八景集 晩鐘
いつかはカタをつけなければならないと思っていた。
そのままにしてはおけない案件。
すでに答えは出ているのに、ついつい先延ばしにしてしまった。
それが今になって悔やまれる。
近藤へ届いた書状を沖田が持ってきた。
郷里の小島鹿之助からの手紙で、先日近藤がこちらの近況を報告したものへの返事だった。
近藤の両親、周助とお栄は息災であり、他の皆も元気で生活していること、
周りの田畑の生育もまずまずであること、その他の近況などが事細かに記してあった。
「鹿之助さんたちも平穏に暮らしているようだ、よかった」
近藤は文章を追いながら目元を和らげて言った。
「そりゃあ重畳なこった」
土方は茶碗を傾ける手を止めて、口元だけで笑った。
「次、私にも見せてくださいよ近藤先生」
沖田は近藤の前に座り、二人の兄貴分が機嫌よくしているのを見てにこにこと笑顔を見せた。
開け放たれた襖の向こう側、土方の部屋の前の縁側にはがおり、繕い物をしながら池の様子を眺めていた。
男三人が激務の合間に緊張を解いている。
それを背中で感じたもまた、ふと空気を緩めた。
「む」
近藤は書状の末尾まで読み進めると、眉に皺を寄せた。
「トシ・・・」
顔を上げ、土方に視線を向ける。
「何だ、最後に何か悪いことでも書いてあんのか」
土方も釣られて渋い顔をする。
「お琴さんも、息災にしてお前の帰りを待ちわびているようだ」
近藤が人の名を呟いた。
「あ、そうですかー、それはよかったですね土方さん」
沖田も土方の方を見て近藤に追随した。
「・・・」
土方はますます渋い顔をして黙り込む。
そしてそろりとへ視線を移した。
は何も聞こえていないような風で針をすいすいと進めている。
今繕っているのは土方の袴だ。
ゆうべ土方が着けていた袴の裾がほつれているのを見つけ、明日直しますからと言って預かったものだった。
縁側に座り、自然光で手元を明るくして作業する彼女から自分たちが喋っているところまではそれなりに距離がある。
それほど大声で話しているわけでもないから、おそらく会話の内容までは聞こえていないだろう。
機会がなく、土方はまだに許嫁の話をしていなかった。したくなかったと言うのが正しいかもしれない。
そんなものが自分にいると知られるのは、何となく後ろめたい気がする。
別にに告白したわけでもないのに。
土方は話題を今のうちに変えようと口を開いた。
が。
「トシお前、お琴さんに手紙のひとつも書いてやったらどうだ?まったくなんじゃないのか?」
近藤が一足先に小言を始めた。
「あんたには関係ねえ」
余計なことをと心の中で思いつつ近藤を制し、土方はちらりとを見た。
の手元は止まっていない。こちらに神経を集中させている素振りもない。
「だがな、相手は仮にも許嫁だぞ。予定よりもこちらに長逗留になっているんだ、一言でも知らせて安心させてやるのが筋ってもんじゃないのか」
近藤は切々と訴えた。
「先生のおっしゃるとおりですよ土方さん。将来を約束した方でしょ、お手紙に櫛のひとつもつけて送ってあげたらいかがですか」
近藤に一も二も無く賛同する沖田も、自分の野暮天はすっかり棚に上げて土方に意見した。
「うるせえな、お前にそんなことを言われる筋合いはねえんだよ」
土方の中でいらいらとした感情が膨れ上がってきた。に聞こえないうちに話を切り上げたいのに、どうして混ぜ返すようなことをするのだと。
「あ、もしかして照れてます?久しぶりに許嫁の近況を知らされて」
ふふっと沖田が笑った。
そうじゃねえっつってんだろ。
土方はキレた。
「やかましい!許嫁だろうと何だろうと、俺がいつ書状を書こうがどうしようが勝手だろうが!」
空気が固まった。
勢いで立ち上がった土方は近藤と沖田を見下ろしていた。
ぽかんとする男二人。
そしてやや離れた後方にギギギとまるでからくり人形のように首を回すと、
怒鳴り声に驚いたが、運針の手を止めてこちらを見ていた。
「どうぞ」
とは茶をそれぞれの前に出した。
「ありがとう君。いつも思うが、君の淹れるお茶はすっきりしているね。神谷君が淹れてくれるのとはまた違うんだが」
近藤はえくぼを作っての茶の感想を述べた。
「すみません・・・それじゃあ一服して安らいでいただけるような味ではないですよね」
同じ茶葉、同じ道具で淹れた茶をそんな風に言われると思ってもみなかったは下を向いた。
「いや、そういうことではないよ。頭の中までこう、清涼な空気が入るような感じがして私は好きだよ」
近藤は簡潔ながらしっかりと言葉を補足してに微笑んだ。
ありがとうございます、とは言って自らも茶碗を手に取った。
こういうことを平気で言うのがかっちゃんなんだよな、と土方は眉間に皺を寄せた。
相手が喜ぶ何気ないひと言を実にさらりと言ってのける。
天然のたらしの口説き文句だ。土方のものとは違う。
は表情をなるべく崩さないようにしながらも、誉められて内心では照れているのがバレバレだ。
そんな顔、俺に見せたことねえだろ。
土方は何だか面白くない。
「一服したらお手紙書かなきゃ駄目ですよ、土方さん」
沖田がお茶請けの落雁を口に放り込みながら言った。
(・・・だから混ぜっ返すんじゃねえよ)
土方は渋い顔で沖田を睨み付けた。
「そうだな、善は急げと言うしな」
近藤も続けて言った。
(ちくしょう、かっちゃんまで・・・)
土方はごくりと茶を飲んで返事を誤魔化した。
「あ、さんは知らなかったですよね、土方さんの許嫁の方のこと」
沖田は土方を挟んで反対側に座るに向かって言った。
「っ、オイ総司、余計な事言うんじゃねえ」
土方は慌てた。手にした茶碗を傾けすぎて、ちびちびと飲んでいた茶が縁から零れた。
「あ」
は懐紙を取り出して土方の腕をさっと拭いた。
「大丈夫ですか?中に入ってませんか?」
そして土方に近づいて袖の開き口からその中を覗いた。
「大丈夫だ」
土方は平静を装いながらを観察した。
・・・許嫁の話が出たところで、彼女が動揺した様子はなさそうだ。
「お琴さんって言うんですけど、これがなかなかの美人でねえ」
沖田がにこやかに続きを話し始めた。
「総司」
土方はたった三文字の弟分の名前に静止の色を乗せた。
「三味線屋の娘さんなんですけど、土方さんのお兄さんの為次郎さんが見初めてですね」
・・・こいつ、聞いちゃいねえ。
土方は天を仰いだ。
「お琴さんは家業のせいもあって、長唄も三味線もとっても上手なんですよ」
沖田は土方の前に乗り出して、に説明を続けた。
は頷きながら話を聞いている。
それを眉間に皺を寄せまくって土方はを見た。
・・・これっぽっちも意に介した様子がない。
「満場一致であとは祝言を上げるだけだったのに、土方さんが臍曲げるから」
責める様な眼差しを沖田は土方に送った。
「曲げてねえ」
間髪いれずに土方が言い返す。
「最初から三味線屋の亭主に収まるつもりなんかねえんだよ。天下が騒がしいってのにそんな道楽やってられるか」
土方は残り少ない茶を飲み干した。
茶碗を口元から離す際に、ちらりとを盗み見る。
・・・なんだか暗い顔になってきやがった。
もしかしたらちっとは妬いてんのか?
土方は彼女の微妙な表情を都合のいい方へと解釈した。
「そうださん。これから土方さんについて行ってあげて下さいよ」
「え?」
沖田の言葉には顔を上げた。
「お琴さんにちゃんと土方さんが櫛を買うかどうか、お目付け役で」
「・・・」
はそれを聞いて、土方のほうへとそっと視線を寄越した。
土方が何となく、いや、モロに嫌がっているのを感じたは沖田の言うようにしていいのか目で聞いてきた。
土方にしてみれば好きでもない女への贈り物を惚れた女と買いに行くと言う理不尽な行動は避けたい。
が、ここで行かなければ、黙って見ている近藤や提案した沖田がますます煩くなることは必至だ。
仕方なく、心の底から仕方なく土方は頷いた。
それを受けては沖田へと視線を移した。
「じゃあお二人でお買い物、してきてくださいね」
場を仕切った満足げな顔で沖田は笑った。
後で覚えてやがれ、と土方は心の中で低く呟いた。
その様子を見て、近藤は大人の笑みをもらした。
その後すぐに土方とは連れ立って町へと出掛けた。
夕方の町は時間帯のせいもあり、人出が多く賑わっている。
二人は目的の店に着いて、櫛の物色を始めた。
と言っても、実際に選ぶのは土方である。は彼が買い物をするかどうかを確認するだけだ。
土方が品物を見るために入り口からだんだんと奥へと入っていくのを見て、も店頭の櫛を手に取った。
艶やかに光を放つ木製の櫛がたくさん並べられている。
木の地を生かした簡素なものや花の模様を彫って色を付けたもの、蒔絵のもの。
花と枝を組み合わせて透かし彫りを施したものなどは見ていて楽しい。
はほんの少しだけ口元を綻ばせた。
店の奥で同じように櫛を手に取りながら、土方はこっそりとを見た。
僅かにだが楽しそうにしている。
土方は、どういった理由であれ連れてきてよかったと胸を撫で下ろした。
もし。
もしこれが本当に彼女とだったらどんなにいいだろう。
こうして一緒に櫛を買い求めに来て、二人で肩を並べて片っ端から手に取る。
これがいいんじゃないかと彼女の髪に差してやると、恥ずかしそうに彼女がこちらを見上げ、似合っているか聞いてくる。
自分はそれに軽く頷いて、他のも試してみようと別の櫛を探す。
そこまで考えて、土方ははっとした。
何を考えているんだ俺は、と。
まだ碌に素面で手も握っていないくせに、そこまで想像できる自分が呪わしい。
まるっきり馬鹿じゃねえか。
土方はから視線を逸らして手元の櫛へと目を向けた。
一通り眺めてみたが決めかねて、土方はの側に寄って行った。
は店の中ほどまで入ってきており、中腰になって台の上に整列している櫛を眺めていた。
「・・・どれかよさそうなのはあるか?」
土方は同じく腰を屈めてに聞いた。
「え?」
は一瞬目をぱちくりとさせた。
「贈るのは土方さんでしょう。私が選んでも」
「決めらんねえんだよ、お前が選んでくれ」
嘘ではないが、本当は決める気がない。
「・・・」
が小さく溜息をついた。
「何だ」
土方はが常と少し違う空気を発するのを感じた。
「あの・・・許嫁の方に贈り物をするのに、それじゃ失礼だと思いますけど・・・」
遠慮がちながらどこか非難めいた口調では言った。
失礼と言われて土方は言葉に詰まった。
そして、さっき彼女の表情が暗くなったのも、お琴の家業を道楽と評したことに対してのことだったのだろうと思い当たった。
「でも土方さんが選んでくれた物だったら何でも嬉しいと思うんじゃないですか?」
固まった土方を見て、は続けた。
「だからご自分でお選びになった方がいいですよ」
何も言わなければ露見することはないが、万が一自分への贈り物が他人に、しかも女に選ばれたものだとしたら相手の女性は気を悪くするだろう。
そこまで考えては土方に言った。
「私がいたら邪魔ですよね。外にいますからゆっくり選んでください」
すっとは立ち上がってすたすたと店の外に出て行った。
女性ならではの品物を扱う店なので、店先には待ちくたびれた男性が座れるようにであろう床机が置かれていた。
そこには腰を下ろした。
選ぶ土方と、それを待つ。
どちらが男でどちらが女なのか、これでは立場が逆である。
は外で人の流れる様子を観察しながらも、時折店の中に目を遣った。
それは早く土方が出てこないかというような催促の視線ではなく、きちんと買い物をしているかを確認する目だった。
人の気も知らねえで。
告げていないのは自分なのだからに当たるのはお門違いだ。
そうだと知っていても、散々女を墜としてきた自分がこれっぽちも相手に気にかけられていないのだ。理解できない。
土方はの背中をちらりと見遣ると一枚の櫛を選んで店の奥へ入り、支払いを済ませた。
細い川に沿って帰り道を歩く。
夕焼けの空を烏が黒い影をなして横切り、屋根の棟に止まってカアと鳴いた。
土方が金を払って金箔をちりばめた白い紙に包まれた品物を受け取ったのを見たは、どんなものを買ったとかいくらだったかとかは聞かない。
これが原田辺りなら選ぶところから金額までいろいろと煩くして、さらにそれをあちこちに触れ回るのだろうが。
煩くないのは助かるが、興味がないのもまた困る。
所詮は自分のひとり相撲だと理解していても虚しい。
は土方の少し後ろを歩いていた。
さらりとした風が二人の間に吹き抜ける。
土方は懐に手を遣った。
かさりと櫛の包み紙が音を立てた。
あの柳の木の下まで行ったら。
土方は少し先にある柳の木を視界に捕らえた。
彼女は知っているのだろうか、男が女に櫛を渡すその理由を。
土方は先にその柳の木の下に着いた。
そして懐から紙包みを取り出す。
後ろを振り向くと、はかがんで右の踵に手を伸ばしていた。どうやら足袋のこはぜが緩んでいたらしい。
土方はを支えてやろうと近づいていった。
カンカンカンカン。
突然、火事を伝える半鐘が鳴り出した。道にいる者は一斉に辺りを見回した。土方とも火元を探す。
西の空に煙が上がっているのが目に入った。
「あそこか」
土方は呟いた。
「どけどけどけー!」
道の奥から地響きをさせて町火消しがやってきた。半鐘を聞いてすぐ出動してきたに違いない。
「どけ!」
先頭の一人が、道の中途半端な所で中腰になっているを突き飛ばした。
「あっ」
は体勢を崩した。そして近づいてきた土方にどんとぶつかった。
「っ!」
土方は思いのほか強い力でにどつかれて、手にした櫛の包みを放り投げた。
包みは揺れる柳の枝をかすめ、その向こうの川へと落ちていった。
そこへ烏がひゅっと飛んできて、きらきらと光を反射する紙包みを水面ぎりぎりで咥えた。そして空の高いところへとゆっくり上っていった。
「あ・・・!」
土方は烏がゆうゆうと頭上を旋回しながら飛ぶのを下から見上げた。
烏は光る物に目ざといのだ。地上で小さく輝く包み紙を見つけ、棟の上から虎視眈々と狙っていたに違いない。
紙包みを咥えたままくぐもった声で一声鳴くと、烏は木々の生い茂る森へと羽ばたいて行った。
その時、暮れ六つを告げる鐘の音が大きく空に響き渡った。
男が女に櫛を送る理由。
それはプロポーズの証であった。
勿論土方にはまだそのつもりはない。もしがその理由を知っていたら困った顔を見ることが出来るし、知らなかったら贈り物として受け取ってくれたらいいと思っただけだ。
だが・・・。
(何だこの不吉な展開は・・・)
取り落とした挙句、烏なんぞにそれを横から掻っ攫われ、土方は呆然とした。
「ご、ごめんなさい」
の謝まる声がやたら近くに聞こえる。土方は視線を空から下へと下げた。
は土方の胸元にすっぽりと収まっていた。
倒れてくる彼女に対して反射的に差し出した腕が彼女を包み込み、ぶつかられながらもしっかりと受け止めていた。
の両腕も、しがみつくように土方の背中に回されていた。
互いの香りが鼻をくすぐり、距離が近いことを認識させる。
二人の視線がかち合った。
が、それも一瞬のことで、は謝罪を述べると先に目を逸らしてさっと立ち上がった。そしてすたすたと歩き出す。
これだけ近くにいても、ちっともこちらの気持ちは伝わってないし、相手の気持ちも読めない。が自分のことをどう思っているのか、まったくわからない。
土方は苦々しい息を吐き出した。
「・・・どうかしましたか?」
は振り返って、動こうとしない土方に声をかけた。
「しねえよ」
土方はその声に弾かれる様に足を進めた。
身体的には隙だらけなのに、心はまったくそれがない。
どう攻めたら彼女の心を墜とすことができるのか。土方は今までの遍歴を頭の中でさらって方法を考えてみたが、どうもうまく戦略が立てられない。
・・・女を口説くのに難航している。この俺が。
土方は彼女と並んで歩きながら自嘲をもらした。
「いったいどういうことなんです?」
屯所に戻った二人を待っていた沖田の口からは小言がもれていた。
「さんは確かに買い物をするところを見たって言うのに、どうして土方さんは現物を持っていないんですか」
そう、櫛を買って帰ってくるはずだったのに、しかもにしてみればそれをきちんと目で見たのに、帰ってみたらそれがない。
「何のためのお目付け役なんですか、さん。頼りにしてたのに」
沖田は溜息混じりにを見た。
「すみません・・・」
物が無いことは事実だ。は素直に謝った。
烏に攫われたからあの櫛は手元にない。
あの時起こったことを説明し、烏のことを言ってやればは沖田のお小言から外される。
が。
(少しは俺のことで困っとけ)
土方は口を噤んでフフンと鼻で笑った。
自分の気持ちにこれっぽっちも気がつかないことへの当てつけだ。
「土方さん、さんのこと笑ってる場合じゃないでしょう」
当事者は土方さんなのに、と沖田は呆れた目を向け、今度は土方へと小言を開始した。
「いったいどうさんの目を誤魔化したか知りませんけど、明日にでもまたお買い物しなきゃ駄目ですよ」
「そうか・・・明日はお前に鍵善でうめえもんでも奢ってやろうかと思ったが、やめとくか」
土方はそう言うと腕を組み、流し目で沖田を見た。
「うっ・・・だ、駄目ですよ!そんなこと言って逃げようとしても!」
沖田は土方の話に飛びつきそうになったが、間一髪で気持ちを切り替えた。
沖田が説教を繰り返すのを右から左に流し、土方は黙って小言を聞くを見た。
自分の弟分ですら物で釣って誘導することが出来るのに、女であるに対してはそれが出来ない。
いったいコイツの心はどういう作りになっているんだろう。
「聞いてますか、土方さん」
沖田が念を押すのが聞こえたが、土方は生返事をするだけだった。
野暮天の弟分の小言よりも、惚れた彼女の心の声の方が余程聞きたい気持ちだった。
20080515
Special thanks : うみのすけさん