インターミッション 〜ワガハイは猫である 前編〜
「行って参ります」
は風呂敷につめた荷物を確認すると、土方に挨拶をする。
「ああ」
土方は文机に向かい、届いた書状に目を通しながら返事をした。
はその背に頭を下げ、部屋を静かに出ていった。
「山口さん、山口さん」
声がするほうを見ると、式台に向かうを数人の平隊士が物陰から手招きしている。
はおそらく予想通りのことを聞かれるのだろうと思いつつ、そちらへ向かっていった。
三人ほどの平隊士がを待ち構えていた。
「何かご用ですか?」
とが顔を見渡しながら問う。
「山口さん、山南総長の切腹の理由、本当に知らないのか?」
三人のうちの一人がずいっとの前に出た。
「あの妓、神谷のだろ? 山南さんともできてたってことか? 何か知ってたら、ちょっとでもいいから教えてくれ」
「小姓だから知ってることあるだろう? 誰にも言わないからさ」
他の二人もに詰め寄り、風呂敷包みを持っていないほうの手に小さな包みを乗せてきた。その軽さと感触から、
落雁などの菓子類だろうと思われる。
は一字一句と変わらぬ質問に、心の内だけでため息をついた。
山南の切腹から数日、新選組の屯所である前川邸も八木邸も、だんだんと落ち着きを取り戻してきた。
儀式が執り行われた仏間は掃除をし、畳は新しいものに取り替えられ、元に戻された。
隊士たちは翌日から巡察を行い、宿改めや不逞浪士の取り締まりに務めている。
どれもこれも、表向きだけは。
仏間に入ればまだ生々しい臭いが充満しているし、傷一つない畳は新しすぎて、いかにも取り繕った感がある。
巡察の当番でない隊士たちは自分たちが控えている部屋で、山南についてぼそぼそと話し合っている。
特に話題になっているのは、山南と、格子越しの別れを交わした天神・明里、明里と恋仲のはずの神谷についてだった。
隊内でも特に小柄で可愛らしい、まるで女子のような神谷に妓がいるということだけでも驚きなのに、
恋敵がいて、相手は幹部である山南だったのだ。
何故神谷が明里と山南を会わせてやったのか。誰もが興味を持ったが、誰もそのことを神谷に聞けない。
神谷ともっとも仲がいいのは沖田である。しかし一番隊組長である沖田にそのようなことを聞く者はいない。
そうなれば必然的に、その次に神谷と仲が良く、内情を知っていそうな人間に白羽の矢が立つ。
は朝と夕方、屯所内で土方の部屋から出ている時に、幾人もの隊士たちからこっそりと質問された。
神谷の妓であるはずの明里が、何故山南と涙の別れを交わすまでになっていたのか。
どうして神谷はその場へ明里を連れてきて、山南と会わせてやったのか。
山南が神谷の妓に横恋慕して、という噂もあるが、どうなのか。
副長の小姓なのだから、何か上層部の話を知っているのではないか。
だがも真相は知らない。
神谷が自分の妓について語ったこともないし、山南からも何も聞いていない。
山南がなぜ腹を切ることになってしまったのかも知らない。
は隊士たちに問われる度に首を横に振る。そして思う。
表になるべきことは、いずれ明らかになる。もしそうならなければ、自分は知るべき立場にいない、あるいは知らないほうがいいことなのだ。
「お役に立てずにすみませんが、本当に何も知らないんです」
はいつもと同じように謝り、手に握らされた包みを返す。そしてなおも食い下がる隊士たちを、黒谷に行く時間に遅れるからと押しとどめて、
前川邸を出た。
街中までやってくると、すでに様々な店が開いており、活気のある呼び込みの声がそこかしこから聞こえてくる。
まだ春の気配までは遠い、冷たい空気が体の中に吸い込まれる。はそれをそっと吐き出し、空を見上げた。
山南の死からこちら、土方とまともに口を利いていない。
土方には西本願寺への屯所移転問題や、今まで山南が引き受けていた仕事も回ってきており、やることは山のようにある。
だからが朝起きて屯所を出るまでと、黒谷から戻ってきて寝るまでの僅かな間に話しかけるような余裕がない。
だがそれだけが理由でないことも、は重々承知していた。
それは、自分が伊東に対して疑惑を抱いていること、それを土方に話せずにいることを、土方が気づいているからだ。
土方には、何かあったら何でも話すことにしている。今までずっとそうしてきた。
だが、近藤の肝煎りで入隊してきた伊東を、はっきりとしない情報だけでどうこう言うのは憚られる。
は時々伊東の元を訪れ、たわいもない話をしたり食事をしたりしていた。その時の伊東に妙な、言うなれば新選組に反旗を翻すような
言動は見られなかった。ただ、伊東が知っている豊富な知識を聞かされ、それに対して自分が頷く程度のものだった。
証拠があれば。
伊東が潔白である証拠があればいいのに。
抱き続けている嫌な予感が、自分の浅はかな杞憂で終わってくれたら。
は足を止め、またひとつ白い溜息をついた。
そんな彼女の目の前に。
にゃあ、と猫が鳴いて座った。
はその声を聞いて視線を落とした。
草履の足の少し先に、猫がちょこんと座している。
大きさからすると大人の猫らしい。灰色のつやつやとした毛並みの猫だ。
にゃあ。
猫はもう一度鳴き、に向かって小首を傾げた。
あまり可愛らしいといった顔立ちではないが、懸命に笑顔を作っているようだ。
はその顔にふと笑みを漏らすと、猫を避けて立ち去ろうとした。
だが、猫はの前にすっと足を出し、の進路を断った。
(お腹…空いてるのかな)
まるで立ちはだかるように座っている猫を見下ろしながらは思った。
あいにく何も食べ物を持っていない。先ほど平隊士たちに握らされた菓子をもらっておけばよかった。
「ごめんなさい、何も持ってないんです。誰か他を当たってください」
は座り込んで猫の頭を撫でる。
すると猫はの手にしがみつくように、腕を伸ばしてきた。
(この猫…)
何か変だ。自分に何かを訴えている。
は素早く周囲に目を配った。が、猫が誰かに追われている気配もないし、自分がつけられている感じもしない。
何だろう、と今度はが首を傾げた。
「まったく、ニブい奴だな」
の前で、声がした。
は顔を上げて前を見るが、通りの左右に軒を連ねている店先に人がいるばかりで、のすぐ前には誰もいない。
「どこ見てんだよ。馬鹿じゃねーのか?」
また、声が聞こえてきた。
まさか、と思い、はおそるおそる視線をもう一度下へと向ける。
「やっと気がつきやがった」
猫がぼそぼそと口を動かすのに合わせ、その声がした。
「えっ?」
は目をごしごしと擦った。
猫が、喋っている…?
「こっちへ来い」
猫はの手をすり抜けると、店と店の間にある細い路地へと軽やかな足取りで入っていった。
は猫が喋っていることを信じられず、呆然として座ったままだ。
猫が振り向いて、早くしろと言わんばかりに尻尾をひゅっと振る。
は慌てて立ち上がると、風呂敷包みを抱き締めて、猫の後に続いた。
やっと人ひとりが通れる細さの路地を入っていくと、はひと坪ばかりの小さな空き地に着いた。
猫は板塀の上に座り込み、長い尻尾を優雅に垂らしている。
「お前、お仲間だろ。どこから来たんだ?」
猫が言う。
「お仲間…?」
は猫と一定の距離を取ったところに立ち、猫を見上げた。
猫はにやっと笑うと、信じがたいことを口にした。
「お前も、時を越えてやってきたんだろう?」
はぎくりとした。
何故そのことを、見たこともない猫が知っている?
「何故わかったのか、って顔してるな」
猫はゆったりと、灰色にきらめく尾を振った。
「見てすぐわかった。お前がこの時代の人間じゃねえってことがな」
「見て、わかる…?」
「ああ、お前を包むオーラが、この時代のもんじゃねえからな」
は満足そうに笑う猫を見つめながら考えた。
土方と斎藤以外、自分が時を越えてやってきたことは知らない。二人ともそれを迂闊に漏らすことはない。だがこの猫は知っている。
「お前はどうやって、どこからやってきたんだ? 教えろ」
猫が尾を止めて再度聞いてきた。
知らないはずのことを知っている、しゃべる猫。
この時代の猫には当てはまらないものを持っている。
信じてみても、いいだろうか。
は猫を見上げる。
丸い、ビー玉のような眼がを見つめ、底知れぬ光を放っている。
は周囲に人がいないかをよく確かめると、こほんとひとつ咳払いをした。そして自分がこの時代にやってきた経緯を話し始めた。
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20100308