久遠の空 参萬打感謝企画 雷(いかづち)の花嫁 一

雷(いかづち)の花嫁 一

update:2008.05.02


 「あ、斎藤さん」


 今日もつつがなく黒谷での一日が終わり、陽が傾く中での帰り道。
 巨大な三門を抜けて石段を降りようとしたところで斎藤を見つけた。


 「、今帰りか」
 「はい、お疲れ様です」
 小走りに斎藤の元へと階段を降り、はぺこりと頭を下げた。


 桜の蕾が膨らみ、そろそろ綻んできそうな季節。枝に丸い蕾の影がつき、少し重たそうに石段の上へとその身を伸ばしていた。


 「桜の」
 と言いかけては口を噤んだ。
 「何だ?」
 斎藤は枝からに視線を移して聞いた。
 「・・・桜の木の下には死体が埋まっているという話を思い出して」
 は苦笑いを浮かべて言葉を続けた。
 「・・・ああ」
 斎藤は特に感慨もなく、ひと言だけ返した。
 「よかった、これが土方さんだったら、風情の無いことをって言われるところです」
 よくあるオーソドックスな話だ。
 つい口をついて出てしまったとは言え、非難されなかったことにはほっとした。
 そしてきっと文句を言うだろう彼の人を思い出し、肩を竦める。
 斎藤も同じ事を思い浮かべ、僅かに口の端を上げた。



 斎藤も今日は仕事が終わりだ言うので、二人は並んで歩き出した。
 もう何度も往復している黒谷と屯所の道。
 梅が散り、桜も間もなく開花する早春の夕闇。
 寡黙な二人は特に会話も無く歩を進める。



 鴨川を渡る手前辺りで、が足を止めた。
 「・・・」
 「どうした?」
 「・・・こんなところに、枝垂桜なんてありましたっけ」


 斎藤がと同じところへ視線を向けると、川に架かる橋の袂に大きな枝垂桜が一本立っていた。
 二階建てをゆうに越える程度はあるだろう。は頭をゆっくりと上げてそのてっぺんを見上げた。
 これも蕾をいっぱいにつけて、黄昏時の景色に映えている。

 「さあ。あまり気にしたことはないがな」
 斎藤がぼそりと呟く。
 は毎日通っているそこに思い当たるような記憶が無く、首を傾げた。
 なかったような・・・と思いながらその木に近づき、手を触れてみた。


 「・・・?」
 すると突然は目眩に襲われた。がくりと崩れ落ち、地面に膝をつく。

 「?」
 斎藤はすぐに駆け寄り、の体を支えた。
 「・・・すみませ、何だか、急に・・・気分が・・・」
 そう言ってかろうじて頭を上げたの横顔は真っ青だった。額には脂汗が浮かび、全身が震えている。

 「すぐに駕籠を」
 斎藤はを抱えて辺りを見回した。
 まだそう遅くは無い時間のはずなのに人っ子ひとりおらず、駕籠など勿論影も見えない。
 はてどうしたものかと、斎藤は動きを止めた。


 「・・・どうかされましたかな」
 その時、二人の背後から声が聞こえた。
 背中に何か異様な気を感じ、斎藤は瞬時に警戒して振り向いた。


 そこには眩しいほどに白い小袖を着流した、長身の男が立っていた。
 笠を被っているので顔は見えない。
 着物の袖や裾から覗く手足は細く、纏っている着物同様に色が白い。
 そして、隙が無い。
 なんとなく近づきがたい空気を背負っていた。

 「・・・連れが気分を悪くしまして」
 斎藤がそう言うと、相手は笠に手を遣った。

 「それなら拙宅においでなさい。すぐそこですから」
 男にしては美しい声で、笠の人物は言った。
 「いや、駕籠を呼んで帰りますのでそのようなご面倒は」
 顔の見えない相手に充分な注意を向けながら斎藤は答えた。
 「少し休めば気分も良くなりましょう。どうぞ、遠慮はいりませんぞ」
 笠の下から見える口元が弧を描いた。

 「しかし」
 と斎藤が頑なに固辞していると、空がにわかに曇ってきた。
 笠の男は後ろを向き、笠の端を少し持ち上げて空を見た。
 「間もなく天気も崩れそうですし、ねえ」
 ゴロゴロ・・・と雲の向こうから音が聞こえてきた。
 顔を上げることも出来ないほど具合が悪くなってきたを見て、斎藤は仕方なく案内を請うた。



 大通りを少し歩いて暗い横道に入ると、すぐに彼の家があった。
 どこまで続くのかわからない程長い塀が左右に広がり、立派な門構えが彼らを出迎えた。
 式台から屋内へと入ると、磨きのかかった廊下が奥まで続き、その先が闇に吸い込まれている。
 かなり大きな屋敷だ。どこぞの大名屋敷なのだろうか。
 斎藤は何気ない振りを装いながらも注意深く周りを観察しながら、廊下を進んでいった。


 「気分はどうだ」
 案内された部屋で横になるを見据え、斎藤は聞いた。
 「はい、だいぶよくなりました。失礼しました」
 汗が引き震えも止まったが、まだ顔色はよくない。
 幾分疲れた様子が垣間見えるが、屯所に帰る程度は大丈夫かもしれなかった。


 「、主人に暇を乞うて帰るぞ」
 斎藤は小さな声で鋭く告げた。
 ここには長く居ないほうがいい。彼の勘が何の根拠も無く、だが確固たる何かを持ってそれを告げていた。
 「え、あ、はい」
 は一瞬戸惑ったが、斎藤には何か意があるに違いないと察して返事をし、体を起こして頭を軽く振った。


 「まあそう慌てずとも・・・」
 そこへ襖の向こうから先ほどの男の声が聞こえてきた。
 まるで自動ドアのようにするりと襖が開き、背の高いほっそりした影がその姿を現した。


 「・・・?」
 「えっ・・・」
 白く輝く着物の足元から上へと視線を辿ってゆくと、
 「どうかされましたかな?」
 ふふっと笑うその顔は、



 土方歳三に、そっくりだった。