結 晶それは、水の底に黒く揺らめいていた。 「総司、テメェは何だってそんなもんを拾ってきやがったんだ」 江戸は市ヶ谷にある天然理心流の道場、試衛館。 その道場主である近藤勇の居室で、土方歳三は溜息をついた。 塾頭である沖田総司が拾い物をしてきたからである。 複雑怪奇な突起のついた握り。 黒く光る細長い筒。 筒の先には小石が入る程度の穴が開いている。 そう、それは短筒だった。 「だって誰も気づいてなかったみたいなんですもの」 だから持ってきちゃいました、と総司は笑いながら言う。 「だってもクソもあるか馬鹿野郎。剣術道場に短筒なんか持ってきてどうすンだ」 耳の裏を掻きながら歳三は言い放った。 「まぁまぁトシ、いいじゃないか」 部屋の主である勇が笑う。 「どこでこれを拾ってきたんだ?総司」 勇は総司に向き直って聞いた。 「はい、お使い先の大通りから一本入った道のどぶの中に」 総司は勇に庇われて満足し、こぼれんばかりの笑みを見せた。 「なんでそんなのに気が付いたんだ」 勇が訝った。 「猫がね、そのどぶ板の上で鳴くんですよ、にゃあにゃあって。あまり鳴くもんだから板を上げてみたら、それが落っこちてたんです」 総司はその時の様子を身振り手振りを交えて話した。 「何だってそんなもんがそんなとこに」 歳三は心底面倒くさそうに総司を睨み付けた。 「二、三日前に尊攘派の連中が駆け回っていたらしいからな、大方そいつらが落としていったとか、そんなところだろう」 江戸の町にも昨今、尊攘派の暗躍が続いていた。勇の元にも、やれあちらで事件があった、そちらで人斬りがあったとの噂がちらほら届いていた。 つい数日前にも不穏な連中がこそこそと動き回り、彼らをつける岡っ引きや目明しが建物の影からさらにこそこそと動き回る。とうとう尻尾をつかまれた尊攘派どもが 奉行所の手下たちと小競り合いをし、手傷を負いながら逃げていったらしい。 「これが短筒・・・」 総司は物珍しそうに短筒を手に取った。 「こんな小さな物で人を殺めたりできるんでしょうかねぇ」 筒の先に空いている穴を覗いてみたり、ひっくり返したりしてみたり。 「おい総司、変なところを触るなよ。うっかり弾が出ても知らんぞ」 勇は総司が観察しているのを見て苦笑いしながら言った。 「いやだなぁ先生、脅かさないで下さいよ」 総司は突然及び腰になり、短筒をいじる手を止めた。 「だって我々は扱い方を知らんではないか。下手にあちこちいじって・・・」 確かに危ない、かもしれない。知らずに弾丸の発射を促してしまったら誰かが怪我をするかもしれない。勇は総司から短筒を取り上げようとした。 「・・・どれ、貸してみろ」 ひょいと横から歳三が短筒を奪い取った。 「あ、歳三さん」 「トシ」 歳三は手にした短筒をあちこちから眺めていた。 「もう、結局興味あるくせに」 意地っ張りなんだから、と総司は冷やかした。 「いちいちうるせえな」 歳三は眉に皺を寄せる。 「どうなってんだこりゃ」 銃のしくみを理解していない彼らには、構造がさっぱりわからない。 引き金を引けば筒の口から弾丸が出てくるであろうことはわかっても、どこからどのように弾丸を装填すればいいのやら。 「ここにタマが入ってるみてぇだな」 歳三は蓮根上のシリンダーを指差した。 「へぇ」 総司がまじまじと見つめる。 「でも、どうやって入れるんでしょうね?」 「一発ずつこの穴から入れるんじゃないか?」 勇も総司の隣から覗いてみた。 「何だ、この引っかかりは」 歳三がシリンダーの上の突起に指をかけた。 カチリと音がして、突起が外れる。 銃はシリンダーの下の接合部を境に、ぱたりと折れた。 元折れ式拳銃――突起、つまりラッチを外してシリンダーを露出させ、弾丸を込める銃だった。 だがそれを知らない三人は、突然ぱっくりと折れた銃を前に固まった。 「・・・あーあ、壊しちゃった」 総司が横目で歳三に冷たい視線を投げかけた。 「こ、壊してねぇよ!ただこの引っかかりを外しただけだ!」 歳三も一瞬壊したかとあせったが、総司に言われて慌てて銃身を元に戻した。 またカチリと音がして、銃は元通りに戻った。 直ったのを確認してから、歳三はまたラッチを外してみた。そしてまた元に戻してみる。 カチリカチリと何度もそれを繰り返した。 「ほら見ろ、壊してねぇだろ」 歳三は得意満面で総司に銃を渡した。 「へぇ、この部分が引っかかってるんですねー」 「おい、何だその反応は」 総司に横目で見られた歳三にしてみれば、総司が自分の言葉を肯定しないのが面白くない。今度は歳三が横目で総司を見た。 「ところでこれってどうやって撃つんでしょうね?」 総司が銃を握ってふたりに問うた。 「どうって・・・」 「そりゃ握ってるところにある引き金を引きゃあ撃てるだろ」 勇と歳三は当たり前のように答えた。 「こうですか?」 総司が筒先を庭に向けて引き金を引いた。 「うわ!!」 当然大きな発射音とともに弾が飛び出すと思っていた勇と歳三は耳を両手で塞いだ。 だが、引き金だけが軽い音を立てただけで、何も起こらなかった。 「・・・驚かすなよ総司」 近藤もさすがに冷や汗をかいた。 「馬鹿、撃とうとする奴があるか!」 歳三は総司から銃をひったくった。 「えー、ちょっと試そうと思っただけなのに」 人に向けてないからいいじゃないですか、と総司は口を尖らせた。 「ったく人騒がせな・・・」 歳三は呟いた。 そして手にある銃に目を遣った。 確かにどうやって撃てるのかは気にならないわけじゃない。 勇と総司は、先ほど総司が届け物をした家の様子に話題を移していた。 歳三はふたりに背を向け、改めて銃をよく観察した。 シリンダーの後方に、動きそうな部分がある。 歳三はそれに親指をかけてそっと引き下ろしてみた。 ガチャリと音がし、連動してシリンダーが回った。 勇と総司は話の途中で笑い声を上げている。 歳三は庭に銃口を向け、ゆっくりと引き金を引いた。 その時、 「ちょっと勇さん、さっきの叫び声は」 何かあったのですか、と勇の義母であるお栄が廊下を歩いてきた。 ダァン、と大きな音がして、歳三の手に握られた銃から弾丸が発射された。 それはお栄の目の前をかすめ、庭に植えられた木の細い枝に命中した。 乾いた木の折れる音がし、枝が地面に落ちる。 がさりと葉が地面をこする音を立て、枝はその身を横たえた。 突然の轟音に会話を止めた勇と総司。 何が起こったのか理解不能なお栄。 まさか本当に発射するとは思わなかったため反動で後ろに倒れそうになったが、片肘をとっさについてそれを防いだ歳三。 四人が四人とも目を点にしていた。 「・・・勇さん、これは一体どういうことなのですか?」 弾丸が切り裂いた空気を押し戻すように口を開いたのはお栄だった。 「え、いや・・・」 その声にやっと勇は我に返る。 「トシさん?」 お栄は、硝煙の上がる銃を手にした歳三にも疑問を投げかけた。 「は、はは・・・」 歳三は片肘をついた体勢のまま、もう引きつった笑みを浮かべるしかなかった。 「・・・ということが先日ありまして」 数日後、勇・歳三・総司の三人は佐藤彦五郎宅を訪れた。 あの後三人はお栄にこっぴどく叱られた。そして銃をどこかへ始末して来いと言われた。 元のどぶに捨ててくることも考えたが、不逞の輩の手に戻ったらまた江戸が物騒になる。 始末の知恵を拝借しようと、日野の名主である彦五郎の元にやって来たのだった。 「これはまた珍しいものですな、舶来の短筒です」 銃身の側面に異国の文字が彫り込んであるのを、彦五郎は見つけた。 「道場に置いておくわけにもいかず、かといってその辺に放り投げるわけにもいかず、どうしたものやら・・・」 勇は頭を掻きながら彦五郎に相談した。 「ははは、よろしい。私がお預かりいたしましょう」 彦五郎は爽やかな笑みを浮かべて三人の顔を見た。 「え、彦五郎さんがですか?」 勇が驚きの表情を浮かべて彦五郎を見た。 「ええ、うちの蔵の奥にでも眠らせておけば誰の目にも触れることはないでしょう。それでよろしいですかな、近藤先生」 彦五郎は勇たちが銃を包んできた風呂敷で丁寧に包み直した。 「はい、ありがとうございます彦五郎さん。助かります」 勇は深々と頭を下げた。 「よしてくださいよ、そんな。ああ、珍しいものだから一筆認めましょうかね」 よっこいしょと立ち上がると、彦五郎は部屋の隅にある机に向かい、筆を取ってすらすらと何かを書いた。 「よかったな、かっちゃん」 歳三が勇の背をぽんと叩いた。勇は頷いて、出された茶を口に含んだ。 書き終わると彦五郎は紙を持ってこちらに座を戻した。 「いかがです?」 三人に見せた紙には、この銃が確かに勇からの物であることと今日の日付が書かれていた。 三人が確認すると、彦五郎はそれをきちんと折りたたみ、風呂敷に包まれた銃とともに埃の舞う蔵の奥へと置いた。 「しかし近藤先生」 収納をすませた彦五郎は、くるりと勇のほうを振り向いた。 「はい」 「この“お品”は、奉行所へお届けになってもよろしかったのではありませんかな?」 もう書付もしましたから今更ですが、と彦五郎は笑った。 「あ」 勇をはじめとする三人は、まったくそのことに思い至らなかった己をそれぞれ恥じた。 「まぁ、そんなこともあったよな」 歳三は白い息を吐きながらひとりごちた。 時は瞬く間に流れ、今、彼は蝦夷地に靴底を付けていた。 腰に装着した皮製のホルスターには黒光りする銃が収められている。 歳三は外気温ですっかり冷たくなったそれを引き抜いた。 あの時と同じ、元折れ式の拳銃。 これからは刀の時代ではないと痛感し、全員に銃砲の訓練を徹底させた。 自分ももちろん扱い方を覚え、こうして短筒を支給されてもいる。 だが、戦闘となればやはり腰間から抜かれるのは刀のほうであった。 あの銃は今も、彦五郎さんの蔵に眠っているのだろうか。 雪がちらりちらりと天から降ってきた。 歳三の手の中にある銃にそれがひとひら舞い降りてきた。 黒い鉄の表面に、雪は白銀にきらめく結晶を成した。 俺一人が生き残っちまった。 かっちゃんも、総司の野郎も逝っちまった。 俺一人が、吐く息も凍るような北の果てでこうして。 歳三はふうっと溜息をついた。 その息がかかり、結晶は一瞬で透明な水へと姿を変えて銃身を滑り落ちていった。 かっちゃん・・・ 総司・・・ 俺はこの果ての地で、 歳三はこみ上げるものを目の奥に押し戻すように空を見上げた。 灰色の空から無数の雪が彼の頭上に降り注いでくる。 俺はこの果ての地で、最後まで戦おうと思う。 そして守ってみせる。 新選組と言う名の、あんたたちと、他の皆と、ともに作り上げてきた結晶を。 最後まで。 歳三は視線を銃に戻し、ぐっと握り直した。 冷え切ったグリップの感触が伝わってくる。 親指を撃鉄にかけ、起こす。 そして銃口を天に向け、引き金を引いた。 衝撃が腕に伝わり、灰色の空に弾が吸い込まれていった。 硝煙の香りがかすかに漂う。 歳三は銃をホルスターに戻し、コートについた雪を払った。 そしてポケットに手を無造作に突っ込むと肩を竦めて戻っていった。 五稜郭へ。 雪の上に残る彼の歩いた足跡。 だがそれらは降りしきる新たな雪に、ゆっくりとかき消されていった。
参考図書:「銃士伝」 東郷隆 講談社文庫 2007年
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