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今年度のグランプリ日程はすべて終了した。 すでに日本は秋の気配が漂っており、北からは紅葉の便りが届き始めている。 Mibroレーシングの面々も、ドライバーとコンストラクターの両タイトルを獲得したことでありとあらゆるメディアから取材を受けた。 ドライバー3人はもちろんのこと、監督・ディレクターも取材取材でグランプリ開催中並の忙しさだったが、おかげで以前からのスポンサーも新規の スポンサーも、来年の協力を約束してくれた。 彼らにとって大成功の一年だったと言えるだろう。 だが走る事を運命付けられた者たちに、止まる事は許されていない。 ニューマシンの開発、走行テスト開始の間の僅かな時間が休暇だ。 そんなある1日。 ドライビング Miss カミヤ 〜サーキットの狼たち 番外編〜「神谷さん、次の休みって空いてます?」 取材が終わりクロタニ本社に戻ってからのミーティングが済んだ後、沖田が皮のジャケットのジッパーを閉めながらセイに問い掛けた。 「次ですか?えっと・・・ちょっと」 セイは携帯電話をぱちりと開くと、スケジュール機能で予定を確認した。 「大事なご用ですか?」 沖田が少し食い下がる。 「ええ・・・まぁ・・・」 セイは曖昧な返事をした。 「もし私が一緒に行ってもいいなら、その日私に付き合ってもらえませんか?」 「え?」 きょとんとするセイの前で、沖田はにこにこと笑いながら返事を待っている。 ・・・この笑顔、断れない。 「わかりました。お供させていただきます」 セイは軽く敬礼のポーズを取って了承した。 「ありがとうございます。詳しい事は後でメールしますからね」 一層笑みを深くし、沖田は帰りの挨拶をして部屋から出て行った。 今のって。 今のって。 デートのお誘いなんじゃないだろうか。 承諾してからその単語を当てはめてしまい、セイは一人で顔を赤らめた。 いやいや、そんなんじゃない、そんなんじゃ。 だって別にそんな風な雰囲気になったことないし。 ただのチームメイトだもん。ねえ。 廊下を歩きながら顔の前で手をワイパーのように振る。 「神谷、どうした」 前から斎藤が歩いてきた。 「あ、さ、斎藤先輩、お疲れ様です。ななな何でもありません。お先に失礼しますっ」 変なことをしていると思われただろう。セイは恥ずかしくなって廊下をダッシュで駆けて行った。 約束の日がやってきた。 2日ほど前に沖田からメールが来て、自宅まで迎えに行くから待っていて欲しいとの旨とその時間が書かれていた。 散々スケジュールに追いまわされて帰ってきたら疲れ果てて寝るだけの日々が続いていたが、この日は前日の夜からほとんど眠れなかった。 何を着ていこうとかお化粧はどうしようとかデートかもとか、そんなことで頭の大半が一杯だったが、自分が本来行こうと思っていた所をどう 沖田に切り出すかも気に掛かっていた。 どこに行くかは当日の“お楽しみ”らしいので聞いていなかった。沖田の行きたいところと自分の行きたいところの方向が合っていれば頼むつもりだが、まったく逆だったらどうするか。 早めに支度を済ませてぼんやりと考え込んでいると携帯が鳴った。 沖田がセイの家の前に到着したのだ。 セイはバッグを持ち、いそいそと玄関を出た。 「おはようございます神谷さん」 車から降りて待っていた沖田は、マンションのエントランスから出てきたセイの姿を見て息を呑んだ。 いつもの戦闘服や通勤服から一変し、プレーンなワンピース姿。胸にはもみじを模した和風のブローチが小さく光を放っている。 「お待たせしました。・・・沖田先輩、どうしました?」 沖田はセイの言葉にはっと我に返った。 見とれていましたとは素直に言えず、沖田は何でもありませんと言うと自分の車を指差した。 「見てくださいよ、これ」 「新しい車ですか?」 沖田の背後には真っ白に光る新車が鎮座していた。 表面にはエナメルを思わせるような光沢があり、いかにも速く走れそうな流線型を描くボディのクーペ。車の後方には古川兼定のステッカーが貼られている。 「いいでしょう、優勝したから新車を買ったんです。フンパツして古川さんにあっちこっち改造してもらいました」 外見は前述したが、沖田にエスコートされて中に座ると柔らかな革張りのシート。シンプルな内装で、ハンドル周りも極力余計なアクセサリーは排除してあった。 カーナビもオーディオプレイヤーもない。 「一番気に入ってるのはこれです」 自らも運転席に座ってエンジンをかけ、手元のスイッチを押すとアルミ製の屋根が開いた。 「うっわ、カブリオレ」 「ずっと欲しかったんですよー、屋根が開くクルマ」 「散々仕事で乗ってるのに、プライベートまで屋根無しですか?」 「だって好きなんですもん」 「前の車もすごく可愛がってましたよね、あれはどうしたんですか?」 「手放すわけないじゃないですか。もちろん車庫もう1台分借りましたよ」 ・・・完全に趣味だ。仕事で忙しくてほとんど乗る機会もないはずなのにコレだ。 だが次々と繰り出される他の機能の話に、半ば呆れながらもついていける自分が恨めしい。 この時点でデートという概念はガラガラと崩れていった。 そんな会話をしながら高速に乗り、まず最初に向かったのは製菓工場だった。 その屋根にはスポンサーにもなっている大きな会社名の入った看板がでかでかと据えつけられている。 「・・・先輩、どうしてここに・・・」 こういうところは子どもが喜んで来るところではないだろうか。 「えー、神谷さんは興味ありませんか?いつも食べてるお菓子がどういう行程で作られてるのか」 「ないわけじゃないですけど」 フォーミュラ1の世界チャンピオンが休日に製菓工場見学。 沖田の背中にその言葉を背負わせてみたが、嬉しそうに笑う顔はとても似合っている。 「スポンサーだけどちゃんと個人で予約取りましたからね、ズルしてないですよ」 ほら、行きましょうとセイの手を取り、沖田は受付へ向かって歩き出した。 セイはしょうがないなと思いながらも、うきうきとした様子の沖田の背中を微笑ましく眺めた。 予約の葉書を出して受付を済ませ、用意されていたキャップとマスクを着用してエアーを浴びる。そして手の消毒をしてから工場内に案内された。 沖田は辺りに漂う甘い香りに早くも我を忘れていた。そしてセイのことも忘れていた。 係員の説明に熱心に耳を傾け、ラインを流れてくるお菓子に釘付けになった。 最後に出来たてのお菓子をお土産にもらい、やっとそこで沖田はセイを振り向いた。 セイはお菓子に夢中になる沖田を見て最初はやれやれと思っていたが、見学しているうちに自分も面白くなったので、まずまず楽しかった。 再び高速に乗り、次に向かったのはレース場。 ここはかつてセイの兄が、そしてセイ自身が練習に通っていたサーキットだった。 「来るの久しぶりです!懐かしい〜〜」 グランドスタンドの最上段に座り、セイはコースを見回した。 ここで本当によく練習した。兄と一緒に休みの日ごとに通ってひたすらコースを走ったあの日が胸に甦る。 スタンドの前のほうの席には小学生の団体が陣取っており、コース上で練習している車を見ながら弁当を広げていた。 その賑やかな様子を見ながら、セイと沖田も途中で買った弁当を開ける。 「ここでお昼だって分かってたらお弁当ぐらい作ってきましたよ」 セイが残念そうに割り箸の袋を開けた。 「いいじゃないですか。朝早く時間を指定したんだからお願いできませんでしたよ。神谷さんお手製のお弁当が食べられないのは残念ですけどね」 夕飯はデザートのおいしいレストランを予約してありますからと笑い、沖田もぱきりと割り箸を割った。 涼しげな風に吹かれ、目の前を大きな排気音で走る車に興奮する小学生たちを見ながらの食事。 あの小学生ぐらいの頃、どんな風に走っていたかで二人の話題は盛り上がった。 ふと気が付くと、てててと小学生の男の子ひとりが沖田とセイの方へ向かってきた。 「おいお前、沖田だろ」 生意気そうな口の利き方で男の子は聞いてきた。 「ええ、そうですけど」 沖田は隠さず答えた。 「おーい皆、やっぱり沖田だぞー!」 くるりと後ろを振り向き、男の子は大声で叫んだ。 「マジ、沖田ー?」 「すげー、世界チャンピオンの沖田だー!」 「隣にいるの神谷じゃねー?」 「ほんとだ、神谷だ!」 彼の呼びかけでその場にいた小学生たちが集まってきた。 沖田、神谷と連呼され、周りを取り囲まれた。引率の先生方がそれを止め、校外学習でやってきたんですと説明した。 その事前学習で、今やF1で活躍している日本人選手のことも取り上げたので、子供たちは沖田たちのことを知っていたのだ。 その騒ぎを聞きつけて、サーキットの係員がやってきた。 係員は沖田と神谷の来訪を知り、コントロールタワーにいる責任者に連絡を取った。責任者はすぐに駆けつけ、練習時代からの顔見知りであるセイと、チャンピオンの沖田に歓迎の意を示した。 そして二人に、コースで行われている練習用の車でデモ走行を見せてくれるように頼んできた。小学生たちからもせがまれ、沖田とセイは快くそれに応じた。 別カテゴリーで練習用とは言え、レース仕様の車だ。二人は車を見事に操った。 途中で沖田がするりとセイの横に並び、速度を合わせて走った。セイもコントロールしやすい速さに合わせた。 ぴたりと息のあった走りに小学生や練習を止めて見ていたレーサーたち、場内関係者たちは大いに喜んだ。 サインを求められ、その全てに丁寧に応じた沖田とセイはサーキットを後にした。 そろそろ日も斜めになってきた頃に行き着いたのは霊園だった。 「沖田先輩、ここ・・・」 セイがドアを開けて降りながら呟いた。 「ええ、今日は祐馬さんの月命日でしょう?」 沖田はそう言ってトランクを開けた。中からは萎れないように梱包された花束が取り出された。 「きっと神谷さんの用事ってここだろうなと思って」 沖田は花束を持ってセイを振り返る。 「あの、ありがとうございます」 泣き笑いのような顔でセイは言った。夕方の色を濃くした陽の光の中で。 沖田はセイを見てにこりと微笑んだ。 「祐馬さんが待ってますよ、行きましょう」 二人は並んで歩き出した。 神谷家之墓、と刻印された墓石の前。 しばらく振りでやってきたせいで、辺りには草が生え、墓石は砂埃を被っていた。 それらを綺麗に取り除き、洗い流す。水も枯れた花も取り替え、香炉に線香も上げた。 セイは墓石の前に座り込み、真剣な顔で手を合わせた。 沖田もその横で手を合わせていた。ちらりとセイの横顔を盗み見る。 グランプリの報告をしているのだろうか、随分と長い間手を合わせていた。 一方、セイも片目を薄く開け、こっそりと沖田を見た。 セイは己がレースを始める前から、兄のライバルとして沖田の名を知っていた。 数十年に一度現れるか現れないかの天才ドライバー。 登竜門であるカート時代から業界ではその速さに注目が集まっており、英才教育も施され、走るためにすべてを捧げてきた男だった。 デビューが兄と同じ年で、レーシングスクールは違うから顔はよく知らないながらも、大好きな兄の敵と言うことで幼かったセイは一方的に沖田を敵視していた。 だが、それもセイの兄の死で一変する。 セイの兄が巻き込まれたレース事故に沖田も出走しており、彼も同様に巻き込まれた。 後ろから追突されてマシンを壊されただけで済んだ沖田は、コースマーシャルと共に他のレーサーの救出にあたり、セイの兄・祐馬のことも大破したマシンから運び出した。 マシンから引っ張り出された祐馬は血塗れで、もうほとんど呼吸もしていない様子だった。セイは救急車に乗せられた兄にしがみついており、返事をしない祐馬に懸命に声をかけていた。 搬送されて4時間後に祐馬は息を引き取った。 敵視していた沖田が兄を救出してくれたと知ったのはしばらく経ってからだった。 そしてセイが初めてレースに出場した時に沖田は観戦に来た。 レーシングスクールのコーチを通して紹介された沖田は、その鋭い走りとは全く異なった穏やかな空気を纏った少年だった。 握手を求められ、手を握り返しながらセイが小さな声で祐馬救出の礼を言うと、お悔やみの言葉と共にお菓子が差し出された。 「これ食べて元気出してくださいね」 掌サイズの箱に入ったチョコレート。 沖田はそこからチョコレートをひとつ取り出して、セイに食べさせてくれた。 セイはその後行われたレースで奮戦し、以降順調にレーサーとしてステップアップしていった。 彼女にとって兄は憧れだった。常に速さを求め、技術を磨いていた兄。 そして兄と同じく求道者の沖田。 沖田は出会いから何かにつけてセイに会いに来てアドバイスをしてくれた。沖田に対する気持ちは、相手が肉親で無い分、憧れの気持ちとは別の方向へと変わって行った。 しかしそれは未だに淡いものでしかなかった。 レースの世界は厳しい。そんなものに気を取られていたらこの世界での成功はあり得ない。 誰よりも速く走る。その為だけにすべてを投げ打つ覚悟を持っている者だけが踏み入る事を許されている。 セイもそれに漏れず、心の奥底だけでその想いを暖め続けていた。 その横顔を今こうして見ていられるなんて・・・ やっとセイが腰を上げた。 「沖田先輩、ありがとうございました。今日来ようと思ってたんで本当によかったです」 「お兄さんには4位入賞を報告したんですか?」 「ええ、今年のグランプリについていろいろと」 すっきりしたような表情になり、セイは伸びをした。 「じゃあ帰りましょうか先輩」 セイが沖田の方を向くと、沖田がまるでレースの前のような真摯な眼差しで自分を見つめていた。 「沖田先輩・・・?」 「神谷さん、大事なお話があります」 セイがふるりと身を震わせたのは、夕暮れの風のせいだけではない。 なぜそのような痛いほどの視線で自分を見つめるのか。 「神谷さん、私は」 そこで言葉を1回切り、沖田は決意したように拳を握った。 「私は、祐馬さんのレースを見にきていた頃からあなたをずっと見つめてきました」 どきり、とセイの胸が跳ねた。 「あなたが本格的にこの世界に入門してきた時にはとてもとても心配で・・・同じチームでこうして働けるようになった今でもその気持ちに変わりはありません」 沖田が一歩前に出た。 セイはびくりと体を揺らす。 これって・・・ 「神谷さん、私と」 「なんだ、神谷と沖田さんか?」 沖田が決定的な何かを言いかけた瞬間、二人の後ろから声が聞こえた。 「さ、斎藤さん?」 「斎藤先輩?」 二人が同時にそちらを向くと、そこには斎藤が立っていた。 「斎藤さん、何やってんですかっ」 怒っているのか恥ずかしいのか、沖田は顔を真っ赤にした。 「何って、今日は祐馬の月命日だろう。シーズンオフでないとなかなか来られないからな」 そう言って斎藤はすたすたと二人の間を通り、手にしていた花を花立てに生けた。そしてポケットから線香を出し、ライターで火をつけて供えた。 「わざわざ来てくださったんですか?ありがとうございます。兄も喜びます」 セイは心底嬉しそうに斎藤へと礼を言った。 「同じスクールに通っていたんだ、当然だろう」 手を合わせた後、斎藤は立ち上がって墓石に向かって静かに言った。 「祐馬、心配するな。お前の妹はこうして立派にやっている。そして俺たちがついている」 斎藤はセイの肩をぐっと引き寄せた。セイは一瞬よろけたが、しっかりと足を地に付けて墓石を見つめた。 沖田も何かを誓うように視線を墓石に向けた。 「さてと、あんたたちこれからどうするんだ?」 斎藤が無表情のまま沖田とセイに話し掛けた。 「えっと、その・・・」 「これから高速で戻って、沖田先輩が予約してくれたレストランに行くそうです」 言いよどんでいた沖田に代わり、セイが答えた。沖田は空を仰ぎ見る。 「そうか。丁度いい、3人で打ち上げ代わりに、俺も混ぜてもらおうか」 斎藤はフッと僅かに笑った。 「ええっ、・・・でも、予約ですし・・・」 沖田の声が段々と小さくなる。 「今から電話すれば一人くらい何とかなろう。電話番号は?」 斎藤が、視線を沖田の腰のポケットに突っ込んである携帯に移した。 沖田がじーっと斎藤を見遣るが、斎藤も負けじと視線を返した。 じりじりと目だけで押し合う二人の間でセイは冷や汗を流す。何でこんな雰囲気に・・・。 「・・・はい」 沖田が根負けした形になり、しぶしぶ携帯を開いた。そして予約先のレストランに電話をいれ、一人増やして欲しいことを告げた。 斎藤はその電話番号をもらい、自分の車のカーナビに入力して行き先を指定した。 「あれ、斎藤さんも新しい車ですか?」 沖田が斎藤の車を見て気が付いた。 「そうだ。フンパツして古川さんにあちこち改造を・・・」 ・・・この男もか。 いささかゲンナリするセイを尻目に、男二人は車談義に花を咲かせた。 「そうだ神谷、こちらの車に乗ってみないか」 たっぷり15分は話しただろうか、斎藤がくるりとセイに向き直った。 「え」 「斎藤さん、今日神谷さんを誘ったのは私なんですけど」 抗議の声を上げる沖田を無視して斎藤は話を続けた。 「今日発売されたお前が好きなアーティストのアルバムのCDを入れてきた。どうせ祐馬の墓参の事で忘れていただろう。丁度店に着く位の時間で聞けるから、よければ」 「うわぁ、本当ですか?是非!」 セイが破顔して答える。 「え、え、神谷さん?」 沖田が止めようと手を伸ばした。 「沖田さんの車にCDプレイヤーが付いているならCDを貸してもいいが」 きらりと斎藤の目が光る。 それは故意だ、絶対に。 うっと言ったきり黙ってしまった沖田を置いて、斎藤とセイは走り出した。 沖田は一人寂しく車に乗り、アクセルを限界まで踏み込んで高速を走っていった。 レストランでの食事は和やかなものになった。 霊園でした車の話がよかったのか、沖田と斎藤の新車のことを中心に盛り上がり、とげとげしい雰囲気は微塵もなかった。 コース料理もいい味だったが、食べ放題のデザートもとてもおいしく、沖田はあれこれと手を出して満足そうだった。 斎藤とはレストランを出たところで別れ、沖田はセイのマンションへと車を走らせた。 エントランス前に着くと、自分が先に下りて助手席のドアを開けた。 「沖田先輩、今日はとっても楽しかったです。お墓参りも一緒に行っていただいて、ありがとうございました」 セイはぴょこりと頭を下げた。 「いいえ、私もご一緒できてよかったです。こちらこそお付き合いいただいてありがとうございました」 沖田も軽く頭を下げる。 「あ、そうそう」 セイが思い出したように切り出した。 「お墓の前で何かいいかけましたよね、先輩」 それは何だったのかと、セイは言外に問い掛けた。 沖田は言葉に詰まった。 今言ってしまおうか。そもそも今日の目的はそれだったはずだ。 今なら斎藤もいない。 「・・・いえ、いいんです」 沖田はふうっと溜息を吐き出しながら告げた。 「男の世界で走るあなたを心配している、とだけ言っておきます」 そして手をセイの頭にポンと乗せた。 「じゃあおやすみなさい」 沖田は車に乗り込んだ。 「おやすみなさい、また明日、クロタニで」 セイも返事をして、一歩後ろに下がった。 もう夜なので、うるさくならないように気をつけてアクセルを踏む。 カーブを曲がる前にちらりとバックミラーを見ると、セイが手を振っていた。 沖田も軽く手を振ると、すいっとその姿を暗いカーブの向こうに滑らせた。 もう一度ミラーを見た。 曲がったから当然そこにもうセイの姿は見えない。 体の力が抜けるのがわかる。まるでレースの時のように緊張していたらしい。 たかが告白ぐらいでこれとは、と、思わず笑いが漏れる。 目の前の信号が赤に変わった。 まったくノッキングなくブレーキを踏んで止まる。 あと少しだった。 あと少しで今日の目的を達することができたのに。 最後の最後でそのチャンスを自ら放棄してしまった。 これがレースだったら迷わず突っ込んでいけるのに。どうしてこんなに臆病な気持ちになるのだろう。 「まったく・・・」 沖田は自分自身を叱咤した。 このままでは“神谷杯”争奪戦に生き残る事はできない、と。 信号が青に変わった。 後ろからクラクションを鳴らされて、沖田ははっと気が付き車を発進させた。 その青信号の向こうにあって欲しいのは、彼女の笑顔。 次にはもう、逃しはしない。 |