久遠の空 ドリーム小説 2012年拍手文 十一月 その2

お前への不満×20    19.たまには俺に守らせろ

日の光は冬の寒さにその色を薄くし、
吐く息は日毎に白さを増してきた。

火鉢を側に寄せながら延々とつきあっている書類の山は、
朝から一向に減る気配を見せない。
「少し休みませんか?」
手伝っているお前が休憩を申し出てきた。


茶を入れに台所へ向かったお前は、障子を開け放っていった。
煮詰まった空気を、新鮮で透明なそれが追い出していく。
腹の底まで深く息を吸って吐き出すと、
頭の中だけでなく体全体がしゃっきりしてきた。

すると、今までは気付かなかったが、
どこからか声が聞こえてきた。
「猫か…?」
みゃあみゃあと、か細い声で鳴いている。
どうも常ならぬように聞こえ、縁側から庭に下りてみた。

植え込みの隙間や木の枝にはその姿はない。
縁側の下にもいない。
だが声はまだ聞こえている。
いったいどこから聞こえてきやがるんだ。


「土方さん、お待たせしました」
盆に湯飲みを二つ載せ、お前が戻ってきた。

「どっかから猫の声が聞こえてこねえか?」
「猫、ですか」
「ああ」
「…あ、本当だ、聞こえてきますね」
「どっからだと思う?」
「うーんと…上、ですかね」

上と言われて、俺は上を見た。
そうかもしれない。
屋根の上から聞こえてくるような気がする。

ふとお前は姿を消したかと思うと、
梯子を持って帰ってきた。
そして屋根に梯子をかけ、
あっという間にするすると上っていく。


「いましたよ、子猫です。
下りられなくて困ってるみたい…」
お前が下を向いて、小さな声で言った。
「じゃあどうやってそこまで上ったんだ?」
呆れて俺はため息をつく。
「あの枝を伝って来たんじゃないでしょうか」
とお前は一本の枝を指さした。

屋根の上には、向こう側から延びる長い木の枝が見える。
周りにはその枝以外に、屋根の上に上れるような手がかりはない。
木登りでもしているうちに屋根へと落ちちまったんだろう。

「先にお茶飲んでてください。
私、あの子を捕まえて下ろしてあげます」
「あ、おい」
余程その子猫のことがかわいそうになったのか、
お前はひょいと屋根へ上がって姿を消した。


縁側に置かれた茶を手に取り、お前が戻ってくるのを待つ。
「おいで」
「大丈夫だから、おいで」
「怖くないよ」
お前が子猫を寄せようとするのが聞こえてくる。
だが子猫は全くお前に近づいてこないようで、
屋根瓦をこする音一つ聞こえてこねえ。


そうこうしているうちに、冷たい風に吹かれていたせいか、
厠に行きたくなってきた。
厠に行くことをお前に告げようとして口を開いたが、
とある考えが頭をよぎり、口を閉じる。

俺は梯子に近づくとそっと持ち上げて、置き場を変えた。
お前からは見えにくい位置だが、
ちょっと探せば見えるところへ。

もしお前が俺のいない間に子猫を捕まえたら、
梯子と俺の姿を探すだろう。
そして陰に隠れた梯子を下りながら、
いたずらしたんですかと聞くお前の顔が目に浮かぶ。

俺はひとりでそれを想像して笑いを抑えながら厠に行った。



用を足して戻ってくると、
置き場を変えた梯子がないことに気づいた。
お前の名を呼ぶと、返事をして、
屋根の上からこちらを見下ろしている。
その胸には白い子猫がしっかりと抱かれていた。

「すみません、梯子、どこですか?」
「そっちにねえか?」
「ええ、屋根の縁を全部見たんですけど…」
お前の困り顔までは予定通りだが、
なんだって梯子がねえんだ?
まさか、目立たないところに置いといたせいで、
屋根の上に人がいるとも思わず、
使いたい誰かが持っていっちまったのか?


「すみません、危ないかもしれないので、
離れていていただけますか?」
と言って、お前が子猫を懐へ押し込む。
何をする気だと問う前に、
お前はひらりと屋根から飛び下りた。


「ばっ…!」
俺はとっさに真下に走り、
両手を広げてお前を受け止める。
まるで示し合わせたかのように、お前は俺の胸に
ぴたりと飛び込んできた。

落下の衝撃で、俺たちは地面にどさりと倒れ込む。
体が跳ねた隙に、子猫はお前の懐から飛び出して逃げていった。


「あ、逃げちゃった…」
お前は残念そうに、子猫が消えていった植え込みを目で追う。
「逃げちゃったじゃねえだろ! 無茶しやがって!」
暢気な声色に、思わず俺は大声を出した。

「俺が梯子を探してくるまで待ってるとか、
飛び降りるにしてもうちっとそっととか考えねえのかよ!」
「すみません、下りられればいいかなと思って」
「馬鹿かテメエ、こんなことで怪我でもしたらどうすんだ!」

部屋のすぐ上が屋根とは言え、高さはそれなりにある。
下手に落ちたら骨の一本や二本では済まないかもしれない。
安全に下りる策はいくらでもあったのに、
もしこんなことで怪我でもしたらと思うと、肝が冷える。


「下りるぐらいなら土方さんに迷惑をかけたくないと思って…
でも、軽率でした。申し訳ありません」
お前はしゅんとして頭を下げる。
まったくだ。
軽率にも程ってもんがある。
本当にその意味わかってんのか。


「馬鹿が」
俺は残りの怒りをため息に混ぜて逃すと、
お前の額を指ではじく。
お前は痛そうに眉を寄せ、もう一度謝ってきた。


出来ることは何でも自分でやろうとするのはいい。
だがな、たまには俺に任せちゃくれねえか。
どんなことでも、お前が少しでも困っているのなら、
俺はいつでも全力で受け止めたいと、
そう、思っているのだから。