六月:〜無自覚なふたりで七題 6. 友達同士じゃしないコト・おまけ〜
新選組には局中法度という鉄の掟がある。
“局を脱するを許さず”もそのうちのひとつだ。
勝手に新選組を抜けることは許されておらず、もし脱走が明らかになったら追っ手がかけられ、処断される。
しかし無闇に法度が適用されるわけではなく、事情がある者に対しては、円満な脱退が許される場合も存在するのだ。
「局長、副長、大変お世話になりました」
隊士のひとりが、局長室で頭を深々と下げている。
この男は、土方の江戸での募集に応じて入隊してきた者だった。
商家の次男坊で算盤が使え、勘定方で働いていた。
しかし先月兄が亡くなり、家業を継いでほしいと実家から頼まれ、家に戻ることになったのである。
「うむ、息災でな」
近藤が頷く。
「この前も注意したが、くれぐれも隊で得た情報は漏らさないでもらいてえ。そこだけ気をつけてくれ」
土方は厳しい視線を男に向けると、懐から袱紗を出す。中には男が実家に帰るための旅費と心付けが入っていた。
男は再び礼を述べるとありがたく袱紗を頂戴し、局長室から去っていった。
ふう、と土方はため息を吐き出す。
「彼はよく仕事をしていてくれたからなあ、残念だな」
近藤は組んでいた腕をほどく。
「まあな」
土方はすっと立ち上がり、自室へ戻った。
「あ、土方さん、行ってきます」
が荷物を手にして、ちょうど副長室から出てきた。守護職邸へ行くところらしい。
「ああ」
土方はちらりとを見て、すぐに室内へ入った。
西本願寺の境内に参詣者が集まってくる。そのざわめきを遠くに聞きながら、土方は机に頬杖をついた。
今日辞めていった男は、近藤が言ったように確かに仕事は出来た。算盤も金の扱いもうまく、急な出費にもすぐ対応していた。
しかし、ひとつ気に入らなかったことがある。
にご執心だったことだ。
江戸で入隊の面接をしたときから、この男はずっとを気にかけていた。
京に来てからは、もともとがあまり屯所にいないとは言え、見かける度に声をかけていたのを、土方は知っている。
もで、その男があからさまな態度をとらずに近寄ってくるためまったくその気持ちに気がついておらず、ごく普通に接していた。
土方はふと何かを感じ、副長室の障子を開けた。
下駄をつっかけると太鼓楼の脇を抜け、外に出る。
塀を曲がったところに、土方の予想通り、やはりいた。
辞めていった男とが。
土方のところまでは、何を話しているのかは聞こえてこない。
だが、男の表情でだいたいわかる。に今までの想いを告白しているのだろう。
は頭をかいて俯いた。ただの仲間としてしか見ていなかったという様子が見え見えである。
土方は予想の範疇だったとはいえ、の態度に安堵した。
土方の視界に入っている二人は、互いに黙りこくった。
先にが口を開いた。
二言三言、何かを告げる。
すると、男は風呂敷に包んだ自分の行李を地面に落とした。
そして思いあまったようにの体を引き寄せて、抱きしめた。
土方は思わず足が一歩前に出たが、ぴたりとその足を止めた。
の手が男の手に重なる。
すると、男の手は何かのまじないにでもかかったかのようにするりとの体から離れた。
手をはがされた男は、自分のしたことが急に恥ずかしくなったのか、に向かって頭を下げた。
は顔の前で手を振り、許すかのように優しげな目で語りかける。男の口元が和らいで、二人は微笑み合った。
男が行李を背負ったところで、土方はきびすを返し、太鼓楼横の門をくぐった。
自分の知らないところで、彼女があんなことを。
しかも力ずくで抱きしめられたのに、激しい抵抗のそぶりも見せなかった。
彼女には彼女の時間があることは承知していながら、どうにもやりきれない。
土方は副長室へ戻って今日の予定をこなしはじめた。
しかしふと気づくとの俯いた横顔が心に浮かんでくるのだった。
夕方、は何事もなかったかのように屯所へ戻ってきた。
「おやすみなさい」
夕餉も風呂も済ませたは、さっさと布団に潜り込んでしまった。
は今朝のことを何も言わない。まるで何事もなかったかのように。
一日中朝のことが頭から離れなかった土方は、行灯の火を消すとの布団に入って、後ろからをぐっと引き寄せた。
「ちょっと…あの…」
が抗議めいた色を声ににじませて振り返る。
「どうした、あいつみたいに俺もはがしてみろ」
さあ、どう出るか。
精一杯の抵抗を見せてこの腕から出ていくか、それとも。
「や、見てたんですか」
「ああ、見てた」
たっぷり見ていた。お前が俺じゃない別の男に抱き締められて、腕の中から出ていくまで。
そう言ったら、どんな顔をするんだろう。きっと困ったような顔をするんだろうな。
その顔を想像して、土方は喉の奥で笑う。
は何も言わない。
土方の手に己の手を重ねることもしない。
小さなため息をついただけで、黙って土方の腕の中に収まっていた。
「隙だらけなんだよ、お前は。少しは反省しろ」
土方はを抱え直し、ぴたりと体をつける。
「離してください」
がそう言っても、土方は少しも腕を緩めようとしなかった。
一言も発しないまま、静かな時間が流れ、はいつしか土方の腕の中で穏やかな寝息を立て始めた。
最後には朝の光景のように、あの男のように拒まれるかと思ったのに。
土方はいささか拍子抜けした。
今朝の光景に小言めいたことを言って。
素足を絡めて、体の全てを抱き寄せて。
これでも何ひとつ伝わっちゃいねえってのか?
外では雨がしとしとと降っている。
せめてこの雨音と同じくらいには、この心が腕の中の温もりに響いてくれないものか。
今日も土方は、雨音よりも静かなため息をつくしかなかった。
20110703
お題配布元:Fortune Fate様