剣葬 9
は船で江戸へ送られてしまった。
その翌日、土方率いる新選組もまた、船で江戸へ向かうことになった。
「傷を負っている者を助け、先に舟へ乗せろ! 急げ!」
「こっちにも手を貸してくれ! まだ負傷者が大勢いる!」
小舟でまず天保山沖へ出て、そこから幕府の船に乗り換える。
船着き場にも、そうでない土手にも人が溢れ、小舟には次々と怪我人が運び込まれていた。
土方も自ら負傷者の肩を担ぎ、小舟へ乗せる。
その合間に、乗船を急ぐ者たちの中にの影がないか、土方は目を走らせ続けた。
何艘もの舟が川を下ってゆく。
土方はそれらがすべて岸から離れるのを見てから、最後の一艘に乗り込んだ。
「副長、出してもよろしいでしょうか」
斎藤が声をかける。
「ああ」
土方は岸から目を離さずに返事をした。
櫂が岸を押し、舟がゆっくりと川の流れに乗せられる。
土方は一度船首へ行き、他の舟が前を走っているか確認する。
そして再び船尾へ戻って来ると、どさりと腰を下ろした。
腕が痛む。襷でからげた着物が破れ、血がにじんでいる。
切り傷、擦り傷から来る痛みもあるが、刀の振りすぎもあるだろう。
平隊士も幹部隊士もなく一丸となって戦場に踏み込み、白刃を振るった。
飛んでくる弾丸を紙一重でかわし、無数に挑んでくる刃をくぐり抜け、生き残った者だけが今、舟に乗っているのだ。
土方は煙草入れを探った。
腰にぶら下げていたはずだが、いつの間にか落ちてしまったらしい。
「俺のを使え」
横から近藤が、自分の煙草入れを差し出す。
「ああ。ちっと借りるぜ」
土方は煙草入れを受け取り、煙管に刻んだ葉を詰め始めた。
「こんな時に煙草だなんて…」
神谷が真っ赤に泣きはらした目を土方に向ける。
「まあまあ神谷さん、土方さんのことは放っておいてあげてくださいよ」
青白い顔をした沖田が薄い笑いを浮かべる。
「だって、だって…井上先生が亡くなって、山崎さんも重傷で、さんは行方不明で…なのに!」
「神谷さん!」
神谷の叫びに、沖田が鋭い制止を入れた。
「いいですか、これが戦なんです。いつ誰が死んで、行方がわからなくなるかもわからない。あなたも武士なら理解しなさい」
「う、う、沖田せんせえ」
顔をくしゃくしゃにして、神谷は堪える。しかしその目からはどんどん涙が溢れてきた。
近藤は井上の名を聞いて黙りこくる。
咳込みがちな沖田には、蒲団が何枚も当てられていた。沖田は重ねられた蒲団の隙間からやせ細った腕を伸ばし、神谷の頭を撫でた。
船上を、風では吹き飛ばせない重苦しさが包む。
川面には焼け焦げた木の残骸や、捨てられた包み、そして人の体の一部と思われるものが浮き沈みを繰り返していた。
土方は強い風に背を向け、どうにか煙草に火を入れた。
(幕府軍は、最初から負けていた)
冷たい川風が土方に冷静な分析をもたらす。
前を行く小さな船影を眺めながら、ここ数日の激動を振り返った。
このたった数日の戦で、新選組は多くの隊士を失ってしまった。
三日、伏見で二名。
五日、淀千両松で十四名。
六日、橋本で四名がそれぞれ死亡。
戦況の不利を悟った者の脱走、多数。
残った者も、全員が大なり小なりの傷を負っていた。
一月三日、夕刻。
新選組は、会津藩兵とともに伏見に布陣していた。
突如、北西の鳥羽から号砲が聞こえ、戦の土煙が上がる。
すると、にらみ合いを続けていた幕府軍の会津兵・新選組らと、新政府軍の薩摩・長州兵の間にも戦端が開かれた。
伏見奉行所で陣を張っていた新選組は、終始押されっぱなしであった。
数ではこちらが勝っていたが、薩摩兵は奉行所を見下ろす御香宮から砲火を浴びせかけてきたのだ。
高所から雨霰と降り注ぐ砲弾や弾丸に、新選組は手も足も出ない。
奉行所の建物に身を隠すのが精一杯であった。
「土方さん、あの壁を乗り越えて敵陣へ突っ込むしかねえよ!」
永倉が奉行所の壁を指さす。
新選組は伏見奉行所の東側に配されていたが、こちらには門がなく、出入りには不自由する場所であった。高い壁を乗り越えるしか、外へ出る手だてがない。
「行けるか?」
土方が永倉の装備を眺めながら問う。
鎧甲冑の重装備ではないが、塀を乗り越えるには重すぎないだろうか。
「大丈夫、行けるって。一番隊、二番隊、ついてこい!」
「おお!」
組長の沖田が療養中のため、二番隊組長の永倉が一番隊の指揮も執る。
永倉はどこかから持ってきた酒樽に柄杓を突っ込み、透明に光る酒を一口飲むと、空樽を踏み台にして勢いよく塀を越えて行った。
ところが永倉たちは程なくして伏見奉行所に戻ってきた。
「おーい、空樽を投げてくれ!」
塀の外から声がし、斎藤たち三番隊は酒の空樽を持ち上げて塀の外へ投げる。それを踏み台にして、一番隊と二番隊の面々が次々と塀を乗り越えて戻ってきた。
「永倉はどうした」
息を切らして座り込む隊士たちに、土方が聞く。
「な、永倉隊長は、最後にと」
一番隊の相田が答える。
土方が塀のほうへ目を向けると、巨体の島田が瓦を蹴落としながら乗り越え、永倉に手を貸しているところだった。
「駄目だ、突撃してどうこうなる感じじゃねえ。奴ら、建物の影からバンバン撃って来やがる」
永倉が土方の元に戻ってきて、砂塵に塗れた顔を拭きながら言う。
「向こうの方が少し高い位置にいるからな、こちらの動きは手に取るようにわかるのだろう」
斎藤が敵の方向へと細い目をこらす。
「どうする、土方さんよ」
原田もさすがにいつもの楽観を浮かべることは出来ない。
このままここにいては打って出ることも守ることも適わない。
会津兵に合流してもよいが、もし敵が東の塀を乗り越えてきたら、会津兵も新選組も挟み撃ちに遭う。
どうするのが最善か、土方は考えた。
その時。
土方たちがいる場所と反対側、奉行所の西門の方から鬨の声が上がった。
「何だ?」
隊士たちの間にどよめきが上がる。
「歳さん! 山崎が戻ってきたぞ!」
井上が、物見に出てきた山崎烝を出迎えた。
「会津と長州の兵が激しくぶつかっています!」
埃まみれのまま山崎が土方の前に進み出る。
もし会津兵がやられてしまったら、出入り口のないこの東側は袋の鼠である。
(会津兵の援護に行くしかない)
土方は選択した。
「新選組、今から会津の助太刀に出る! 臆するな、進め!」
土方が腰間から刀を抜き放って号令すると、隊士たちは勇ましく雄叫びを上げて西門へと突っ込んでいった。
結果は惨敗で、新選組は会津兵とかろうじて伏見奉行所を脱出、南下して淀へと落ちていった。
伏見奉行所は散々に打ち込まれた末に炎に包まれた。
一月四日は淀で幕府軍と合流して体勢を整え直したが、五日はまた戦乱に飛び込んでいった。
淀の千両松にて陣を構えた新選組は、薩摩軍の猛攻に遭い、十四名という大きな犠牲を出した。
その中には、六番隊組長の井上源三郎も含まれていた。
敵の鉄砲の弾は間断なく飛んでくる。
弾込めと人員交替の僅かな隙を狙い、井上は果敢に飛び出していった。
一発の弾が、井上の甲冑を貫いた。
井上の足が一瞬止まる。
動かぬ的を狙うかのように、薩摩軍の銃口が火を噴いた。
崩れ落ちる井上の影を見た後のことを、土方はよく覚えていない。
刀を握って、薩摩の軍勢に飛び込んだところまではうっすらと記憶がある。
気がつくと目の前の薩摩軍は退却していて、土方は刀と言わず体と言わず、返り血で染まっていた。
「源さん!」
土方は井上の体を抱き起こす。
顔からは血の気がすっかり失せ、長年の稽古で鍛え上げられた筋肉に覆われている体は力を失っていた。
「若先生、と、総司に…申し訳、ない、と…伝えて…くれんか」
掠れた声で井上が頼む。
「何言ってんだ源さん、今、山崎を呼んで手当してもらうからな」
土方は袂を絡げていた紐を解き、井上の出血を止めようとした。
「それと、」
井上の瞼がだんだんと閉じてくる。
「源さん! しっかりしろ!」
土方は井上の頬を叩いた。
「歳さんに、いじめられたら、わしに言えと…言うておいたが、一度も…何も、言わなか…」
「しゃべるな源さん。山崎、山崎はまだか!」
「立派な…副長の小姓に育ったなと、にーーー……」
「…源さん?」
井上の口から続きの言葉が紡がれることはなかった。
千両松での戦闘では、さらに新選組を追いこむ出来事が起きた。
土方の呼びかけになかなか姿を現さなかった山崎が、同じく銃弾に体を射貫かれて重傷を負ってしまっていたのだ。
は徳川慶喜の元へいったきり。
神谷は沖田に付き添っている。
山崎は自ら動けぬほどの傷を負う。
治療を行える人物を悉く欠き、死傷者が増える一方の新選組は、またしても撤退を余儀なくされた。
(そっからがまた最悪だったな)
土方は煙を深く吸い込む。
新選組のみならず、会津をはじめとした他の幕府軍も多数の負傷者を出していた。
淀には淀城があるので入城して治療をしようと向かったが、淀城の城門は開かない。
何故かと皆は口々に叫ぶ。
すると、いつの間にか迫ってきていた敵軍の頭上に、布がはためいた。
赤地に、刺繍された金色の日月が輝く。
錦の御旗。
朝廷の認めた官軍の印が、薩長軍によって掲げられていたのだ。
その旗に対して戦うことは、帝を敵にして戦うと言うこと。
「わ、わあっ!」
ひとり、ふたりと、足を後ろに向ける。
脱走が始まった。
橋本の高浜砲台では、藤堂津藩が帝に弓を引くことは出来ぬと寝返り、幕府軍に対して砲撃を行った。
淀城に続く大きな裏切りに、幕府軍はがたがたと総崩れになって大坂へと向かった。
征夷大将軍の位を下りてはいるが、我が主君であることに代わりはない、徳川慶喜のいる大坂へ。
土方も新選組を率いて大坂に入った。
八軒屋の京屋へと隊士を落ち着かせると、土方は大坂町奉行所にいる近藤と沖田を訪ねた。
事情を飲み込んだ近藤は、戦況の報告にと傷の癒えない体を押して大坂城へと登城する。
大坂城は、もぬけの殻だった。
主君であるはずの徳川慶喜は、先日に城を抜け出し、江戸へ向かったとのことだった。
江戸へ。
兎にも角にも、上様のいらっしゃる江戸へ。
幕府軍は慶喜の後ろ姿を追い求め、陸路海路を問わずに江戸へと向かうことになった。
新選組は幕府の艦船に乗ることとなり、今に至る。
土方は流れてゆく煙に目を移すこともなく思案する。
薩摩や長州の兵は戦い慣れていた。
思い返せばそうである。四年前には英吉利、亜米利加、仏蘭西、阿蘭陀との下関戦争、二年前には第二次幕長戦争と、大きな戦を経験している。
また、その間に長州では内乱が起きたり、銃を大量購入したり、船を使いこなしたりと、藩内の空気は軍事への気運が高まっていた。
さらに、長州藩の徳川幕府への恨みは江戸時代当初に端を発するとも言われ、中央政権から遠く離れた土地へ封じられたことへの思いが、薩摩ともども今まさに爆発していた。
一方の会津兵は、大きな戦いを経験していない。八月十八日の変のように兵を配置しても、その力を存分に振るう機会はなかった。
そしてそれは、新選組にとっても同じであった。
八月十八日の政変や池田屋事件、油小路事件などをかいくぐってはきたが、これほどの大規模戦闘には一度も参加していない。第二次幕長戦争へは同行を許されず、京の守りを任されるのみであった。
(経験も、武器も足りねえ)
土方はぎらりと目を光らせる。
(刀じゃこれからの戦は勝てやしねえんだ。勝つためには、まず全員に銃だ)
会津藩から支給されている銃は、全体に行き渡る数ではない。
服装も今までのものでは駄目だ。西洋式の銃には西洋式の服装でなければいけないだろう。
そして銃を持つ軍隊を指揮する力が自らには必要である。
平隊士への多少の訓練はがつけていたが、実戦ではまったく役に立っていなかった。
指揮官がいなければ、訓練された兵も動くことは出来ない。
西洋式の砲術兵を動かすには、西洋式の指揮官がいなければならない。それは自分の役目だ。
考えなければならないこと、やらなければならないことが、土方の目の前には海のように広がっていた。
(西洋式、か)
英吉利式の歩兵の書を、は翻訳している。
その写しをこっそり彼女の行李から抜き取って読んでいたが、わからないところも多かった。
(ちくしょう、こんな時にてめえはどこにいやがんだ)
側にいてくれたら、負傷者の手当や歩兵練法についての教授など、頼めることは山ほどあったのに。
(どこにいやがる)
土方は煙管の端をぎりと噛んだ。
20130110