
セイが女子であることが露見し、総司と夫婦になった。
ふたりは新居を原田の家の隣に構えていた。
たまたまその長屋に空きが出来たので、原田が、
「住めばいいじゃん?」
と誘ったのがきっかけだった。
幹部以上は屯所の外に住居を持つことが許されているが、屯所から至近であることが条件である。
西本願寺の南、道二本を隔てたその場所は、彼らにとってうってつけの場所だった。
また、局長の近藤の妾宅とも目と鼻の先であった。
総司とセイが住み始めてすぐの頃、近藤は、原田と沖田の住居とは道を挟んだ反対側に妾宅を持ったのである。
組織の頭である局長の家を、そして尊敬する師である近藤をいつでも守ることが出来ると総司は喜んだ。
「さあ、今日も張り切っていきますかっ!」
だいぶ伸びてきたとは言え、まだ女髪を結えるほどではないセイは、頭を手拭いで覆って外へ出た。
夏場はまだ日差しが強くない早朝に動いてしまうに限る。
総司を起こす前にセイはあらかたの家事を済ませてしまうことにし、まずは家の前の掃除に取りかかった。
セイが掃除を終わらせた時、まさが隣の家から出てきた。
「おはようさんどす、おセイはん。朝早くから精が出はりますなあ」
「おまささん、おはよう! 茂君もおはよう、今日もぷにぷにだね〜」
「そうなんや、お乳をこれでもかって飲むんやで」
「あはは、食いしん坊なのはお父さん似なのかな」
「きっとそうやな。ああ、ゆうべお菜作ったから、後で持ってくわ」
「ありがとう、いつも助かる!」
「気にせんといて。うちはお千代が手伝いにきてくれてるし、おセイさんは奥様になってからも新選組で働いてはるからねえ、お忙しいやろ」
互いに夫が新選組で働いている者同士、奥様同士、お隣同士、セイとまさは何かと気が合うようで、毎日必ず顔を合わせている。
原田とまさの息子である茂は生まれたばかりで、とても元気がよく、頻繁に赤ん坊らしい鳴き声を近所に轟かせていた。
「そう言えばおセイはん聞かはった? 六道さんの幽霊の噂」
急にまさが声を潜めた。
「え? 幽霊?」
セイは目をはちくりとさせる。
「六道さんにな、幽霊が出るらしいで。もともと六道さん言うたら、“子育て幽霊”で有名やけど」
井戸端会議で聞いた話やけどな、とまさが話を続けた。
“子育て幽霊”とは、店じまいをした飴屋に毎晩女が飴を買いに来る話である。
顔色は悪く、髪も結っていない身なりの女が、一文だけ銭を持って、毎晩飴を所望しに来る。
六日間は一文銭で買っていたが、七日目には金がないので羽織を差し出して飴を買った。
不審に思った飴屋の店主が女の後をつけると、女は墓場へと消えていった。
店主がその墓へ近づいていくと、赤ん坊の声が聞こえる。
墓を掘り返してみると女は死んでいて、棺の中には元気な赤ん坊が泣いていた。
赤ん坊は六道珍皇寺に引き取られ、立派な僧侶になったというーーー
その六道珍皇寺に、毎晩幽霊が出るらしい。毎日近所の飴屋で飴も買っていく。
ただし、女の幽霊ではなく、男の幽霊だということだ。
「飴を買っていくなら幽霊じゃないんじゃないのかなあ」
セイは素朴な疑問を投げかける。
「まあ、本当かどうかは誰も確かめておらんらしいけど、話のタネやね」
まさも本気にはしていないらしく、ほほほと笑った。
「ふぎゃあ〜!」
茂が大声で泣き始める。
「ああ、もうお腹空いたん? さっき飲んだばっかりやろ?」
まさが茂を宥めるように揺する。
そこへ総司が現れた。
「おはようございます。茂君、どうしたのかな〜? お腹空いたのかな〜?」
総司は茂に近づくと途端に目尻を下げ、茂の頬をつんつんとつつく。
茂は一瞬泣くのをやめたが、またすぐに声を上げ始めた。
「泣かないで、すぐにお乳をもらえますからね」
総司はまさに視線を移し、早く茂に乳を与えるよう視線で訴えた。
「はいはい、すぐにあげますよって。ほな、おセイはん、後で」
「うん、後でね!」
まさは茂を抱いて家の中に戻っていった。
「沖田先生、おはようございます。私が起こしても起こしても起きないのに、どうして起きてきたんですか?」
セイが冷たい視線を寄越す。
「茂君の泣き声が聞こえたら起きないわけにはいかないでしょう? かわいいったらありゃしない」
総司は表情を崩し、茂とまさが消えた玄関口を見つめた。
「先生! だらしない! それでも一番隊組長、新選組最強の剣士、沖田総司ですか?」
セイが怒鳴りつける。
「最強かはわかりませんけど、いちおう一番隊組長です」
にこりと総司は笑う。
「ああっもう、朝餉にしますよ! とっとと顔洗ってきてください!」
「はいはい」
とにかく総司は子どもに甘い。隣の茂にも、ものすごく甘い。
セイは肩を落として家に入った。
西本願寺の北面にある集会所。そこが新選組の屯所である。
セイは総司と夫婦になっても屯所に通っていた。
隊費の勘定、賄い、洗濯、片付け、武具の点検など、やる仕事は山のようにあった。
戦闘部隊から外れたセイであるが、自分をここまで守り育ててくれた新選組で、まだまだ働いていたい。
そう申し出ると近藤は、裏方ならということで、セイが引き続き新選組に出入りすることを許可した。
副長の土方は、かっちゃんは身内にはとことん甘えんだからと嫌そうな顔をしたが、人手が足りないため、なんだかんだでセイを便利に使っている。
セイと総司は一緒に西本願寺へ入り、集会所の前庭でそれぞれの場所へと別れた。
セイが前庭を掃いていると、隊士たちが朝稽古のため竹刀を持って三々五々建物から出てきた。
皆、セイと挨拶を交わし、竹刀を振って稽古を始める。
その様子を、寺と屯所の境に作られた竹矢来の向こうから、じっと見つめる目があった。
「あいつ、昨日もいたよなあ」
と相田が言う。
「そうだっけ?」
山口が聞く。
「ああ、昨日もあんな風に竹矢来の向こうから、こっちをじーっと見てやがった。何の用なんだろうな」
「そうなんだ…?」
セイはその男を見る。
髪は町人風の髷を結っているが、ほつれが目立つ。顔色は悪く頬はこけ、目は落ちくぼんでいて、着ている物は遠目に見ても垢じみている。
こちらを見ている視線は緊張をはらみ、思い詰めたようなものが含まれているように感じた。
「あのっ、どうかされましたか?」
セイは男の前に進み出た。
「ひ、はいっ?」
男は竹矢来から後じさる。
「昨日もいらしてたんですよね? 新選組に何かご用ですか?」
「…お、女子が、新選組に?」
女子姿のセイを上から下まで眺め、また下から上まで眺めも戻して男が驚く。
「はい、女子ですけど新選組です! で、ご用件は?」
女子姿で屯所に出入りし用事をこなしているセイは、“女子なのに新選組で働いている”と色眼鏡で見られることにはもう慣れてしまっていた。なので、堂々と胸を張って男の前に立った。
「あ…」
男はそれ以上セイに疑問を投げかけることはなく、己の用件を思い出したようにびくりと体を震わせた。
「あの…」
男の拳が固く握られる。
「はい?」
セイは話を聞こうと一歩前に出る。
「…や、やっぱり、結構です! ご無礼いたしました!」
男は突然叫ぶときびすを返し、脱兎のごとく駆けだしてその場を去ってしまった。
後に残されたセイはきょとんとして立ち尽くす。
「何だったんだろう…私何か変な言い方でもしたかな」
「神谷、気にするなよ。お前のせいじゃねえよ」
「山口、神谷じゃねえだろ、おセイさん、だろ」
「いっけねえ。でもさ、やっぱり神谷は神谷なんだよな。沖田先生も未だに神谷さんって呼んでるだろ」
「あはは、違えねえな!」
「家でも神谷さんって呼んでるのか?」
「それは他人行儀過ぎるだろ」
「別に呼び方なんてどうでもいいですよ。さあ、稽古稽古。朝餉をとったら一番隊が朝の巡察じゃなかったでしたっけ?」
セイは皆を促し、稽古に専念させる。
ちらりと後ろを振り向いてみたが、さっきの男の姿はもう見えなかった。
しかし、彼のいた場所に、小さな紙の包みが落ちているのに気がついた。
セイは竹矢来の下から手を伸ばし、包みを取ってみる。
包みを開けてみると、黄金色に輝く飴がころころと出てきた。
「飴…?」
そこでふとセイは、今朝方聞いた“子育て幽霊”のことを思い出した。
お寺に男の幽霊が毎晩現れ、飴を買っていく。
(さっきの男の人…げっそり痩せてて髪もぼさぼさだったし、まるで幽霊みたいだった…!)
セイはピンと来て箒を投げ出し、矢のような勢いで屯所を飛び出していった。
セイは男の後を追ったが結局見つからず、六道珍皇寺までやって来た。
山門が見える道の角で人の出入りをうかがう。
(“幽霊”が毎晩現れるのなら、ここで見張っていれば必ず来る!)
セイはまなじりにぐっと力を入れた。
「こーら! 神谷さん!」
後ろからセイの頭がぽかりと叩かれる。
「あ、沖田先生」
総司が呆れ顔で後ろに立っていた。
「相田さんたちが、あなたが急に飛び出していったって教えてくれたんです。家に戻ったのかと思って行ってみたらいないし、おまささんに何か知っていないか聞いたら、朝、ここの話をあなたにしたって言うから」
「それだけでよくわかりましたね」
セイはえへへと笑う。
「で? 今更屯所に戻れって行ったところで聞かないんでしょう? どうしたんですか?」
沖田は溜息をつくと、セイに説明を求めた。
「じゃあ、その男の人が幽霊ってことですか?」
「幽霊だって噂されてる人のことじゃないかなって思ったんです。そんな男の人が、新選組に何の用事だったのか気になるんです。だって、すごく思い詰めた感じだった…」
男は明らかに何かを言おうとしていた。応対したセイにはその内容が気にかかる。
「仕方がないですねえ、そこまで言うのなら私も待ちます」
よっこいしょと総司は塀を背にして腰を下ろした。
「え、でも巡察は?」
セイは一番隊が朝の巡察に当たっていたことを思い出して焦る。
「相田さんたちに任せてきました。鉄砲玉のあなたを放っておくなって、鬼副長のご命令つきで」
総司はこともなげに言い、山門に目を向けた。
辺りは橙色の夕焼けに包まれ、夜の色に姿を変えていく。
すっかり暗くなった頃、くだんの男が歩いてきた。
足元は疲れでおぼつかず、ふらふらとした様子はまるで幽霊のようだった。
今朝と違うのは、男が旅姿だったこと。
男は山門をくぐり、祈りを捧げると、がっくりと肩を落としたまま出てきた。
「あの、すみません!」
セイが角から飛び出し、男の前に立つ。
男は驚いて目を丸くしたが、セイが朝に出会った女子の新選組隊士だとすぐにわかったようで、ぺこりと頭を下げてきた。
「朝、竹矢来のところにいた人ですよね? どうして新選組のほうを見ていたんですか?」
セイの問いかけに、男は視線を下げる。
「何か言いかけてたじゃないですか、理由があるんですよね?」
セイは更に詰め寄るが、男はびくびくとして口を開かない。
「私は新選組一番隊組長、沖田総司と申します。こちらは私の妻です。もしあなたが新選組に用があるとおっしゃるのなら、私も聞く責務があります。話してはくださいませんか?」
総司が横から口を挟んだ。
総司の言葉にもう黙っていることは出来ないと観念したのか、男はがくりと膝を折って話し始めた。
「実は…私は入り婿でして…妻の実家の太物問屋を継いだのですが、折からの物価高で商売がうまくいかず、店を潰してしまったのです」
ここ数年、外国との貿易による物価の変動には、日本中が翻弄されていた。
洋銀、つまりドル貨が日本に流入し、質の悪い洋銀と質のいい日本の銀との両替によって、外国が莫大な利益を獲得出来たこと。
さらには来日した外国人が日本の珍しい物を高値で買い取ったため、交易品以外のものまで買うかもしれないと、利をむさぼる商人たちがありとあらゆるものに高値をつけてしまい、市井の人々の生活にもその値段が入り込んでしまったことも原因だった。
そんな中でこの男は商売をうまく波に乗せることが出来ず、店を駄目にしてしまったのであった。
「妻や妻の実家は私を責めることなく、仕方がないと慰めてくれましたが、生活はどん底で…いっそ新選組にでも入って命のやり取りの中で死んでしまおうかと思ったのですが、どうせ算盤をはじくことしか出来ない私はその勇気も出ず…」
男はしくしくと泣き出す。
「子どもが一人いるのですが、そこの店の飴がとても好きで…残った金で毎日飴を買ってやりましたが、もうその金も残っておらず…こんな私など、旅で行き倒れてしまおうと…」
ついに男はわっと声を上げ始めた。
しばらくの間、セイと総司は男が泣いているのを見下ろしていた。
男がやっと落ち着きを取り戻すと、セイは男を立たせる。
そして、
「新選組をなめるなー!」
と叫ぶといきなり拳で殴りつけた。
男は呻いて地面に叩きつけられた。
「新選組はね、死ぬところじゃないんです! 生きて生きて生きて、上様のお役に立てるよう、近藤局長を筆頭に命を張るところなんです! 簡単に命を捨てるような奴が来るところじゃありません!」
ぐぐっと拳を固め、セイが息を切らす。
セイは新選組の前身である壬生浪士組の結成直後から所属しているから知っている。
新選組にいる男たちは、誰もが死を望んでそこにいるわけではない。
公儀のため、天下のため、そこから繋がる市井の平和のために働いているのだ。
だからセイには許せなかった。目の前の男があまりにも命を軽く見積もっていることを。
「し、しかし…私はもう家族も養えない駄目な男なんです! 勇気すらもない私には、もう生きている価値もないんだ!」
男は唇の端から血を流していた。
「…あなたにはご家族がいらっしゃるんですよね」
総司が男に懐紙を差し出す。
「だったら、それこそ命を賭けてもまだご家族を養っていかねばならないんじゃないですか?」
「でも、私は品物も金も、全てを失ってしまって何も残っていない。もう一度何かを始めることも出来ないんですよ?」
男はくくっと自嘲した。
そこへ、
「あなた!」
夕暮れを背にして、女と子どもが走り寄ってきた。
「お前…」
「やっぱりここに…あなた、そんな格好でどこへ行くつもりなんです? 私とこの子を置いて」
女はひしと男に抱きついた。どうやら妻と子どもらしい。
「私はお前の親からもらった店を潰してしまった。あがなうことも出来ず、もう消えるしかない」
「いいえいいえ、両親もそのことはもういいと言っているではありませんか!」
「入り婿のくせに面目ないと、お前のご両親には伝えておくれ」
「あなたが生きていてくれればそれでいいと…私も両親も思っているのに…」
男と女は涙ながらに会話を紡ぐ。
ふたりの会話が途切れたその時、
「とうちゃま…」
と、子どもが男の着物の裾をぎゅっと握った。
家族は何も言わず、互いの肩を固く組んでその場に崩れ落ちた。
セイも目から零れ落ちる涙を止めることが出来ない。
総司はセイの目にそっと、懐の手拭いをあてがった。
男はセイと総司に連れられ、新選組の屯所を再訪した。
そして副長直々に面会を許され、震えながらも新選組の隊士として働かせて欲しいと願い出たのである。
算盤が得意だということで勘定方に配属となった。
働いてみればまるで水を得た魚のように、新選組の金を大小細かく切り盛りしていった。
組から出る給金は、自分と妻、子、妻の両親を養っていくのにはぎりぎりであったが、家族が倹約や野菜作りなどの協力をしている。
一家の長として家族を食べさせていけることに男は喜び、家族も彼の働く覚悟に感謝したという。
「よかったですねえ」
家に戻った総司は、セイが淹れた茶を啜りながらほっと一息つく。
「やっぱり家族が一番なんですよ」
セイも隣に座り、湯飲みに手を伸ばす。
「私もそう思いますよ」
総司は湯飲みを置くと、セイに向き直った。
「守るべき家族がいるというのはいいですね。その…おセイさん」
「…沖田先生?」
「いやあ、今日あなたがいなくなった後に、一番隊の皆があなたのことを教えてくれたでしょう? その時に皆が、そう呼んであげなさいと。夫婦なんだからって」
「先生…」
「いつまでも先生神谷さんと呼び合ってるから、新しい家族が増えないんじゃないかって言うんですよ?」
「ええ? そこまで?!」
二人の手が、そっと重なる。
「隣の茂君もかわいいんですけれど、自分の子ならなおさらだと思うんです」
「じゃあ、私も先生って呼ぶのはやめないといけないんですか?」
「そうかもですね」
「……だ、だ、だだ、だんなさ」
ふぎゃあ、と原田の家から声が聞こえてくる。
「おっと、茂君が泣いてる」
総司はばっと立ち上がって玄関を飛び出した。
「…もう、しょうがないなあ、うちの“旦那様”は」
セイはおいてけぼりをくらい、くすくすと笑いながら家の入り口を見つめた。
家族にすったもんだはつきものである。
しかしそれを乗り越えてこそ、固く結ばれる絆。
すでに乗り越えているセイと総司に、新たな家族が誕生する日は、そう遠くなさそうだ。
special thanks to 葉様
20120817
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