久遠の空 ドリーム小説 インターミッション 〜近づく時〜

インターミッション 〜近づく時〜



 御陵衛士粛正から数日。伊東らの遺体は光縁寺へ埋葬されることが決まった。
 現場から逃げおおせた伊東の実弟・三木三郎らの行方は杳として知れず、新選組は諦めずに御陵衛士の生き残りを捜した。
 巡察を任されている範囲はもちろんのこと、それ以外の土地も、管轄の藩や組に捜査協力を依頼して、徹底的にその影を追った。

 は土方に言われて町の地図を用意し、隊士たちが真冬に汗して探索を行ってきた場所を朱の墨で塗りつぶす。
 しかし、御陵衛士が行きそうなところで探索の手を入れられるところはもうない。

 「これだけ探しても見つからないとはな…」
 昼餉の後、局長室で報告を聞いた近藤が眉を寄せる。
 「薩摩の藩邸にでも逃げ込んだんじゃねえか? だとしたらもう手の打ちようがねえ」
 土方は扇を引き抜き、地図に描かれた二本松の薩摩藩邸に突き刺した。
 御陵衛士は薩摩と繋がりを持っていた。匿われてもおかしくはない。

 は薩摩藩邸の様子を思い出す。
 今にものしかかってきそうな瓦屋根の門。どこまでも奥深く屋敷が立ち並ぶ敷地内。
 ただでさえ藩邸はみだりに余所者が立ち入ることは出来ない。それに加えて、蟻の巣のように多くの部屋があるあの藩邸内に匿われては、よしんば踏み込めたとしても、十人に満たない御陵衛士の残党を見つけだすのは至難の業だろう。

 (もし、私が入り込めたら)
 何か掴めるかも知れないとは思った。
 自分は新選組の中で唯一、薩摩藩邸の内部を知っている。だからと言って、もし御陵衛士の生き残りが薩摩藩邸に匿われているとしたらどこにいるのかなどの見当がつくわけでもないのだが、何も知らないよりは…。

 とひとり思案するの額を、こつんと何かがこづく。
 「いった」
 は我に返って額を押さえた。顔を上げると、土方の扇が目の前に突き出されていた。
 「余計なこと考えてんじゃねえよ、馬鹿が」
 お前の考えていることなどすべてお見通しだと言わんばかりに、土方は刺すような視線をに向ける。

 薩摩に狙われている自分が藩邸を訪れなどしたら、そのまま帰ってこられなくなる。それは充分わかっているつもりだ。
 だからこそ、それが実現してしまうようなことを少しでも考えたことを、土方は咎めているのだろう。
 「すみません…」
 口に出しておらずとも軽率な考えは慎むべきだったと、は素直に反省した。


 「ところでかっちゃんよ。特に片づけなきゃならねえ仕事がねえんなら、今日はもう妾宅へ戻ってもらって構わねえぜ」
 地図を畳んだ土方は、そう言って近藤を見た。

 土方が近藤に帰宅を勧めたのには訳がある。
 近藤と妾のお孝の間に子が産まれたのだ。
 子は女児で、お勇と名付けられた。
 近藤は元気に生まれたことをたいそう喜び、身の回りの世話をする女を雇って、お孝とお勇が不自由しないように気を配った。

 近藤自身も出来る限り毎日妾宅に戻るようにはしていたが、世情が動いている上に伊東派の殲滅もあり、帰れない日々が続いていた。
 もちろん妾宅への思いをあからさまにするような近藤ではない。だが、夜を徹した会議の合間、厠へ立つ近藤の目が一瞬、妾宅のある方へ向けられるのを土方は見逃さなかった。

 「そうか? じゃあ君を連れていっていいか? 彼と少し話がしたいんだが」
 「あ?」
 「え?」
 土方は近藤の言葉に折り畳んだ地図をがさりと握りしめ、は虚を突かれて目を丸くする。そして二人ともすぐに、
 (話って…もしかして)
 と緊張をみなぎらせた。

 近藤がと話したい内容、それは決まっている。
 が女子であることだ。
 が伊東に拐かされた後、土方が近藤にそれを告白している。
 だがその告白以来、土方もも、近藤とそのことについて話をしてはいなかった。

 「局長室で話せばいいだろ。 人払いしておくぜ」
 の外出に、土方は難色を示す。
 薩摩に狙われている今、を屯所から出すのははばかられるからだ。
 「妾宅はすぐそこだし、俺がついている。心配は無用だ」
 「だが」

 「誰もいないところで、二人だけで話がしたい」
 近藤は意見を引っ込める気がないようで、いつになく鋭さを声に含ませる。

 「日が暮れる前には話を終わらせておく。夕餉を妾宅に運んできてもらうだろ、その時に運んできた隊士と一緒に屯所へ帰すよ」
 土方の意見も聞かず、の承諾もとらないまま、近藤は一人で決めてしまった。
 「まあ…かっちゃんがそこまで言うなら仕方がねえ」
 と土方は渋々折れてを見やる。
 さっさと支度してついていけと言わんばかりの視線に、はすぐさま副長室へ戻り、外出の準備をした。


 土方の見送りを受け、近藤とは妾宅へ向かった。
 近藤の妾宅は、屯所から歩いてすぐのところにある。首に巻いた襟巻きに体温が伝わりきるかきらないかのうちに、は妾宅の門をくぐった。
 「まあ、旦那様、お帰りなさいませ! お勇、父上様ですよ!」
 明るく高いお孝の声が三人を出迎える。
 ちょうど子どもをあやしていたところのようで、腕にはまだ生まれたばかりの赤ん坊を抱いていた。
 「しばらく留守にしていて済まなかったな。代わりはなかったか?」
 近藤がお勇の頭をそっと撫でながら聞く。
 「はい、旦那様のお気遣いのおかげでつつがなく過ごさせていただいています。あら、お客様でしたの?」
 主人である近藤の戻りが嬉しかったと見えて、お孝は頬を上気させた。
 が、すぐに近藤の後ろに控えているに気づき、近寄ってきた。

 「山口様、お久しぶりでございます!」
 「こんにちわ、突然押し掛けてすみません」
 「お孝、山口君と二人だけで話がある。茶の用意だけしてくれないか」
 なごやかに話しかけるお孝に、近藤は短く言い放つ。そしてを伴い、家の中へと足早に入っていった。




 「どうぞごゆっくり」
 お孝は近藤に言われたとおりに茶だけを運び込み、部屋の障子を閉める。
 いつ近藤が戻ってきてもいいようにだろう、大きな火鉢で室内は心地よく温められていた。

 近藤は床の間を背にして、黒い羽織の裾をさばいてどっしりと座った。
 腕を組んでを見つめる目はまっすぐで、は痛さすら感じる。
 「あの…お話とは…」
 沈黙に耐えきれず、は口を開いた。

 「だいたいのことはトシから聞いた。が、あくまでもそれはトシの側からの話でしかない。君の口から、君の言葉で今までのことが聞きたい」
 近藤はゆっくりとした口調でに頼む。
 否、頼むというより命令に近い。

 「今まで隠していて、申し訳ありませんでした」
 は畳に手をつき、深々と頭を下げる。
 女子であることが近藤にばれてしまった以上、包み隠しておくことが出来ないことは、も承知していた。
 すべて話そう、そう決めるとは、これまでのことをひとつずつ思い出しながら近藤に語った。



 が言葉を選び、伝え間違いのないよう考えながら語るのを、近藤は途中で何度も頷きながら黙って聞いていた。
 障子の外で、ひゅうと乾いた風がうなり、射し込む光が赤を滲ませはじめた時分にはすべての話を終え、もう一度近藤に頭を下げた。

 の全身に突き刺さる近藤のまなざしは厳しいままである。
 (新選組を追い出されても仕方ない。私はそれに値することをしたのだから)
 局長の近藤が直々に自分だけを呼びだしたのだ、どんな罰が与えられても当然とは腹をくくる。
 同志をたばかり、会津藩主に本当のことも告げず、将軍に偽りの身の上で仕えたなど、許される行為ではないだろう。


 「君は、トシが君のことをどう思っているのか、知っているのか?」
 「え?」
 の杞憂をよそに、近藤はまったく違った角度の質問を投げかけてきた。
 質問の意図が理解できずにはきょとんとする。
 近藤がさらに続けた言葉は、をさらに驚かせた。


 「はっきり言おう。トシは君のことを大切に思っている。トシと一緒になってくれないか」


 「…え?!」
 どきん、との心臓が大きく音を立てる。
 大切にとはどういうことだろうか。
 一緒になってくれとは、つまり…。

 「はじめはただ面倒を見てやるだけのつもりだったと、トシは言っていた。その言葉に偽りはないと思う」
 呆然とするを前に、近藤はたたみかける。
 「だが、トシの話を聞いているうちに、君への想いが見えてきた。考えてもごらん。これだけ長い間、君を匿ってきたのはなぜだと思う? 君に惚れている以外、何ものでもないだろう?」
 「それは違います」
 ははやる鼓動を押さえるように、胸元に手をやった。
 「土方さんと私は、ただ単に偶然が重なって今こうなっているだけなんです。それに、土方さんはお優しいから、たまたま拾ってしまった私を突き放せないだけで…」
 「逆に言おう。それは違う。あいつは切り捨てる時がくれば、相手が誰であろうと切り捨てられる男だ」
 ぴしりと近藤がの言葉を制する。
 「で、でも…土方さんは…誰にも、心も体も明け渡すなと…例外なく、って…」
 の気持ちは否定と肯定でかき乱され始めた。
 近藤の言っていることを、頭では違うと思っている。
 しかし、近藤の裏表ない性格から、嘘だとは思えない。

 「そんなのは、あいつが君を独占したいだけじゃないか」
 ふっと近藤は口元に苦笑いを漏らす。

 「俺が今こうして幕臣となり、故郷でも京でも妻子に恵まれているのは、全部トシのおかげなんだ。俺だけが…俺だけがいい思いをして、トシは…」
 近藤はぐっと表情を引き締めて、膝の上の拳を握った。
 「頼む、君、いや、さん! 肥後守様や大樹公は俺が全力で説得するから、女子に戻ってトシを幸せにしてやってくれ!」
 叫ぶようにそう言うと、近藤はに向かって頭を下げた。


 「や、やめてください局長」
 は座布団を蹴って近藤に駆け寄り、頭を上げるように頼む。
 「俺はずっと徳川家にお仕えし、尽力したいと思っていた。トシは、俺を大名にするんだと言ってくれていた」
 だが近藤は畳に頭をすり付けたままである。
 「それが実現したのはトシのちからが大きい。それに、江戸の妻子や三本木の駒野、お孝にも毎月きちんと生活できるように気を配ってくれているのも知っている。俺は、トシに恩を返したい。トシにも、幸せになってもらいたいんだ…!」


 「お話はわかりました。ですから、頭を上げていただけませんか」
 近藤の肩に手をやり、は一刻も早く近藤に頭を上げてもらえるよう必死で言う。
 「そうか、じゃあ…!」
 近藤は自分の提案が受け入れられたと思いこみ、明るい顔でと目を合わせた。


 「わかりましたが、私にはもう時間がありません」
 は居住まいを正し、呼吸を整える。
 「時間がない?」
 近藤が眉を曇らせた。

 「土方さんから伺っていらっしゃると思いますが、そろそろ五年経つはずです。池の水が光ったら、私は帰らねばなりません」
 冷静な口調では告げる。
 前川邸の池から現れたは、湛えられた水が時を越える光を放つ時、飛び込んで元の時代に戻らねばならない。
 水が光るのは五年ごと。光ったら前川が知らせに来てくれる。知らせが来たら、時を越えて存在している異分子のは、元いた時代に正しく帰らねばならないのだ。

 「帰らなくてはいけないのか?」
 近藤がの両肩をがっしりと掴む。
 「どうしても帰らなくてはいけなのか? 帰らないでトシと一緒にいてやってくれ」

 帰らない。
 その選択肢があることに、は息を止めた。

 「でも私、ここの時代の人間じゃないので」
 「そんなことは関係ない。本当にここにいたらいけないのなら、どうして君はこの時代に飛ばされてきたんだ?」
 近藤の、痛いまでのまっすぐな視線がを貫く。

 「確かに、君がここに飛ばされてきたのは偶然かもしれない。だが、その先の定めはわからないものなんだよ。俺が今、幕臣であることのように」

 はいたたまれずに下を向いた。
 近藤の言葉には説得力がある。
 近藤は先代将軍家茂の護衛で京都にやってきた。それが様々な運命を経て、幕臣として取り立てられるまでになった。
 京都に来た当時は、まさか近藤自身も幕臣になれるなど思っていなかったに違いない。

 (だから、私がこの時代にいてもいいと…)
 近藤の熱意が伝わってきて、は胸が詰まった。
 目元が熱くなり、鼻がつんと痛くなる。




 「あの…考えたいので、時間をいただけませんか」
 「考えてくれるのかい? ありがとう!」
 はそう言うのがやっとだった。
 近藤はの手を握りしめ、頼むよと念を押した。


 「御免」
 と玄関先で声がして、お孝が応対に出た。
 「はーい。…あ、あら、土方様?」
 「え?」
 お孝の声に、はどきっとした。

 どすどすと廊下から足音が近づいて来て、障子の向こうに人影が現れる。
 「俺だ。入っていいか」
 聞き慣れた低い声がして、しゅっと障子が開く。
 土方がそこにいた。

 「お前が夕餉を届けに来たのか?」
 近藤が座布団を勧める。
 「ああ。話は終わったか? おい、近藤さんは久々の帰宅なんだ。長居してねえで帰るぞ」
 土方は座らずにの腕を引っ張る。
 はつられて立ち上がった。
 「ああ、終わったよ。連れて帰るといい。君、来てくれてありがとう」
 近藤も話を終わらせて腰を上げた。


 「何のお構いもしませんで、すみません。土方様、副長自ら夕餉をお運びくださり、ありがとうございました」
 お孝がお勇を抱いて頭を下げる。
 「いや、ついでですので。かっちゃん、今夜はゆっくりしろよ。屯所は今のところ何もねえから」
 土方は素っ気なく言った。


 はお孝が抱くお勇をじっと見つめた。
 子の顔の形は丸く、優しげな眉をしている。近藤よりお孝に似ているようだ。

 「よかったら抱っこしてください」
 お孝はにお勇を差し出した。
 「あ…」
 はおそるおそるお勇を抱える。
 ほんの少しあくびをし、むにゃむにゃと口を動かす。
 手を微かに握る。
 仕草のすべてが愛らしく、見ているとこちらの顔が自然とゆるんできてしまう。
 赤ん坊特有の乳の香りが漂い、どんな糸とも比較できないような滑らかさを持った髪の毛が目の前にある。
 (かわいい…)
 はすやすやと眠るお勇を、そっとお孝に返した。

 「かわいいだろう?」
 近藤はお勇を見下ろして満足げに微笑む。
 そして、
 (どうだい、君も)
 とに耳打ちした。
 「し、失礼しますっ」
 は真っ赤になると、さっさと妾宅の門をくぐって外へ出てしまった。



 「おい待てよ」
 後ろから土方が追いかけてきて横に並んだ。
 は土方を見上げる。
 土方の様子は普段とまったく変わらない。
 「どうした?」
 首を傾げて問いかける、その前髪がゆらりと揺れた。

 この人が何かにつけて近寄ってきたり。
 布団に入ってきたり。
 キスしてきたり。
 それが全部、近藤の言うとおり、土方が自分のことを想ってしているのだとしたら…。


 ぼん。
 の顔が真っ赤になり、足元がよろける。
 「おっと」
 土方がの体に腕を伸ばした。

 力強い腕に支えられ、乾いた煙草の香りに包まれる。
 はますます土方を意識せざるを得ない。

 「だ、大丈夫です! お腹がすいたので早く戻りましょう!」
 はすっくと立ち上がり、逃げるように土方を置いて屯所へ走った。



 近藤には考えるための時間が欲しいと言ったが、その場を逃れるための嘘だった。
 もうすぐ池は光り、元の時代に帰る時が来る。
 自分と土方の関係に結論を出す暇などない。

 その前に。
 土方が自分をなんて、あり得ない。絶対ない。
 近藤の思い違いだと自分に言い聞かせて深く息を吸った。


 しかし、世の中に絶対はないことを、はこの先思い知る。
 あらゆる者の運命を翻弄する風が吹こうとしていた。



 20121025