久遠の空 ドリーム小説 2010年拍手文 十二月

十二月:〜春待月(はるまちづき)は泡沫の如〜



 ほんの少し太陽が顔を出しただけの、薄暗い時刻。
 はふと目を覚ました。

 吸い込む空気が凍るように冷たい。
 いつの間にか布団を深く被っていたらしく、はもぞもぞと顔を出す。
 細く開けた唇の隙間から出る息が白く見えた。

 「外…雪降ってんぞ…」
 正面から土方の声がする。
 土方が自分の布団に潜り込んでいた。
 「雪…」
 ゆうべ自分が布団に入った時は降っていなかった。
 どうりで寒いわけだと、は両手を握りしめた。

 土方の手がを引き寄せ、体をぴたりとつける。
 「まだ早え…もう少し寝てろ…」
 の後ろ髪を指で梳きながら土方が言った。

 土方の胸元では目を閉じる。
 とくり、とくりと土方の鼓動が聞こえてくる。

 はそっとため息をついた。
 布団に入ってこられるだけならいい。暖房器具など元の時代ほど発達していないから、暖をとってもらうのは構わない。
 ただ、抱きしめられるとどうしてもこの気持ちが加速してしまう。
 彼の腕が体に回り、高めの体温が体に沿う。耳元で安らいだ寝息が紡がれる。指で優しく髪を梳かれる。
 たったそれだけのことなのに。
 どんなに胸の奥深くへこの想いを沈めても、たったそれだけのことでふわりと浮いてきてしまう。それが何より困るのだ。


 しばらくすると、土方の呼吸が規則正しくなり、の髪を梳く指が止まった。
 土方は再び眠りに落ちたようだ。
 ゆっくりとは体を離し、眠る土方の顔を見る。

 (…少しだけ)
 は土方の寝顔へと焦点を合わせた。
 まだ薄日しか差し込んでこない室内でもはっきりわかる。
 整いすぎるほどに整った、役者のようだと形容されるような、土方の顔立ち。
 生来の顔かたちもあるが、身を置く環境の厳しさによって、それはますます研ぎすまされている。
 人の顔にはそれまで歩んできた人生が刻まれるという言葉があったとは思い出す。
 きっと土方の顔は、人生によって磨かれてきたのだろう。

 普段はあまり土方の顔を見つめることなどない。
 互いに忙しいし、じっと見つめて土方に何で見つめているのか理由を問われでもしたら大変だ。答えられない。
 だから今、こうして土方が眠っており、自分のほうだけが起きている今だけ、ゆっくりと見つめることが出来る。


 はしばし土方の顔を眺めると、そっと体を回して土方に背を向けようとした。
 その時、ふっと土方の腕が伸びてきた。

 は寝返りを打とうとした途中で体を押さえられる。
 が土方を見ると、細く目を開けていた。
 そして体が力強く引き寄せられ、鼻先がこすれあい、


 寒さで乾いた唇に、同じくかさついた感触が押しつけられた。


 「何、す…っ」
 は土方の肩をぐっと押す。
 「人様の寝顔を長々と眺めていた代金だ」
 土方は喉の奥でくつくつと笑う。

 「嫌だ土方さん、寝た振りだったんですか?」
 「寝たとは誰も言ってねえ」
 「でも、だからって」
 「売り主は俺だ。言い値で買い取れ」

 そういうことじゃなくて、となおも抗議しようとするを、土方は腕の奥深くしまいこんだ。
 「あー、あったけえ…」
 からかうような土方の声がの上から降り注ぐ。
 すっぽりと腕の中に抱え込まれて身動きのできないは、抵抗をあきらめた。

 土方の匂いがする。
 言葉でどうとは言えないが、安心する。
 はまたひとつ思い出す。
 好きな相手からは、好ましい匂いがするらしい。

 「お前、いい匂いするな」
 ぼそりと土方がの頭の上で言った。
 「えっ…」
 いい匂いって。
 まさかと思い、の心臓はどきりと高鳴った。
 しかし、あることに思い当たる。

 「…そ、そう言えば、行李の中の香袋を取り替えました」
 の行李には香袋が入っている。香りが無くなったら交換するようにしている。
 それを先日取り替えたのだった。
 「もうすぐお正月ですから、春らしく梅花香にしてみたんですけど…匂い濃かったですか?」
 は自分の着物の匂いを嗅いでみる。重たい香りにならないよう、店主に香の量を調整してもらったのだが、思ったより濃いのだろうか。
 「いいや」
 土方がの耳元へ唇を寄せた。

 「ここまで来なきゃわからねえ」

 は俯いて考える。
 それは、匂いが濃すぎなくてよかったと思うべきなのか。
 この想いを伝えることの叶わない相手にここまで近づかれて、軋む胸を押さえるべきなのか。


 「…雪、どうなったか見てみます」
 は土方の腕から逃げるように抜け出し、障子を細く開いた。
 庭の地面は白く染まり、植えられている木々も緑の葉の上に雪を乗せている。空は鉛色の分厚い雲に覆われ、ふわりふわりと雪を舞い散らせ続けていた。

 「今日は外出禁止だぞ」
 土方も布団から出て、の後ろから空を見上げた。
 「はい」
 は頷く。条件が整わないまま自然の水分に濡れてしまえば、また中途半端に時を越えかねない。光る水に飛び込んでこそ、自分の“時渡り”は完全なる効力を発揮する。

 土方の手が障子を閉める。
 「さて…まだ早えし寝直すか」
 その手がの肩にかけられた。
 「私はもう起きます。朝餉の準備の手伝いしてきますね」
 はまだ眠かったが、土方から離れる口実を口にした。
 「そんなことより副長の布団をあっためる仕事があるだろ」
 「それは仕事じゃないと思いますけど…」
 「いーや、大事な仕事だ」

 障子から声が遠ざかる。
 二人は再び温もりの残る布団に潜り込んだ。

 は土方の腕の中で目を閉じる。
 寄りかかってはいけないとわかっている。わかっていても、甘えてしまう。
 の頭は暖かさに思考力を失ってきた。

 元の時代に戻る時が来ても。
 この淡雪のような、でも溶けることのなさそうな想いだけは、持っていっても、

 「…いい、です…か…?」

 幸せな、この気持ちを。
 は夢うつつに呟いた。
 何がだ、と土方が問い返すのが遠く聞こえた気がしたが、は答えずにことりと眠りに落ちた。



 20101201