久遠の空 ドリーム小説 インターミッション 〜ワガハイは猫である 後編〜

インターミッション 〜ワガハイは猫である 後編〜



 「壬生にある前川邸の池からか…」
 猫はの話が終わると、前足を顔に当てた。
 「あなたはどうやってこの時代に来たんですか?」
 誰かに自分の身の上を聞かせることは危険だと承知している。は話してしまったものの胸をざわつかせながら、猫に質問した。
 「オレか?」
 「はい」
 は、自分がしゃべったのだから今度はそちらの番だと言わんばかりに頷いた。
 猫は前足を塀の上に戻し、を見据える。
 「オレは…」
 猫の話が始まった。


 「オレは遠い未来から来た。お前が来たよりももっともっと先の世だ。オレは野良猫で、食うに食えず死にそうになっていたところを、 教授に拾われた」
 「教授?」
 「オレの飼い主だ。大学の教授で、オレを研究室で飼っていてくれた。 教授は変なものをいろいろ研究していた。オレが人の言葉をしゃべれるようになったのも、教授が作り損なった妙な薬をオレが舐めたからだ」
 「…そうですか」
 「別にオレをモルモットにしたんじゃねーぞ。オレが勝手に、教授がほっといた薬を舐めただけだからな」
 「はい」


 「だがそんなことは教授の研究の中じゃあチンケなものだ」
 「…」
 「教授が専門に研究していたもの、それは」




 「時を越える研究だ」




 「えっ…と…時を越える、研きゅ…」
 はその言葉を聞いて狼狽えた。
 自分が時を越えたのは様々な偶然が積み重なった結果だと思っていた。
 それを研究している者がいたとは。
 心臓が早鐘を打ち、荷物を抱える腕が震える。
 猫はの驚きように目を細めると、話を続けた。


 「教授は世界中の奇妙な伝承を集めて、泉やら池やらが異次元への扉になっているんじゃねーかとアタリをつけた。そこから百年間、 オレはずーっと、教授が水の成分を調べているのを見ていた」
 「…百年間? あなた何歳なんですか?」
 「オレのことはいい、話を聞け小娘。ある日、ついに教授は自然の水の中から、時を飛ぶ成分を検出したのさ」

 「時を、飛ぶ…」
 「そうだ。実験で、その成分をたらした物体はどこかへ消えてしまうことを証明してみせた。おかげで研究室の消しゴムがすっかり無くなった。 教授は毎日ほとんど眠らず、世界各地から水を取り寄せて時を飛ぶ成分の抽出を繰り返し、時を越える装置―― つまり、タイムマシンを作ろうとしていた」
 「タイムマシン…を…」

 「だがどこで嗅ぎつけてきたのかは知らねーが、金目当ての連中が教授に、時を越える方法を教えて欲しいと乗り込んできた。もちろん教授は 断ってそいつらを追い返したんだが、そいつらは諦めなかった。

 教授は一年以上を掛けてタイムマシンと、計算上十年分の時間旅行が出来て戻ってこられる量の成分の抽出に成功した。教授はオレを 腕に抱えると、タイムマシンを始動させた。そこへ金目当ての連中が来やがった。やつらはタイムマシンを止めるために飛び乗ろうとしたよ。 でも教授は振り払って、マシンのスイッチを押した。

 大成功だった。オレと教授は別次元の時間軸の中を漂っていた。でも、そこでアクシデントが起きた。悪党どもが襲ってきた時にマシンの一部が 傷つけられていて、マシンが煙を上げ始めたんだ。

 そこからはもう想像がつくだろう。マシンは爆発、オレは教授と離れて、この時代に落ちてしまった。時間軸を離れてゆく 時に教授がもっと遠くまで飛ばされていくのがちらっと見えたから、きっとここよりも昔に飛ばされちまったんだ」




 そこまで一気に話すと、猫はを見た。
 は風呂敷包みを胸元に抱き、半信半疑の面持ちで猫の話を聞いていた。

 「何故教授が猫のオレを連れて行こうとしたのかわかるか?」
 「…いいえ」
 「教授は自然の水の中から時を飛ぶ成分を取りだしたと言っただろ? その成分を血中に持つ生き物がいるってことにも気づいていたのさ。 もっとも、ものすげー低い確率だけど」
 「それが、あなただった」
 「偶然にもな。確かめてねーが、教授もそうだったんだろう」


 は荷物を抱え直しながら思案する。
 自然の水の中に、時を越えるという奇跡的な要素を発見したその教授は、要素を抽出した。ある程度まとまった量の要素が出来上がったところで、 どういった構造かはわからないがタイムマシンを作り、体内に時を越える成分を持つこの猫とともに、時間を飛び越えることに成功した。

 自分の状況を当てはめてみる。
 京都の旅館にある池に落ち、前川邸の池から出てきた。つまり、それぞれの池の水は時を越える要素を満たしていることになる。
 が、常にそうだという訳ではないようだ。池が妖しい光を湛える、その時だけが異次元に入り込むチャンスらしい。
 また、雨の中にもその成分は含まれている。成分を多く含んだ雨を受ければ、時を越える。これは我が身で実証済みだ。

 そして自分には、いや、自分と斎藤の従兄弟であるには、時を越える血が流れているようだ。消しゴム程度の物は成分の力のみで時空の彼方に飛ばせても、 猫や人間などの塊を飛ばすためには、抽出された液体を外側から加えるだけでなく、内側からも力を作用させる必要があるのだろう。


 が考え込むのをやめて猫を見ると、猫はがっくりとうなだれていた。
 「どうかしたんですか?」
 はじっと猫を見上げる。 
 「お前がもっと前の時代から来たんじゃないかと、期待してたんだが…」
 ぽつりと呟くと、猫は横を向いてうずくまった。

 猫の様子を見て、は胸を痛めた。
 この猫は、はぐれた教授が心配でならないのだと。
 時を渡ることができる存在は滅多にいない。もし時を渡る者が現れたら、何らかの形で教授と出会い、 その消息を知ってはいないだろうかと問うてみたかったのだろう。


 「ごめんなさい…」
 はいたたまれない気持ちになった。折角同じ経験を、しかも低い低い確率でしか出現しない者と出会えたのに、 欲しい情報が手に入らなかった気持ちはいかばかりだろう。
 「お前が悪いわけじゃあねーよ」
 猫は尻尾の先で板塀をごしごしと擦った。
 否定しているが、きっと落ち込んでいるに違いない。は袂を探って、何かあげられるものはないか確かめた。しかしやはり何も出てこなかった。


 猫は顔を上げると、髭をぴくんと動かした。
 「お前にいいことを教えてやる」
 は顔を上げる。
 「いいこと?」
 「ああ」

 猫はえへんと胸を反らすと、神妙な顔つきで告げた。
 「前川邸の池だけが“出入り口”だとは限らないぞ」
 「え…?」
 元の時代に戻るための出入り口が、あの池だけじゃない? は無意識のうちに喉をごくりと鳴らした。
 「時を越える成分が一定量含まれている水溜まりや雨なら、いつだってどこでだって時を越えられる。オレも教授の研究室で消しゴムが どっかへ飛ばされる時、抽出された成分が妙な光を放つのを見た。前川邸の池から出てきたからって、こだわることはない。 あの光を放つ水溜まりを見たら、前川邸の池じゃなくたって飛び込めばいいのさ」
 なかなか見つかるもんじゃないが、と猫は付け加えた。
 「前川邸の池じゃ、なくても…」
 「そーだ」




 「呼び止めて悪かったな。じゃーな」
 猫は立ち上がると、うーんと伸びをした。
 「あ、はい」
 はふと我に返る。
 「これからどうされるんですか?」
 「今は人に飼われている。気ままに散歩して市中の池をよっく見て、光ったら飛び込むさ。前川邸の池も候補に入れておこう」

 「いろいろと教えていただいて、ありがとうございました。お元気で」
 は猫に向かって頭を下げた。
 「まあ、そっちもな」
 猫は両目を細める。
 「無事に戻れるよう、祈ってるぜ」
 そう言うと、猫は塀の向こうへと消えて行った。



 は細い路地から表通りへと戻った。
 長く話し込んでいたような気がするが、太陽の位置はさほど変わっているように見えない。
 は黒谷への道を、ゆっくりと歩き出した。



 初めて自分と同じ、時を越える経験をもつものと対面した。
 しかも相手はタイムトリップをよく理解している。
 漠然と時を越え、流されて生きている自分とは大違いだ。

 出来るなら、前川邸の池から戻るのがいいだろう。そこがもっとも確実だからだ。
 土方が前川と八木に、池が光ったら知らせてくれるように手配してくれている。
 だが、西本願寺に移転するかもしれない今、万が一にもその時に間に合わなくなる可能性もある。
 その時には他の水場を探すことも心の隅に置いておこう。
 鴨川にかかる大きな橋を渡りながら、は猫との遭遇を反芻した。




 前川邸の池は、約五年の周期で不思議な光を放つ。
 それはが江戸末期に飛ばされた五年後もそうであった。
 だが、まさかその機会を失い、猫の助言に従って新たな出入り口を求めることになろうとは、この時のにはまだ欠片も想像できなかった。



 了



 20100309