久遠の空 ドリーム小説 剣葬 7

剣葬

update:2012.12.29

剣葬 7 

 慶喜の呼び出しを待つしかないは、自作した英吉利語の書付に目を通しながら日を過ごした。
 室内は広く、慶喜の計らいで火鉢がいくつもおかれていたが、吐く息は真っ白である。

 (土方さんは…新選組の皆は…どうしているだろう)
 窓一つ無い部屋からは外の様子を窺うことは出来ない。もし見ることが出来たとしても、ここは大坂だ。京の細かい様子まで見通せはしない。
 三食を共にする慶喜に聞いても、幕府にとっては一組織でしかない新選組の様子など知るよしもないと突き放されるだけであった。

 そんな中でも、は感じ取っていた。
 この本丸御殿の御台書院に忍び寄ってくる、今にも戦にならんとするとげとげしい雰囲気を。
 どこぞの部屋で大名たちが侃々諤々の議論を繰り広げているに違いない。

 (もしこのまま戦になってしまったら、私はどうすればいいのだろう)
 大坂から京に戻ることは出来るのか。
 新選組に、土方の元に帰ることは出来るのか。
 そして、そろそろ光るであろう、前川邸の池のこともある。
 分厚い英吉利語の書付を閉じ、は視線を落とした。



 「失礼いたします」
 数多の花の絵に彩られた襖の外から声がかかる。慶喜の側近の声だ。
 「はい」
 は姿勢を正して返事をした。
 「上様がお呼びです。おいで下さいますよう」
 (上様が? お仕事かな…)
 「すぐに参ります」
 書付を横に置き、は立ち上がって身支度を調えた。



 は慶喜の近臣に連れられ、長い廊下を歩いた。
 遠い部屋から漏れ聞こえてくるはずのざわついた声が聞こえてこない。
 廊下を曲がると、裃をつけた人影がぶつぶつ言いながら、ぞろぞろと角を曲がって行くのが見えた。ちょうど昼の時分なので、会議も休憩に入ったのだろう。


 大広間に入ると、上座に慶喜が座っていた。
 脇息にもたれかかり、こめかみに手を添えている。
 段を降りたすぐのところには松平容保の姿があり、やや離れた場所に会津藩の御典医である南部精一郎の姿もあった。

 そしてその続きの間には。
 片腕を白い布で吊った近藤勇が控えていた。

 「局長?! そのお姿は?」
 は思わず近藤に駆け寄る。
 「大丈夫だよ」
 近藤はに笑顔を向けたが顔色は悪い。羽織の上からでも包帯が分厚く巻かれているのがわかる。おまけに手当を受けた後と思しき、消毒用の焼酎の匂いがする。
 一体何が。
 の手が震える。
 「今、南部医師に診ていただいたところなんだ。それよりもまず、上様たちへご挨拶を」
 「あっ、ご、ご無礼をいたしました」
 近藤の様子に驚き、は慶喜たちへの挨拶を忘れてしまっていた。
 慌てて畳に手をつき平伏するに慶喜は、
 「よい」
 と冷めた眼差しを向けた。


 は慶喜や容保と共に、近藤から今の新選組の様子を聞いた。
 屯所から伏見奉行所へ移り、近藤が撃たれ、沖田も病に倒れたとの話に、も容保も息を呑む。
 「先日島田を会津藩の陣所にやって説明させましたところ、公用方の皆様より、南部医師に治療を頼みがてら、私から肥後守様に直接ご報告申し上げるようにと言われまして罷り越した次第にございます」
 と近藤が話をまとめ、深々と頭を下げた。

 「南部、近藤の具合はどうだ?」
 容保は折り目正しい姿勢を崩さずに問う。
 「体の中に大きな衝撃が伝わっているようです。しばらく痛みや熱は引かないと思われます。その後については経過を見てからでないと何とも言いようがございません」
 南部は平坦な声で答えた。

 「左様か…近藤、しばし大坂に留まり、南部の治療を受けるがよい。南部、沖田の様子も診てやれ」
 「肥後守様、この近藤、ありがたき幸せにございます」
 「かしこまりました。すぐに往診いたします」
 「あの…沖田さんも大坂にいらしているのですか?」
 は視線を彷徨わせるが、沖田の姿はこの部屋にない。
 労咳で倒れ、神谷の看病を受けているはずの沖田が大坂まで来てしまって大丈夫なのだろうかと心配になる。
 「今は町奉行所で寝ているよ。もちろん神谷君のお守り付きでな」
 「神谷さんと…大坂の町奉行所にですか」
 「私の供をするんだと言って起き上がったのだが、神谷君が布団の上から押さえつけてね。さらに総司がいる部屋の入り口を固めて源さんの六番隊に囲ってもらって、その隙にここへ来たんだ」
 小声でそういうと、近藤は苦笑いを見せた。

 (沖田さん…神谷さん…)
 ふたりが同じ大坂の空の下にいる。
 沖田の病状はどうなのか。
 看病している神谷の様子も気になる。
 「私も南部医師の往診にお連れくださいませんか?」
 は南部に伺いを立てた。

 「それは許さぬ」
 と慶喜が顔を上げた。
 「そなたが出ていいのは余の許しがある場所までぞ。本丸御殿の外へ出ることは承知いたさぬ」
 「お見舞いに行くだけです。必ず戻ってくるとお約束いたします。お願いします」
 は畳に額をこすりつけて頼む。
 「許さぬと言ったら許さぬ。余は気分が優れぬので部屋に戻る」
 慶喜はの懇願を一蹴し、ふらつく足取りで大広間から出ていった。



 は呆然として慶喜の出て行った襖を見つめた。
 「ほんの少しだけ…南部医師と一緒に帰りますから。どうしても駄目ですか?」
 容保に向き直り相談する。しかし、
 「上様に逆らわない方がよい。特に今のようにお疲れの時はな」
 と容保は静かに告げた。
 「はい…申し訳ありませんでした」
 今は日本の未来を方向付ける大事な時である。
 そのような時にほんのわずかでも自分のわがままを通そうとしたことを、は恥じた。

 す、と容保が立ち上がる。
 「山口、ついて参れ」
 「は、はい」
 は容保の後ろにつき、空気の冷え切った廊下へ出た。
 そして勇壮な鷲の絵が描かれた襖絵のある部屋の前を過ぎ、小さな床の間付きの部屋へと導かれた。

 室内には黒い羽織の姿が二人。
 井上源三郎と斎藤一がいた。

 「井上さん、斎藤さん」
 は久しぶりに見る顔に、口元を綻ばせる。
 「肥後守様、無理を聞いていただき感謝いたします」
 斎藤が頭を下げると、井上と近藤も続く。
 「無理を…?」
 の頭上に疑問符が浮かぶ。
 「お前をこの部屋まで連れてきていただけるようお頼み申し上げたのだ。俺たちは大広間まで行けないからな」
 身分が足りないと斎藤は暗にほのめかす。
 「今の私にはこれくらいしか出来ぬがな」
 容保はふうと溜息をついた。

 「お前が本当にここにいるのか、確かめておきたかったのだ」
 から大坂へ至るまでの経緯を聞き出した斎藤は、面会の理由を語った。
 「すみません、私もまさかこんなことになるなんて思ってもいなくて…ご心配をおかけしました」
 しゅんとしては俯く。

 「心配をしているのは俺ではない。土方副長だ」

 ずきりとの胸が軋んだ。
 今、一番会いたい相手の名を聞き、膝の上の拳が震える。

 「局長に代わって新選組を率いているから何も言いはせんがの、お前のことを心配しているぞ」
 井上の手がの手に重なる。
 剣だこが出来た手の平が温かい。
 は目にこみ上げてくるものをぐっと抑えた。



 互いの状況を確認すると、近藤たちは本丸御殿を辞した。
 南部も同行し、沖田の様子を診てくることになった。

 は式台の上で容保とともに、近藤たちを見送る。
 「通訳のお仕事が終わったらすぐに帰れると思います。土方さんにそうお伝えください」
 「わかった。トシに伝えておくよ」
 「待っておるぞ」
 近藤と井上は笑顔を作り、斎藤は無言のままで頷いた。
 「南部医師、沖田さんのこと、よろしくお願いします」
 「ええ。あなたのこともお話ししておきますよ」
 細い目をさらに細め、南部は治療の道具を抱え直した。


 男たちの背が遠くなっていく。
 は式台の一番下の階段まで下り、近藤たちの影が消えるまで立っていた。
 式台から見える遠い空は、薄墨が走ったような低い雲に覆われている。
 「雪になるやも知れぬな」
 容保が呟く。
 は自らの吐く白い息で手を温めながら、こくりと頷いた。


 容保の見立ては当たり、その日の夕方から雪がちらつき始めた。
 御台書院の前にある坪庭を、うっすらと白が染める。
 厠に行くたびに白さが増す庭を見ながら、は土方の写真が入っている携帯にそっと手を触れた。


 その頃から、慶喜は共に食事を取らなくなった。
 部屋にはの分だけの膳が運び込まれ、はぽつんと一人で食事をすることになる。
 膳を運んでくる慶喜の側近に話しかけても答えてもらえず、外で何が起こっているのかまったくわからなかった。




 年が明け、慶応四年。
 本来ならば正月の様々な行事が執り行われ、進物を携えた大名たちが慶喜の元を訪れるはずだが、今年はそうは行かなかった。
 大広間に大名が集められ、慶喜の入室を待つ。
 しかし慶喜はなかなか姿を現さず、焦れた大名同士が恭順と開戦の議論を始めてしまう。
 その騒ぎはのいる部屋まで届いた。
 時々聞こえる怒鳴り声に、は気を揉むばかりであった。


 一月三日。
 早朝。
 ふと胸騒ぎを覚え、は目を覚ました。
 寒さだけではない何かが忍び寄り、急かされるように身支度を調える。

 部屋の外に出ると、いつもなら見張るように座っているはずの、慶喜の側近の姿がない。
 遠くの廊下を大勢の人が行き来する足音が聞こえてくる。
 (何か起きたに違いない)
 は慶喜の部屋に向かった。

 慶喜が寝起きしている黒書院に行くと、誰もいない。
 は疑惑を確信に変え、大広間へと走っていった。

 大広間に近づくにつれ、人の声が大きくなる。
 長い廊下を、容保が歩いてくるのが見えた。

 「肥後守様!」
 は容保に駆け寄った。
 容保は目を真っ赤に充血させながらも唇を引き結び、険しい表情である。
 「何かあったのですか? 上様も側近の方たちもいらっしゃらなくて…」
 普段は柔和な顔つきの容保に違和感を覚えながらは問う。


 「上様から何も聞いておらぬのか?」
 「はい」
 のいらえに、容保は小さく息を吐く。

 そして。
 容保の口から、衝撃の事実が語られた。



 「間もなく戦になる」



 「…え?」
 は一瞬、息を忘れた。



 20121229