久遠の空 ドリーム小説 2010年拍手文 二月

二月:初花月(はつはなづき)は冷ややかに香る



 暦上では春のはずだが、まだまだ冬の寒さは続き、命あるものを芯まで震えさせる。
 京では四日前から間断なく雪が降り続き、昨日の昼頃にようやく止んだ。
 人々はやっと外へ出られるようになり、も四日ぶりに黒谷へと向かう。
 は一面に広がる銀世界に白い息をはずませ、高下駄の歯に入り込む雪を時折落としながら歩いて行った。



 その日の夕刻、黒谷から引けてきたは八木邸に寄って借り物をした。
 前川邸に戻り、土方の部屋の前に膝をつく。閉めきられた障子の向こうに帰営の声を掛け、返事があってから障子を開いた。

 「いつまでも開けてんじゃねえ、寒いだろ。とっとと入って閉めやがれ」
 入り口に座ったままのを見て、土方が顔をしかめる。
 土方の近くには火鉢が置いてあっても、吐かれる息は白かった。

 「土方さん、これ、お部屋に入れていいですか? 黒谷の近くで拾ったんですけど…」
 とが遠慮がちに差し出したのは、八木邸で奥方から借りた、両手で覆えるくらいの小さな花瓶に入った梅の枝だった。



 枝を拾ったのは帰り道のことだった。
 傾いた太陽で雲が赤とも青ともつかぬ色に染まる中、は地面に固まる雪で足を滑らせないように注意しながら歩いていた。
 途中、大きな大名屋敷の壁に沿って歩いていると、壁の足下に、ぽっきり折れた梅の小枝が落ちていた。

 は何気なくそれを拾い、手に取って眺めてみた。小枝にはまだ堅いつぼみがいくつもついている。
 枝が落ちたであろう軌跡を辿って壁を見上げると、同じくつぼみをたくさんつけた梅の木が壁の外まで枝を伸ばしていた。
 隣にはその梅よりも背の高い松の木があり、緑の茂りの端から雪を重たそうに垂れさせていた。
 その雪が一部分だけなくなっており、まっすぐに視線を下げると壁の足下に雪がこんもりと落ちている。
 松の枝から滑り落ちた雪が隣の梅の枝先にひっかかり、枝を折ってしまったのだろう。



 「もう少しで咲きそうですし、飾っておきたいと思って持って帰って来たんですけど…駄目ですか?」
 は敷居の向こうで膝をついたまま土方を見つめる。

 土方はたっぷりと沈黙を広げた後、鷹揚に頷いた。
 「ありがとうございます」
 はほっとして笑顔を浮かべると、花瓶を持って敷居をまたいだ。


 花瓶を土方の文机の隣に持って行き、つぼみがよく見えるように枝の向きを変える。
 土方は梅の花を好んでいる。だから折れた小枝を飾ることには反対しないだろうと思っていた。
 すぐに首を縦に振らずにもったいをつけたのは、彼のいつもの癖。
 自分が何かを頼むと、本当は即決しているのにわざと考え込む振りをしている。
 女に頼まれてほいほい頷くのは彼の沽券に関わるのだろうとは推測した。

 「ん…」
 なかなかつぼみの向きが定まらず、は片手を畳についたまま考え込んだ。
 「土方さん、このつぼみをそちらへ向けたいのですが」
 何度向けてもひょいっとそっぽを向いてしまう枝に困り、は土方に助けを求める。
 土方は体を文机から離すと、梅の枝に手をかけて何度か動かした。するとすぐにつぼみは思う方向へと角度を変えた。

 「これでいいか」
 「はい、ありがとうございます。さすが土方さん」
 「こんなの朝飯前だろ。不器用なやつだ」
 「ふふ、そうですね」
 いつもの軽いやりとり。
 さすがと誉めたから、きっと照れているに違いない。
 は土方のそういったところが少しずつわかるようになってきた。



 「白い梅ですね、これ」
 がつぼみを見つめながら呟く。
 丸い頑ななそれは白い花びらを内に秘め、静かに枝で“その時”を待っている。

 「どれ」
 土方がの横に腰を下ろした。
 その拍子に、の指に土方の指が乗せられた。

 はすぐに気づいたが、急に手を引っ込めては避けているようで感じが悪いだろうと思い、そっと手を動かすことにした。
 ところが土方は指に力を掛けてきて、は指先を動かせなくなった。

 は土方を見遣る。
 思ったよりも近くに土方の顔があった。
 視線を合わせたことに、土方の形の良い眉がくっと上がる。
 はとくんと心臓が高鳴り、顔が熱くなるのを感じた。

 「あの…指…」
 「ん? 指がどうした?」
 土方は何もしていないかの如く嘯く。

 土方の目が、自分の目をじっと見つめている。
 心の奥に凍らせた想いまで溶かされてしまいそうな、強い視線で。
 はそれに耐えられず、力を込めて土方の手から自分の指を抜き取ると、寒いといいながら火鉢の前に移った。


 仄かな暖かさに掌をかざす。
 こうして部屋で火鉢を焚いていれば外よりは暖かいから、梅のつぼみもまもなく開くだろう。
 そしてこの部屋に微かな芳香を漂わせ、土方に愛でられるに違いない。


 少しだけ、梅がうらやましいと言ったら、あなたはどんな顔をするのだろう。


 何を訳のわかんねえこと言ってんだと小突かれる光景が目に浮かぶ。
 自分で自分の妄想に呆れてしまい、は火鉢に向かって笑いを漏らした。
 背後で彼が腕を広げ、抱きつこうとしているのにも気づかずに。


 20100201