剣葬 6
近藤の手当が済むと、土方は近藤に付き添っていた隊士たちを呼び集め、近藤が怪我を負った状況について報告をさせた。
近藤はこの日、現状の把握と今後の対応についてを話し合うため、朝から二条城の軍議に出かけていた。
将軍職を辞した徳川慶喜が争いを避けるために大坂城へ退いたのだから、その意志を汲んで新政府へ恭順すべきだと言う者。
反対に、突如姿を現した新政府に、二百六十年以上も国の平穏を守ってきた徳川幕府が追い出されてなるものかと、戦を決意する者。
集まった者たちが熱い議論を交わし、場はまとまらずに日が傾いた。
馬上の近藤は数人の供を連れ、二条城から伏見奉行所へ戻っていく。
京の南、墨染へ至り、まもなく宿陣中の奉行所に到着すると誰もが白い息を吐いた、その時であった。
パン、と高い音が南から北へと走る。
同時に、馬の背にまたがっていた近藤の体が大きく揺れた。
何の音かと、供の者たちが見回す。
「う…」
と近藤が前にかがんだ。
「局長?」
供についていた島田魁が近藤に駆け寄る。
近藤は右肩を押さえ、顔を歪めていた。
「どうされました、局長」
島田が近藤の右肩を触ると、手にぬるりとした感触が伝わってくる。
血が、島田の手にべったりとついていた。
「敵襲だ! どこかに潜んでいるぞ!」
島田の大声に、供の者たちは近藤の馬を囲んで抜刀する。
それぞれの指がぐっと刀の柄を握りしめる。
夕暮れの中からわあっと声を上げて、敵が迫ってきた。
「局長、先に行ってください!」
島田が近藤を背に白刃を振るう。
「俺一人逃げられるか…っ!」
近藤は気丈にも大刀を抜こうとする。
「今はお逃げください! 失礼いたしますぞ!」
島田は刀の鞘を腰から抜き、ばしっと馬の尻を叩いた。
馬はそれを合図に高くいななくと、道をまっすぐに駆けていった。
敵を追い払い、島田たちも伏見奉行所へと戻って今に至る。
供をした隊士ひとりと、馬丁がひとり、斬られて死んだ。
「敵の顔を見たか?」
土方が島田に問う。
「はい」
島田が頷く。
「鈴木三木三郎、内海二郎、篠原泰之進、阿部十郎の顔は見ましたが、他にも数名いた模様です」
「…そうか」
蝋燭のあかりに、土方の瞳が微かに揺れた。
近藤の供をしていた中でも軽傷だった者を案内にたて、永倉が一番隊と二番隊を率いて敵の捜索に出た。
しかし相手は十人そこそこと少数であったし、現場からは早々に立ち去っていて見つからなかった。
襲撃場所の近くには寂れた小屋があり、入り口を乱暴に開けた跡がある。
小屋の裏手にあった木々の下にはまだ新しい馬の糞が落ちていた。
「ここから近藤さんを狙って、島田たちを襲った後に馬で逃げたのか」
永倉はがんどうに照らされた糞を睨みつけ、木を拳で殴りつける。
すでに葉を落とした木からは、表面の皮がぱらぱらと落ちてくるだけだった。
頭の上に降ってきたそれを乱暴な手つきで払い落とすと、永倉は全員に伏見奉行所へ戻るよう告げた。
永倉からも報告を受けた土方は、幹部をひとつの部屋に集めた。
伏見奉行所の中でも奥まった部屋で、収集した情報をまとめ、戦が始まったら作戦の本営になる部屋である。
騒ぎになったのでほとんどの者が近藤にあったことをわかっていたが、土方から改めて狙撃の事実を聞くと、皆が青ざめる。
「近藤さん…マジかよ」
原田が唇を噛む。
「局長の容態はどうなんですか?」
「どれぐらいひどいんですか?」
「大丈夫なんですよね?」
次々に質問が飛んでくる。
「傷口は洗った。あとは医者に診てもらってからだな」
医者の診察を受けねば詳しいことはわからないのは本当だが、ここで余計なことを言って隊士たちに無駄な心配をかけるのは上策ではない。そう判断し、土方はあえて言い方をぼかした。
「今は陣中だ。出陣の命令が出たらいつでも出られるように準備をしておけ。怪我をしている局長に万が一つでも後れをとる奴は切腹だぞ」
夜の冷気にも負けぬ口調で土方が告げると、場に緊張が戻る。
土方は交代で休みを取りながら警戒を怠らないよう申しつけ、場を解散した。
近藤の休んでいる部屋に入ると、近藤は体を起こしていた。
寝台代わりにしている長い床几の上に腰掛け、壁に背を預けている。
その傍らには井上源三郎が付き添っており、滲み出てくる血をふき取っていた。
「痛むか」
土方は近藤の右肩を見下ろす。
「痛くない、と言えば、嘘にはなるが…」
口元に精一杯の笑みを浮かべて近藤が返す。
傷口からか、拭き取った後の布からか、室内は血の匂いに満ちている。
「今、皆にはあんたが撃たれたことを説明してきた。会津にも話してこなければならないだろう。島田を使者に立てていいか」
「ああ、頼む。島田君なら、あの場にいたし、的確な、報告を…してくれるだろうからな」
「これを片づけて、お湯をお持ちします」
と井上が血にまみれた布をまとめて部屋を出ていった。
「…君は、まだ、戻らないのか」
近藤が声を低くして聞く。
「ああ」
土方が頷く。
「早く、戻ってくれると、いいな」
「ああ」
戻ってくるどころか、長い逗留になるかもしれないと徳川慶喜の使者に言われている。いつが戻るのかはわからない。しかし、今の傷ついた近藤にそれをはっきりと言うのは憚られ、土方は短く返事をするに留めた。
「あんたはあいつの心配をしている場合じゃねえだろ。休めるうちに休んでおいてくれ。いざ出陣の時になって大将の姿がねえんじゃ様にならん」
「そうだな…」
ふ、と近藤は土方の言葉に苦く笑った。
「トシ」
「なんだ」
「俺に万一のことがあったら、新選組を頼むぞ」
「万一ってなんだよ。あるわけねえ」
「トシさんや」
そこへ井上が慌てながら入ってきた。
「若先生の敵を取るんだと総司が支度しているようで…一番隊が総出で止めているようなんじゃが」
「何だと? 誰だ、近藤さんのことを総司に漏らした奴は」
土方は天井を仰ぐ。
「看病に戻った神谷が口を滑らしたみたいで」
「ったく! 源さん、後は任せたぜ」
舌打ちをしながら、土方は部屋を飛び出した。
沖田が収容されている小部屋に近づいていくと、部屋の戸が開け放たれ、薄暗い光が漏れていた。何人もの影が床に重なって映り、声が聞こえてくる。
「沖田先生、落ち着いてください! 先生が今行っても敵はいません!」
「その体じゃ無理ですよ!」
「私は落ち着いていますよ。皆さん、そこをどいてください」
「どけ」
土方は部屋の入り口に群がっている一番隊の隊士たちをかき分け、中に入った。
沖田は袴に胴着を身につけ、腰に大小までも差してすっくと立っている。
「土方さん」
土方の姿を視界に入れると、沖田は土方の前に進み出た。
「近藤先生が撃たれたそうですね。醒ヶ井で敵を討ち損じた私の責です。なのに皆行かせてくれないんですよ」
「…」
「私に命令をください。近藤先生の敵を討って来いと。それまで隊に戻るなって、言ってください、副長」
土方と沖田が正面を切って対峙する。
固唾を飲み、神谷をはじめとする一番隊の面々が行方を見守った。
「その命令は出せねえな」
「どうしてですか? 討ち損じた敵のせいで局長が重傷を負ったなんて、本来なら切腹ものでしょう? 切腹になってもかまいませんが、その前に敵だけはこの手で討たせてください」
二人とも声を荒げることはない。
しかし、二人の間には誰にも入り込めないぴりぴりとした空気が流れている。
「着替えて横になれ。出ることは許さん」
「…どうあってもですか?」
「どうあってもだ」
沖田は後ろへ下がり、間合いを取った。
土方も足を後ろへ引き、身構える。
一番隊も部屋の入り口の外まで退いた。
沖田の刀が抜かれ、土方に向けられる。
「自分の不始末は自分で拭います。そこをどいてください」
「沖田先生!」
「あなたは黙っていなさい、神谷さん」
だが、土方は微動だにしない。刀も抜かない。
沖田がひゅっと刀を突き出す。
土方の前髪がほんの少し切られ、音もなく床に落ちた。
土方は切られた髪に目を落とすこともなく、じっと沖田を見据える。
沖田は白い息を細かく吐きながら、なおも土方へと切っ先を向けた。
「う!」
長い対峙の末に沖田の肩が大きく上下し、熱い息が喉元を駆け上がる。
その隙を逃すことなく、土方は沖田に飛びかかった。
沖田はいとも簡単に倒され、土方に襟を締め上げられてしまった。
「沖田先生! 副長!」
「まだそんな調子のくせに、それで本当に敵が討てるとでも思っているのか? 返り討ちにされるのがせいぜいだろ」
「…っ、でも、土方さん、私は」
「お前に死なれたら天然理心流はどうなる? 五代目が先に死んだりしやがったら、かっちゃんにもあの世の周助先生にも顔向け出来ねえのはお前だぞ。それとも理心流はどうでもいいってのか?」
「よくないです」
「だったら早く治るように、今はおとなしくしてろ」
「…はい」
沖田は土方に助け起こされると、寄ってきた神谷に刀を預けて着替えた。
「土方さんはずるいなあ。私がどう言われたら従わざるを得ないか、よくわかっているんだから」
蒲団に潜り、沖田は唇を尖らせる。
「当たり前のことを言っただけだ。神谷、ちっと来い」
土方はふんと鼻で笑うと、神谷を連れて部屋の外へ出て戸を閉めた。
「総司に近藤さんのことを言ったのはお前だそうだな」
「はい、外が騒がしいのを沖田先生が気にしていらしたので…」
神谷が身を縮める。
土方は神谷の襟首を掴むと、一番隊の群の中へと投げ込んだ。
「ひっ」
「神谷!」
「大丈夫か?」
山口や相田らが神谷を支える。
「今後総司に、いや、総司にだけじゃねえ、組の中で余計なことを言ったり、くだらねえ噂をする奴は、俺が直々に成敗してやる。覚えとけ」
廊下の暗闇を背に土方が殺気をみなぎらせる。
誰もその雰囲気に頷くことすら出来ない。
土方は踵を返して、廊下を戻っていった。
奥まった部屋に土方は戻った。
室内には山崎と斎藤がおり、土方の帰りを待っていた。
「えらいことになりましたな」
山崎が蝋燭のあかりに眉を寄せる。
「島田を呼んでくれ。会津に近藤さんの次第を報告させる」
「承知しました」
山崎は渋面を保ったまま部屋を出た。
「斎藤、三番隊を率いて島田を護衛しろ。島田は近藤さんと一緒にいるところを襲われたから、また襲われないとは限らねえ」
「承知」
「ついでに会津藩が今どうなってんのかも聞いてこい」
「会津藩だけでよろしいですか?」
「どういう意味だ?」
「あれのことはよろしいので?」
あれ、とはのことである。
会津藩を通じて徳川慶喜の動向を探り、一緒にいるがどうしているのかも調べてくることを、斎藤は提案しているのである。
「俺が命じたのは島田の護衛と会津藩の内部情報だ。聞こえなかったのか」
土方は素っ気なく言い、斎藤に背を向けた。
島田と、斎藤率いる三番隊が伏見奉行所を出発する。
(こんな時でも副長は素直ではないのだな)
あれのことを知りたくないわけがなかろうと、斎藤は誰にも悟られぬほどの小さなため息をつき、道を歩きだした。
土方は平隊士に茶を淹れさせ、部屋の隅にある文机の前に座った。
近藤の狙撃。
沖田の労咳。
戦になるかもしれぬ緊迫した状況。
いっぺんにいろんなことが起こりすぎである。
机に肘をつき、両手を重ね合わせて額をおくと、重たいため息が漏れた。
茶を一口、口に含む。
ぬるいし、茶葉がよくないのか、まずい。
(あいつはいつも、すっきりしたいい味の茶を出していた)
傍らにあるはずの小さな影は、未だ側にいない。
土方は口に合わない茶を飲み続けながら、自分の荷からあるものを取り出し、行灯の明かりを引き寄せて、それを読み始めた。
その頃、大坂城のは。
前に大坂城へ招かれた時にあてがわれた、徳川慶喜の隣の部屋にいた。
慶喜は城内の一室で諸大名と会議を行っており、はひとりである。
(新選組の皆はどうしているだろう…)
次の通訳の仕事の予定がいつになるか決まっていないと申し渡されているは、出来ることなら一度、新選組に帰りたかった。しかし、いつになるかわからないということは、すぐにでも仕事になるかもしれない可能性を含んでおり、は解放されなかった。
は肩を落とし、自分の行李を開けた。
土方が選んでくれた荷物の中身を、まだ確認していなかった。
衣服はほとんどが入っており、きれいに畳まれたまま入っていた。
底の方に、英吉利語の勉強をまとめた綴りがしまわれている。
はふと、あるものがないことに気づいた。
元の時代の服と、英国式歩兵練法の写しがない。
土方が、元の時代の服など持っていることを慶喜に気づかれたらまずいと気を遣ってくれたのだろう。
(歩兵練法は、土方さんが読みたかったのかな)
平隊士に英吉利式の軍事訓練している合間に、土方にもどういうものかを問われて答えていたことが何度かあった。
これから戦になるかもしれない雰囲気の中、土方も英国式の軍事訓練について詳しく知っておきたいのだろう。
(戦になどならないのが一番なんだけれども)
は蝋燭の燃える音しかしない部屋の中で、自分が清書した軍法書を熱心に眺めている土方の姿を思い浮かべた。
20121209