久遠の空 戀愛写真

戀 愛 写 真




 もう二度と貴女を泣かせない為に。
 私はしばしの別れを告げる。




 かつて私は沖田総司と言う名だった。
 記憶はそのままに私の魂は再び人の世に現れ、甘いもの好きもそのままに、剣はケーキナイフに持ち替えて、パティシエとして生まれ変わった。
 幼いころから母と一緒にお菓子作りに夢中になり、ふたりの姉には呆れられた。
 高校生になると学業もそこそこに地元の小さな洋菓子店でバイトを始め、卒業と同時に就職。
 自分が食べたいケーキを次々と作らせてもらい、ショーケースに並べさせてもらった。
 私の作るケーキはお客さんになかなか好評だった。

 小さなパティシエの賞を幾つか受賞しているうちに、都内の大きなお店からいわゆるスカウトが来た。
 本当はお世話になったお店にずっと居たかったけれど、店長さんが「お前が大きくなる為だ」と言って送り出してくれた。

 美しいもの好きな新しいオーナーの下で、私は働き始めた。
 それが転機だったのだろう。
 女子大から駅へのメインストリートという好条件の立地にあるその店に。


 あなたが、現れた。





 名前も顔形も、もちろん声すらも以前と違う私を、あなたは見つけてくれた。
 たまたま厨房から出てきて接客していた私が注文を聞くと、おびえた子猫のような目で私を見つめて一言呟いた。

 「・・・おきた、せんせい?」


 トングを取り落とした音が床に響いた後の事はよく覚えていない。
 気がついたら彼女の手を引いて、お店から少し離れた公園にいた。

 ブランコに座って、長い間話していた。
 前世で私を看取った後、どうしていたのか。
 生まれ変わってからどうしていたのか。
 最初から以前の記憶があったのか。
 彼女は―――神谷さんは私の問いにひとつずつ答えてくれた。

 今彼女は大学生で、お店から近い女子大に通っているとのことだった。
 お店には時々友達と一緒に来る程度だったが、今日はひとりでふらりと店にやって来たらしい。
 何気なくお店のガラスに目を遣った時、何となくひとりで入らなければならないような気がしたと思ったと、顔を赤らめながら話してくれた。
 きっと、運命だったに違いない。
 私はそっと神谷さんの手を握った。
 はっとしたように神谷さんは私を見つめたが、にっこりと笑って柔らかく握り返してくれた。
 私も微笑み返して、神谷さんの手を両手で包み、そのぬくもりを確かめた。


 新しいお店に移籍したばかりのパティシエと女子大生の恋。
 上司と部下、しかも血生臭い世界での、外見は男同士ということになっていた密やかな恋とは違う。
 命を脅かされる心配も、いつ彼女が女子だとバレるか肝を冷やす心配もない。
 何も障害がない中での温かな恋。
 私たちは百年以上の時を経て、やっと平和なごく普通の恋愛を楽しむ事ができるようになった。





 それから幾つかの季節が過ぎ、彼女の就職も卒業も決まった直後のことだった。
 私に再び転機が訪れた。

 「フランスへ行って、本格的に修行してみないかい?」
 オーナーは革張りの椅子をくるりと回して、机越しに私を見て言った。


 悩んだ。
 修行期間は私の20代の残りをすべてをかけるに等しい年月だった。
 もちろん頑張って早く技術を会得すればそれは短くなるとオーナーはおっしゃった。
 帰国してきたら自分の店を持つのも夢じゃない、充分な後ろ盾をする、とも。
 でも、私はやっと出会えた彼女と離れたくなかった。
 しかし、職人としてオーナー直々のお声掛かりを無視する事もできなかった。


 久しぶりの休みの日に、彼女とデートした。
 前に丸一日彼女と過ごしたのは一体いつのことだったのだろう。
 私は仕事で、彼女は就職活動と卒論で忙しくて、ここ数ヶ月まともに会っていなかったような気がした。

 彼女の行きたいところはどこでも連れて行き、欲しがるものは何でも買ってあげた。
 そしてディナーのデザートが終わった後、彼女に告白した。
 フランスへ修行に行く事になった、と。
 おそるおそる彼女の顔を見た。
 おめでとうございます、と笑っていた。

 車で彼女を家まで送っていった。
 車の中で彼女は就職活動の時にあった出来事や、卒論を書いたときのエピソードなどを明るく語っていた。
 でも、次第に会話が途切れ途切れになり、遂にはふたりとも黙ってしまった。

 家の前で車を止め、助手席のドアを開けた。
 彼女がなかなか車から降りようとしなかった。
 どうしたのだろうと思って顔を覗き込むと、

 彼女は泣いていた。
 私を見つけたときと同じ、子猫のような目で。



 私は助手席のドアを閉め、運転席に滑り込んで車を発進させた。
 フロントガラスに見える景色がどんどん流れてゆく。
 いささか乱暴な運転だったが構いやしない。
 私の住んでいるマンションの駐車場に車を止め、彼女を抱えるようにして部屋に行った。

 そして、彼女を初めて抱いた。






 数ヵ月後、私はフランスへと旅立った。
 空港で大泣きする彼女を残して。



 修行は順調すぎるほど順調に進んでいた。
 このままいけばかなり早めに帰国できるだろう。
 愛しい彼女のいる日本へ。

 彼女からは毎日メールが来る。
 たいていは写真付きだ。
 可愛い顔をしている時もあるし、変な顔の時もある。
 休憩中に携帯を取り出し、様々な表情の彼女の写真を見ていると寂しさも吹っ飛ぶ。


 そう言えば、遥か昔、彼女と写真を撮ったことがあったっけ。
 まだ武士だった頃、助けた人がお礼とかお詫びとかの代わりにって。

 今では一瞬で撮影できるけれども、あの頃は大変だったな。
 何秒もじっとしてなくちゃいけなくて。
 アンプロタイプ・・・湿板写真とか言ったと思う。
 ガラス板に薬品を塗って、さらに別の溶液に漬けて、それが湿っている間に撮らなきゃならないって話だった。
 目の前で作業を見せられた時はインパクトが強かったからよく覚えている。

 今は、たとえどんなに遠く離れていても、こうして数秒前の彼女を見ることができる。
 ありがたいと言えばありがたい時代だ。

 でも。
 私が本当に見たいのはこんな小さな画面の中の彼女じゃない。

 文字や写真を通して伝わってくるぬくもりも、本物には適いやしない。
 早く帰国して、あの細い肩を抱きしめて、長く美しい黒髪を撫でて、なだらかなカーブを描く腰に手を回したい。

 そして、あなたの元へと戻ったら。

 左手の薬指に残してきた約束を、今度こそ本物の誓いに変えてみせる。
 ふたりの姿がガラス板に焼き付けられたあの頃から変わらない気持ちを形にしてみせる。

 幾重にも重なったレースと、きらびやかに光る純白のドレスにその身を包ませて。

 私の隣であなたが花のように微笑む写真を撮る。

 その写真が額縁のガラスの向こう側に閉じ込められるのを、私は遠い空の下で心待ちにしている。





参考図書:「江戸人物科学史」 金子務 中公新書 2005年