抱き止められ、動きを停止した。
「・・・!貴様、を離せ!」
斎藤はを抱きかかえた相手に向かい、怒鳴りつけた。
「くく・・・」
それは、この屋敷の主人だった。
いつの間にか白い着流しから束帯姿に身を改めていた。
を肩に担ぎなおすと、高い位置から斎藤を見下ろす。
相手が自分の言う事を聞くつもりが無いのをみて、斎藤は腰間に手をやった。
「おっと・・・」
それを見て男は右手を前にかざした。
途端にその掌から白い光がほとばしり、斎藤に一撃を加えた。
「ぐっ!」
斎藤は全身をその光に打たれ、刀を抜く間もなくどさりと倒れ伏した。
「愚かな人間どもめ、我が禁足の地を血で汚しおって!その代償としてこの女、貰い受ける!」
高笑いを上げて暗い空間に溶け込む様に消えて行く相手とを、斎藤は遠のいてゆく意識の中で見上げた。
先ほどまで土方に良く似ていた主人の顔が変化してゆく。
その顔は目が細く吊り上がり、口は人間よりも広く横に裂けて、耳が頭の上にあった。
衣服から覗く手足には白い毛が生え、腰の辺りからはふさふさとした尻尾が現れた。
かすんでいく目に映ったのは、
(狐・・・?)
斎藤は、そこから先の意識がぷつりと切れた。
気がつくと斎藤は地面に倒れていた。
急いで身を起こすと、そこはあの屋敷があったはずの横道だった。
しかし目の前にはどこまでも続くあの白い塀もなければ、門も存在していなかった。
ただ長屋だけが延々と続いていた。
を探しながら大通りへと出た。
鴨川を渡る橋の袂まで来たが、さっきまであったはずのあの枝垂桜がない。
地面を見たが切り株もない。
まるで、最初から何も存在していなかったように跡形もなかった。
(これは一体・・・)
呆然と斎藤は立ち尽くした。
「は?」
土方は信じられない思いで聞き返した。
「二人揃って狐に化かされた上に、あいつを連れ去られただと?」
斎藤は周りに充分気を配りながら屯所へと戻ってきて、すぐに土方に事の次第を報告した。
「信じられなくても無理はありません。俺とて未だにあれが現実だったのか疑わしく思っています」
土方に信じろと言うのがどだい無理な話であったが、斎藤は淡々と自分が見聞きしたことだけを話した。
「それで?」
土方はまだ納得のいかなそうな顔で斎藤に続きを促した。
「その狐が言うには、“我が禁足の地を血で汚した代償として、この女を貰い受ける”と」
「・・・?」
斎藤の言葉に土方は訝しげな顔をした。
禁足の地、血で汚した代償、この女を貰い受ける。
この女・・・貰い受ける?
土方は眉を上げた。
「おい斎藤、あいつが女だってバレてる上に、貰い受けるってなあ何だ?!」
ざっと土方は立ち上がった。
「さあ、それは俺にも図りかねます」
いきり立つ土方とは正反対に、斎藤は平坦な声で言った。
「野郎、ふざけやがって」
貰い受けると言うことは、どういった形であれ相手がを手中に収める事を意味している。
つまり、自分の元から彼女を奪い去ったと言うことだ。
「おそらく」
斎藤はぼそりと口を開いた。
「・・・相手が狐で、禁足の地という言葉から察するに、その狐の居場所は・・・」
ぴくりと土方は眉を動かした。
「まさか」
土方にも、その二つの単語から思い当たる場所があった。
斎藤が首肯する。
「「・・・伏見稲荷」」
二人は同時に同じ場所を口にした。
「よし」
土方は刀掛けに手を伸ばし、赤い下緒の付いた大小を腰に差した。
「出掛けるぞ斎藤」
「はい」
斎藤もすっと立ち上がった。今まできっちりと正座を続けていたのに、足がしびれた様子もない。
「いっちょ、狐退治としゃれこもうじゃねえか」
腰の二本を袴の紐の上からぱんと叩き、土方はにやりと笑った。