久遠の空 ドリーム小説 2010年拍手文 八月

八月:〜紅染月(べにそめづき)の焦燥に暴かれ〜



 息苦しい。
 京の夏は湿気が多く、空気が重たい。
 周囲を山で囲まれているため、空気の逃げ場がないからだ。
 空からは容赦なく直射日光が降り注ぐ。
 は夕方、日が落ちてから屯所に戻ってきたが、それでも体感温度は変わらなかった。

 ひたすら出る汗を拭い、土方の部屋に入る。
 土方は部屋にいなかった。近藤と一緒にどこかへ出掛けている。
 室内は空気が籠もっていて、むっとしていた。

 は部屋の障子を開け放つ。
 しかしそんなことをしても焼け石に水だった。
 風はほとんどなく、ぬるい空気が室内で微かに動くのみ。
 団扇や扇子で扇ぐぐらいしか、空気を動かす手段がない。
 ふうとため息をつくと、は汗を拭きながら部屋の隅に腰を下ろした。


 あまりの暑さに、隊士の多くがだれている。
 食事や風呂の担当にあたっている者たちも同様で、今日はどちらの準備も遅れ気味になっていた。
 しかし誰もそれを責めない。皆、気持ちは同じだ。
 もゆっくりとそれを待つことにし、まだ明るい室内で本を読み始めた。

 は黒谷まで一刻近く歩いている。
 しかもこの暑い中を、往復である。
 それが続けば疲れもたまる。向こうに着いたらほとんど座ったままで勉強していても、だ。
 食事の支度はまだまだ出来そうもない。
 は少しだけと思って座布団を折り、それに頭をのせて目を閉じた。



 暑さで時々現実に引き戻されながらも、は夢を見ていた。
 土方が部屋にいる。文机に向かって書き物をしていた。
 はその背中を時折眺めながら本を読んでいる。
 つまり、いつもの光景だった。

 土方がふと振り向き、のほうを見る。
 も土方を見る。
 「何だよ」
 土方が言う。
 「いえ…別に」
 ちらちら見てましたとは言えずに、はそれとなく視線を外す。

 土方が立ち上がり、の隣に腰を下ろす。
 は少しだけ横に体をずらした。
 「暑いな」
 「…そうですね」
 の頬を、一筋の汗が流れる。


 土方はを抱きしめると、畳に倒れた。
 ぴたりと体を重ねられ、は身動きが取れない。
 どうせ土方はいつもと同じくふざけてこんなことをしているだけなのだろうけれども。

 暑い。

 「土方さん…暑いです…どいてください…」
 は額の汗を拭いながら呟いた。
 「夏なんだから仕方ないだろ」
 土方は腕の力をまったく緩めもせずに言う。

 「くっついてれば余計に暑いじゃないですか」
 「我慢比べだ」
 が小さな抗議をしても、土方はくつくつと笑って答えるだけだ。
 我慢比べという言葉には、閉め切った部屋で冬物を着込んで暖房をかけ、熱い茶や熱いうどんを飲み食いする光景を思い浮かべた。
 想像だけでもますます暑苦さが増す。

 「…不毛なことはやめたほうがいいと思います」
 「何を想像している?」
 「私の負けってことでいいですからやめましょう」
 「駄目だ。真面目にやれ真面目に」

 こんなことのどこを真面目にしなければならないのだろう。
 は負けを宣告しても離してもらえないので、おとなしく土方の腕の中に収まっていた。

 しばらくしても土方は自分を離しそうになかった。
 いつまでやったら解放してもらえるのだろうかとは眉を寄せる。
 息苦しくて、暑くて、頭がぼうっとしてくる。
 気が、だんだんと、遠くなった。



 ははたと目を開けた。
 暑さは頂点を過ぎ、暗い室内に緩やかな風が漂っている。
 外の庭では虫が静かに鳴いていた。
 

 起き上がろうとすると、肩の辺りに重みを感じた。
 いつの間にか土方が戻ってきていた。
 の体に手を回し、横になっている。
 すう、と寝息が聞こえてきた。

 自分も疲れてうたた寝してしまったが、土方も外出から戻って疲れたのだろう。
 同じように横になっているうちに、眠ってしまったに違いない。


 土方の腕の中から抜けようと思えば抜け出せる。
 だがはせっかく眠っている土方を起こさないほうがいい気がして、自分も再び目を閉じた。



 ひとつの座布団に頭を並べた姿が、食事の時間を告げに来た隊士に発見されるまで。
 ふたりは汗をかきながら、つかの間の休息を取った。



 20100801