前髪の清三郎 後編ざしゅ。どさ。 嫌な音が続けざまに、夜の静寂に響く。 「はぁ…はぁ…っ」 倒れた音に駆け寄り、その影は懐を漁った。そして財布を取り出すと震える手で中身を取り出し、己の財布の中に押し込んだ。 「そこまでです」 龕灯の明かりが影を照らした。 「やはりあなたでしたか、加納さん」 沖田は明かりの中に浮かび上がった人相を確かめて、目を細めた。 殺した者の財布を握ったままゆっくりと立ち上がったのは、加納惣三郎だった。 縞袴のところどころに返り血をつけ、慌てて駆け寄ったためにしまわれず路上に転がされた刀にも血がべっとりついている。 「沖田先生…神谷さん…」 沖田の隣には清三郎が立っている。 二人の姿を捉えた加納の目に、驚きの色は見えなかった。 「どうして…っ」 清三郎の唇がわななく。 「いつから気づいてましたか?」 加納は清三郎に答えず、逆に質問してきた。 「沖田先生が…最初に辻斬りの話をした時には怪しいなって…」 ぐっとこみ上げるものを堪え、清三郎は答え始めた。 「辻斬りの話の後に稽古の支度をしましたよね。面を付けた時に沖田先生がほんの一瞬だけ、どこかに鋭い目を向けていたんです。その視線の先を辿ってみたら… そこにいたのはあなたでした。その時にもう疑われているんだって確信しました。沖田先生があんな目をする時はそうなんだって」 震えは唇だけでなく、清三郎の肩にまで及んできた。 「でもその時にはまだ確たる証拠がなかったんです。目撃情報とあなたの外出頻度から見当をつけている程度でした」 沖田が続ける。 「一番隊が要請を受けて島原田圃に出動した時、あなた財布を拾ってきましたよね」 「はい」 加納は暗い声で返事をした。 「あれ、どうして殺された人のだと口走ったのですか? 知ってたからですよね」 「はい。中身を奪ってから田圃に捨てました。まさか自分で見つけるとは思っていませんでした。知らない振りをしようと思いましたが、 神谷さんに後ろから“それ何ですか”って言われまして、動揺してしまいました」 加納が説明するに従って、清三郎は思い出す。 田圃の端の方を二人で探っていると、加納があの財布を目の前にして固まっていた。そこを自分が後ろから声をかけたのだった。 「そう、神谷さんは気づいていた。だから何とか辻斬りを止めさせようとして話しかけていた。そうですよね神谷さん」 沖田が刀の柄に手を掛けた。 清三郎は小さく頷き、同じく柄に指をかける。 「罪をこれ以上重ねないように、そして…こんなことにならないようにと…思っていたのに」 絞り出すように清三郎は言った。 加納が疑われているのは気づいていた。何となくかまをかけてみて、態度がおかしいことも感じていた。 だが清三郎は信じたくなかった。今までに何度も仲間が粛正されるのを見てきた。沖田が介錯することもあった。そのたびに手向けの花を買い、供えてきた。 「どうしてもあいつに会う金が欲しかった。商家の三男坊なんて厄介者でしかない。どんなに兄たちより優れていても家は継げない。 それをあいつは…錦木はわかってくれた」 加納の左手の親指が鍔を押し上げ、右手が柄を握って銀色に光る刀身を引き抜く。 「いい覚悟ですね」 沖田が切っ先を加納にぴたりと合わせた。 「ばれてしまった以上、どうすることも出来ません。でもここにはあなたたちしかいない。あなたたちをどうにかすれば…」 加納も狙いを沖田に定める。 「お待ちください!」 そこへ清三郎が割って入った。 「沖田先生のお手を煩わすまでもありません、ここは私が」 「神谷さん?」 沖田は加納に目を向けたまま問うた。 加納はぴくりと瞼を動かし、刀を下げる。 「わかっていながら止められなかったのは私の責です。私の手で」 清三郎はひらりと刀を翻し、加納の正面に立った。 「…わかりました」 沖田は刀を納め、清三郎の後ろに下がった。 清三郎は沖田譲りの晴眼の構えで加納と対峙する。 加納も再び構え直し、清三郎を眼前の視界に捕らえた。 清三郎の草履が畦道の土を短く巻き上げて。 その剣が、晩秋の空気と共に違背者を切り裂いた。 数日後、加納の葬儀が行われた。 沖田と清三郎は近藤から労いの言葉をかけられ、僅かながらの心付けを受け取る。 幹部である沖田はそのまま局長室に残り、他の幹部が呼ばれて今後の違背者対策の会議に参加した。 清三郎はひとり局長室を辞した。 会議が終わった沖田は清三郎を捜した。しかし隊士部屋に姿はなく、誰も行き先を知らない。 沖田はきっとあそこだと思い、屯所の門をくぐった。 「ああ、やっぱりここだ」 沖田はよいしょと木に登り、小さくうずくまる姿に声を掛ける。 「沖田せんせ、うう」 何かあった時に必ず訪れる“泣き虫の木”。その梢に清三郎はいた。 声を掛けられた清三郎は顔を上げた。鼻も目元も真っ赤にし、涙と鼻水にまみれて泣きじゃくっている。 「お疲れ様でした」 沖田は一段下の枝に足をつけ、清三郎の顔を覗き込んだ。 「せ、せんせい」 懸命に目を拭いながら清三郎は言葉を発する。 「加納さん、本気じゃなかった…本気で私に向かってきてなかった、です」 だがどんなに拭っても清三郎の目からは涙がとどまることを知らずに溢れてくる。 「まるで、切腹も覚悟してたみたいに、全然、剣を交えてこなかった…」 「そうですね」 沖田が頷いた。それは端から見ていてもわかった。加納に殺気はなく、清三郎の刃をただ受け入れていた。 「きっとあなたが話しかけ続けたことで、恋しい相手に会う気持ちよりも辻斬りに対する罪悪感が勝ってきたのでしょう」 沖田は清三郎の頭を抱え、自分の胸元に押しつけた。 「先生…っ」 「よくやりました。誰も見てませんから…私にも見えてませんから、出し切っておしまいなさい」 その涙を、とまで沖田は言わなかったが、清三郎にはきちんと聞こえた。 「そう言えば、加納さんもまだ前髪でしたねえ」 ふと沖田は加納の顔を思い出して言った。年は十八であったが、加納も清三郎と同じくまだ前髪を残していた。 「新選組で武士になったら前髪を剃って、一人前の姿でお兄さんたちの前に立とうとしていたんでしょうか…」 清三郎の頭にも、加納の笑顔が浮かぶ。いい商家のお坊ちゃんらしい、上品な笑顔が。 「…あなたがその前髪に、加納さんの思いをのせておけばいいんじゃないですか?」 沖田は清三郎の頭を離すと、笑って清三郎の前髪を掻き上げた。 「え?」 道は誤ったけれども、何かを成し遂げたいと思って新選組の門を叩いた時の気持ちはきっと同じだったはずだ。その気持ちは、残った者が継いでいけばいい。 そう思い、沖田は清三郎の前髪に指を通す。 清三郎の瞳にはまた涙が盛り上がってきた。 が、清三郎は今度はそれをこぼすことなく袖でぐいと拭き取った。 「先生、加納さんのお花、私が買ってきてもいいですか?」 毎回沖田が金を渡して買うように指示する手向けの花。今回は自分が加納を成敗したからと清三郎は言った。 「ええ、いいですよ」 沖田はにこりと笑う。 「でも今日は夕方から巡察ですからね、それまでに間に合うようにしてくださいよ」 「はいっ、それまでに花売りを探して戻ります!」 清三郎も笑顔を見せて木から下り、花を求めて走っていった。 赤い夕日が枯れた山の端を染めて沈んでゆく。 加納の墓の前に供えられた花も黄昏色に染まる。 一番隊は屯所の庭に整列し、点呼を取って巡察に出発した。 その中で唯一の前髪が、光を受けて輝いていた。 多くの者の思いを、前髪の持ち主自身の思いを乗せて。 了 |