十月:〜神去月(かみさりづき)は扇動に惑う〜
それは試衛館の面々が局長室に集まり、だらだらと飲んでいた時のこと。
たまには試衛館の仲間内でぱーっと飲もう、と誰かが言い出し、気がつけば何の目的もなく、ただ騒ぐだけの宴席が仕立てられていた。
祇園ならお前も帰りに寄りやすいだろと言われ、も反強制的にその宴席に参加させられた。
待ち合わせの時刻を少し過ぎた頃。
赤く煌めく提灯が遠くまで並ぶ中、黒谷帰りのは目的の店に駆け込んだ。
が部屋に通されるとちょうど宴会が始まるところで、は土方の隣に座らされ、杯を持たされた。
「うーしっ、これで全員揃ったな」
永倉と原田が立ち上がり、席の中心に立つ。
「じゃー今日は飲むぞー!」
「おー!」
「朝まで飲むからなー!」
「原田先生は明日の朝の巡察じゃないですか」
「固えこと言うなよ神谷、巡察終わってから寝りゃあいいだろ」
「お酒臭いまま巡察ですか?」
「あーもう、だから固えこと言うなっつーの! 酒がまずくならあ!」
神谷に冷やかされた原田は、いの一番に杯の中身を飲み干す。
盛大な宴会が始まった。
どんちゃん騒ぎのひとときが過ぎ、お開きの時間となった。
久しぶりに気の置けない仲間と飲んだ勢いで派手に酔っぱらった面々は千鳥足である。
ほとんど飲んでいないや土方、近藤などはそれを後ろから微笑ましく眺めていた。
しばらく歩いていくと、急に足下を照らす月の光がかげり、空を灰色の雲が覆い始めた。
そう思った瞬間、ぱらりと冷たい粒が地面に模様を描き出した。
雨だ。傘は持っていない。
は目を見張ると、近くの軒下に走り込む。
続けて土方も狭い屋根の下に入り、の横に並んだ。
「何してんだよ、濡れたっていいじゃねえか」
事情を知らない永倉が足を止め、二人を促す。
「いいえ、あの…先に戻っててください」
はうまい言い訳が思いつかないまま永倉に言った。
「ぱっつあんよう、いいから二人きりにさせてやろうぜ」
どっと原田が永倉にもたれかかり、の後ろを指さした。
永倉はその先を目で辿ると、にんまりと笑う。
「あーそうだそうだ、こりゃあ野暮なこと言った! じゃあなお二人さん、ごゆっくり〜」
大げさな動きで手を振り、永倉は高く笑いながら原田と藤堂と三人で肩を組んで闇夜に消えていった。
ふとは何かおかしいと思って振り向く。
自分が飛び込んだ軒先の明かりに書かれた文字を見て、思わず額を押さえた。
そこには「盆屋」と書かれている。
盆屋、つまり元の時代で言うところの、ラブホテルの軒先で雨露をしのごうとしていたのだ。
遠い明かりには斉藤、近藤、井上、沖田と神谷の顔が浮かび上がり、事情を知っている者も、知らないまでも何かあると感づいた者も頷いて雨の中を駆けていった。
「土方さん…先に帰っててください…」
直に雨も止むだろうからと、は土方を見上げる。
永倉たちも、本気でこちらが盆屋で一晩過ごそうとしているとは思っていないだろうが、このまま土方と戻らなければ後でいらぬ冷やかしを受けることになる。土方に無用の気遣いをさせたくない。
「ちょっとあんたたち、入るの入らないの」
盆屋の暖簾がかき分けられ、中から主人らしい男が出てきた。
「あ、す、すみません。雨宿りを…」
は振り向いて主人に軒先を借りる旨を申し出ようとした。
しかし土方がの腕を掴み、ずかずかと暖簾の奥へと入って行ってしまった。
二人は二階の部屋に案内された。
二つの枕がよろしく並んでいる。
は窓際に座り、障子を細く開けて外を眺めた。
水が鋭く屋根や地面を打つ音が聞こえてくる。
雨が少し強めに降り出してきたようだ。
じじっと音がして、乾いた匂いが漂う。
土方が煙草に火をつけた。
あのまま軒下にいたら、盆屋の主人は気を悪くしたに違いない。
それに雨があまりにも強く降り出してきたら、狭い軒先では雨を逃れきれないだろう。
自分を中に入れてくれた土方は、やはり優しい。
は土方の気遣いに感謝した。
「土方さん、私一人でも大丈夫ですよ」
は土方の側に寄り、小声で言った。
「帰ってから誤解されてもご迷惑でしょうし…」
「別に構わねえよ今更。つまらねえ噂ならとっくの昔に立ちまくってんだろうが」
土方は前髪を掻き上げる。
「それとも、誤解を本物にしとくか?」
土方がの肩を抱く。
「…」
土方お得意の“真顔で冗談”であるのはわかっている。
でも、頼むからそんな目で見つめないで欲しいとは俯いた。
「土方さん、冗談きついですよ」
は肩に掛けられた手を離すと、窓際に戻って外を眺めた。
窓の隙間から入り込む、雨に冷やされた空気が気持ちいい。
からかわれていると知っていても高鳴る胸を戒めるためには、冷たい空気がちょうどよかった。
「少し横になる」
土方は煙草を始末すると、ごろりと横になった。
しとしとと、雨はなかなか止まない。
偶然とはいえ、盆屋に入ったのは結果として正解だった。
音のない部屋を振り返ると土方が寝転がっている。眠ってしまったのだろうか。
その片手は空いている枕のほうに投げ出されており、自分が横になるのだったらそこへ体を横たえなければならない。
たぶん土方は、自分がその腕に頭を載せて寄り添っても、何も言わない。
自分の気持ちに素直になってそう出来たらと、儚い幻想が雨に煙る。
は窓枠にもたれる。
雨の音を聞きながら、いつの間にかその場でうとうとと夢の中へと歩んでいった。
20101001