久遠の空 ドリーム小説 2012年拍手文 四月 その1

お前への不満×20    6.他の奴にはそのカオ見せるな

朝、お前は平隊士どもの回診を手伝っている。
俺はその間、副長室で今日の仕事を確認し、
お前が回診から戻ってきたらやってもらう仕事を分けていた。

「土方副長、失礼いたします。お客様です」
と門番の隊士が知らせに来た。
「客? 誰だ」
「前川、と名乗っております」
「…前川さんだと?」
俺はその名を聞いて、一瞬息を止めた。


「どうも、お久しぶりで。新選組の噂はいつも聞いておりますよ」
部屋に入ってきた前川さんは、人のいい笑顔で言った。
「おかげさまで」
と俺は返答する。

前川さんは、この西本願寺に移る前に新選組の屯所を置かせてもらった家の持ち主だ。
お前がこの時代に現れた池がある家。
移転の時に、池が光ったら知らせてくれと前川さんに頼んでおいた。
池が光る時、お前が元いた世界との道が開ける。
お前が元の世界に戻る事が出来る時が来るのだ。

まさか池が光ったのか。
ついにお前と別れる時が来たのか。

そうだとしても、この心を揺らすことは無い。
少なくとも、お前が池に飛び込むまでは平気な振りをしてやる。
お前が元の時代に戻るのは当たり前で、そうするべきだからだ。
それだけが絶対の真実なのだから。



「ところで、今日はどういったご用件で?」
平静を装って煙草を吸おうと、煙管に煙草を詰める。
が、手がうまく動かない。
ちくしょう、覚悟は出来ているはずなのに、なんてザマだ。

「例の、池の件につきまして…」
前川さんが言い出した。
どきりと自分の心臓が大きく動くのがわかる。

「土方はんと山口はんに頼まれましたけどなあ、
ただ池が光ったら知らせるだけやのに、あない大金もろて申し訳ないと思っておりまして。
近くまで来る用事があったもんやさかい、これを届けに寄らせてもらいました」
前川さんは笑顔で風呂敷を広げた。
水菓子の詰め合わせが入っていた。

「あ、ああ。そうですか」
ほっとして、俺は煙草を詰めて火を付ける。
薄い煙が宙に漂った。

なんだ、光ったわけじゃねえのか。
だったら最初にそう言ってくれりゃいいのに。
心の中で悪態をついてみるが、安堵のほうが大きい。
お前が元の時代に帰るのは決定事項だと言うのに、
やはり帰したくないと思う気持ちが勝っている。
どうしようもねえ野郎だ、と今度は自分に文句を言ってみた。




「土方さん、失礼します」
お前が障子の外から声を掛けてきた。
回診が終わったのだろう。
俺は入室を許可した。

入ってくると、お前は客の存在に気付いた。
同時にそれが誰なのかにも。


「…まえ、かわ、さん」


一瞬で顔の血の気が失せて。
目は大きく見開かれ。
来客に見せる外向きの笑顔もなく。
まるで何かを怖がるかのような、こらえるような目つきをし。
喉から絞り出すような声で、お前は客の名を呼んだ。



「お久しぶりどす」
前川さんは軽く会釈をして、
池に関して頼み事をした金子が多かったので、
お返しの水菓子を持ってきたことを説明した。

「あ、そ、そうだったんですか。わざわざすみません」
前川さんの言葉に頷くと、お前はすぐに笑顔を繕った。



前川さんが帰ると、お前は水菓子を包み直した。
「多すぎるので…沖田さんと神谷さんにあげてきますね」
「そうか」
俺もそんなに甘いもんを食うわけじゃねえから異論はねえ。
お前の好きにすりゃあいい。


「…あのよ」
俺は立ち上がり、部屋を出て行こうとするお前の肩を掴んだ。
「何でしょうか」
お前は俺のほうを振り向いた。

その面構えは、もうすっかりいつものお前だった。
さっき前川さんが来ていることを知り、
驚いてんだかびびってんだかわからねえ顔じゃなかった。

「…いや、何でもねえ。
総司たちにそれをやったら、とっとと戻ってこい。
仕事は山ほどあんだからな」
お前の顔を確認して、俺はお前を突き放した。
「はい、すぐに戻ってきます」
お前はこくりと頷き、部屋を出て行った。



前川さんを見た時、お前も驚いたんだろうな。
何の前触れもなく元の時代に戻る入り口が開いたのかと思ったんだろ。
俺ですら驚いたんだから、当事者のお前ならなおさらだろう。

だがお前はすぐに面構えを戻した。
いい心がけだ。
お前の心の機微に聡い奴は、この組の中に何人もいる。
他の奴にはそのカオ見せるなよ。