三月:〜無自覚なふたりで七題 3. 目と目が合えばふたりの世界〜
「あー…」
文机に向かう土方がそう言って肩を二、三回動かし、頭を傾ける。
「…おい」
いつものしかめ面をますますしかめた土方はを呼んだ。
「はい」
は障子越しの明るい光の中で顔を上げる。彼女の指が、書見台の上の本をめくって止まった。
「耳掻き」
「はい」
土方が短く命令すると、は立ち上がる。襖を開けて自分の行李を引き出すと、中から細い耳掻きを取り出した。
は片手に耳掻き、片手に座布団を二枚持つ。
土方が障子を開くと、待っていたかのように日差しが室内へと入り込んできた。
は一枚の座布団の上に正座する。
土方が膝の上に頭を乗せ、が土方の腰の下にもう一枚の座布団を差し入れた。
ぽかぽかとした、眩しい光が二人の影をひとつにする。は土方の耳に手を触れた。
「耳ん中でゴソゴソしやがる。あるだろ」
「そうですか? 手前には見あたりませんが」
「いーや、絶対ある」
「はい…」
「いって!」
「す、すみません。落ちたの拾おうと思ったら」
「気をつけろ。あー痛えなちくしょう」
「すみません…」
「あっ」
「…拾ったの落としたろ」
「ごめんなさい、見えてるんですぐ拾います」
「ったく、下手くそが」
「取れました」
「ついでに反対側も見てくれ」
「わかりました」
が懐紙の上に取れたものをかさこそと落とす。
その間に土方は反対側に回り、再びの膝に頭を置いた。
は土方の耳たぶを軽く引き、土方の耳の中を太陽の光で照らしながら耳掻きを動かす。
(さっきは痛くしちゃったから…)
今度は土方に痛みを感じさせないよう、の目は真剣そのもの。
土方はその緊張感が、耳を摘む指や、ちからの入る太股から伝わってきて、笑いそうになるのを堪えた。
「終わりましたよ」
は耳掻きの先を懐紙で包むと、土方に声をかけた。
土方は目を細く閉じたまま、動かない。
(眠っちゃったのかな…)
は横に向けられたその顔を、じっと見つめた。
まだはずの遠い春を感じさせるような日差しを受ける肌は白く、軽く閉じられた唇はうっすらと赤みが差している。
すっと通った鼻筋に、男の人としては長めの睫。
瞼に落ちる、散らした前髪。
明るいところで見ることは滅多にない、土方の寝顔。
夜は暗いし、土方が自分より先に眠ることなど滅多にない。
ちょっといいものを見てしまった気がして、はくすりと笑った。
「人様の顔見て笑うたあ、いい度胸だ」
不意に下から低い声がをたしなめる。
土方が横を向いたまま、を見上げていた。
寝ているのかと思って、と言おうとしては言葉を飲み込んだ。
瞼の隙間から黒く光る土方の目に縫い止められたかのように…動けない。
土方が畳に肘をついて半身を起こす。
視線を合わせたまま、は動けない。
土方の手がの短い髪に入り込み、後頭部を押さえる。
そのまま、土方が顔を近づけてきた。
(やっ…)
は固まったまま、目だけをきつく閉じた。
こん。
の額に、土方の額がぶつけられる。
「いった」
「耳掻き代だ」
「え…? あの、普通、何かしてもらったお礼って、相手が喜ぶとか、役立つこととかじゃないんですか?」
「ああ、喜べ」
「…」
「何だそのビミョーそうな顔は」
「いいえ、何でもありません」
「棒読みだぞ」
は言い返せなくなって黙る。
土方はくつくつと笑いながら体を横たえる。
「おい」
「はい」
「少し寝る。本でも読んでろ」
土方がの膝に頭を乗せ直して目を閉じる。
「はい」
は書見台を引き寄せた。
珍しく副長室を訪れる者もおらず。
ただ西本願寺へ参詣に来る人たちの声だけが遠くに聞こえて。
二人の間に音もなく降る陽光は、二つの影をしばしの間、柔らかに繋ぎ続けた。
20110301
お題配布元:Fortune Fate様