久遠の空 ドリーム小説 2010年拍手文 十一月

十一月:〜竜潜月(りゅうせんづき)に訪う者なく〜



 こすり合わせた手にはあっと息をかけても、温まるのは一瞬だけ。
 日中も気温はさほど上がらなくなり、冷たい空気は空の青を澄んだものにしている。


 冴えた三日月が西の空低く沈み、空は完全に夜の帳に閉ざされた。
 は二人分の床を延べる。

 今夜、土方はいない。
 外出するとだけ言って、が黒谷から戻るのと入れ違いに出て行った。

 毎晩のように報告に来ている監察方が部屋へ来る気配がない。
 少し前に今夜巡察の三番隊と四番隊の部屋の前を通った時、明かりもなく静かだった。
 もう巡察はとっくに終わっている時間なのに、だ。
 土方、監察方、三番隊、四番隊が結託しての捕り物が行われているのだろう。

 それだけの出動人数をかけていれば、まず心配はいらないと考えるべきなのか。
 副長である土方が出張っているという点で、慎重を期さねばならないと思うべきなのか。
 何も知らされずに待つだけの身では、どうにも量りかねる。


 落ち着かずに障子を細く開いてみても、庭の向こうに見えるのは月のない闇夜。
 漆黒の闇に、さらなる黒をもって西本願寺の御影堂と阿弥陀堂が鎮座している。
 門はすでに閉ざされていて、参詣に訪れる者はおらず、見回りの僧が掲げる手燭が見えるだけだ。

 分厚い掛け布団をめくると、その動く音が嫌に大きく聞こえた。
 土方が黙って留守にすることなどいくらでもある。
 土方のことだし、三番隊の組長は斎藤だ、心配はいらないと自分自身に言い聞かせる。
 だが、今夜は捕り物かもしれないと思うと、どうしても胸がざわつく。
 は胸の前で手を握りしめた。


 項垂れた、その時。
 遠くで人のざわめき声が聞こえ、どすどすと廊下を踏みしめる音が複数聞こえてきた。
 そのうちの一つがのいる居室に近づいてくる。

 が顔を上げるのと同時に、障子が勢いよく開かれた。
 「何だ、まだ起きてたのか」
 部屋に入ってきた土方は、布団の上に座り込んでいるを見下ろす。
 「あ、はい、お戻りなさいませ」
 暗い中ではあるが、動作と声の調子から土方の無事を確認したは、安堵して布団の上に手をついた。

 「捕り物があって、二人ほど手傷を負った。今、神谷を呼んで手当てさせている」
 「はい」
 「ったく、新参者が焦りやがって、命令もなしに勝手な判断で飛び出すんじゃねえよ。おかげでそのあとがどたばただ」
 土方が毒づきながら腰の二本を引き抜く。
 はやはり捕り物だったのかと思いながらそれを受け取った。

 に刀を渡した後、土方が舌打ちしながら軽く手を振った。
 「お怪我ですか? 痛いところでも?」
 は土方の手を取る。
 土方はその手を振り払って言った。
 「違えよ。飛び出した馬鹿どもを殴りつけてやったんだ。作戦ってもんがあるのにそれに従わないことは、出動した皆を危険にさらすことになる。 必要に応じて臨機応変に動くことも大事だが、今夜はそういうもんじゃなかった」


 はその場を想像する。
 捕らえる相手が、どこかの宿にいたと仮定する。
 その宿の近辺に隊士を配置し、相手が出てくるのをひたすらに待つ。
 待つというのは実に心身を消耗する行為だ。皆の心がちりちりと焼け付く音が聞こえる気がする。
 ようやく宿から出てきた相手がきょろきょろと周りを確認してから道を歩き始める。
 角を曲がった瞬間に相手に襲いかかろうという作戦だったのに、血気にはやった新入隊士二人が飛び出してしまった。
 しかも相手に気取られて斬りつけられる。
 白刃が体をかすめ、飛び出した隊士たちはぐらりと体勢を崩す。
 機をうかがっていた他の隊士たちが物陰から躍り出て、むちゃくちゃに刃を振り回す相手を制し、捕縛した。

 それを見届けた土方は、地面に転がった隊士たちの胸ぐらを掴み、横っ面をはたく。
 なぜ作戦通りにしなかった、勝手に飛び出しやがって。
 全員で素早く取り囲めばたいした抵抗もなく取り押さえられたものを。
 よく通る、割れんばかりの大声が暗闇を切り裂く。
 怪我をした怖さよりもその怒鳴り声に、隊士たちは震え上がったに違いない。


 狙った相手が出てくるまでじっと待たされ、苛つきが胸を焦がす中、冷静さを保つのは容易ではない。
 また、必要なのは危険な一人舞台での栄光ではなく、出動した全員による安全確実な勝利である。
 それが新選組の捕縛方法なのだ。
 個人で勝手な行動を取って怪我をし、仲間を危険にさらすなど、もってのほかである。
 新入隊士と言えど、いや、新入隊士だからこそ、現場でたたき込んでおかねばならない。


 「でも…組長がいたのによかったんですか? 組下の者は組長に任せるのに」
 ぼそりとが疑問を口にする。
 「うるせえ。副長直々の制裁だぞ、ありがたいと思ってもらいてえな」
 けっと土方はそっぽを向いた。

 ふとの頭に、土方が呼ばれていたあだ名が思い浮かんだ。
 近藤から聞いたのだが、昔土方はバラガキと呼ばれていたのだそうだ。
 尖った茨に触れれば怪我をする。
 そんな茨の名がつく悪童だったらしい。
 組長より先に手を出すなんて、久しぶりの現場で、血が騒いだのだろうか。


 土方らしいと言えばらしい姿に、は土方が脱いだ羽織と袴を受け取りながらくすりと笑った。
 「何笑ってやんがんだ」
 土方がを肘で突く。
 「さっさと茶でも持ってきやがれ。ついでに三番隊と四番隊にも置いてこい」
 「はい」

 は部屋を出て、台所へ向かった。
 自分の分はともかく、三番隊と四番隊の分の茶など、怪我人の手当をしている神谷がとっくに用意しているだろう。
 殴り倒した隊士たちの様子が気になるに違いない。見てこい、ということなのだ。
 あれで結構心配してるんだな、素直に自分で見に行けばいいのにと、はまた土方の土方らしさに肩を震わせた。



 20101101