|
「う、えっ、えっ」 「いつまでも泣いてんじゃねぇよ」 「だって、ひっく、だってとしぞうさん」 長々としゃくり上げる宗次郎を、歳三はうんざりしたように見下げた。 夕闇迫る時刻にいつまでもグズグズしていたくはない。 さっさと歩いて目的地に着くに限るのに、このガキは。 ALWAYS行商が続いて、久しぶりに会いに行ったら勝太は留守だった。 日野まで出稽古に行ったと試衛館を守るお栄は言った。今日中には戻るという話だった。 歳三は、勝太に今回の行商先であったあれこれを語りながら、夕飯に与ろうと思っていた。 そこでふと歳三は思いついた。 もう一箇所、日野に行く道筋に石田散薬を届ける場所があった。 道中、通る時で構わないと言われているから明日でもいい。が、何となく勝太の顔を早く見たくて、それを口実に勝太を迎えに行く事にした。 お栄に出かける旨を伝え、懐に散薬の袋を突っ込んで道場を出ようとした時だった。 庭を掃除中で箒を手に持った宗次郎がこちらをじーっと見ている。 「なんだソージ」 「宗次郎です」 「どっちだって変わりゃしねえよ。人様睨み付けて何の用だっつってんだ」 端から見れば睨み付けているのはお互い様だ。 そのまま暫し睨み合いが続いた後、宗次郎がぽつりと口を開いた。 「若先生を、お迎えに行くんですか」 「あ?ああ」 歳三が返事をした瞬間、宗次郎の目に羨望の色が宿った。 ははぁ、と歳三は眉を動かした。 こいつも出稽古の間、勝ちゃんに会ってねえから会いてぇんだな、と。 宗次郎はこの試衛館に来てから勝太に私淑していた。女所帯で育ってきた宗次郎が初めて経験する男所帯。日々恐ろしい空気を発する道場。そして お栄の執拗な“教育”。そのすべてを受け止めてなお、宗次郎が下働きとして懸命になれるのは勝太の存在のおかげだった。勝太がいると思えば何でも耐えられた。 しかし勝太が出稽古などで家にいないとなると、宗次郎はたちまち心細くなり、いつもはしないような失敗もやたらとしていた。結果、お栄にいつも以上に叱られてしまうのである。 そんな時こそ勝太の姿が見たい。たとえあの大きな手で頭を撫でてくれなくとも、勝太の姿を見るだけで元気が沸いてくる。 無性に勝太に会いたい――― いつもは宗次郎のことを子ども扱いして止まない歳三だが、今、勝太に会いたいという気持ちがある点では同列だった。 宗次郎の視線の意味は充分すぎるほどわかっている。 このままいじり倒して「じゃあな」と一人日野に向かう道を歩くのは簡単だ。むしろその方が早く勝太と合流できるだろう。 だが、たまにはいいかと滅多に無い仏心が顔を出し、お栄を言いくるめて宗次郎を連れ出したのだった。 正午を過ぎ、西に傾きかけた太陽を前に見ながら歳三はすたすたと歩く。 宗次郎はその後ろから、倍もある歩幅を埋めようと必死になって早足でつけてきた。 肩越しに宗次郎の表情を見ると、余りにも真剣なのが笑える。 にやりと嫌な笑みを浮かべ、歳三は一層足を早めた。 宗次郎は歳三が速度を上げたのに気づかない。 ただ懸命に歳三の後を離されないように歩く。いや小走りと言うべきだろう。 なかなか長く付いてきていたが、そのうち疲れて立ち止まるだろうと思った歳三は、速度を保ったまま振り向かずに歩いていった。 遅れまいとそれだけを胸に、宗次郎は足を動かした。そうこうしているうちに足は惰性でどんどん先へ出る。自分が田んぼ道の端っこを歩いているのにも気が付かずに。 「あっ」 ずるりと滑る音と短い発音の声がした。続けてざくざくっと草の上を転がる音。 気が付いて歳三が振り返った時にはもう、宗次郎は畦を転がり落ちていた。 「宗次!」 歳三は、やり過ぎたと思った。 大人の自分の早足に九つも下の少年がいつまでも追いついて来られるわけもなかった。そろそろ意地悪は止めて歩幅を合わせてやるべきだったのだ。 宗次郎がついてくるからと意地を張ったのがいけなかった。 田んぼの下まで落ちていった宗次郎は、大きな怪我こそしていなかったが足を軽く捻っていた。 歳三に引っ張り上げられたが、歩けるか歩けないかの微妙な具合。 とりあえず歳三に応急処置をしてもらう。 膨れ始めた足首に細く裂かれた手拭いが巻かれていく。それを眺めているうちに、宗次郎の目には涙が溢れてきた。 「ふ、ふええ」 「泣くな、これしきのことで」 オトコだろ、と歳三は諭す。心の中の罪悪感を払拭するように。 嗚咽しながら宗次郎は言った。 「い、いたいのはがまんします。でっ、でもっ、これじゃあとおくまで歩けません」 「泣くな」 「それに、足をけがしたら、しごとができませんっ。そし、そしたら、またおかみさんにおこられ、ます」 宗次郎は涙ばかりか鼻水までも垂らしている。 「そんなんじゃ、いけない、のに、う、えっ、えっ」 「いつまでも泣いてんじゃねえよ」 「だって、ひっく、だってとしぞうさん」 宗次郎はしゃくり上げる合間に歳三を見た。 明らかに不機嫌そうな目付き。 太陽が遠くの山の端へとそろそろ近づいてきている時分に、田んぼ以外何も無いこんなところで長居はしたくないだろう。 歳三が歩き始めたらついていくつもりだが、さっきのようには歩けないと思う。 「仕方ねえなあ」 歳三は溜息をつき、前に伸びる道を見つめた。その先にはまだ目当ての家は見えない。 「ほら立て」 そして、ぐいと宗次郎の腕を掴んで立たせる。宗次郎は足の痛みに顔を歪めた。 これからどの位歩くのだろう。 歳三のあの早足についていけるのだろうか。 宗次郎がそう思ったその時、両脇に手を差し込まれ、ふわりと体が宙に浮いた。 驚く間もなく固い感触を尻の下に感じる。 宗次郎は歳三の肩に乗せられていた。 急に高くなった視界とまぶしい太陽の光に目眩がする。 「うわっ」 宗次郎は慌てて歳三の頭にしがみついた。 「おっとっと。・・・かっちゃんに会うまでだからな」 歳三がよろけながら言った。 姿勢を安定させ前を向いた宗次郎の目に飛び込んできたのは、金色の稲穂が揺れる波の風景だった。 さわさわと静かな音を立て、風に逆らうことなくしなやかに頭を垂れる、黄金の波。 宗次郎は、風の動きに合わせて寄せては返すそれをいつもよりも高い視点から見て、感嘆のあまり声も出なかった。 「すごいか」 歳三が聞いた。 「はい」 頬を紅潮させて宗次郎が答える。 「お前もデカくなったら自分で見られるぞ」 ははっと笑って歳三が言った。 「私もこんなに大きくなれるでしょうか」 肯定の答えを期待して宗次郎が問う。 「あ?さあな、チビはチビのまんまかもな」 宗次郎の尻の下で歳三は意地悪く肩を振るわせた。 「歳三さんは、もう!」 否定の言葉でかわされた宗次郎は、悔しくて歳三の頭をぽかぽかと殴った。 「いてっ、ソージ!てめぇ!」 歳三は、頭の上の蝿を追い払うように宗次郎の手を追った。 その手と格闘していると、道の遥か向こうから誰かが手を振るのが見えた。 「あっ。・・・若先生!」 宗次郎が咄嗟に叫んだ。 その声に弾かれるように歳三は宗次郎を肩から放り投げ、未だ遠い影に向かって走り始めた。 「かっちゃーん!」 「トシ!やっぱりトシか!」 歳三は息を切らして勝太の側に駆け寄った。 勝太は出稽古の道具を背負い、のしのしと歩いてきた。 「迎えに来てくれたのか」 「あたぼうよ」 歳三は鼻の下を人差し指でさらいながら答えた。 「若先生ーっ」 遠くから宗次郎がひょこひょこと歩いてくる。 「宗次郎、どうした」 足を若干引き摺りながら歩いてきた宗次郎の様子を見て勝太は聞いてきた。 「歳三さんに肩からふりおとされました」 じろっと歳三を睨み、宗次郎が口を尖らせた。 「トシが?」 宗次郎の言葉に、勝太は歳三を見遣る。 「いや違うんだかっちゃん、コイツが足をケガしたのは」 「ふりおとしたもん」 勝太の後ろにさっと隠れ、宗次郎はびーっと舌を出した。 「本当なのか、トシ」 いささか眉を寄せて勝太が尋ねた。 「違う、コイツが田んぼに落ちやがったんだ、それで」 歳三は誤解を解こうと必死になった。 「肩車からふりおとしました」 間髪入れずに宗次郎が呟く。 「トシ・・・大人げないぞ」 勝太が諌めた。 「だーかーら違うって!ソージ!この野郎」 歳三は勝太の後ろに隠れている宗次郎をぎっと睨み付けて手を上げた。 「若先生ぇ」 宗次郎は勝太の袖をぎゅっと掴み、涙目で勝太を見上げた。 「トシ」 勝太は宗次郎の視線を受け止め、歳三の名を呼んだ。 歳三はもう黙るしかなく、振り上げた拳をそろそろと降ろすことになった。 歳三が道具を持ち、勝太が宗次郎をおぶった。 初めは嬉しそうにつかまっていた宗次郎だが、しばらくすると背中ですうすうと寝息を立て始めた。 それを見て勝太と歳三はくつくつと笑った。 「子どもだ子どもだと思っていたがよ、かっちゃん」 宗次郎が怪我をした経緯を説明した後、宗次郎を起こさないように小声で歳三が呟いた。 「ん?」 「こいつ、いい根性してやがるぜ」 と、来る道々の宗次郎の早足について語った。 「そうか、トシは宗次郎を気にかけてくれてるんだな」 えくぼを作り、勝太が笑った。 「そ、そんなんじゃねえよ。俺はただ・・・」 かあっと赤くなり、歳三は横を向いた。 「これからも宗次郎をよろしく頼むぞ、トシ」 勝太は片手だけで宗次郎を支え、空いている手で歳三の背中を叩いた。 違うと繰り返し否定する歳三だが、勝太はそれが照れ隠しであることを充分に承知していた。 日が暮れかけた頃、三人は試衛館に着いた。 眠っている宗次郎を見てお栄は一瞬まなじりを下げたが、すぐに夕飯の支度をすると言って奥へ下がってしまった。 どんなに辛く当たっていても、幼い子どもの寝顔はかわいいものである。 勝太は宗次郎の布団を敷き、横たわらせると夕餉を取りに行った。 宗次郎は幸せな夢の中にいた。 大好きな勝太と、いつもは怖い歳三と三人でどこかへ出かける夢。 きらきらと光る実った稲穂の波を左右に見ながらどこまでもどこまでも。 この幸せな夢がいつまでも続くといいと、宗次郎は眠りながら微笑んだ。 |