久遠の空 弐拾萬打感謝企画 その1 不動堂村水ものがたり




 新選組が不動村に新しい屯所を建てた頃の話である。
 三千坪の広大な土地に、西本願寺が資金を提供しての贅沢言い放題の建物。
 おまけに、落成直前には幕府より幕臣取り立ての話まで下された。
 新選組は大きな大きな顔で、西本願寺の屯所から不動堂村へと引っ越した。

 乱暴で、騒がしく、連行してきた罪人が相手だろうと食用の豚が相手だろうと、敷地内で平気で血なまぐさい所行を行う新選組が出ていって、西本願寺の面々は涙を流して喜んだ。
 だが、その逆もまたしかり。
 今度は不動堂村の住人たちが、新選組に顔をしかめる番になった。

 「新選組やて。ほら、見とおみ、男ばかりで、皆乱暴そうや」
 「んまあ、あの背負ってる槍の長いこと。あれで人突き殺すんやろか」
 「怖い! いややわあ、そんなのがご近所やなんて」
 「豚も食べるってほんとやろか? さすが豚一はんとこのお方々やわ」
 「考えられへん! こっちまで豚臭くなったらどないしよ」
 「なんでこの村にやってきたんやろ、迷惑やわあ」

 列をなして引っ越してきた新選組に向かい、近所の住民たちは、嫌な顔を隠さずに、実にはっきりと噂をし合うのであった。


 は自分と土方の住まう副長室の片づけをした。
 元々荷物の少ない二人なので、片づけはすぐに済ませることが出来た。
 そして同じく一番隊の部屋を素早く片づけた神谷とともに、新設された病室に向かい、室内の整理整頓を行って、病人の様子を見た。

 朝早くから作業をし、昼餉を挟んで、やっと屯所全体の片づけが終了した。
 は茶を入れ、一息ついた。
 副長室は長いひさしのおかげで程良く日を遮っており、涼しめの室内となっている。
 は土方に茶を勧めた。濃く入れた茶に水を入れて冷たくしたそれはのどごしがよく、二人はまず一杯目をごくごくと飲み干した。

 「引っ越してきただけであの様子だからな。新選組はどれだけ嫌われてんだか」
 噂を聞いた土方は、やれやれと茶をすする。
 「まあ、新選組は好かれているほうじゃないですから…」
 は隣で苦笑いをしながら言う。
 「何かやらかしてからならともかく、まだ何にもしてねえのにな、笑えるぜ。やっとさっき巡察に出たばかりだってのに」
 「そうですね。もう一杯いかがですか?」
 土方はにお代わりを注がれ、汗で出た水分の補給にと一気に飲み干した。

 「好かれなくてもいいから、悪く言われるのだけは何とかしたほうがいいですかね」
 は額の汗を拭いながら言う。
 「何か近所が喜ぶようなことでもするか?」
 「今すぐには思い浮かびませんが…」
 ちちっと鳥が高い声を上げて鳴くのにつられ空を見上げたが、にはよい考えが即座には浮かんでこない。
 武を誇る新選組が、一般の人々に楽しんでもらうような催し物を行えるだろうか。


 互いによい考えが浮かばないまま、風だけが緩やかに通り過ぎていく。
 しばらくすると、新屯所における最初の巡察を行った原田と永倉の隊が戻ってきた。

 「お帰りなさい、お疲れさまです」
 は原田たちに挨拶をする。
 「おう、今戻ったぜ。、これ頼むわ」
 原田が早足で近づいてきて、その腕に抱いていた白い何かをに押しつけた。
 「何ですか?」
 は白くふわふわしたそれをじっと見つめた。

 「犬だよ犬。巡察してたら鴨川のほとりで倒れてやがってよ、かわいそうだから連れてきてやったんだ」
 「犬…」
 永倉の言葉に、は白い毛並みをそっとかき分けた。
 すると犬はスンと鼻を鳴らしてを見上げた。

 まだ生まれて数ヶ月くらいであろうか、子どもの犬である。
 ほこりっぽい毛の間から、まんまるい目が覗く。
 犬はを認めると、こくりと首を傾げた。

 (かわいい…)
 は思わず頭をなでる。
 犬は目を細めておとなしく撫でられていた。


 は犬を井戸端に連れて行き、巡察帰りの隊士たちに混じって洗ってやった。犬は乾いた熱い空気にさらされ、すぐに白くふわふわとした毛並みを取り戻す。
 平たい皿に水を入れ、昼餉の残りをよそってやると、犬は喜んで食べ始めた。

 「…と言うわけで土方さん、しばらくの間、飼ってあげてもいいですか?」
 引っ越しで不要になった行李に布を敷き詰めた寝床の中で、犬はすうすうと穏やかに眠っている。
 行李とともに廊下に控え、は室内の土方にうかがいをたてた。
 「あ? まさか副長室で飼うのか?」
 土方は団扇を動かす手を止めて、あからさまに嫌そうな顔をする。
 「あの、原田さんと永倉さんが、私に飼うようにと…暇なんだろって」
 「あいつらが?」
 ふと土方の手が止まった。

 土方には原田と永倉が、倒れている犬の面倒をに押しつけたのには訳があるのだろうと土方は推察した。
 は薩摩に狙われ、外出を禁じられている。門の外に一歩でも出ようものなら、土方の雷が落ちる。
 つまり、外へ自由に出られないに、少しでも楽しみを与えてやろうという、原田たちの計らいなのだ。

 「飼うったって簡単な事じゃねえぞ」
 ため息をつき、土方は面倒そうに口を開く。
 「いいか、原田と永倉には飼い主を探すように言え。飼い主が見つかったら即刻引き渡せよ。それと、絶対にこの部屋の中を汚すな。一度でもヘタしやがったら追い出すからな」
 「…いいんですか?」
 「お前がいいか聞きに来たんだろうが」
 「ありがとうございます」
 断られると思っていたは、ほっとして行李の中を見下ろした。
 犬は何も知らずに柔らかな寝床で休んでいる。
 は犬を起こさないよう、そっと行李を中へと運び込んだ。



 犬は実に子犬らしい犬であった。
 食事の取り方もがつがつと、いや、大変に元気よく、大小の粗相もが察してあわてて庭の隅へ連れ出す始末であった。
 が部屋にいないと、まるで母犬を呼ぶかのようにクンクンと声を上げ始め、だんだんと大きな声で吠えるようになる。土方が立ち上がって行李の中を睨みつけているところへ、用事を済ませたが駆け込んでくることが何度も繰り返された。


 「かわいい寝顔ですね」
 一日が終わり、昼間の暑さがなりをひそめる夜。
 は床につく前に、犬がすっかり眠っているのを眺めていた。
 昼間のやんちゃさはどこへやら、寝ている時は非常に愛らしいことこの上ない。
 「寝顔だけがかわいけりゃいいってもんじゃねえだろ」
 ただでさえ暑いのにうるさい犬と同室。
 さらに、に用を言いつけようとしても、犬の世話で不意に姿が見えないことがあり、土方の苛立ちは増している。
 「すみません。早く飼い主が見つかるといいんですけど…」
 は犬の頭をそっと撫でた。

 女が小さく弱い生き物に見せる慈愛の表情。
 大人の男ばかりに囲まれていたせいか、そんな彼女の顔を土方は初めてみたような気がした。


 急に胸が高鳴り、彼女に触れたくなった。
 意識するより早く、土方の腕がの肩に伸びる。


 「お先に失礼していいですか? 慣れないお世話で疲れたみたいです」
 は土方の腕をすり抜けて、さっさと自分の床に入ってしまった。

 土方は小さく舌打ちをすると、小さく白い存在に恨めしげな目を向け、自分も床についた。





 それから三日後のことだった。
 花街へ繰り出した原田と永倉が戻ってきて、犬の飼い主を見つけてきたと副長室へ報告に来た。

 「鴨川に来ている流しの狂言一行の犬が三日前から消えてるらしい。島原に犬を知らねえかって探し回ってる奴が来てたんだ」
 聞けば、鴨川の河原に西国を旅して回っている狂言の一行が来ていて、そこに所属する狂言方(狂言師)のかわいがっている犬が数ヶ月前に出産し、子犬がたくさん生まれたのだそうだ。
 一行で子犬の面倒を見ているのだが、どうやらそのうちの一匹が脱走して暑さに倒れ、たまたま通りがかった原田と永倉に拾われたという経緯になったようである。


 「明日、ここまで犬を見に来て、そこの犬だったら引き取りてえって話なんだが…」
 永倉がを見る。
 土方も原田もを見つめた。
 は膝の上でじゃれる子犬をあやしながら、頷いた。



 翌日、狂言の一行から男がやってきた。
 男は事の次第を説明し、犬を見ると、確かに自分のところの子犬であると認めた。
 「大事に面倒を見て下さり、ありがとうございました。うちの狂言方が心からかわいがっている子犬たちでして、見つかるまで次の場所に出立しないと言い出す始末で、本当に助かりました」
 「いいえ、こちらもかわいがらせていただきました」
 は犬を見下ろす。
 犬もを見て、くうんと小さく鳴いた。

 「何かお礼をさせていただきたいとうちの狂言方が申しておりまして。本来なら狂言方が直々に来るべきなのですが、今日が興業の楽日で忙しくしておりますので、相談してくるように言付かって参りました」
 男が恭しく頭を下げる。
 実際に面倒を見ていたのはなので、土方はに視線を寄越し、話を預けた。

 は土方の視線の意味を理解し、どうしようかと思案する。
 「出来ることなら何でもいたしますので」
 にこにこと男は返事を待つ。
 (あ。…でも本当に何でもいいのかな)
 思いついたことはあるにはあったが、果たしてそれが本当に叶えてもらえるものなのか、は不安に思った。
 (とりあえず、言うだけ言ってみようか…)
 土方の視線が痛くなってきたので、はおそるおそる提案を口にしてみた。




 二日後。
 屯所の広い前庭に、即席の能舞台がしつらえられ、狂言方、シテ方、ワキ方、囃子方が一体となって、様々な本狂言が演じられた。
 が、狂言方の犬の面倒を見た礼に、屯所で狂言を見せて欲しいと所望したのが実現したのである。
 の希望が快諾されると、はすぐに屯所の近隣に、屯所で狂言を開催するのでぜひ見に来て欲しいとの触れを出した。

 屯所は非番の隊士は元より、近所に住む老若男女がこわごわとしながらも大勢詰めかけた。
 壬生狂言を行っている八木家や前川家にも人をやり、観覧に来てくれるよう頼んだところ、たくさんの人数がやってきた。
 能舞台のある西本願寺にも土方が一応声をかけさせたが、表だって来るものはおらず、下っ端の坊主が偵察にこっそりと来る程度であった。

 演目は様々であったが、どれを演じても皆がおおいに沸いた。
 主人の留守の間に、食べるなと言われていた大切な水飴をすっかり食べてしまい、言い訳をするために高価な掛け軸や茶碗を割ってしまういたずら者の話は笑いが収まらず。
 、キノコがどんどんはえてくる話では、客席からも笠をキノコに見立てて被った役者がわらわらと出てきて驚きの声が挙がり。
 新屯所の落成を祝って福の神が出てくる話では、近所の隆盛までもがことほがれ、人々の溜飲を下げた。

 そして、観客がもっとも声を上げたのが、水を使った演出であった。
 狂言方の袖や持っている扇子の先から、どういう仕掛けなのか水が細く吹き出してくるのである。
 炎天下での観覧が続き、ややだれてきた観客たちの目の前で、涼しげな水が美しい舞とともに舞台をきらめかせ、人々は見事な芸にただ見入ったのであった。



 狂言の一行は、舞台の片づけが終わるとすぐに次の興行場所を目指してあわただしく旅立ってしまった。
 犬の飼い主である狂言方は忙しい中でもに礼を言い来て、また京で興業を打つことがあれば、屯所で狂言を演じてくれるとも約束してくれた。

 「珍しいものを見せていただきましたね」
 が布団に身を横たえながら言う。
 「そうだな」
 と土方も素直に頷いた。
 京や江戸、大坂などの大都市には常設の舞台があり、見に行こうと思えば行けないこともない。しかし、今回のように即席の舞台を近距離で見ることが出来、演目も多く、水からくりまで見られる機会は滅多にないだろう。

 しかも、近隣住人の印象もよくすることが出来た。
 はじめはおっかなびっくりで入ってきた近隣住人たちも、帰り際には気がほぐれて、人によっては狂言を見せてくれたことへの礼まで言って門をくぐっていったのだ。

 (たいしたもんだ)
 土方はこの提案を思いついたをしげしげと眺めた。


 ふと、部屋の隅に目をやったの表情がかげる。
 「どうした」
 「…いたのはたった三日でも、いなくなると寂しいものだと思いまして」
 は犬の寝床になっていた場所を見つめている。
 元気で騒がしい犬だった。その分愛くるしさもあっただろう。急にその存在感がなくなってしまい、静けさが寂しさにすり替わる。

 「だから飼うのは簡単じゃねえって言っただろう」
 「ええ、おっしゃるとおりです」
 「もう飼わねえぞ」
 お前がそんな顔をするなら、と土方は心の中で付け加え、に背を向けて横になった。



 新選組は不動堂村でもてはやされた。
 しかし、それもほんの数日のことであった。
 本格的に巡察が始まり、不逞浪士たちの取り締まりが厳しくなると、ものものしい姿の隊士たちが出入りしたり、屯所に無理矢理連れ込まれる浪士の影なども見られるようになって、
 「やっぱり新選組は…」
 という噂に逆戻りしてしまったのである。


 それでも時々、
 「次の狂言はいつなのか」
 と問い合わせがある度に、は素晴らしかった狂言の数々を思い出し、心の中で子犬や狂言の一向に感謝の手を合わせるのであった。








special thanks to うみのすけ様





 20120726