久遠の空 ドリーム小説 剣葬 10

剣葬

update:2013.01.18

剣葬 10 

 新選組を含む幕府の兵たちは、天保山沖から“順動”および“富士山”、二つの艦に分乗し、江戸へ向かった。
 “順動”には動ける者や怪我の度合いが比較的軽い者が、“富士山”には重傷者や介添えの者、“順動に”に乗り遅れた者などが乗せられた。
 “順動”はそのまま江戸に向かうが、“富士山”は横浜に寄港し、現地の病院に怪我人を送り届けるためである。

 土方は、近藤や沖田とともに“富士山”に乗った。
 土方自身の怪我はたいしたことはなかったが、近藤が同じ船に乗ろうと言って聞かなかったのだ。
 「“順動”には俺たちがいるから心配すんな」
 永倉と原田にそう言われ、土方はしぶしぶ“富士山”に乗ることになった。

 “富士山”は慶応四年にアメリカから購入した船で、大きなマスト2本を備えた蒸気船である。
 「これ、本当に沈まないのか?」
 それまでの和船よりも遙かに大きいその偉容に、誰もがおっかなびっくりで乗り込んだ。


 船室には負傷者が、薄べったい布団の上かあるいは直に床の上に転がされ、傷の痛みや船酔いに苦しんでいる。
 「沖田先生は動かないで下さいね!」
 と言い置き、神谷は苦しむ皆の介抱に駆け回った。

 「こんなひしめきあってるんじゃ、動くどころじゃないんですけどねえ」
 神谷の言いつけを早速破り、沖田は甲板に出て外の空気を吸っていた。
 室内は人が多すぎて空気が悪く、息苦しいからだ。
 「ははは、どんなところでもすばしっこいのは神谷君の天分だな」
 近藤がその傍らで笑った。

 土方は近藤の隣で紫煙をくゆらしていた。
 間もなく日が暮れようとする黄金色の日を受け、波が痛いほどに輝いている。

 「トシ、君のことだがな」
 手すりにもたれかかり、近藤が声を潜める。
 「大坂城で出来るだけ聞き込みをしてみたんだが、行方はわからなかった」
 「そうか」
 土方は眉一つ動かさずに即答した。


 近藤は土方と大坂で合流した後、大坂城へ登城し、新選組の戦況を報告しようとした。
 しかしすでに徳川慶喜は城を脱出して洋上にあった。
 近藤は、自分たちの頭がいなくなってしまい、困惑に流される城中の者を片っ端から捕まえた。
 そして今後のことを聞くとともに、慶喜に連れられているはずのの行方を尋ねた。

 だが、皆が大慌てで“たかが通詞”ののことなど覚えていない。
 かろうじて、
 「お暇を下さいと、会議の最中に叫んでいた者がいた」
 との話が聞けただけだった。


 「それが君に間違いないとは思うのだが…肥後守様にひったてられて部屋を出されたらしい。その後どうなったかまでは…」
 近藤は唇を噛む。
 「ありがとよ、かっちゃん。それだけわかりゃ充分だ」
 薄い笑みを浮かべ、土方は煙を吐き出す。
 沖田はいたたまれずに目を伏せた。


 (あいつのことだ、どうにかしているとは思うが)
 土方はの行動を思い浮かべる。
 は過程はどうであれ、結果はいつもそこそこの場所に落ち着く。
 (豚一公についていっているか、どうにか抜け出しているか、どちらかだろう)
 容易に想像がついた。

 だが。
 (豚一公についていったとしたら、公は通詞としてあいつを手放すことはないだろう)
 何度も通詞の仕事で呼び出されているということは、が慶喜に気に入られている証拠である。
 仕事を頼めばは万事そつなくこなす。
 それを一番よく知っているのは誰でもない、土方自身だ。
 慶喜がを側に置いて使いたい気持ちは、悔しいが理解できる。

 そして。
 (もし豚一公の元から抜け出したとしたら、京へ行くだろう)
 もうすぐ、あの時からーーーが時を越えてこの時代に現れてから五年。
 五年ごとに前川邸の池は静かな光を放ち、別の時代への扉となる。
 もう間もなく池は光り、彼女を元の時代へ連れ帰るはずだ。
 元の時代に戻るという宿命を彼女も、そして土方も忘れているわけではない。


 永遠の別れがいつか訪れることなど、とっくにわかったつもりでいた。
 しかしそれは、池が光る時だとずっと思っていた。
 きらめく水面の前で、元の時代の服に着替えた彼女と、少ない言葉を交わして。
 沸き上がる思いを押しとどめて、さっさと行けと背中を押してやり。
 そうして別れるものだと思っていたのに。

 (実際はこんなもんか)
 土方は煙管を手すりに打ち付ける。
 どこまでも広がる海の波間に、焦げて小さくなった燃えかすが消えて行った。




 土方たちを乗せた“富士山”は、途中で横浜に立ち寄って怪我人を降ろした。
 怪我人は予定通り横浜の仮病院である仏語伝習所へ預けられた。
 その翌日、一月十五日に“富士山”は品川へ無事に入港した。
 先に“順動”で到着していた隊士たちは品川の旅館・釜屋に入っており、“富士山”に乗っていた怪我人の内、横浜で治療を受けるほどでもない者たちも釜屋に荷を解いた。

 土方は近藤と沖田、神谷、それに介抱の用事一切を取り仕切らせる島田魁を連れ、神田和泉橋の医学所へ赴いた。
 医学所には大樹公の侍医であり、京で新選組の健康観察を提案してくれた松本良順がいる。近藤の肩の傷、沖田の労咳を診てもらおうと、医学所を訪ねた。

 医学所は“順動”と“富士山”で運ばれてきた怪我人や病人でごった返していた。
 しかし近藤たちが訪ねて来たと告げられた松本は、すぐに全員を医務室へ通した。


 「…何てえことになってんだ」
 互いに再会を喜ぶどころではなかった。
 近藤の銃創も沖田の労咳も、状況はよくない。いや、悪い。
 患者の前ではどんなに病状が悪くても顔色を変えない松本が、思わず一言漏らしてしまうほどに。
 本人たちもわかってはいたが、今最も腕のある医師にそう言われ、落胆の色を浮かべた。

 近藤は肩の傷口に残った弾丸と、砕けた骨の除去を行った。
 あいにく麻酔がない中であったが、近藤は固く拳を握り、うめき声ひとつ上げなかった。
 沖田は絶対安静を言い渡され、医学所の一室に押し込められた。
 神谷は沖田の世話と見張りを言いつけられ、つきっきりの看護を任された。
 島田は今後、新選組の傷病者を何人ぐらい連れてくるか、どのような病状の者が来るかを松本に伝え、当面の治療代として百両を置いて釜屋へ戻っていった。


 他の医師に治療を任せ、松本は土方を奥の私室に招き入れた。
 「法眼、ありがとうございました。お忙しいとは思いましたが、法眼に診ていただくのが一番だと南部医師もおっしゃっていたので」
 土方が頭を下げる。
 「ああ、そりゃあお前らのことだから構わねえが…だがな土方、残念だが、二人とももう二度と剣を振るうことは出来ねえかもしれねえぜ」
 松本が茶を啜りながら告げる。
 近藤の肩の傷は深い。弾の当たり所が悪く、骨が砕けている。
 沖田の労咳も、もう手の打ちようがないほど進行している。
 それを鑑みての、松本の言葉だった。
 「…心得ております」
 土方は口元に諦めを滲ませ、ただ静かに頷いた。


 続けて土方は鳥羽と伏見での戦、そこから南に追い立てられて大坂から撤退の船に乗らざるを得なくなったことまでを手短に話した。
 「船の中で、山崎が死にました」
 「山崎? あの監察の?」
 松本が目を大きく見開いた。

 山崎は弾丸で腹を撃たれた。本来ならば即死してもおかしくない出血だったが、驚くべき気力と体力で生き残り、土方と同じ“富士山”に担ぎ込まれた。

 船が沖に出て初めての夜、土方は山崎に呼ばれた。
 「すんまへん、お呼び立てして」
 柔らかな口調で山崎が詫びる。
 「いや、構わん。どうした」
 周りの病人が低くうめく中で、土方は山崎の声に耳を傾けた。

 「ご挨拶をと、思いまして」
 途切れ途切れの息で山崎が呟く。
 「今まで、お世話になりました。新選組でお仕事させてもろて、充実した、人生でしたわ」
 「山崎…」
 土方にもわかるほど、山崎の命の火は弱くなっていた。井上を見送った時と同じ弱さだった。

 「はんのこと、心配どすなあ…今頃、どこで、何しはってるんやろか…」
 「そうだな」
 「はんとは、大坂に…よう行きました…副長、はんと会ったら…ご一緒出来て楽しかったと…伝えてもらえまへんか」
 「ああ、伝えておく」

 思えば山崎には、何度もの行動を見守らせていた。お陰でも、そして監視を任せていた土方も、どれほど安堵したか知れない。
 感謝の言葉を伝える代わりに、土方は山崎の手を握った。
 山崎もその手を力強く握り返す。

 「眠くなって、きましたわ…少し、寝ます」
 山崎の手が弱まり、声が小さくなっていく。
 「ゆっくり休め。ご苦労だったな」
 土方は山崎の体に粗末な布団をかけ直してやると、船室を出た。

 朝になると、山崎は息を引き取っていた。
 亡骸は布団に包み、砲弾をくくりつけて海へと沈めた。
 朝日がきらめく海面の下へ、ゆっくりと遺骸が潜っていく。
 常に表に出ず、静かな仕事をし続けた山崎烝にふさわしい葬送であった。



 長い沈黙の後、松本が溜息をついた。
 「…で、はどうした? なぜお前の側にいない?」
 「通詞の仕事があるとのことで豚一公に連れ去られてから行方がわかりません。もしかしたらもう元の時代に戻っているかもしれませんな」
 土方は素っ気なく言い、外に目を向ける。

 「そうかい…俺も立場上、江戸城に行くことがあるだろうから、それとなく聞いてみるよ。まだ諦めるな、お前らしくねえ」
 と松本が言い、土方の肩を叩く。
 土方は返事もせず、頷きもせず、視線を庭に向けた。

 庭の植え込みが、冷たい風に震えてかさかさと音を立てる。
 まるで砂が零れ落ちるかのようなその音が行く末を暗示しているかのように、土方には聞こえた。




 鳥羽・伏見や大坂で戦った者たちはそれぞれ、疲れや傷を癒す日が続いた。
 近藤と土方は江戸城への登城を命じられ、戦況の報告を行った。
 だが、慶喜には直接会えず、の行方を聞き出すことは出来なかった。

 土方はの持ち物から取り分けておいた『英国歩兵練法』の翻訳を貪るように読んだ。
 不明な部分には印をつけ、何度も読み返す。
 そして銃砲や西洋式の服装をどこで買い付けられるかも、動ける隊士に命じて調べさせた。



 毎日が飛ぶように過ぎ去っていき、軽傷の者がだんだんと回復してきたある日。
 土方は松本の声がけで医学所に呼び出された。
 近藤のことか、沖田のことか。あるいは他の隊士のことか。
 最悪の事態をいくつも頭に浮かべ、土方は医学所の戸を叩いた。


 「見つけたぜ」
 と松本は土方を案内する。

 松本の私室に通された土方の目に飛び込んできたのは。
 青白い顔で、やせ細り。
 こんこんと眠るの姿であった。



 20130118