剣葬 12
土方とは二人だけの話を済ませると、松本に診察を頼んだ。
松本はわかったと言ったが、傷病兵の手当がなかなか終わらず、やってきたのは夜も更けてからであった。
土方は近藤と斎藤にも声をかけ、全部で五人、松本の私室に集った。
は起き上がれず、横になったまま。
松本は薄汚れた白衣の姿で寝台の端に腰掛ける。
斎藤は椅子に姿勢よく座って。
近藤も椅子に座ったが、右肩をかばってやや前屈みで。
土方は足元に行灯を置き、壁にもたれかかっていた。
「ご迷惑を…おかけしました…」
開口一番、は謝罪を口にした。
「無事でよかったじゃねえか。俺はもしかしたらもう駄目かと思ったぜ」
松本がうっすらと涙ぐんで鼻を啜る。
「本当だよさん。よく大坂から遠く離れたこの江戸で会えたものだ」
近藤も目から涙を溢れさせている。
斎藤は黙って頷くだけだったが、眉の間が幾分和らいで見えた。
「今までどうしていた」
土方が腕を組み、壁に影を浮かび上がらせて聞く。
はしばし天井を見つめ、ひとつずつ思い出しながら語り始めた。
大坂城に召し出されてから江戸へ連れてこられ、この医学所に運び込まれるまでのことを。
徳川慶喜に呼び出され、京の二条城から大坂城へ。
大坂城で各国公使を引見する場での通詞を務め、次の通詞の仕事を待っていた。
「鳥羽と伏見で戦が始まり…自分の目で、戦場の煙を確認しました。新選組に、戻して欲しいと、お願いしたのですが…上様は承知してくださらず…その…軟禁…されました…」
「“軟禁”だと…?」
「はい…」
言葉の調子がおかしいと感じた土方は壁から離れ、の手を取って行灯の明かりで照らす。
の白く細い手首に、薄暗い灯りの下では赤か薄紫かも判別できない跡が残っていた。
続いて布団の足元もめくって足首も確認する。
手首と同じく、縄で擦れたようなあざがあった。
(何が軟禁だ。監禁の間違いだろ)
何度も縄の戒めから逃げようとして出来た傷に違いない。土方は唇を噛んだ。
「こりゃあひでえ。女子の体に何しやがんだ。、後で診ておくからな」
松本も顔をしかめた。
「続きを」
と斎藤が促す。
の傷を労ってやりたいのは山山だが、時が惜しい。
薩摩や長州の軍勢がいつ江戸へ到着し、戦になるかわからない。
もそれは承知しているので、力を振り絞って話を続けた。
「大坂城で手足を縛られて数日間軟禁された後…上様、肥後守様、それから…肥後守様の弟君ですか、桑名藩主の松平定敬様たちと十名ぐらいで小舟に乗せられました。海へ出てアメリカの船に…私が通詞をして助けを求め、沖に停泊していた軍艦“開陽”に乗って江戸までやって来ました…」
それはあの戦の最中、まさしく自分たちが徳川家の命運を案じ、命をかけて闘っていた中である。
何となく察してはいたが、事実をはっきりと告げられ、男たちは重たい沈黙に包まれた。
「江戸に着いて…上陸したのは…緑の生い茂る、立派な船着き場でした…」
「そりゃあ浜御殿だな。海軍の伝習屯所にもなってるから、幕府の軍艦が着くにはちょうどいいだろう」
松本が口を挟む。
「全員…江戸城に連れて行かれて…常に上様と一緒だったので、縛られずにいたのですが…」
こほ、と小さな咳をしては言葉を切る。
松本が湯飲みに用意してあった白湯を渡した。
はのろのろと起き上がり、ぬるまった水を僅かに口に含んだ。
は口元から湯飲みを離し、視線を下げて黙った。
続きを話すのを、明らかにためらっている。
土方はの隣に腰を下ろした。
小さな手から湯飲みを取り上げると、その手をそっと握る。
はこくりと頷き、息を整えた。
そして、重大な事実を口にした。
「…上様に、私が“時渡り”だと…ばれてしまいました…」
「何…っ」
何があっても動じない斎藤が腰を浮かせる。
「何だと?」
土方も思わず目を剥く。
男の振りをしているが実は女であることは鼻から見破られていたが、時を越えてここにいる存在だとばれてしまうとは。
彼女が遠い未来からやって来たことを知るということは、この先の日本がどうなるかを聞き出せるということ。
それを慶喜がしないわけがない。
(寄りによって一番まずい相手に…)
土方はじっとりと手に汗をかいた。
「何故そのようなことになったんだ? 普通にして黙っていれば、ばれるようなことではないだろう?」
近藤も額に汗を滲ませる。
「あの…こっそりとですけど…これを見ていて…見ているところを上様に…」
は懐をまさぐり、あるものを取り出した。
携帯電話である。
「何でそんなもん見てた? 上様に見られたら問いただされるのはわかりきってることじゃねえか」
松本が呆れ顔で言う。
「すみません…」
は弁解せずに、ただ一言謝った。
携帯には土方と撮った写真がある。
今までも、ひとりで心細い時や勇気づけて欲しい時など、折に触れてそれを見ていた。
今回も、どうしても土方の写真が見たかった。
たったひとりで江戸に連れてこられ、土方や新選組の仲間の安否も確認できない。
心が折れそうで、慶喜が厠に入っている間に急いで携帯の電源を入れた。
携帯が立ち上がるまでの時間が異様に長く感じられ、は焦った。
ようやく通常の画面になると、写真のフォルダを開いた。
やや渋い顔をした土方の写真が現れると、の心に潤いが広がる。
つい、見惚れてしまった。
「そなた、何をしておる」
ぎい、と厠の扉が軋んで開き、が背を丸めているのを慶喜が見とがめる。
「上様…っ」
は慌てて後ろ手に携帯を隠した。
だが、手遅れだった。
「何を隠した? 見せてみよ」
慶喜が詰め寄って腕を伸ばす。
「い、いいえ、何でもありません」
は必死に携帯を取られまいとした。
しかしそこは武術の誉れも高い慶喜が相手、腕をはたかれて携帯を落としてしまった。
「何だこれは…?」
まだ電源が入ったままの携帯を、慶喜が拾い上げる。
はどうにかこの場をしのげる言葉を探した。
英吉利語を教えてくれたハーバーからの贈り物だとでも言うか。
いや、海外と直接贈答品をやり取りしている慶喜が、そんな嘘にひっかかるはずがない。
幕府は常に海外からの最新の情報や技術を得ている。携帯がこの江戸時代に存在しているとしたら、慶喜はとっくに知っているはずなのだ。
「もう一度問う。これは、何だ?」
慶喜が薄ら寒い何かを背負ってを廊下の隅まで追い詰める。
とん、との背中に板の感触が伝わった。
もうだめだと、は目を閉じた。
「それでてめえはぺらぺらくっちゃべったってのか。黙ってりゃよかったじゃねえか」
今度は土方が呆れた顔をした。
「すみません…本当に…」
は項垂れる。
土方の言うとおりだ。黙っていればよかった。
自分が厠に入っている間にでも見ればよかった。
いや、それ以前に、何故男の厠の合間という短い時間に携帯など出してしまったのだろう。
自己嫌悪にさいなまれ、は身を小さくした。
「それから?」
と斎藤がさらに続きを促す。
「上様に…未来のことを聞かれました。これから…日本がどうなるのかを…」
はあ、とが大きく息をつく。
「未来のことを…か?」
「は、はい…」
近藤の問いかけには諾と首を振った。
「これから徳川家はどうなるのか…薩長は…、ど、どう出てくるのか…、日本は…っ、世界で何を行うの…かっ…ああっ…!」
言葉を紡ぎながら震えだしたかと思うと、は頭を抱えてどさりと横たわった。
「どうした」
土方がの肩に手を添える。
「頭が…急に、痛くなって…う…!」
は呼吸を乱し、脂汗を滲ませる。
「これ以上はよせ! 医者として許可出来ん!」
真っ青になって震えるを見て、松本は鋭く制止する。
「あ…っ」
は小さく叫ぶと、ぷつりと意識を途切れさせた。
が目を覚ますと、部屋は静まりかえっていた。
「おう、目え覚めたか」
松本がの額から、温くなった手拭いを取り上げる。
「まつ…も…と、法眼…?」
「ああ。土方じゃなくてがっかりか?」
「そんな…」
「はは、冗談だ。他の連中はそれぞれの部屋に帰した。よく頑張ってあそこまで話してくれたな。とにかく休め」
桶の中でじゃぶじゃぶと手拭いを泳がせてぎゅっと絞ると、松本はの額に手拭いを乗せた。
ひんやりした感触が心地よい。
だがそれは、自分に熱があり、松本が真冬の凍るような水に手拭いをひたしてくれている証拠である。
感謝と罪悪感で、の胸は詰まった。
「法眼…聞いていただけますか」
「何だ」
「私は…上様に未来のことを聞かれた時も…こんな風、に、頭痛を起こしました。倒れてしまって、その後の意識がありません…気付いたら、ここに、運び込まれて、いました…」
「…そうかい」
「薄々…わかってはいましたが…歴史に抵触することを考えると…こうなるようです…」
「わかった。今夜はもう休むんだ。な」
「…はい…」
松本に頭を撫でられ、は素直に目を閉じる。
(自分に言えることはすべて口に出来た…)
胸のつかえが取れたような気がして、やっと本当に眠ることが出来る。
そう思ったら、気を失うのとは違う本当の眠気がやってきて、は眠りについた。
がようやく安らいだ寝息を立てているのを確認すると、松本は寝台を離れる。
そして部屋の戸を開けた。
廊下に点のような、赤くて小さい火が見える。
外とほぼ変わらぬ寒さの廊下で、土方が掛け布団一枚を被って煙草を吸っていた。
「よう土方、やっと眠ったぜ」
後ろ手に戸を閉めると、松本はやれやれとばかりに肩を上下させた。
「お手数をおかけします」
土方は薄い膜のような煙を吐き、会釈した。
「歴史に抵触することを考えると倒れるみてえだとよ。長く意識を失ってたんだろうな。それであんなにやせ細って…かわいそうによ」
松本が重い息を吐く。
「お前さんも近藤の部屋に布団あるだろう、横になって休んでおけ。今晩、は俺が面倒を見る」
土方の肩をぽんと叩き、松本は部屋へ戻って戸を閉めた。
土方は布団を肩にかけ直すと、近藤に宛がわれた部屋へ向かった。
(豚一公め…ふざけやがって)
に対する扱いに、土方は目をぎらつかせる。
時の権力者なら、未来を知る者に目をつけるのは当然だ。
それが誰であろうと構いはしないが、ならば別である。
(だが…さっきまでの話では、肥後守様がの脱出に関わったのが何故か、わからねえ)
今にも暴れ出しそうになる心を抑え、土方は冷静に考える。
(それに…あいつ、豚一公を責めようとしねえのは何故だ?)
実際その場にいなかった自分ですら、こんなに頭に来ているというのに。
があまりにも慶喜に対して淡泊過ぎではないだろうか。
(まあ、どうでもいいと思ってんのかもしれんが)
それならそれでいいが、と土方は静かすぎる廊下をひたひたと歩いた。
20130209