久遠の空 ドリーム小説 2011年拍手文 二月

二月:〜無自覚なふたりで七題    2. 受け取る様子は『愛妻弁当』〜



 「暦の上では春ですけど…寒いですねえ…」
 が白い息を吐きながら言う。
 足下の土には霜柱が立ち、踏みしめるごとにざくざくと心地よい音を立てた。
 「文句あんなら帰るぞ」
 その隣で同じく白い息を吐いているのは土方である。
 「すみません、文句じゃないです」
 は余計なことを言ったと思い、俯いた。
 「謝るこったねえだろ」
 土方が袂から手を出しての頭を小突く。
 「す、すみません」
 はまた余計なことをと首をすくめた。
 「だから謝ることじゃねえだろが」
 土方はまたの頭に手を伸ばし、髪をぐしゃぐしゃとかき回した。

 また謝罪しようとする言葉を飲み込んで、は片手で髪を直す。
 土方はその様子を見ながら笑いをかみ殺した。
 からかっているだけなのにいちいち自分の言葉を真に受ける彼女が笑える。
 それに気づかずに真顔で応答し続けるのもおかしくて仕方がないから、つい手を出してしまうのだ。
 
 二人は袷を着込んだ上に、襟巻きをぐるぐるに巻いている。
 それでも寒さはお構いなしに空気をきんきんに冷やしていて、襟巻きを口元まで引き上げなければ顔が痛いほどだった。


 それでも二人が外を歩いている。
 夜が明けて間もなく目を覚ました土方がを起こし、見せたいものがあると言って誘ったからだ。
 は暖かさの残る布団から這い出る。
 どんなに寒くても、土方と出かけられるならすぐ起きられる。
 は土方が厠に行っている間にいそいそと身支度を調えた。

 「朝餉は取らずにすぐ出ますか?」
 戻ってきた土方にが聞く。
 すでに屯所の台所では朝餉の支度が進められているらしく、空気にほんのりと味噌汁の香りが混じっていた。
 「ああ、食わねえで行く」
 土方は襟巻きを出して首に巻き付けながら答える。
 「わかりました」
 は頷くと部屋を出た。
 少ししてから戻ってきたは、手に何かの包みを持っていた。
 「お待たせしました」
 そして冷たい水で顔を洗ってきたらしく、頬が少し赤くなった顔で、土方ににこりと微笑んだ。


 襟巻きの隙間から吐く息すら白い。
 土方が早足で歩きもそれについて行っているので体は温まる。
 が、外気の冷たさはまったく変わらない。
 二人は寒さにだんだんと口数を減らしながら歩いていった。

 土方は踏み固められた道をはずれ、まだ陽光がうっすらとしか届かない林の中へと入っていく。
 は息が上がってきた。
 襟巻きを下げて口で呼吸をしてみる。
 酸素の多い空気とともに、体の中を凍てつかせるような空気が入り込み、はすぐに口を閉じて襟巻きを引き上げた。

 「この辺でいいか」
 土方が足を止め、大きな切り株に腰を下ろす。
 も座ろうと辺りを見回すが、適当な切り株や座れそうな場所が見あたらない。
 「来い」
 土方が手招きする。
 が土方に近づくと土方がの手をぐいっと引いた。
 はあっと言う間に土方の足の間に座らされた。

 ひとつの切り株に、二人は寄り添って座った。
 土方はを後ろから抱きしめている。
 「あったけえ」
 土方がの頭の上でくつくつと笑う。
 も口元に笑みを浮かべる。自分も温かいと思っていた。こんなささいなことでも同じことを思えるのが嬉しい。

 早めに起きた上に早足で歩き、土方の体温がちょうどいい。はうつらうつらとし始めた。

 「起きろ」
 土方がをそっと揺らす。
 はぱちりと目を開けた。


 の目に入ってきたのは、朝日が差し込む梅林だった。
 逆光に照らされた梅の木は、その影をくっきりと際だたせる。
 枝には丸く愛らしい花が咲き、日の光に呼応するかのごとく、芳醇な香りを一斉に漂わせた。
 地面からは水蒸気がゆうらりふわりと立ち上り、光と影の境目をあちこちで曖昧にする。
 嗅覚も視覚も魅惑する、幻想的な景色が二人の前に広がっていた。


 「すごい…土方さん、これをどこで?」
 は首を少し後ろに回し、土方に尋ねる。
 「情報源は明かせねえな」
 土方がうそぶく。
 「明かせないような場所で教えてもらったんですか?」
 がふふっと笑う。
 結果だけを披露し、経過は明かさない。とても土方らしいとは思う。

 「うるせえ」
 土方はそれ以上答える気がないようで、を強く抱き締めた。
 しかしそれは甘い雰囲気のものではなく、ぎゅうぎゅうと痛いほどにの体を締め付けるものだった。
 「っ、ひじかたさっ」
 は土方の腕を引きはがそうと、土方の手に己の手を乗せた。

 「つめてえ」
 土方がの手の冷たさに、腕の力を緩めた。
 「あ、ごめんなさい」
 そんなに冷たかったかとは手を引っ込めようとした。
 しかし土方がその手を捕まえ、自分の手の中に収める。

 「冷てえな、お前、死んでんじゃねえのか?」
 土方がからかうように言った。
 「生きてますよ」
 は少し頬を膨らませた。

 土方はの両手を取ると、自分の襟巻きの下に導いた。
 の手のひらに、土方の首筋の体温と、滑らかな肌の質感、そして動脈の力強い脈動が伝わってきた。
 普段は触れない場所に触れている。は気恥ずかしくなって襟巻きに鼻先をつっこんだ。

 「生きてるってのはこうあったけえことを言うんだ」
 土方がにやりと笑う。
 「や、私だってそこはちゃんとあったかいです」
 が反論する。
 「へーえ、どれ」
 土方の手がの襟巻きの下に伸びる。
 「やめてください、もう」
 はその手を払いのける。
 土方はなおもの襟巻きの下に触れようとする。
 土方は完全にふざけているが、は必死の防御だ。


 その時。
 くう、と二人の腹が同時に鳴った。
 二人の動きが止まった。


 「…お腹、空きましたね」
 が誤魔化すように笑い、持ってきた包みを開ける。
 外を覆っていた布がほどけると、中から竹の皮で包まれたおにぎりが出てきた。

 「急ごしらえだったんで上手に握れませんでしたけど…どうぞ」
 は竹の皮ごと、おにぎりを土方に差し出す。
 どこへ出かけるにしてもきっと途中で腹が減るだろうと思い、わずかな時間で適当に飯を握ってきた。
 おにぎりは薄い塩味で、かろうじて付け合わせに漬け物を数切れもらってきた。

 土方はおにぎりを凝視している。
 は、こんないい景色に連れてきてくれたのに自分のおにぎりがでこぼこなのを見て、土方が気を悪くしたのではないかと胸をきしませた。

 「食わせろ」
 土方が口を開けた。
 「え?」
 はきょとんとする。
 「ひとつ食わせろ、ほら」
 土方はおにぎりを指さした。
 「あ、はい」
 はおにぎりを摘むと土方の口元に持っていく。
 土方はむしゃむしゃとそれを食べた。
 最後のひと口での指に土方の唇が触れた。柔らかい感触に、はさっと手を引っ込めた。

 「後は自分で食う」
 土方は何事もなかったかのように、が持つ竹の皮からおにぎりを取り上げて食べた。
 は少しだけ心臓の音を高鳴らせながら、自分もおにぎりを食べ始めた。

 二人は食べ終わると口を拭った。
 「帰るか」
 土方が立ち上がる。
 も立ち上がり、尻の辺りをぱたぱたとはたいた。

 「おい」
 土方がを呼ぶ。
 「はい」
 は頭を上げた。

 ふっと視界が陰ったかと思うと、の口の端に、土方のそれが触れた。

 は真っ赤になって思わず後じさる。
 「な、何ですか?」
 「米粒ついてたぞ」
 土方はの口元を指し示した。
 「だったら口で言ってくれればいいじゃないですか、そ、それか、そう、指で取ってくれるとか」
 は動揺し、言葉をどもらせる。
 「取れりゃあ一緒だろ。まさか米粒つけたまま屯所に戻るつもりか?」
 土方はにやにやと笑う。
 「そうじゃないですけど」
 はなおも抗議を続けた。


 のお小言が終わると、二人は帰ることにした。
 歩き始めると、が口を開いた。
 「あの…土方さん、いいものを見せてくださってありがとうございました。とても素敵でした」
 からかわれっぱなしだったが、朝早くにいい景色を見せてくれたことに、は素直に感謝した。
 「ああ」
 土方は頷くと手を差し出す。
 「?」
 は意味がくみ取れずに首を傾げた。
 「手出せ」
 土方が言い、は片手を出した。

 その手を土方が握った。
 温かく大きな手が、の手を包み込む。
 は戸惑いながらも、土方に握られるまま道を歩いた。


 西本願寺の大きな屋根と白い塀が見えてくると、土方は手を離した。
 土方は両手を懐に突っ込み、太鼓楼のある門へと足を早める。

 は先ほどまで土方が握っていてくれた手を、もう片方の手で包んだ。
 表面はどんどん冷めていくが、心の中はほんのりと温かい。
 その温かさを胸の奥底にしまうと、は小走りに土方の背中を追った。


 20110201