久遠の空 拾萬打記念企画  その6



忙中閑あり


 秋の気配漂う、涼しげな午後。
 昼餉を終えた新選組の隊士たちは、外出したり昼寝をしたり、仲間と語らったりと、それぞれの時を過ごしていた。





 「斎藤さん、お隣いいですか?」
 年に似合わず、どっこらしょなどと言いながら、沖田は斎藤の側に腰を下ろした。手には刀の手入れ道具を納めた箱を持っている。
 斎藤は縁側に座り、刀の手入れを終え、刀身を鞘に収めているところだった。
 「巡察はどうだった」
 今朝の巡察は一番隊だったなと、斎藤が視線だけを沖田に向けながら聞く。
 「ええ、何事もなく平穏そのものでしたよ」
 沖田は鬼と形容される新選組一番隊組長らしからぬ笑顔を斎藤に向けた。

 「神谷はどうした」
 いつも傍らにいるはずの清三郎が見えず、斎藤は辺りを見回す。
 「あの人は隊士部屋でいろいろやってます」
 「巡察が終わったのにか」
 「ええ、戻って昼餉をとった後に、神谷さんが自分の荷物を整理していたんです。そうしたら、袴とか長着とかが 結構傷んでいるのに気がついて…」


 池田屋事件からこちら、隊士たちは事後処理や巡察の強化などで多忙な日々を送っていた。
 清三郎もご多分に漏れずそうであり、昼餉の後で久し振りに自分の行李を開けて整理した。
 中身を全て取り出し、筆や紙の書付などを揃えて、出しやすいように配置する。

 衣服を折りたたもうとした時、清三郎は布の端々がほころびているのに気がついた。
 そこから清三郎は衣服を繕いだした。
 数は多くないが、夏の物も冬の物もすべて取り出し、点検して、少しでも綻びがある物はきれいに修繕する。
 さらに沖田の行李も開け、同じように衣服の全てに目を通し、針と糸を動かした。

 「神谷、俺のも頼む」
 そこへ同じ一番隊の相田が服を抱えてやってきた。
 「わかりました、そこ置いといてください」
 清三郎は顔を上げ、相田に自分の傍らを示した。
 「ありがとな、助かるぜ」
 相田は悪いなといった風に口の端を下げつつも、笑顔で清三郎に頼んだ。

 「沖田先生以外のもやってくれるのか? じゃあ俺も」
 と、今度は山口が自分の着物を持って着た。
 「え?」
 清三郎が眉間に皺を作ると同時に、他の一番隊隊士たちもごろ寝からぱっと起き上がる。
 「俺も頼みたいな」
 「皆が頼むなら俺も」
 「じゃあついでに俺も」
 男たちが次々と行李を引っ張り出しては無造作に清三郎の隣へ着物を積み上げていった。

 針と糸を持って座る清三郎の横には、彼女が座っている肩の高さぐらいまでの衣服の山が出来た。
 「ちょっと皆、少しは自分たちで」
 量の多さに清三郎は思わず文句をたれる。
 「いいじゃないですか、やっておあげなさいよ神谷さん」
 沖田が清三郎に笑顔を向けて言った。
 「だってこの量ですよ?」
 溜息混じりに清三郎は衣服の山を指さす。
 「仕方ないじゃないですか、男所帯なんですから」
 そこまでは普通に言うと、沖田は清三郎の耳元に手をやった。
 (皆、女子に優しくされるのに飢えてるんですよ)
 女子、という言葉に清三郎はすぐさま反応する。
 (私は! 武士です!)
 (わかってますけど)
 きっと目をつり上げる清三郎に、沖田は口元を緩めた。


 春の日差しのように穏やかな沖田の笑み。
 その笑みに、どうして清三郎が逆らえようか。


 「…仕方ないですね、今回だけですよ、今回だけ!」
 清三郎はつんと目を逸らし、ちくちくと針を進めた。
 「ありがとな、神谷!」
 「俺、縫い物できないから本当に助かるぜ」
 「よかったよかった、気づいてたんだけどついやらずにいたからなあ」
 一番隊の面々は皆口々に清三郎に礼を言い、ばらばらと散っていった。

 「まったくもう…」
 清三郎は口をとがらせながら再び針を動かし始めた。
 清三郎の手がすいすいと動き、ほころびが修復されていく。上から縫い繕えば済むところ、一度裾を解いて直さねばならぬところ、 新しい布を当てねばならぬところなど、状態は様々だった。しかし清三郎は布地をどのように修復すればよいかを的確に判断し、作業を進める。

 最初は口をへの字に曲げていた清三郎も、手が進んでいくと夢中になってきた。そして横で時折どうでもいい話をしたり、 ちょっかいを出したりしていた沖田は、
 「沖田先生、邪魔です!」
 と怒鳴りつけられ、退散を余儀なくされたのであった。



 「まあそんなわけで追い出されちゃったんですよ」
 沖田は手入れの道具を広げると、懐紙を口にくわえて、刀を鞘から引き抜いて手入れを開始した。
 斉藤は清三郎が小うるさい沖田に振り向き、髪を逆立てんばかりの勢いで怒る姿を想像した。自分が集中して作業しているのに、と憤慨する清三郎が容易に目に浮かぶ。 ぷ、と斉藤の小さな口から笑いが漏れた。沖田も斉藤が思い浮かべているであろう姿を思い出し、目元を和らげる。


 沖田は刀身を磨き上げると、満足したように頷いて鞘に収め、道具を片づけた。
 「ここでちょっと昼寝させてください」
 沖田は廊下に寝そべって頭の下に両手を入れる。磨き抜かれて光る床に、沖田のくせっ毛が緩やかに落ちた。

 青く澄み切った、秋の高い空。
 連日の晴天で乾いている空気が心地よい。
 沖田はすぐうたた寝を始めた。
 それを横目で見た斉藤は、手入れの道具を持つと、音もなく部屋へと戻っていった。



 清三郎の修繕は丸一日かかった。
 が、それだけでは終わらなかった。
 修繕をしながら清三郎は、皆の着物がところどころ汚れているのに気がつき、翌日も引き続き着物を預かって洗濯をした。
 昨日に引き続いての快晴に、色も柄も様々な着物が朝早くからはためく。どれも単の着物ばかりだったので、 返り血や泥といったひどい汚れを重点的に清め、あとはざっと丸洗いした。冬場用の袷の着物なら、ほどいて中の綿を取り出して 洗わなければならぬところだった。



 さらにその次の日、清三郎は隊士部屋に、乾いた着物を再び山のように積み上げた。 そして炭を入れて熱くなった火熨斗を持つと、一枚ずつ広げて当て始めた。

 室内に乾いた匂いが漂う。
 「あー…俺も何かしようかな」
 と、最初に清三郎に修繕を頼んだ相田が腰を上げた。相田は刀の手入れ道具を持つと、廊下に出て手入れを始めた。
 「俺もそろそろやるか」
 と山口もつられて、相田の隣に並ぶ。
 すると、我も我もと隊士たちが廊下に出た。
 廊下で横一列に並び、男たちが黙って白刃を扱う。清三郎は、皆が物騒なものを手にしているはずなのに、並んで丸まっている背中が 妙におかしく感じられて、火熨斗を滑らせる手つきが軽くなった。

 巡察の他にも邸内の掃除や勘定方の手伝い、理不尽に言いつけられる幹部からの用事などをこなしているのを、一番隊の皆が承知している。 その清三郎が自分たちのために暇を見つけて作業してくれているのに、どうして自分たちがだらだらとしていられるだろうか。

 刀の手入れが終わった者は、今度はついでにとばかりに鉢金や足袋、草履などの点検を始めた。鉢金が晒しにしっかり縫い止められているか、 晒しが汚れたりほつれたりしていないか。足袋に穴が開いていたり、こはぜが緩んでいたりしないか。 草履の鼻緒が切れそうになっていたりしないかなど、一番隊の隊士たちは、物を丁寧に見ていった。
 「神谷、お前と沖田先生のも出せよ」
 相田と山口が、火熨斗を当てる清三郎に向かって言う。
 「ありがとうございます、お願いします」
 一度手を止め、清三郎は自分と沖田の鉢金や足袋などを行李から取り出して二人に預けた。相田たちはそれらを受け取るとひとつずつ点検し、清三郎に返した。
 清三郎も火熨斗を当て終わり、皆に着物を渡す。
 「ありがとな、神谷」
 「助かったぜ」
 「これだけちゃんとなるんなら、次も神谷に頼みたいな」
 すっかり見た目も布自体もきれいになった着物を抱え、一番隊の面々は清三郎に礼を言った。
 「大変だったんですからね、今度からは自分たちでお願いしますよ」
 清三郎は口では文句を言ったが、隊士たちと交わす笑顔は明るい。
 沖田はそれを遠目で見ながら、満足そうに頷いた。





 その翌朝。
 「全員起床! 捕り物だ、身支度を調えろ!」
 副長・土方が、夜明けの静寂を打ち破った。
 よく通る声が邸内に響き渡り、隊士は一人残らず飛び起きる。
 「用意が出来た者から庭へ出ろ! 最も早く列を整えた隊に出動の機会を与える!」
 荒々しく廊下を踏みならしながら、土方は隊の全員に告げた。
 普段は巡察が主な仕事で手当も同一だが、こうした突発的な出動に加わると、後から別段金が出ることもある。それに何より、己の腕を 存分に振るうことができる。誰もがその機会を逃すまいと、必死になって準備をして庭に飛び出した。

 「なあトシ、こんなことしなくても、どこの隊にするか決めて出動させればいいんじゃないか?」
 すでに庭で整列を待っている近藤が土方に問うた。
 「ふん、たまにはこうでもしねえと、下っ端どもが緩んでいけねえよ」
 土方は隊士全員を突然たたき起こしたことを悪びれもせず、ばらばらと集まりつつある男たちを眺める。

 「一番隊、揃いました」
 沖田がさわやかな笑顔で土方の元に進み出た。
 土方は腕を組むと、一番隊が並ぶ列に近づいていった。

 一番隊の隊士たちは、両足をしっかり地につけ、背筋を伸ばして立っていた。
 衣服にはぴしりと火熨斗が当てられ、鉢金を覆う晒しが朝日に眩しいほどの白さを放っている。
 足元は僅かな隙間一つすらない足袋の上から、きっちりと鼻緒が拵えられた草履が履かれていた。

 「よし、一番隊、ついて来い! 他の隊は待機だ! 以上!」
 土方が口の端を上げて、一番隊の選別を告げる。
 他の隊の者たちはすごすごと隊士部屋に戻った。ひどい者は寝間着のまま鉢金と晒しを手にして、引き返してくる隊士に 事情を説明されていた。



 近藤と土方が島田と一緒に現場の様子や最終的な隊士の配置を確認している間、一番隊の面々は組長以下、 腰間の大刀の鍔に手を掛けて命令を待っていた。
 (神谷さんのおかげですよ)
 沖田が、自分の斜め後ろに立つ清三郎に小声で言う。清三郎が一番隊の隊士たちの着物を整え、その姿を見て隊士たちが他の道具を 整備しておいたおかげで、こうして緊急の事態に選ばれることが出来たのだ。

 清三郎は沖田の目を見て一瞬だけ笑うと前を向いた。
 沖田も同じように前を見て、背中に一番隊組長の気配を纏う。
 一番隊全員がその気配を感じ、唇を引き結んだ。




 一番隊は副長の土方と監察の島田に率いられ、屯所を出発した。
 島田が持ち込んだ情報により、町中の小さな長屋にいた不逞浪士どもを一番隊が捕らえた。
 数日後、一番隊全員へ少しではあるが報奨金が出て、沖田と清三郎は甘味を食べに行き、他の一番隊隊士たちも思い思いに金を使って
自ら労をねぎらった。

 これ以来、新選組の隊士たちはしばらくの間、急な出動にも慌てないようにいつでも用意を怠らなかったという。
 自分で何とかする者が多かったが、時には清三郎に衣服の繕い方や洗濯の仕方を学びに来る者もいた。
 時間が経つとともにその緊張感はだんだんと薄れていったが、一番隊や今回の件が身にしみた者は、いつまでも己の調えを忘れなかった。


 忙中閑あり。
 どんなに忙しい時でも閑な時間はあるものだ。
 それに気づき、何をするか。
 武士にとって時間がある時、何を成すべきなのかが問われた一件であった。