久遠の空 ドリーム小説 八景集 晴嵐

八景集 晴嵐



 「これで終わりです」
 とは言い、沖田に洗い終わった単を渡した。
 沖田はそれを広げて畳み、もう一度力を入れて絞った。水がぼたぼたとしたたり落ち、地面に濃いしみを成す。
 絞られた単は物干し竿に通されて、青い秋の空にはためいた。


 が縁側に座って一休みしていると、沖田が茶を持ってきた。
 「お疲れ様でしたねさん、黒谷に行く前なのに。お茶飲んでいく時間ありますか?」
 「あ、ありがとうございます」
 は茶を受け取る。沖田も湯飲みを持つと、その隣に腰掛けた。




 もっとも暑い時期よりはだいぶ過ごしやすくなってきている。
 おかげで朝も早く起きることが出来、黒谷へ出発する時間も若干早めになっている。が、今日は井戸端で沖田が洗濯物を山のように抱えているところに遭遇し、洗濯を手伝ってから出ていくことにした。
 なんでも神谷が今朝から月三日の休暇に入ったのだそうだ。この洗濯物はゆうべ神谷が幹部連中から洗うように頼まれたもので、沖田が 神谷から預かって洗っていた。そこへが通りがかり、あまりの量に手伝いを申し出たのである。
 二人いると量があっても流れ作業で次々に洗濯が進み、沖田一人でやるよりもうんと早く洗濯は完了した。



 は土方への想いを自覚してから、まともに彼の顔を見ることが出来ない日が続いていた。
 一緒の部屋で黙ってそれぞれの用をしているだけならともかく、たわいもない話をしていたり何かしらの用を言いつけられている時などは、 土方の喉元辺りなどに視線を落としてなるべく目を見ないようにしている。しかしそれがあまりにも長く続くと土方に怒られ、 顔を掴まれて人の目を見て話をしろと説教されてしまう。

 目を合わせられると、胸の動悸が止まらない。
 きっと顔だって赤くなっている。
 この気持ちを悟られてはならないのに。

 時を越えてやってきた自分は、この時代を歪めないためにも、誰とも結ばれてはならない。
 相手にこの気持ちを打ち明けない。この想いをこれ以上強めない。それだけでいい。
 前者は自制すればいいだけだから簡単だ。が、後者には自信がない。意識すると相手を色眼鏡で見てしまうものなのだろうか、 妙に土方が男前に見えて仕方がないのだ。
 自分の気持ちはここまでにせねばならない。わかっている。わかってはいるのだが、とはもどかしさを吐き出した。


 「どうしたんですかさん、ため息なんかついちゃって」
 沖田がひょこりと身を乗り出してを覗き込む。
 「え、ええ、ちょっと」
 は我に返り、湯飲みに口を付けた。
 「あつっ」
 ところがまだ中の茶は熱かった。は慌てて湯飲みを縁側に置き、口元を拭う。
 「大丈夫ですか?」
 沖田は一連の慌て振りを見て苦笑いを浮かべる。
 こくりとは頷いた。

 じっと沖田はを見つめた。
 「土方さんと何かあったんですか?」
 「何も」
 は舌が痛むのを我慢しながら、風にはためく洗濯物を見た。
 どれも単の木綿の着物ばかりなのでそのまま洗って干してある。これがもっと季節が進んで、裏地の付いた袷や、裏地との間に綿を入れた綿入れなどの暖かい着物になれば縫い目をほどいて洗わねばならない。洗濯が楽なのも今の季節だけだ。

 楽と言えば、そう、楽だった。土方への気持ちに気づくまでは。
 ただ自分のやるべきことだけをやればよかった。
 だが、今は違う。
 この気持ちを相手に悟られぬよう振る舞わねばならない。
 まるで最初から何もなかったかのように。


 「土方さんは…いつも優しいですし、何も問題はありませんよ」
 は空を見上げたまま呟いた。
 「そうなんですよねえ、あの人恥ずかしがり屋だから言うと否定するけど、優しいんですよ」
 沖田は目を細めて茶を啜った。
 「考えていたのはもう答えが出ている些細な事です。私のことより、沖田さんは?」
 楽という言葉から土方とのことを連想してしまう自分が滑稽に思える。苦い笑いが漏れそうになるのを抑えながらは沖田に聞いた。
 「え?」
 「最近どうですか? ゆっくり話す機会がありませんでしたけど」
 は心を静め、いつも通りの語り口になった。
 「忙しいですよ。巡察は禁門の変以来厳しくしているし、休暇の日に街を歩いていてもどこかに怪しい影がないかつい探してしまいます。 おかげで鍵善の葛きりを食べていても気が休まりませんったら」
 ぷうっと頬を膨らませて沖田は腕を組んだ。
 沖田の甘味好きが尋常でないことはもよく知っている。以前目の前であり得ないほどの食べっぷりを見せつけられ、見ているだけで 気持ちが悪くなった。その時の“お汁粉十一杯しかも腹八分目”を思いだし、は額からたらりと汗を垂らす。

 「そ、それでも神谷さんは居続けなんですね」
 は話を変えた。次の休みに甘味屋へ行こうと誘われても、あの食べっぷりはまだしばらく見たくない。
 「え、ええ。どうしても、その、お里さんが…敵娼さんが恋しいらしくて。月に一度の逢瀬のために休暇をまとめるなんて男らしいと思いませんか?」
 にこりと沖田は笑う。もこくりと頷いたが、沖田の態度に微かな違和感を感じた。だがそれを解く材料が思いつかないので、はその違和感をそのまま流してしまった。
 「でも、私の甘味巡りにはなかなか付き合ってもらえないんですよねえ。神谷さんが食べてるところって見ていて和むのに、 お休みが合わないじゃないですか。巡察の前後に誘うこともあるんですけど、早番の日は巡察が終わってから屯所中を掃除して回ったり 夕餉の手伝いをしているし、遅番の巡察の前には今日みたいに幹部の皆からお洗濯を頼まれたりで、なかなか一緒に行けないんですよ」
 沖田は、はあとため息をついた。

 神谷は確かに洗濯が上手だ。どうしたら汚れ落ちがよくなるかをよく知っている。神谷がやっている神谷と沖田の洗濯物は、 いつも汚れがきれいに落ちて清々しい。それを見た幹部隊士たちが自分たちのものも洗ってもらおうとするのも頷ける。
 そして洗濯だけでなく、掃除や食事の支度にも長けている。男所帯の新選組に彼のようなきれい好きがいなかったら、屯所はあっという間に ゴミだらけ、埃だらけになり、台所などは食後の後片付けも不十分なままで、不衛生な場所になっているだろう。

 「神谷さんがそれをせずにいられないのもわかるし、お掃除もお洗濯も上手だからやってくれることもありがたいとも思うんですけど、 構ってもらえないのは寂しいなあ」
 もう少し私を構ってくれないかなあ、と折った足を抱えて沖田が苦笑いを漏らす。
 その様子がまるで恋人に邪険にされている男のようで、もふと口元を緩めた。

 一見愚痴のように見えるけれども、沖田が神谷の話をする時の楽しそうなこと。
 なかなか行動を共にしてもらえない恋人との惚気話を聞かされているようで、はくすぐったい気持ちになる。
 これで神谷が女だったら完全に恋バナだ。
 (神谷さん可愛いもんなあ、女の子でも通るかも)
 とは思ったが、神谷に可愛いと言って怒られたことを思い出して、本人には絶対に言うまいと心で誓った。


 「それにね、神谷さんは剣術の腕がまだまだ未熟だから心配なんですよ。自分では強いと思っているし、入隊した時よりは強くなったと私も思います。 池田屋でも助けられましたし。でも、常にあの力を発揮できるとは限らない。あの時の力がいつでも引き出せてこそ、 神谷さんは本当の阿修羅たり得るのだと私は思います」
 沖田の眼差しが鋭いものに変わり、は背筋がぞくりと震えた。
 朗らかな人柄から昼行灯とも影で噂される沖田だが、それは違う。
 幼い頃から局長に剣技を仕込まれ、鬼の副長の薫陶を受けて育ち、ついには十代の若さで試衛館の塾頭にまでなった男だ。
 そしてさらにあの“花の阿修羅”と称される神谷を育てたのである。
 昼行灯などとんでもない。そう見えるのは、ひとえに沖田の技量が大きいからに他ならぬ。彼の言葉を借りれば、いつでもその剣技を 繰り出せるからこそ無用の明かりのごとく緩んでいられるのだ。
 さすがは一番隊組長に指名されるだけのことはある。は近藤や土方の目に狂いはないと確信し、ひとり頷いた。

 「何ですかさん」
 こくりと頭を動かすを、沖田が覗き込む。
 「いいえ、沖田さんも新選組の鬼なんだなって思って」
 はそう言って空を仰いだ。隊服のそれにも似た青い空は高く、時折白い雲がゆったりと漂っている。

 「早く神谷さんが居続けからお戻りになるといいですね。もしよかったら神谷さんのお仕事、私がお手伝いします。時間を作ってお二人で甘味屋さんに 行かれたらいかがですか?」
 「ありがとうございます。…でも、本当はそんなことはどうでもいいんです」

 「え?」
 沖田の言葉には首を傾げた。
 「神谷さんと甘味屋に行くのは二の次でいいんです。ただ私は、神谷さんが毎日を安らかに過ごせれば、それだけでいいんですよ」
 組んだ手を解くと沖田は大きく伸びをし、に微笑みを見せた。
 まだ日は高くなく、縁側も日陰になっている。
 が、沖田の笑顔は太陽の下でなくともには眩しく感じられた。


 相手が安らかに過ごせれば、それだけで。
 沖田の言葉がの心に風となって吹き抜けてゆく。

 相手がいて、互いに元気でいるならば、そして相手に支えてもらっているのならばなおさら、それだけで充分ではないのか。
 何も意識することなどない、ただ共にあることに、ただ感謝すればよい。
 それだけが、自分と土方を繋ぐ糸だと思えば。

 そう思うと、はふっと気が楽になるのを感じた。
 意識しないように努めていたのが逆に気負いになっていたらしい。
 好きな相手に見つめられて胸が高鳴るのは普通のことだ。
 自ら戒めているように、ただ静かにこの気持ちを認め、己の中に刺しておけばいい。
 そうすればどんなにこの気持ちが高じようと、揺らぐことはないのだ。
 この頂門の一針は間違っていないと確信する。


 「ありがとうございます沖田さん」
 はやっと自分の真ん中にすとんと落ちる答えを見つけることが出来てほっとした。
 「え? 私何かしました?」
 何のことやらわからない沖田はきょとんとする。
 「自分では答えが出たつもりでしたけど、沖田さんと話していたらもっとちゃんと解決できました」
 「そうですか?」
 「ごめんなさい、自己完結で。あ、そろそろ出発しますね」
 は湯飲みを持つと、茶をそっと口の中に流し込んだ。もう中身は温くなっていて、先ほど火傷した部分を包むように優しく広がった。
 「お手伝いありがとうございました。気をつけて行ってらっしゃい」
 沖田がの湯飲みを受け取る。
 「はい、沖田さんも今夜は巡察でしょう。お気を付けて」
 は軽く会釈をすると、荷物を取りに土方の部屋へと戻った。



 「土方さん、行って参ります」
 英吉利語の授業の道具を入れている風呂敷包みを横に置き、は土方に頭を下げた。
 「ああ、もうそんな時間か」
 と土方は言い、文机からこちらを向く。
 は顔を上げると土方と目を合わせた。

 今日も土方はいつも通りだ。
 一分の隙もなく身形を整え、鬼の空気を纏っている。
 「何だ、人のことジロジロ見やがって」
 土方は眉間に皺を寄せた。こんなに自分を見つめるは久しぶりだ。
 からかってやろうと土方は文机に頬杖を突き、格好をつけて口を開いた。
 「思わず見つめるような」
 「ええ、イイ男ですよ、土方さん」
 ふふっと笑いながらが先を制する。
 「なっ…」
 まさかそう切り替えされるとは思わなかった土方は赤くなり、肘を机から滑らせた。

 「じゃあ私、出掛けますね」
 は風呂敷包みを手にするとさっと立ち上がり、土方の部屋を出て行った。
 部屋には一足早い紅葉のように赤くなった土方が取り残された。



 涼しい風がの短い前髪を梳いて通り抜ける。
 爽やかな秋の空の下、は黒谷への道を晴れ晴れしい気分で歩いて行った。




 20090903