久遠の空 会津Haaaan!!!

会津Haaaan!!!




「・・・沖田はまたおらぬのか」
 木の床を軋ませて、山本覚馬は講釈所に隣接する学校奉行所から出てきた。


 ここは関八州の北、会津藩。藩校の日新館である。
 鶴ヶ城(正式名称は若松城)の西に、東西百二十間、南北六十間、七千二百坪、サッカーコートなら約三面分という広大な面積を擁し、威風堂々たる建物が並ぶ。藩士の子弟が十歳になると入学させ、 前途洋洋たる若者達を育成するのがこの学舎の目的である。

 山本覚馬も若かりし頃、この日新館で学んだ一人だ。砲術師範の林権助に伴われ江戸で学び、会津に戻ってからは日新館で砲術の師範をしている。
 「まさかこちらにもおるまいな・・・」
 山本は別棟の縁側を上がり、子ども達の喧騒が聞こえる部屋の前へやって来た。
 「邪魔をするぞ」
 一声かけるとすっと障子を開いてその中に入った。

 中では十人ぐらいの子どもが各々本を広げていた。
 山本の姿を認めると子どもたちは騒ぐのをやめ、即座に畳に手を付いて頭を下げた。
 「よいよい、勉強を続けなさい」
 山本は笑って子供たちに話しかけ、その部屋で子どもたちの指導をしている師範に目配せをした。
 沖田勝次郎―子どもたちの学ぶ素読所の師範―は子供たちに各自学習するように言った後、山本とともに廊下へ出た。



 まもなくやってくる夏を思わせるような眩しい日差しである。
 木々の緑も濃くなり、半円を描く池にその影を落としていた。

 「沖田殿、ご子息はいずこか」
 山本は縁側に腰掛けた。
 「あれ、来ておりませんか。朝は起こしたんですけどねぇ」
 続けて勝次郎も腰を下ろす。
 「あれ、ではござらぬであろう。午前の学科の授業には殆ど出席しておらぬではないか」
 相手の暢気な話し方に溜息を漏らしながら、山本は額を押さえた。
 「大体剣術ばかりで他のことはさっぱりだと聞いておるぞ。入学してから素読所には顔を出すことも稀で、武術科ばかりに通っているそうだな」
 「何だかそのようで」
 山本の口調が段々と鋭くなってきたが、勝次郎はにこにこしながら聞いている。
 「そなたの前の師範に聞いたところ、素読所では第四等をやっと終えたら出席がぱたりと止んで、大学の者たちに混じって竹刀を振るう毎日であったとのことだぞ」
 「そうらしいですねえ」

 素読所とは、入学したばかりの子弟がまず初めに勉学を行う場所である。
 十一の経(書)を、意味をとらずにただ音読するのが初等である第四等の課題で、読めるようになれば考試(試験)なしで次の第三等に進む事が出来る。
 第三等から最上級の第一等までは十一経を読み込んで内容を理解したり、別の書物を加えたりしてさらなる邁進を図る。
 勝次郎の息子はどうやらその最下級を“やっと”終了した時点で素読所を休んでいるようだ。

 「おかげで刀術では十五にして目録、今では師範ですら適わぬ程の腕前らしいな」
 「そうでしょう?」
 話の腰を折り、勝次郎は身を乗り出した。
 「私がこんなだから、あの子には絶対に剣術に強くなってほしいと思ってこーんな小さい頃からあちこちの稽古場に通わせたんです。 幸いあの子には才能も備わっていたようでぐんぐん伸びて本当に親として」
 勝次郎は地面から自分の腰辺りの高さまで掌をかざしながら喋った。

 「勝次郎殿」
 今度は山本が勝次郎を遮った。思わず口を噤んでしまうほどの気迫を露わにして。
 「・・・よろしいか勝次郎殿、小学は第四等さえ終了すればそれでよいわけではござらぬ。入学と同時に仕付方で礼法を学び、 十三になれば講所で書学を学び、十四になったら馬や武術の修行に入る。そなたの子息は前ふたつをすっ飛ばして武芸ばかりに 目を向け、侍として会得しなければならぬことを疎かにしておる」
 真剣な、諭すような眼差しで山本は続けた。
 「存知ていると思うが、私は近年まで江戸で学び、様々な人、様々な物に接してきた。洋式調練を藩内に取り入れたのも、 それが有用であると思ったからだ」
 黙って聞いている勝次郎も、口元には笑みを浮かべてはいるが目は真剣になった。
 「これからは侍もよく学び、研究し、本当に文武に優れた者になるべきだ。頭がいいだけでも、武に秀でているだけでも いかん。知の力でこの世を渡り、武の胆力で敵と相対せねばならぬ」
 山本の思考は遠く深く、この日新館だけではすでに収まらなかった。
 「この会津にも、そして江戸の藩邸にも蘭学を学べる学舎を建設する。これからは蘭学の時代だ。学ばねば諸外国に飲み込まれてしまう」
 ふーと嘆息し、山本はごそごそと懐に手を入れた。
 「そなたの子息なら技量もあるし、親父譲りで人付き合いもよい。これで学問もしてくれたら将来が楽しみなところなのだが・・・」
 山本は腕を組んでちらりと横目で勝次郎を見た。
 勝次郎は自分の息子のことを言われているとは思えない笑顔で山本を見ている。

 後ろで閉められている障子の奥から子供たちのざわつく声が聞こえ始めた。
 日新館では子供たちが授業中に取っ組み合いを始めても、余程にならなけらば師範が止めに入ることはない。 侍の卵たちにとって、まず最初のライバルは身近な友だ。闘争心を養うために喧嘩や多少の争いごとは必要だったのだ。
 「子供たちを見ていると、私、思うんですよ」
 よっこらしょと立ち上がり、勝次郎は伸びをした。
 「天は二物を与えず、っていうのは本当なんだなって。それが個性であり、その子の持ち味なんです」
 どすん、ばたんと投げ飛ばす音が聞こえたところで、勝次郎は失礼と言って戻っていった。

 取り残された山本は組んだ腕を解き、ぐっと伸びをした。
 胸一杯に息を吸って、吐こうとしたその瞬間、降参したような困ったような感情が口の端に上った。
 「個性か・・・」

 空はどこまでも青かった。

 障子の中からは勝次郎の声が聞こえてきた。喧嘩をしていた特定の誰かを諌める言葉はなく、武士としてその闘争心を むしろ褒めていた。だが行き過ぎないように釘は刺している。子供たちが素直に返事をする声が短く響いた。
 勝次郎は子供を伸ばすのに長けていると山本は思った。それがもっと自分の子供に向いていたら、とも。

 山本はしばらく青い空と遠くに見える山の端がかち合う辺りを眺めていた。
 やがて昼時になり、各部屋からぞろぞろと子弟たちが出てきた。
 山本はその人ごみの中から目当ての人物を見つけると静かに立ち上がり、声をかけた。

 「富永、すまんがまた頼まれてくれ」






 鶴ヶ城の内堀と外堀の間を郭内、外堀の外側を郭外と呼ぶ。
 郭外にある小さな寺の境内に富永清三郎はやって来た。
 藩校で飼っている白馬に乗って来た清三郎は馬から下りて手近な木に馬を繋いだ。そして境内へ向かって歩いて行く。そこには鳩が群れをなして集まっていた。
 清三郎はゆっくりと群れに近づき、その中心に座り込んでいる人影があるのを確認した。

 「沖田様」
 清三郎はその人物の名を呼びながら近づいた。
 「あ、富永さん」
 沖田と呼ばれた影が振り返った。
 「まったく、いつもながら何をなさっているんですか」
 石畳を踏みしめて汗を拭きながら清三郎はあきれたように息を吐いた。
 「もう時間ですか、いつもすみません」
 へらへらと笑いながら沖田は答えた。

 先ほどの沖田勝次郎の長子、沖田総司である。
 禄はそれほど高くは無いが会津藩士の子息として生まれ、武士として大事な剣術の腕前に長けており温厚な人柄で人望も厚い。
 特に子どもたちに好かれるのは父親の影響なのか、よく城下に出ては一緒になって遊んでいる。

 しかし剣術以外にはとんと無頓着なところがあり、勉学に対しては特にその傾向が強いようだった。
 最低限のところだけを会得した後は授業を欠席して、午前中は今のように境内で鳥に餌をやったり、自宅で内職の手伝いや畑仕事をしている。

 「ちゃんと講義に出てくださいよ。なんだって私が毎日お迎えに上がらないといけないんですか」
 清三郎は文句を言いながら総司の横に立った。
 ばさばさと羽音を立てて、その場で餌を啄ばんでいた鳩が飛び立った。
 総司は立ち上がり、袴の裾を軽くはたいた。
 「いいじゃないですか、私を迎えに来たら富永さんも楽でしょう?」
 「どこが楽なんですか」
 「だって、藩校に女子だなんて、好奇の目で見られまくりじゃないですか」
 総司の答えに、清三郎はぐっと言葉に詰まった。


 富永清三郎は女子である。
 本名は富永セイと言う。
 母・父・兄を病気や火事で相次いで亡くしたところを、父と仲の良かった山本家に引き取られた。
 山本覚馬の元、彼の妹と共に教育を受けたセイは、女だてらに学問にも武芸にも秀で、父の跡を継ぎ医者になることを夢見ていた。
 日新館の医学寮にて学びたいと覚馬に申し入れ、女子だから駄目だと言われると月代を剃り、これなら文句はないでしょうと言ってその場に正座し、 さらに自分は今からセイではなく清三郎と名乗ることにすると言って、聞き届けられるまで動かなかったそうだ。
 セイの行動に度肝を抜かれた山本は手を尽くし、特例中の特例をもってセイの日新館入学は許可された。
 その甲斐あってセイは日新館で医学を学ぶ事ができ、日々勉学に励んでいる。

 入学すれば、女子が・・・と言う目で見られるのは必至だった。
 この時代は言うまでもなく男子の方が格上だ。女子に学問など必要無い。そこを押し切って藩内最高学府の日新館に入学してきたのだから、世間の風は冷たかった。
 これまで日新館に女子が入学した例は皆無だった。
 だが文武の両方に女子らしからぬ腕前を見せる清三郎に、多少ながらも理解者は現れた。
 この場にいる総司もその一人である。


 「覚悟していましたから別に気にしてません」
 清三郎はぷいと横を向いた。自分がどのように見られているのかは、自分が一番良くわかっている。
 「だからこうして、次の講義までの僅かな間でも外に出れば気が晴れるでしょう?」
 総司は清三郎の視線を追い、彼女の顔の前に出た。
 「余計なお世話ですっ、そんなことより日新館へ戻りますよ!」
 顔を赤くしながらぐいと総司を押しのけて、セイは寺の外に繋いである馬のほうへと足を進めた。
 「はぁーい」
 総司も仕方なさそうに返事をしてその後ろに従って行った。


 「私が前に乗りますから沖田様は後ろへ」
 清三郎はひらりと馬に飛び乗り、総司を見下ろして言った。
 「いいですよ、私が」
 手綱を握りますからと総司が言いかけたのをセイは阻止した。
 「駄目です、前にそれで飯盛山の方まで勝手に駆けられて。あの時は私まで師範に怒られたんですからね」
 どうやら以前に総司を迎えに来た時に手綱を任せたら、遠くまで連行されてしまったらしい。
 「ええー、もうあんなことしませんよ」
 総司は心外なという顔をしたが、セイにぎろりと睨み付けられ、肩を竦めて大人しく馬上の人となった。

 馬はやや早足で駆けて行く。体を通り抜ける風が心地良い。
 「気持ち良いですねえ」
 総司は清三郎の背後から声をかけた。
 「そうですね」
 清三郎も総司の言葉に先ほどの剣呑な雰囲気を崩して答える。
 「このまま遠出したいですねえ」
 総司が笑いながら冗談口を叩いた。
 清三郎もそれは分かっているので、いちいち突っ込まずに苦笑いで返した。



 ところが、次の瞬間。


 「あ、富永さんのカラダ、いい匂いしますねー」
 総司が清三郎の襟に鼻を近づけた。
 「えっ、ちょっ!」
 こそばゆい感覚にセイが己の襟元に手をやった。
 「それにこう、手を回した感じもふわふわしてるし」
 掴まるために腰に回されていた手を組み直し、総司はセイの背中に体を預けた。
 「富永さんってなんだか気持ちいいです」

 ぴきりと清三郎は固まった。
 清三郎が動かなくなったのを察して馬も止まった。
 「・・・富永さん?」
 総司がセイを覗き込んだ。

 はっと気が付いた清三郎は、すぐ近くに総司の顔があるのに気がついた。
 「いやー!」
 セイは己の腰にある総司の手をものすごい勢いで振り解き、そのまま総司をどんと突き落とした。
 不意を付かれて総司は落馬した。
 「っ痛い!富永さん、何するんですか〜」
 総司はしたたかに打ち付けた腰の辺りをさすりながら、馬に乗ったままの清三郎を見上げた。
 「講義を欠席し続けてるなんて変人だと思ってましたけど、それ以上に、人のにおい嗅いだりする変態だとか、体を触る助平だとは思いませんでした! 最低ですサイテー!」
 清三郎は涙目で総司を睨み付けると馬腹を蹴った。

 「あっ、待ってください富永さん!」
 散々変人だの変態だの助平だのと罵られたが、この男、まったくそんな気はない。
 剣術以外には本当に無頓着なだけなのだ。
 誤解ですと言いながら立ち上がって清三郎を追いかけようとしたその時、



 清三郎の乗る白馬の蹄が、総司の額に見事に命中した。




 日新館に戻った清三郎は、厩へと馬を戻すと医学寮へと入った。
 そして午前中に読んでいた医学書に載っていた薬の調合を始めた。
 薬研に数種類の効用ある草を入れ、力任せに円盤をごりごりと押す。

 まったくどいつもこいつも、オトコって奴は。


 そこへいつも清三郎をからかっている年若い藩士の子弟がやって来た。
 同じく医学を志す、そこそこの身分の家の三男坊であるが、清三郎が女子であることをちょくちょく冷やかしている。
 今日もいつもの調子で清三郎に話し掛けてきた。

 「よう富永、女子の癖に今日もご苦労さんだな」
 にやにやと薄笑いを浮かべて、その男は清三郎の背後に立った。
 「いい加減、医者の真似など止めてやめておとなしく・・・うわっ!!!」

 彼はくだらない戯言を言いかけた途端に宙を舞い、背中から畳の上に落ちた。
 清三郎がその男の襟を電光石火の早業で掴んで投げたのである。

 「うっ・・・富永きさま・・・えっ?!」
 清三郎に掴みかかろうと体を起こした彼の首元には、銀色に光る細長い金属が当てられていた。
 「と、富永・・・」
 「貴方も医師を目指すものならご存知でしょう。これは覚馬様から戴いた、メスという西洋の医療器具です」
 首筋に、しかも頚動脈にぴたりと正確にメスが当てられているのを感じた男は恐怖に駆られて震え出した。
 「どの程度の切れ味があるのか、今ここで試してもよろしいでしょうか?」
 さらにぐっと冷たい感触が首の皮膚に伝わるのを感じて、男は小さく悲鳴を上げ医学寮から走って逃げていった。

 廊下には興味本位で中を覗いていた者たちが屯していた。
 「何か?」
 それに気が付いた清三郎は、メスと眼光を同時に光らせて観衆を威嚇した。
 紛れも無い殺気に身を竦ませた彼らは、蜘蛛の子を散らすようにそれぞれの稽古場へと去っていった。




 その日以来、日新館では誰も清三郎を女子扱いして揶揄するような真似をしなくなった。
 腰の痛みと馬に蹴られた額の痛みが引いてきた頃に出席してきた総司は、歩き方と額の跡を見て笑う仲間に、
 「いや、ちょっと富永さんと・・・」
 といいかけた瞬間、その場にいた全員が凍りつくのを見て首を傾げた。



 「ねぇー富永さぁん」
 「変人と変態と助平は近づかないで下さいっ」
 相も変わらずと言うか懲りずにと言うか、総司は清三郎に付きまとっている。
 すでに他の子弟たちを“シメた”清三郎にとっては鬱陶しいことこの上ないが、当の総司にして見れば清三郎を守っているつもりである。

 山本と勝次郎は、茶を啜りながらその様子を遠目で見ていた。
 「あの二人、何とかなりませんかねぇ」
 勝次郎がのんびりとした口調で言った。
 「どうにもならんだろう、あの阿呆どもは」
 山本は少々熱過ぎる茶に溜息を吹きかけた。
 「いえ、そういう意味ではなくて、こう、いい感じに・・・」
 勝次郎の言葉の意味を理解した山本は、変な呼吸をしてしまったせいで湯気を気管に入れてしまい、激しく咽た。
 「な、何を・・・!富永は我が家で預かっている身、私の目の黒いうちはあんなちゃらんぽらんにはやらぬぞ!」
 山本は眉を吊り上げて怒鳴った。
 「あれ、そうですか」
 「当たり前だ!」
 そうですかねえと首を傾げる勝次郎を尻目に、山本はやっと飲める程度に冷めてきた茶を口に流し込んだ。


 会津藩は、今日も平和。





*参考文献
『会津藩と新選組』 『幕末会津藩』 歴史春秋社
『会津藩校日新館ガイドブック』 会津藩校日新館
『シリーズ藩物語 会津藩』 野口信一 現代書館