三月:禊月(けつげつ)にたつ鳥は帰らず
寒い寒いと白い息を吐いていたのは、つい先頃のことだった。
寒い日と暖かい日を数日ごと、交互に繰り返し、気がつけばすでに春の気配を感じる。
朝もだいぶ寒さが和らいできた。
は先に着替えさせてもらい、土方が着替えている間、廊下に出ていた。
ちゅん、と。
土方の部屋から見える庭に、雀が飛んできた。
井上が庭にえさ台を立て、そこにえさを置くようにしたのだ。
置くのはの役目で、台所で出た野菜くずなどを細かくしたものを与える。
数日で雀はここにえさがあることを覚え、何羽もまとまって食べに来るようになった。
土方は朝っぱらからうるせえと文句を言うが、は雀が小さなくちばしで餌をついばむ様子を見るのが好きだ。
えさ台に一羽来たと思ったら、次々と数羽がまとまってやってくる。
台の上のえさを、仲良く並びながら、かつ、先を争うように食べ始めた。
あの鳥たちは、どこから来るのだろうとは思う。
雀は人里近くに現れ、住処も家の屋根の隙間や寺の門の中など、生活圏にあることが多い。
狭いところに作るのが得意なようで、自然の中なら木のうろなどに作ることもあると、どこかで聞いたことがある。
「また見てんのか。よく飽きねえな」
じっと雀たちを見つめるを見て、着替え終わった土方が障子を開いて顔を出した。
「はい」
丸っこい頭が、丸っこい体にちょこんと乗り、ちょこちょことえさをついばむ。
その様子が可愛らしくないですか、などと言うと、どこがだよと返されるのがオチなので、は肯定するに止めた。
雀と言えばと、は「雀のお宿」の話を思い出す。
怪我をした雀がおじいさんに助けられて介抱されるが、洗濯に使うのりを食べてしまい、怒ったおばあさんに舌を切られる。
おじいさんは出て行った雀を追って、雀のお宿に辿り着く。そこでおじいさんは雀たちの歓待を受け、お土産に大小のつづらを示される。
小さいつづらを選び、おじいさんは家に帰る。開けてみると中には小判がぎっしり詰まっていた。
一部始終を聞いたおばあさんは、小さいつづらでこれだけの小判がはいっているならば、大きな方にはもっと入っているに違いないと、雀のお宿を目指す。
お宿に着いたおばあさんは、おじいさんと同じように迎えられるが、つづらだけ寄越せと言って、大きなつづらを持ち帰る。
ところが大きなつづらを開けてみると、中からは幽霊や妖怪ばかりが出てきて、おばあさんは腰を抜かして逃げてしまった、という話だった。
自分も土方と斉藤に助けてもらった。
沖田や神谷、試衛館の面々、会津藩や師匠のハーバー、学友、雇い主の一橋慶喜にも助けられている。
義理も情けも受けている。
それを忘れないようにしなければならない。
洗濯のりを食べて舌を切られないように気をつけて過ごしたいとは思う。
「そんなに面白えもんか?」
土方はの隣に片膝を立てて座った。
はにこりと笑って返す。
複数の雀が頭を上下させていると、台の上のえさはやがて無くなった。
雀たちは礼でも言うように頭を振ると、青空へぱたぱたと羽ばたいていった。
最後の一羽が消えるのを見届けると、は土方のほうを見た。
形の良い顎に手を当て、何か考え込んでいる。
「どうかしました?」
は、雀のことにはいい顔をしない土方の表情が、どことなく緩まっているように感じた。
「一句浮かびそうだ」
土方は眉を寄せて目の辺りに手を当てる。
はさっと室内に入り、土方の筆に墨を含ませ、紙と一緒に差し出した。
「飯持ってこい」
「はい」
自分がいると句作の邪魔になるのだろう、は立ち上がって台所へ向かった。
は二人分の膳をもらい、茶を淹れ、顔を合わせた隊士たちと少し話をしてから土方の部屋へと戻った。
すでに廊下に土方の姿はなく、部屋に戻って座っている。
「お待たせいたしました」
が膳を据え、二人は朝餉をとり始めた。
「出来ましたか?」
が聞く。
「ああ」
土方が頷く。
「どんな句か、聞かせていただけません?」
「もったいなくて聞かせられるか」
「…豊玉宗匠」
「こ、この野郎、心にもねえ呼び方するんじゃねえよ。さっさと飯食って黒谷へ行け。雀だって飯食ったらどっか行っただろうが」
「はい、わかりました」
は朝餉が終わると支度を調え、黒谷へと向かった。
どこか遠くの枝で雀が元気よくさえずるのが聞こえ、顔を上げたの目に、仲間とともに空へと舞い上がる雀たちが映る。
土方がどんな句を詠んだのかは教えてもらえなかったが、きっと彼らしい、見たままの情景を写し取ったに違いないとは笑った。
20100301