「近藤先生、まだかなあ・・・」
沖田総司は溜息交じりに呟き、石畳に屈みこんで地面にのの字を書いた。
「沖田先生、新選組一番隊組長ともあろうお方がやめてくださいよ、そんな子供みたいな真似」
その組下の者である神谷清三郎は組長を見下ろして溜息をついた。
ここは祇園。
高級料亭「一力亭」の前である。
あれは芹沢粛清の後、寒風吹き荒ぶ季節だった。
近藤は会津藩主催の談合、諸藩周旋方会議に出席した。
公武合体派の諸藩、会津、薩摩、土佐などの周旋方の末席に座した。
何の身分も持たぬ一介の浪士には、この席に居るそれ自体が過ぎた事だった。
だが、日頃の巡察や八月十八日の政変、政変以後の取り締まり、そしてあの芹沢粛清を経て、近藤率いる新選組は京都守護職松平容保候の信任を得た。
その代表である近藤が特別な計らいを持って、藩同士の大事な会合に席を設けられた。
席上で近藤は、会津藩家老である横山主税に意見を求められ、まず公武合体、その上で幕府が主導となり攘夷を行うことを提言した。
長州や薩摩が個別に攘夷を断行してもまったく歯が立たなかったことを思えば、挙国一致で外国に相対せねばならぬことは明白であった。
そのために新選組は公武合体を阻む反幕浪士たちを狩り、一刻も早い公武合体を目指すと近藤は言い切った。
特別に素晴らしい意見でもない。ごく普通のありふれた意見である。
しかし長い間平穏の中で幕藩体制に浸かりきってきた武士たちは、戦で血刀を振るうと言う本来の目的を無くし、いざこのような時勢に意見を求められても
碌な答えを用意することが出来なかった。
それに引き換え、多摩の田舎から出てきたたかが一介の道場主が堂々と意見を述べている。
古来の武士の心を失っていない横山にはそれがいたく頼もしく思えたのだ。
横山は家老となって五年。
会津藩江戸藩邸で大いに腕を振るい、水戸の武田耕雲斎、宇都宮の戸田大和守と共に江戸の三大家老と称された人物である。
松平容保が京都守護職に任命されるとなるとまずは反対の立場を取ったが、容保の決意が固いことを知るとそれに従い、公用方を設立して自らも難局にあたった。
ひたすらに容保に、会津藩に尽くす人物であった。
その彼が近藤の発言を認め容保の耳に入れると、容保はますます近藤に対する信任を厚くしたのである。
それから近藤の東奔西走が始まった。
諸藩の有力者たちに渉りをつけて折衝を行い、報国攘夷を展開するように説得を続けた。
だらけきった武士たちに、この田舎侍がとどんなにあざ笑われようとも。
本日はいつもよりさらに権力のある人物との談合があり、近藤は一力を場所として用意した。
百五十年以上も前から続くこの老舗は当然のように一見お断りだが、それだけに店の格は申し分ない。格式ある相手を迎えるには絶好の場所だ。一力も、会津藩の覚えめでたい近藤の予約に首を縦に振った。
近藤はいつまで経っても慣れない折衝に胃を痛めながら出かける支度を始めた。
「近藤先生、私も連れて行ってください」
自室で痛みを堪えながら羽織の紐を結ぶ近藤に総司は頼んだ。
「大丈夫だ、お前がついて来るような用件ではないよ」
近藤は心配させまいと笑顔を見せた。
「だいたいテメェについて来られちゃ気勢をそがれるだろ、このニヤケ面が」
同行する土方が何の遠慮もなく弟分に言い放った。
「土方さんはいいですよ、一緒にお店に行くんだから。私だって心配なんですよ」
総司は不満に頬を膨らませた。
土方は、近藤があまりにも我慢の面構えをしているのを見かねて、一緒に出席する事にしたのである。
「・・・まあ、連れて行ってやってもいいけどな」
顎に手をやって土方がフンと鼻を鳴らした。
「え、本当ですか?」
まるで散歩に連れて行ってもらえる子犬のように、総司は目を輝かせた。
「ああ、いいぜ。ただし店の前までな」
近藤と土方は丸に万の字の屋号が入った暖簾をくぐっていった。
「こっからテメェらは来ンな」
と土方は言い、何とかついて入ろうとする総司と、総司の後についてきた清三郎を暖簾の外にぽいっと捨てた。
「いった、副長!」
「土方さん、ひどい」
清三郎と総司は涙目で暖簾に文句をぶつけた。
「店の前までっつー約束だろうが」
暖簾からひょいと顔を出して土方が意地悪く笑った。
「トシ・・・」
やり取りを聞き、近藤がさすがに声を掛けた。
「コイツに難しい話なんかわかるわけねえだろ。自分でいつもそう言ってるじゃねえか」
しれっとして土方が言う。
「まあ、それはそうだが」
近藤も頷いた。
「えー、先生まで・・・」
総司はしゅんと勢いを無くしてうな垂れた。
「ははは、ありがとう総司、送ってくれて。後は帰って待っててくれ」
近藤が土方の後ろから顔を出した。
「局長、無理はなさらないでくださいね」
清三郎も心配そうに近藤に言った。
「神谷君もありがとう。じゃあ行ってくるよ」
近藤は清三郎にも笑顔を向けると、暖簾の奥へと消えていった。
「土方さん、近藤先生のこと頼みましたよ」
総司が土方の袂を掴んだ。
「馬鹿野郎、俺がついてんだから大丈夫に決まってんだろ。そんなに心配なら終わるまで待ってやがれ」
土方は総司の胸倉を掴んでぐっと引き寄せた。そして乱暴に突き放すと店の中へと入っていった。
「・・・まったくもう、土方さんたら」
総司は仕方が無いなあと言いながら、苦笑いを浮かべて胸元を直した。
「ねえ神谷さん」
道行く人たちがこちらを向いてひそひそと言葉を交わしている。
紅殻色に塗られた壁と格子の前で、新選組の証たる浅葱色の隊服は反対の色を際立たせる。
が、人目を全く気にせずに総司は清三郎に耳打ちした。
「くずきり、食べに行ってきてもいいですか?」
「えっ?」
突然何を言い出すのだろう、この男は。
「鍵善、ここからなら近いですから。もし局長たちが出てきたら呼びに来て下さい」
「え、ちょっと沖田先生?」
総司の頭の中は、近藤たちとくずきり(しかも名店の鍵善)のことで一杯なのだろう。
「・・・わかりました。どうぞ、行ってきて下さい・・・」
どうせ待たされるのだ、セイはやれやれといった顔で承諾した。
総司は、えへら、と笑った。
そこから一刻近く経っただろうか。清三郎はひとり、一力の前で立っていた。
(近藤先生たちも出てこないし、沖田先生も戻らない・・・)
近藤たちはともかく、総司の方はいくらなんでも遅すぎやしないかと清三郎は気を揉んだ。
鍵善は四条通の向こう側の並びにある。ちょっとだけここを離れて見てこようか。
そう思ったその時、
「神谷さーん」
総司が四条通の方から息を弾ませてやってきた。
「沖田先生!」
清三郎はその姿を認めると胸を撫で下ろした。
「いつまで食べてたんですか、まったく」
「いえいえ、食べるのは近藤先生が心配で八杯しか食べられなかったんですけど」
笑顔で頭を掻きながら総司は言った。
くずきり八杯・・・
清三郎の頭の中には食べ終えたくずきりの器がどんどん積み重ねられていく映像が見えた。
その光景に、清三郎は思わず糸目になってしまう。
「はい、これ神谷さんに」
総司は懐を探ると小さな紙の箱をふたつ取り出した。
「?」
「開けてみて下さい」
総司は清三郎の手に箱を持たせた。
ひとつめの箱を開けてみると、色とりどりの明るい色をした干菓子が目一杯詰められていた。
「わあ・・・」
「鍵善で買ってきたんですよ、きれいだからお土産です」
清三郎の喜ぶ横顔を見て総司は目を細めた。
「こちらも開けてみてください」
言われて次の箱を開けると、そちらは茶色の表面にけしの実がかけられた焼き菓子だった。
「・・・沖田先生、これって」
これが売られている店を思い当たり、清三郎は顔を上げた。
「ええ、そうです」
総司はにこりと笑って肯定した。
亀屋陸奥の松風。
それが目の前の箱に納められている菓子の名前だ。
小麦粉と麦芽飴と白味噌を練り上げて焼いたそれは、西本願寺の正面に陣取る店舗で販売されている。
つまり、
「ここからは遠いじゃないですか、お西さんですよ?」
一力から西本願寺近辺まで行くには四条通から河原町通を南下し、七条通に入る。そのまま西へ真っ直ぐ道を行って、堀川通と交わる場所が西本願寺だ。
距離はかなりある。普通に歩いていけば半刻と少しはかかるはずだ。
「一人でくずきりを食べてたら、ああ神谷さんきっとおなか空かしてるんじゃないかなあと思って。急いで食べて干菓子を買って、お西さんまで
走っていったんですよ、これを買いに」
「走って?」
総司の言葉に清三郎は目を丸くした。
走れば確かに四半刻で亀屋陸奥まで行けるかもしれないが、くずきりを八杯も食べて腹がくちくなったところへ、時間から考えるとそれなりの速度で
走って買い物をし、戻ってくるのは至難の業だとセイは思った。
「でも何で松風なんです?近くに他のお店もあったでしょうに」
清三郎が訝った。
「えっと・・・私の目に叶う物でとりあえずおなかがいっぱいになるお菓子っていったら松風しか浮かばなかったんですもの」
小麦粉で作られた松風は、言われれば確かに菓子の中では腹が膨れる部類に入る。
まだ近藤たちが出てくるのを待つだろうから、食べでのあるものをと総司は思ったらしい。
でも、だからと言ってわざわざあんな遠くまで買いに行くのだろうか。
「お待たせしてすみませんでしたね。神谷さん、どうぞおあがりなさい」
総司は四角く切られた松風をひとつ取り出し、訝し気な顔をする清三郎に手渡した。
「ありがとうございます」
清三郎はちょうど小腹が空いてきたところだったので、とりあえず食べることにした。
立ったままで行儀が悪いとは思いつつ。
少しもっさりしている感はあるが、よく噛むとほんのりと感じられる甘味がじわりと口の中に広がる。
表面に降りかけられているけしの実が食感としても味としてもひと役買っており、これがあるのとないのではきっと異なる味わいになるだろう。
「おいしいですか?」
総司が自らも松風を口に運んで聞いてきた。
「はい、おいしいです。でもお茶が欲しいかも・・・」
水分が少ないため、嚥下するには少し困難な代物だ。
「あーおいしい。たまにはこういう控えめな甘さもいいですねえ」
総司ははあと溜息をつきながら次々と松風を口に運んでいった。
結局、大部分の松風は総司に食べられてしまった。
清三郎はそんなに腹は空いていなかったのでそれでもよかった。
それよりも、総司が自分のことを考えてこれを買ってきてくれた事で胸が一杯だった。
「ごちそうさまでした、沖田先生」
清三郎は笑顔で総司を見上げた。
総司も満足そうに笑みを返した。
それからさらに一刻が過ぎた。
「近藤先生、まだかなあ・・・」
総司は溜息交じりに呟き、石畳に屈みこんで地面にのの字を書いた。
「沖田先生、新選組一番隊組長ともあろうお方がやめてくださいよ、そんな子供みたいな真似」
清三郎は上司である組長を見下ろして溜息をついた。
「だって・・・もう入ってから二刻ですよ。いい加減もう出てきたって・・・こっちは済んだのに・・・」
総司は唇を尖らせてぶつぶつと呟いた。
「こっちはって何ですか?」
総司の言葉尻を捕らえて清三郎が聞いてきた。
「え、あ、いや、何でもないです」
総司ははっとして顔の前で手を振った。
明らかに何かを隠している。
「・・・沖田先生?」
清三郎は腕を組み、かがんでいる総司を見下ろした。
「何でもないですよぅ」
あさっての方向を向いて総司が汗をたらす。
「さっきから何かおかしいと思ってたんですよね。何を隠してらっしゃるんですか?」
清三郎は総司に詰め寄った。
「いや、本当に何でもないですって」
総司は座ったまま後じさり、尻を犬矢来にとんとぶつけた。
「沖田先生?」
清三郎はぐっと眉を持ち上げた。
「おや、総司と神谷君じゃないか。本当に待ってたのかい?」
暖簾が割れて、その間から近藤が顔を出した。
「近藤先生!」
「局長!」
総司と清三郎は同時に声の主へと視線を向けた。
「局長、お疲れ様でした。いかがでしたか?」
清三郎が先に近藤に話し掛けた。
「ああ、時間はかかったが分かってもらえたよ」
手ごたえありといった感じで近藤が言った。
「そうですか、よかった。ところでお加減は・・・」
清三郎は近藤の顔を覗き込んだ。
「これしきのこと何でもないよ。ありがとう神谷君」
近藤はぱんと着物の上から腹を叩き、にこりと笑った。
「おい総司」
なごやかに話す近藤と清三郎からは少し離れ、近藤の後から店を出てきた土方が総司にこっそりと聞いた。
「そっちの首尾はどうだった?」
「・・・上々ですよ」
土方の言葉を受けて、総司が小さな声で答えた。
「あの瞬間に指令を出すなんて、さすが土方さん」
器用なんだから、と総司は笑った。
「フン」
土方は当然のように鼻を鳴らした。
一力に着いて総司と清三郎を店に入れまいとした時。
土方は総司の胸倉を掴んで引き寄せ、総司にしか聞こえない小さな声で指示を出した。
それを聞いた総司は鍵善に行く振りをして土方の命令を実行した。
“俺たちがいない時間に、西本願寺の住職が何をしているのか見て来い”
西本願寺の住職はもともと勤皇派で、自分たちが屯所を西本願寺に移した後も陰でその手の者達と繋がっているようだった。
新選組を束ねる自分たちがまとめて留守だとわかったらどういった行動に出るのか。
それを知る方法をふと思いついて、総司に店の前までの同行を許したのである。
留守を知った住職は、案の定、妙な連中をこそこそと引っ張り込み何かを話していた。
そこへ土方の意を受けた総司が踏み込んで―――――
後は推して知るべしの状況となったわけである。
その帰りがけに亀屋陸奥へ寄って松風を買ってきて、それから鍵善へ駆け込んで、というのが真相だった。
「近藤さんには言うなよ、こんなことでまた考え込まれて具合が悪くなったらこっちが困るからな」
「承知」
土方の言いつけに総司は頷いた。
「そういうことだったんですか」
後ろから暗い声色で話し掛けられて、土方と総司は思わず肩をびくりとさせた。
「か、神谷さん、驚かさないで下さいよ」
清三郎がジト目でこちらを見ていた。
「だったら私もお連れ下さったらよかったのに。もし相手が相手だったら、いくら沖田先生でも一人じゃ」
清三郎が文句を言った。
「いいえ、神谷さんには立派なお仕事を任せて行ったんですよ」
総司はそれを遮った。
「え?」
ただここにいただけなのに、何を任されたのだろう。
「近藤先生たちがいるこの一力の前を守るという、大事なお役目をね」
そう言って総司は笑顔を向けた。
「花のような鬼、阿修羅とも形容されたあなたが立っていたら、ここに先生たちがいるとわかっても手出ししてこないでしょうからね」
「沖田先生・・・」
清三郎はぱあっと顔を明るくした。
「ホントか総司?ただ単に普段は小言を言う奴を置いてくずきりを思いっきり食いたかっただけなんじゃねえのか?」
ふたりの会話を聞いて土方がぼそりと言った。
「ま、まさか、そんなことはないですよ」
総司が言う。
清三郎に視線を向けると、ジト目で冷ややかに自分を見ていた。
「信じてくださいよ神谷さあん」
「・・・信じてますよ、ええ、信じてますとも」
ぷいっと清三郎は横を向いた。
「あー、その顔は信じてない!」
総司は焦った。
「信じてますよーだ」
べーっと清三郎は舌を出す。
「あの二人はどうしたんだトシ」
近藤が近づいてきた。
「何でもねえよ、帰ろうぜ近藤さん」
フッと口元だけで笑うと土方は近藤を促した。
「おーい、総司、神谷君、帰るぞ」
近藤が手を振った。
「あー先生、待ってください」
「局長っ」
置いていかれると思い、総司と清三郎は走り出した。
それを見て近藤はえくぼを作る。
散り際を武士に例えられる桜。
厳寒の中に咲く梅。
邪気を払う桃。
そしてその下で冠を正さずと言われる李。
新選組の中には様々な花実がある。
ひとつとして同じものはない。
それぞれがそれぞれの役目を持って生きている。
そんな美しくも厳しい景色こそが、彼らなのである。