乙女ごころ二人姉妹年も押し迫った大晦日。 空には満月を少し過ぎた月が冴えており、凍るように寒い空気を切り裂くがごとく光っていた。 「お孝、今戻ったよ」 近藤は白い息を吐きながら、醒ヶ井の妾宅の戸を開けて中へと入った。 「お帰りなさいませ、旦那様」 ぱたぱたと廊下を走り、お孝が薄暗い奥からやってきた。 近藤の帰りを待ちわびていたように、にこにこと笑って嬉しそうだった。 「こんな遅くまで、お寒かったでしょう。どうぞ火鉢にお当たりください」 お孝は近藤の足元を手燭で照らし、部屋へと入るように促した。 「いや、それよりお孝、出かける支度をしなさい。今から行こう」 近藤は草履を脱ごうとせず、玄関に立ったまま言った。 「え?」 お孝はどうして近藤がそんなことを言ったのか分からず首を傾げた。 「約束したじゃないか。正月には七福神にお参りしようと」 近藤はお孝の仕草が可愛く思えて、大きな口を横いっぱいに広げて笑みを浮かべた。 「あ! 旦那様、覚えていてくださったのですか?」 お孝は何かを思い出したように目を見開いた。近藤はお孝の問いかけに軽く頷いた。お孝の顔に喜びが広がる。 「ありがとうございます、でも今からでなくとも…」 「いや、今からだ」 近藤は深夜の外出に戸惑うお孝の手を取り、ぐっと握った。 「わかりました! では支度をして参ります。その間、旦那様は温まっていてくださいね!」 ぱあっとお孝は目を輝かせ、近藤の手を握り返すとそのままぐいぐいと上がり口へ引っ張った。 近藤はわかったわかったと言いながら草履を脱いで中へ入り、炭がほのかに赤い光を滲ませる火鉢に手をかざしながら、お孝の支度が終わるのを待った。 出かける用意が出来ると二人は家を出た。 外は暗く、風もない。星が月の光から遠い場所でちらちらと、寒さに負けじと瞬いている。 近藤は手にした提灯をかざしてお孝を見遣った。余程外が寒いと思ったのだろう、袷の着物を重ねて着た上に綿をたっぷりと仕込んだ褞袍(どてら)を羽織り、 襟巻きをぐるぐると巻いて顎まで覆っていた。 「いくら何でも、着込みすぎじゃないか?」 近藤はぷっと笑った。 「だって、お戻りになった旦那様の息が真っ白だったんですもの。これぐらい着ないとと思ったんです。お笑いになるなんて酷い」 ぷうっとお孝は頬を膨らませた。 「はは、すまん。ところでそれ、いい褞袍だな」 近藤はお孝の着ている褞袍を触って言った。梅や桃、桜といった春を告げる様々な花の意匠が縫い取られた生地が使われ、お孝の微笑を際立たせるような 明るい取り合わせになっていた。 「あ、これは…」 お孝はふと下を向いた。 「?」 近藤はその顔を提灯で照らした。 「あの…太夫になった時に、お客様がお祝いにって仕立ててくれたものなんです」 顔を上げて、お孝は申し訳なさそうに切り出した。 「旦那様に身請けしていただいた時に本当は処分するつもりだったんですけど、気に入っていたし、身の回りのもので入用になりそうなものは もったいないので多少とっておいたのですが…」 そして真っ直ぐに近藤の目を見つめた。 「…だめですか?」 そのくりくりとした愛らしい目で見つめられて、断りを口にする男がどこにいるだろう、と近藤は苦笑いをした。 「ああ、いいよ。私はそういうことは気にしないし、とても似合っている」 「本当ですか? ありがとうございます旦那様!」 嬉しい、とお孝はまた笑顔になって近藤にぎゅっと抱きついた。 「おっと」 急に抱きつかれて近藤はよろめいた。 はじめは妹のように可愛らしく思っていたお孝が、女として可愛らしく見えるようになったのはいつの頃からだったのだろう。 姉の深雪に心を引かれ、図らずも落籍し、彼女の裏も表も知り尽くして自分に何を求めているかを知ってもなお愛おしかった。 しかし彼女は去っていった。 そして妹が残り、自分の妾として醒ヶ井の妾宅を守ってくれている。 妹を、姉の代わりに思ったことなど一度もない。 表情も気性も、何もかもが違う。 時々ふと見せる表情に面影を見ることはあっても、妹の顔を見ながら姉の名を思い浮かべることはない。 姉とは違う夢を、違う幸せを、違うやすらぎをこの妹は自分にもたらしてくれる。 近藤は歩きながら横であれこれを昼間の出来事をしゃべるお孝を見ながらそう思った。 除夜の鐘が鳴り響く中を、近藤とお孝は足早に歩いていった。 辿り着いた先は、御所のすぐ東にある護浄院である。 護浄院は清荒神、または“荒神さん”とも呼ばれ、天台宗の寺院であるが、竈の神も祀っている。 そしてさらに京都七福神の福禄寿の寺院にもなっており、正月の七福神巡りを始める者たちでごった返していた。 近藤は冬の気配が妾宅の庭に見え始めた頃に、お孝と正月に七福神巡りをする約束を交わした。 その時はたしか夕方の早い時間に家に戻ることが出来、お孝が庭で枯葉を掃いている姿を見たのだ。 大きな竹箒を一所懸命に振り、隅から隅まで掃き清めようとする姿はなかなか可愛らしかった。しかし近藤はその背が妙に寂しそうに見えたのだった。 帰宅を告げるとお孝は手を止め、茶を淹れた。近藤はそれを飲みながらゆっくりとお孝と話し、何か悩みがあるのかを問うた。 「…旦那様、お願いがあるんです。お正月に、七福神巡りに連れていってくださいませんか?」 とお孝は言った。悩んでいる、あるいは彼女の背中を寂しいものにしていることについては口にしなかったが、七福神巡りでお願いしたいことがあるからと ただそれだけを近藤に告げた。 近藤は、黙って頷いた。 近藤はお孝との約束を忘れずにいて、西本願寺の屯所で土方たちと年始の相談をしている間にも、必ずそれを果たそうと心に留めていた。 そして長めになってしまった話し合いが終わると急いで妾宅に帰り、お孝を連れ出したのである。 七福神巡りは世に数多ある宗教の類ではなく民間信仰であり、歴史的には室町時代の終わり頃に形になったようだ。庶民が商売繁盛を願い、大乗仏教の 経典『仁王般若経』の中の一文「七難即滅、七福即生」を基にして、それまでばらばらに信じられていた神々を七つの福の神としてまとめ上げた。 そして江戸時代になると広く七福神信仰が広まり、正月に七福神を祀る寺社を巡って、そのご利益に与ろうという風習になったのである。 江戸にも大坂にも七福神が多く祀られているが、発祥は京都とされている。 「七難即滅、七福即生」の七難とは太陽や星の異変・火災・水害・風害・早害・盗難を示しているが、大雑把に言えば諸々の困難・苦難・障害を表し、 七福はそれに対して多くの福徳を意味している。 そして七福神とは医業・漁業・商業の繁栄などを司る恵比寿天、飯食・農耕・機織・裕福などを司る大黒天、神通自在・財宝福徳・名誉・権力などを司る毘沙門天、 美芸文学・歓喜・知恵・子孫繁栄などを司る弁財天、幸福・因縁・家内安全・よい伴侶を得るなどを司る福禄寿、不老長寿・開運・厄除け・健康安楽などを司る寿老人、 円満完成・平和安穏・家運隆盛・無碍自由などを司る布袋尊のことである。 先に七福は多くの福徳を意味すると述べたように、本来はどの神にどのご利益があるとは明確に決まっていなかったようだ。しかし、参拝する便宜上、このように 割り当てられているらしい。なので、各地でご利益が異なることもある。 近藤とお孝が訪れた護浄院には福禄寿が祀ってある。上記で述べたようなご利益もあるが、ここの福禄寿は幸福・俸禄・長寿のいわゆる「三徳」のご利益がある。 本堂内には第四十九代光仁天皇の王子である開成親王の作とされる三宝大荒神が祀られ、摂津(大坂と兵庫の一部)から醒ヶ井高辻に移されて鎮座し、 さらに現在の御所東に移されたのである。 ふたりは人の波に揉まれながら除夜の鐘の音を聞いた。痛いほど澄んだ空気に、あちこちの寺から深い音が響いてくる。周りは多少ざわめいているものの、 皆、鐘の音を聞こうと耳を済ませているものも多い。 百八つ目の鐘が一際大きく響き渡ると、辺りは歓声に包まれた。おめでとう、おめでとうと顔も知らない隣の人間と肩を叩き合った。近藤もお孝も右から左から 叩かれ、もみくちゃにされた。 そして列がぞろぞろと動き出した。年が明けたと同時に七福神参りが始まったのである。 しばらく並んで、近藤たちの番が来た。堂内には福禄寿が祀られているが、夜で暗い上に蝋燭の明かりも仄かで、その姿はよく見えない。 だが、真の闇の中で静かに佇んでいる微かな影に、近藤とお孝は手を合わせた。 近藤は合わせた手を離し、後ろに下がろうとした。が、お孝を見てぴたりと足を止めた。 お孝は、祈っていた。 指先に何かをこめるように手のひらを固く合わせて。 腰から上をすっと折り曲げて、一心に何かを呟いていた。 「…お孝」 近藤はお孝の方にそっと手を置いた。 「えっ、あっ、はいっ」 お孝は驚いてぴょこんと飛び跳ねた。余程真剣に祈っていたらしい。 「次の人に代わろう」 「は、はい」 お孝は近藤の後に続いて次に並んでいた家族に会釈をして場を譲った。 二人は混雑の合間を縫ってその場を離れようとした。後から後から人がやって来て、お孝はその波に飲み込まれそうになる。 「だ、旦那様ぁ」 小さなお孝はぎゅうぎゅうと押され、あっという間に近藤から離れてしまった。 「お孝、どこだ?」 近藤は人の波に逆らって手を伸ばし、何とかお孝の手を握った。お孝もその手を懸命に握り返す。 二人は互いの手を引き寄せた。近藤の元にお孝がようやく戻った時にはお孝の髪はほつれ、褞袍も皺だらけになっていた。 近藤は自分の腕の中にお孝をすっぽりと抱え込んだ。お孝も近藤の胸元にしがみつく。 ふたりはなるべく人波の端の方を歩きながら、ようやくの思いで護浄院を出た。 真っ白な息を吐きながら近藤とお孝は醒ヶ井へと戻る道を歩いていった。空気は家を出たときよりももっと冷え、耳が痛くなるほどになっていた。 近藤は全身に忍び寄る寒さを感じながら、自分よりもうんと小さな背丈のお孝へ視線を向けた。 自分と同じように漂わせている息はふわふわと軽やかで、口元は満足げに綻んでいる。 「旦那様」 近藤の視線に気づいてか、お孝は微笑みながら近藤を見上げた。 「ありがとうございました、覚えててくださって。孝は幸せです」 言いながらお孝は笑みをますます深くした。 「何を祈っていたのかな?」 近藤はお孝の笑みに釣られて自分も口元を緩めた。 「えっ」 「当てて見せようか。…お姉さんのことかい?」 「えっ、旦那様っ」 急にお孝は表情を変えて慌てた。 屯所で話し合いをしていた時に、近藤は土方に正月中の予定を聞かれた。お孝と七福神巡りに行くと話すと、同席していた監察の山崎が口を開いた。 「福禄寿、護浄院でっか。あれは摂津からの勧請でしたな」 しばし考え込む様子を見せた後、山崎はこう述べた。 「お孝はん、ご自分と姉さんを大荒神を重ね合わせてはるのかもしれまへんな」 護浄院の三宝大荒神は摂津から京に運ばれて、一度醒ヶ井に置かれていた。その境遇を自分とたった一人の姉が落籍されて辿った道と同じように見ているのでは ないか、と。 そこで近藤は思った。 福禄寿のご利益は幸福・因縁・家内安全・よい伴侶を得るなどである。 「お姉さんの幸せを、祈りに行きたかったんだね?」 「…っ」 近藤の一言に、お孝が言葉に詰まる。 ふたりが路上で足を止めると、沈黙が訪れた。 「…だって、私には旦那様がいて、こうしてお約束も守っていただいてとっても幸せです。でも、姉さまは今どこにいるのかもわかりません。 孝は、姉さまの、幸せを祈らずにいられないのです」 屋根のあるところで温かくして眠っているか、食事はきちんととっているのか、誰かいい人が傍にいて守ってくれているのか。 本来ならば姉に与えられるはずだった幸福を、自分はどのような形にしろ姉から奪い取ってしまったのである。お孝にはそれがいつも気にかかって仕方がなかった。 でも、自分にはもう姉にしてやれることは何もない。だからせめて遠くから、縁起のいい正月に姉の幸せを祈り、七つの神の加護を姉にもたらしてくれるように 願いたいとお孝は考えていたのである。 「姉さまが旦那様にひどい仕打ちをしたことは孝も忘れてはいません! 姉だからこそ許せないと思いました。でも、でも、孝にとっては姉さまはこの世で たった一人の姉さまなのです。だから…!」 「ああ」 目に光るものを滲ませてお孝は近藤にすがり付いた。近藤はその肩に優しく手を回す。 「知ってる」 近藤はお孝の耳元で囁いた。 たとえ誰に何をしようとされようと、自分にとっては唯一の姉。便りを寄越すこともない姉の息災を願わずににいるような妹ではないと、とっくにわかっている。 「旦那様ぁ…」 お孝がひっくとしゃくりあげて抱きついてきた。 「泣き虫は直らないんだなあ」 近藤は肩に回した手に力を込め、お孝を抱きしめた。 「きっと、お姉さんは息災でいるよ。そして君の幸せを向こうも祈っていると思う」 そう、姉にとってもこの腕の中にいる小さき者はただ一人の妹である。妹のために身を犠牲にし、泥をかぶろうとしたあの姉が、妹の幸せを祈らずにいるはずもない。 「そう思われますか?」 はっとしてお孝は近藤を見上げた。 「勿論だよ」 近藤は小さく身を縮めているお孝を見下ろした。 「旦那様がそうおっしゃるなら、孝も信じます!」 近藤がうなずいたのを見るや、お孝は顔を輝かせた。 この笑顔が、いつも自分に元気を与えてくれる。 近藤はそれを自分に残してくれた姉に、心の中でそっと手を合わせた。 醒ヶ井の妾宅へ戻ると、近藤とお孝は熱い茶を啜ってから床に入った。 「ああ、お孝。これを」 と近藤は懐から一枚の紙を取り出した。 「何です?」 消す直前だった行灯の明かりに、お孝はその紙をかざした。 その紙には七福神が描かれていた。七福十祉、つまり様々な幸せを積み込み七福神も乗り込んだ宝船が、青い波と白い飛沫に揺られながら海を進んでいる。 元旦の夜にこれを枕の下に敷いて眠ると幸福が訪れるという。 「一日早いが渡しておくよ。明日の夜、これを敷いて寝なさい」 「…ありがとう、ございます…」 護浄院では買えるような状況ではなかったから、あらかじめ用意しておいたのだろう。お孝は近藤の気遣いを感じ、目頭に再び熱いものがこみ上げてきた。 お孝は七福神の描かれた紙を丁寧に折りたたむと、枕元に置いた。 「では明日、これを使わせていただきますね」 そしてお孝は布団に潜り込んだ。 近藤はお孝の手をそっと握った。 「旦那様?」 「歩いたから疲れたろう? 今夜はもう休もう」 竹刀で、そして剣で鍛えたごつごつした大きな手は温かく、お孝の手を包み込んだ。 「はい、旦那様。おやすみなさいませ」 自分は妾なのだから、どんな夜に求められても応じなければならないとお孝は心に決めていた。それが妾の妾たる証なのだから。 だが近藤は自分を決してそのような目で見ていない。いつでもその目で見守り、腕(かいな)でそっと抱きしめてくれる。 年末の掃除や新年の支度をし、さらに夜中に歩いたのでお孝も疲れていた。なので、近藤の言葉に甘えて今夜は眠ることにした。 夜が明けて元旦。 近藤はゆっくりと静かな朝を過ごしていた。屯所には昼から顔を出すことになっていたし、京都守護職の会津藩主・松平容保の元には明日挨拶に行くことになっている。 お孝もいつもより少し布団に長くいたが、それでもまだ日の高くないうちに起きて、近藤が井戸から汲んだ若水で雑煮の支度をしていた。 雑煮の汁からゆっくりと湯気が立ち上り、小さな家の中にその香りが満ちた頃、戸をたたく音が聞こえてきた。 「すみませーん」 「はい、あ、神谷様ですか?」 お孝はその声が神谷のものだと察し、戸を開いた。 「明けましておめでとうございます! これ届けるようにって副長から」 元気に新年の言葉を言った後、神谷は大きな風呂敷包みをお孝に差し出した。 「今年もどうぞよろしくお願いします! 何ですか?これ」 挨拶を返し、お孝は包みを受け取った。 「おせちですよ、お孝さん。今年もよろしくお願いしますね」 神谷の隣には沖田も立っており、長身をかがめて挨拶した。 「ありがとうございます。よろしかったら上がってお茶でもいかがですか?」 お孝は包みを抱えて神谷たちを中へと導いた。 「でも…副長から用事が済んだら邪魔者はさっさと帰って来いって言われてて」 「あんなにおせちに気を使ってねえ。海老は一番大きいのを入れろとか彩に気をつけろとか。きっとお孝さんになめられたくない一心なんですよ、あれ」 神谷と沖田がぷっと笑った。 「ふふ、じゃあお茶の一杯ぐらいお淹れしないと、こちらが土方様になめられてしまうかも。どうぞ上がってください」 使いの者に気のひとつも使えないとはと後で言われたら、恥をかくのは自分の主人である近藤である。お孝は神谷たちを近藤の元へと案内した。 お孝が茶を淹れて部屋に入ると、すでに近藤たちは挨拶を済ませて談笑していた。お孝も茶を出すとその輪に入り、話に加わった。 「ところでお孝さん、さっきからいい匂いがしてますね」 沖田がくんくんと鼻を鳴らして言った。 「あ、お雑煮作ったんです。神谷様に習って江戸風のものを作ったのですが、召し上がられますか?」 お孝は腰を浮かせた。 「神谷さんに?」 「はい。旦那様は江戸の出でいらっしゃるから、江戸風のお雑煮をお出ししようと思って」 「へーえ」 沖田は薄っすらと笑いながら近藤へと視線を移した。 「何だ総司」 近藤が気づいて沖田に聞いた。 「近藤先生はお幸せなんですねえ」 「そうですねえ」 ふと神谷をみれば、神谷も同じような笑みを浮かべて近藤を見ている。 「お、お孝、雑煮を。俺は厠に行って来る」 「はははいっ、旦那様っ」 近藤とお孝は真っ赤になってそれぞれ立ち上がった。 神谷と沖田は江戸風の澄まし仕立ての雑煮に舌鼓を打ってから帰っていった。近藤も彼らが帰ってから程なくして屯所へと出かけていった。 お孝は一人取り残された。が、ちっとも寂しさを感じなかった。 正月なので必要以上の煮炊きをせず、掃除もしない。届いたおせちで昼も済ませた。 縁側に座り、青く高い空を眺めた。 この空は、姉がいる空につながっている。 ゆうべ近藤が言ったとおり、きっとどこかで元気にしているに違いないとお孝は思った。 (姉さま、孝のことは心配ありません。姉さまこそ、お幸せにお過ごしください) そう呟いてお孝は小さな手を合わせた。 翌日からお孝の七福神巡りに近藤がついてくることはなかった。もう屯所での仕事は始まり、正月の挨拶回りに忙しくなるからだ。 しかし近藤の配慮で、試衛館出身の幹部の誰かが必ず七福神巡りについていった。それは護衛のためでもあったが、何よりもお孝が寂しい思いをしないためであった。 沖田、永倉、原田、井上、そして試衛館組ではないものの神谷や斉藤までもがお孝の家の戸を叩き、一緒に出かけていった。 近藤が自分に精一杯気を使ってくれていると思い、お孝の心は温かな気持ちで満たされた。 自分が今受けている福が姉に、近藤に、そして周りにいる皆に降ればいい。 お孝は胸の前で手を合わせ、何度目か思い出すことも出来ない祈りを今日も捧げるのであった。 参考文献: 『大御利益 七福神めぐり』 小関親康 三心堂 1993年 『大江戸ものしり図鑑』 花咲一男監修 主婦と生活社 2000年 『徹底比較 江戸と上方』 竹内誠監修 PHP研究所 2007年 『春夏秋冬 京都四季めぐり』 小学館GREENMooK 小学館 2007年 |