久遠の空 ドリーム小説 八景集 朝霞

八景集 朝霞 〜酔余の朝



 「・・・さい」
 朝の光が瞼にかかり、薄明るいのが知覚できる。

 「起きて下さい」
 声だけだったのが、肩に手を置いてそっと揺すって自分を起こす行為に変わる。

 「土方さん、朝ですよ」
 男所帯ではあり得ない、柔らかな声が耳に入ってきた。

 「う・・・」
 だが起きるのは面倒だ。
 やたらと頭が痛いし、体も重い。

 「そろそろ起きないと・・・」
 様子を伺うような声色で、声の主は話し掛け続ける。

 「うるせえ・・・」
 そう大声で起こされているわけでもないのに頭に響く。

 「でも・・・」
 小さな溜息が聞こえ、どうしたものかととまどう気配がした。




 しばし、両者沈黙。




 「土方さん、もう起きて下さい」
 意を決したように、肩に両手を掛けて先ほどよりも少し強く揺すってきた。


 ぐっと。
 土方はその手首を掴んだ。


 「あっ」
 そして相手をそのまま布団に引きずり込む。


 「土方さん・・・」
 「うるせえんだよ・・・人が頭痛えのに・・・」
 掠れた声で土方は言った。
 そしてその身を抱き寄せて掛け布団を被ると、すっぽりと自分の腕の中に収めた。

 「っ」
 当然、声の主は――――は身を捩る。
 「動くんじゃねえ、頭に響く」
 「でも・・・あの・・・」
 彼女の首元に顔を埋め、土方は首筋にさり気なく口付けた。
 はそれに気づかない。

 土方は背中に回した手を少しずつ下へと移動させた。
 女性特有の体の湾曲が手の平に伝わる。


 その指に、少しだけ己の思いを込めた。


 手が腰の上に辿り着いたところで、土方は動きを止めた。
 そして薄く目を開けてを見つめた。



 何とも思わない表情をしているだろうと思った。
 自分が向けた感情を全く受け取っておらず、ただこちらを見つめ返しているだけだと。



 が。



 顔を赤くして、物言いたげな目でこちらを見ていた。
 その瞳の奥に見える彼女の感情は、


 何かを必死に耐えているようで。


 そして、続けて彼女の口から思わぬ言葉が漏れた。



 「もう我慢できません・・・」



 とうとう。
 遂に自分の気持ちが伝わったのか。



 「・・・!」
 土方はを素早く組み敷いて見下ろした。



 「土方さん、お酒臭いです」



 「・・・は?」
 「お酒臭いのに布団の中に閉じ込めるなんて、悪戯にしても程があります」

 我慢できないとは。
 自分が想像していた様な、艶めいたことではなく。

 俺が、酒臭かったのか。

 顔が赤かったのも、息を詰めていたせいなのか。

 「飲み過ぎですよ、土方さん」
 そう言うとは、固まる土方の下から抜け出して、部屋を出て行ってしまった。



 障子が合わさる音が聞こえたところで、土方は我に返った。
 そして身を起こして布団の上に座り、髷を結っていない髪を掻き揚げた。

 ・・・何だったんだ今のは。
 悪戯だと思うってえのはどういうこった。
 今のは、普通ならもっとこう・・・。


 長々と溜息をついていると、廊下から声が聞こえてきた。
 と誰かの声だ。

 “副長” “もう起きて” “二日酔い”などの単語が点々と飛んでくる。
 声からすると、話の相手は斎藤のようだ。


 「副長、失礼します」
 「ああ」
 斎藤が部屋にやって来た。
 「なるほど・・・これは酒臭い」
 「・・・」
 斎藤は部屋に篭った酒の匂いに、顔を顰めこそしなかったが文句をたれた。
 「これでは逃げられても仕方が」
 「や、やかましいぞ」
 が告げ口したわけでもなかろうが、勘のいいこの男に指摘されて土方はうろたえた。
 「別に何もしてねえからな」
 「あの様子ではそうでしょうな」
 本当の意味で何もしていないと言えば嘘になる。しかし土方にとってはあの程度のことは何もしないうちにしか入っていない。

 「はァ・・・」
 土方は肩を落としてゆうべの記憶を手繰った。


 ゆうべは上七軒まで足を伸ばしてみた。
 偶然入った見世で妓を買った。
 その妓の声が・・・彼女にそっくりで。

 つい、我を忘れて、夢中になった。

 コトが済んで煙管を咥えているうちに、妙な空しさに襲われてきた。
 隣で寝息を立てる妓は、どう見ても彼女ではなくて。

 体は疲れているのに眠たくなくて、酒を飲んだ。

 そしてふらふらと千鳥足で屯所に戻ってくると、彼女はもう眠っていた。
 今日に限って掛け布団を深く被り、顔が見えない。
 まるで無視されているような気になった。
 土方は規則正しく上下する布団を恨めしそうに見ながら、さらに酒を呷った。
 そのうちにだんだんと眠くなり、布団にもぐって寝た。


 朝になり起こされたが、先ほどの通りである。
 ひどい二日酔いだ。これでは仕事に障る。

 斎藤は、米神を抑えて頭痛に耐える土方をじっと見つめた。
 その時、部屋にが戻ってきた。
 「土方さん、いかがですか?お茶持ってきたんですけど」
 「あ、ああ。・・・そこ置いといてくれ」
 てっきり逃げられたと思った相手が戻ってきて、土方は驚くとともに安堵した。

 「私はもう黒谷へ行く時間なので失礼します。斎藤さん、後お願いしてもいいですか?」
 「わかった」
 「では失礼します。土方さん、無理なさらないで下さいね」
 は荷物を持つと再び部屋を出て行った。


 「・・・アンタも大変ですな」
 彼女の気配が遠のくと、斎藤がぼそりと呟いた。彼女も野暮天なのだと含めて。
 「余計な世話だ」
 まったくその通りだとは思うが、だからと言って同情などされたくない。
 土方はが置いていった茶を手に取って飲んだ。
 「っ?何だ、甘え」
 茶に何かが入っている。
 「二日酔いには水分と一緒に甘いものを摂るといいと聞いたことがあります」
 斎藤がまたぼそりと言った。
 「前言を撤回する。・・・アンタも結構果報者ですな」
 ふっと小さな口を緩めて斎藤は言った。

 土方はそれには答えずに、横目で斎藤を睨みながら茶を口に含んだ。
 大きな湯呑みに入っていたので全部を飲み干すのには時間がかかったが、とりあえず今は手っ取り早く酔いを覚ましたい。
 水分は補給できたから、後は眠って汗をかいたり、厠に通ったりして酔いをさっさと出すに限る。
 


 「もう少しだけ寝る。何かあったら起こしてくれ」
 土方はそう言って再び布団に転がった。
 「承知」
 斎藤は首肯すると部屋を出て行った。


 眩しい朝の光に白く照らされる障子を眺めながら、土方は自分の喉の奥に甘い味が残っているのに気がついた。
 しつこくなく、さらりとしたものであるが、確実にその味がそこにある。
 まるで彼女のようだと思いながら土方は目を閉じた。



 土方は一刻ほど転寝をした後に何とか持ち直し、少し遅くなりながらも仕事についた。
 近藤は、珍しいことだなと目を丸くしながらも、常に仕事をたくさん抱えている土方を労わる言葉を投げかけた。
 山南も同様に思い、いつもは土方が引き受けている書類をできる限り引き取って処理した。
 そのお陰か、沖田をはじめとする副長助勤たちが様々な報告に上がる時にはもうしっかりとしていた。


 夕方になり、はいつもより少し早めに屯所へ戻ってきた。
 前川邸内を何気なく見回っていた土方は、彼女が台所へと入っていくのを目撃した。

 「
 自分も台所に入り、土間に下りているに声を掛ける。
 「あ、土方さん。ただいま戻りました」
 は軽く会釈した。
 「何をしている」
 「あの、しじみを買ってきたので今日の味噌汁にしてもらおうと思って・・・」
 そう語る彼女の手には、ざるに乗った山盛りのしじみがあった。

 しじみは肝臓に効くとして、長く庶民の間で愛されてきた。
 は土方の体調を慮って、この時代でも肝臓にいいもの、二日酔いに効くものを探してきたのだ。
 「荷物を置いてきたら手伝いますね」
 賄いの担当の者にそう言って、は土間から上がった。

 軽く頭を下げ、すっと彼女が自分の横を通り抜けていった。
 彼女が自分のために。
 そう思うと土方は口元が緩むのを抑え切れない。
 だがそんな顔を他の隊士たちに見せるわけにもいかず、土方は口を手で覆ってその場を離れた。



 その日の夜の膳にはもちろんしじみの味噌汁が乗っていた。
 土方は三杯ほど飲んだ。
 それを見てはほっとした。



 それから土方はしばらく深酒をすることはなかったが、たまにまた二日酔いになることがあった。
 そう、彼女とそっくりな声の持ち主を買った時だけ。
 は事情を知らないながらも、その度に自らしじみを買い求めてくるのであった。




 20080601
 exclusive ARIGATO : utaさん