久遠の空 弐拾萬打感謝企画 その2 局長命令




 新しい屯所になっても、日常のことは何も変わらない。
 隊士たちは朝早く起き、身支度を整え、朝餉をとる。
 そして、による健康診断を受けるーーー



 健康診断は、平隊士たちの部屋に近い診察部屋にて行われる。
 は後ろで髪を緩くくくると副長室を出た。

 (君、ちょっと)
 と後ろから声を掛けられて振り返ると、近藤が局長室の障子から手招きしていた。
 「はい」
 はとととっと小走りに近藤へ近づく。
 近藤はに耳打ちした。

 (トシのことなんだが、最近ちゃんと健康診断を受けているかい?)
 (いいえ)
 (やっぱりなあ)
 の答えに近藤は苦笑する。
 さすがに幼なじみだけあってよくわかっているなと、も薄く微笑んだ。

 (どうせ忙しいとか言って誤魔化しているんだろう? 面倒なんだろうが、あいつも新選組の副長として大事な身だ。屯所移転や幕臣取立で一番気を遣っているのはあいつだし、どこか悪いところはないか、それを隠していないか心配でね。今日はよく診てやって、私を診に来る時にトシの結果を報告してくれないか)
 (かしこまりました)
 屯所を移転し幕臣となってからしばし経過し、季節は冬になった。
 その間には隊士募集や御陵衛士との対決、大政奉還などの大きな出来事が起こった。
 そのいずれにも細やかな対応をしていたのは、他ならぬ土方だ。
 要するに近藤は、働きづめになっている土方のことが心配なのである。
 はこくりと頷いて、近藤の元から立ち去った。


 は診察部屋に入り、訪れてくる隊士たちを次々と診察した。
 男たちは褌一丁になって体を見せてくる。
 寝起き特有の、籠もった男臭い匂いが漂ってくるが、はもうそれに慣れてしまった。

 診察を進めていくと、とある平隊士から寝起きとは別な匂いがしてきた。
 屯所が新しくなると同時に幕臣に取り立てともなった隊士たちは、夜の巡察がなければ花街へと繰り出す者が多い。
 酒と妓の華やかな香りが、朝になっても体に残っているのであった。

 その体には、青や赤の、小さなあざのようなものが浮かんでいる。
 「久しぶりに妓のところへ行ったら、“もう、ご無沙汰なんだから”ってつねられたり噛まれたりで」
 幕臣になるにあたって手に入った金を妓に大盤振る舞いしたようで、相当よくしてもらったようだ。
 それが相当嬉しかったのだろう。その隊士はでへへとだらしなく口元を緩め、に向かってぺらぺらとしゃべった。

 「そうですか、ゆうべはお楽しみだったんですね」
 これまで壬生浪と虐げられたり、実働部隊という下っ端同然の仕事ばかりを押しつけられてきたりしていた。幕臣取立となった今、ここではしゃがずいつはしゃぐのだろう。
 は彼らの浮かれっぷりをほほえましく思いながら、次の隊士を診察した。

 診察を終えた隊士たちがばらばらと部屋を出ていく。
 その時ふと、の耳に、先ほど体に印をつけられた隊士と別の隊士の会話が飛び込んできた。


 「そういえばゆうべは副長も…」


 の手がぴたっと止まった。
 そう、ゆうべは土方も花街に繰り出していた。
 永倉や原田が無理矢理に土方を引っ張り出したのだ。
 平隊士たちにも町をうろついているのを目撃されたのだろう。

 土方は遅めの時間に帰ってきて、井戸の水を浴びてすぐ床についた。
 こんな冬の寒い夜に水を浴びたわけはひとつしかない。妓と戯れてきたせいだ。
 水をかぶっただけでは落としきれない花街の香りが漂い、は心を乱され、薄い夏掛けをぎゅっと抱きしめながら目を閉じたのだった。




 (診察に専念して忘れていたのに)
 は額に指を当てて、はあとため息をついた。
 だが、落ち込んでいる姿を土方には見せられない。
 長い廊下を歩いている間に気持ちを入れ替え、は副長室へ戻った。

 室内では土方が文机に向かって文をしたためている。
 昨日の夜、出かけている間に届いた文への返信らしい。

 「土方さん、診察です」
 は土方のすぐ側に腰を下ろした。
 土方はいつも自分は健康だからと健康診断を拒んでいる。近藤が推察するとおり、診られるのが面倒なようだ。
 毎日土方の様子を観察していても、表面上はこれと言った問題はなさそうだし、何より土方が忙しそうなので、も診察を強要してこなかった。
 だが、今日は近藤からしっかり言い渡されているので、診断をきちんと行うつもりであった。

 そして、個人にとっても、愛しい男の健康は気にかかるところである。
 もし異常があれば、早期発見・早期治療が回復への大原則だ。
 本人の言うとおりいつも健康そうに見えても、いつどこに微かな予兆があるかわからない。


 「俺はいい。いたって健康だ」
 土方はいつものごとく素っ気ない返事をする。
 「しばらく拝見していませんから、今日は診察させてください」
 は食い下がる。

 「いや、だから俺は」
 「局長からも言われてますので」
 「あ?」
 「土方さんのお体、ちゃんと診て報告するように言われてるんです」

 近藤の名前が出てしまっては仕方がない。
 土方はしぶしぶと着物を脱いだ。


 「…!」
 土方の上半身を視界にとらえたは、言葉を失った。
 先ほどの平隊士の体についていたのと同じ青や赤の印が、土方の体にも刻まれていたのだ。

 の頭をぐるぐると、勝手な妄想が駆けめぐる。
 ゆうべ原田や永倉に誘われた土方は、平隊士に目撃されたように花街の“そういった店”に連れて行かれた。
 そして久しぶりに妓を買い、その妓に…


 ゆうべの土方からは、いかにも妖しい香りが漂っていたのだから、頭ではわかっていた。
 しかしその証左となるものを目撃してしまっては、心穏やかにいられるはずもない。



 土方は短く舌打ちをする。
 土方も自分でわかっていた。ゆうべ久しぶりに買った妓が、長く訪れていなかったことを責めて自分の体に跡をつけたことを。

 長く訪れていなかったのは、忙しかったのがまず主な理由だ。
 それに、ゆうべの妓はやや土方に入れ込みすぎていて、きれいに遊びたい土方は自然と足が遠のいていた。
 たまたま原田たちに付き合ったらその妓のいる店に入ることとなり、妓に見つかって半ば強引その妓の部屋に連れ込まれてしまったのだ。

 やることをやったのは認めるが、にはあからさまな証拠は隠しておきたかった。
 に己の気持ちを伝えているわけでもないのに、まるで浮気を責められる亭主のような、重たい罪悪感が土方の心にのしかかる。

 「…早くしろ」
 と土方が声を掛けると、ははっと自分を取り戻して診察を始めた。
 肌の色つや、脈拍の強弱、聴診器による呼吸音など、は手早く確認していく。
 だが、その手は小刻みに震えていた。

 「お疲れ様、でした。こ、これで、終わります」
 は風呂敷に診察の道具を突っ込み、四隅をさっと縛った。
 その手を土方が掴む。



 「言ってみろ、何が不満だ」



 はびくりと体を揺らす。
 言えるわけがない、あなたの体に印をつけられて嫉妬しました、なんて。
 は土方と目を合わせず、ただ俯いた。


 「言え」
 ぎり、との細い手首が締め付けられる。


 「何とか言ったらどうだ!」
 やましい気持ち半分、何も言わないへの苛立ち半分で、土方の口調は荒くなってきた。


 「…手を、離してください」
 はまだ顔を伏せたまま、ぽつりと呟いた。
 「あ?」
 「これから局長の診察に行かねばなりません。手を離してください」
 はゆるゆると頭を上げると、まだ視線は合わせないままで、勢いよく土方の手を振りほどいた。

 「あっ、こらテメエ!」
 不意を突かれた土方は、の手を離してしまった。
 は早い身のこなしで道具を拾い上げると、一目散に局長室へ駆け込んだ。
 後ろから土方が呼び止める声が聞こえてきたが、滑り込んだ局長室の障子をぴしゃりと閉めた。




 土方は鼻先で障子を閉められ、眉間の皺を深くした。
 障子の向こうからは、近藤が土方に向かって「入るな」と言わんばかりの気を発している。
 土方はもうひとつ舌打ちをして、と近藤の会話が漏れてくるのを聞いた。



 「事後で申し訳ありません、局長、入らせていただきました」
 深呼吸をひとつして、が落ち着きを取り戻す。
 「ああ、構わないよ」
 近藤のおおらかな声が後を追う。
 「局長のお体も拝見いたします」
 「頼むよ」
 ごそごそと布地がこすれる音が聞こえ、近藤が着物を脱いだのがわかった。

 「トシはどうだったかな?」
 「はい、健康そのものです、けど…」
 「けど、どうしたんだい?」
 「い、いいえ、健康そのものです、はい…」

 (そうだ、余計なことは言うんじゃねえ)
 かすれるようなの声を聞きながら土方は、がここから出てきたらどうしてやろうかと思案を始める。

 「けど、の続きを当ててみようか。“体に、妓につけられた跡がありました”じゃないかな?」
 「ええっ、ど、どうして」
 の声が明らかな動揺を含んだ。
 (ちっ)
 土方は目元を覆って天を見上げた。

 「ゆうべトシは、サノたちに連れられて花街へ出掛けた。井戸の水を浴びていたのは私も知っている。まあ、何をしてきたのか想像はつくな。そして君がトシの裸を見てその反応をしたってことは、深読みすれば答えは出るだろう?」
 (ちくしょう、かっちゃんめ。どこまで俺のことを読んでいやがるんだ)
 苦笑混じりの近藤の声に、土方が歯がみする。
 「…鋭すぎます、局長」
 「妙な時だけ鋭いって、トシに言われたことがあるなあ」
 が降参を声に混じらせると、近藤はふっふっふと肩を揺すった。




 障子の外で、土方は拳を硬くする。
 さっきの明らかな動揺は何だ。
 俺にそんな動揺、見せたことあったか。
 降参するような声を出したが、降参するまでが短かすぎやしないか。
 だいたい、俺の小姓のくせに、何でかっちゃんの部屋に逃げ込んでんだ。
 俺の質問にも答えず、まっすぐかっちゃんの懐に飛び込むなんざ、意味がわからねえ。


 ふと土方の頭に、ひとつの可能性が思い浮かぶ。
 (まさかあの野郎、かっちゃんに惚れてるんじゃ…)
 子どもの頃から剣術も立身出世も、何ひとつ敵わなかったかっちゃんが、まさか自分の恋敵に?
 土方は背中にざあっと灰色の感情が流れ落ちるのを感じた。



 「まあ、そう落ち込むことはない。俺からトシに言ってやろう」
 近藤はやおら立ち上がると障子に手を掛ける。
 「え、あの、局長」
 近藤から土方に文句など言われたら、なぜ妓と遊んだことを咎めたのかという話になり、今度こそ自分が抱いている土方への思いを漏らしてしまうことになる。それは絶対に駄目だと、は近藤の羽織の裾をぎゅっと掴んだ。


 「おい、トシ」
 の手に構わず、近藤は障子を開く。
 そこには突然障子を開かれてぎょっとする土方の姿があった。

 「きょ、局長」
 は焦って何度も近藤の袖を引っ張る。
 だが近藤は構わず土方に話しかけた。


 「お前に頼みがある」
 「…何だ」
 「今日これから一日、君を外に出す。その護衛をしろ。ふたりで仲良く出掛けてくるんだ」


<続く>







special thanks to 緋桜 紅蓮様





 20120804