剣葬 5
醒ヶ井にある近藤の妾宅。
神谷は先日から、病身の沖田とともにそこへ寝泊まりをしていた。
局長の妾であるお孝と子どものお勇を守るという名目だったが、実際は沖田の安静のためだった。
(私がお孝さんとお勇ちゃんを…沖田先生を守らなくちゃいけない)
無理に起き上がろうとする沖田をたしなめ、生まれたばかりのお勇を抱えて不安そうな顔をするお孝をなだめながら、神谷は拳を固めた。
静かで冷たい朝だった。
夜の眠りを手放すことを惜しむようにのろのろと太陽が東の空に上る。
山の端を光が染めるのと同時に、神谷は目を覚ました。
(家の外に人がいる…)
家の前を掃き清めるには早すぎる時間なのに、足音が聞こえてくる。
神谷は枕元の大刀を腰に据えると、音を立てずに布団から出た。
息を殺して障子に近寄る。
指を湿らせて障子に小さな穴を開け、外の様子を伺う。
ざくざくと霜を踏む音。
がちゃがちゃと腰の大小が擦れる音。
板塀の下を走る、袴の股立をとった足。
(馬鹿だな、丸見えじゃないの。気づいてないとでも思ってるの?)
妾宅のこぢんまりとした庭は、向こうからは見えづらくてもこちらからは見えるように作られている。さすがは土方が見立てただけあった。
ざざ、ざざと土が踏まれて蹴散らされる。
神谷はその音の大きさを耳で確かめながら、帯がきっちり締まっているかを確認し、そこへ大刀と脇差を差し込む。
鯉口を切って、白い息とともに長い刀を鞘から引き出した。
だだっと縁側に男の足音が乗る。
神谷は畳に素足を噛ませ、障子が左右に開かれた刹那、中に押し入ろうとする人影に斬りかかった。
がつんと、鉄と鉄のぶつかり合う音が静寂を破った。
神谷の刀が相手と鎬を削る。
しかし相手は嫌がるように神谷を弾き飛ばした。
「わっ!」
小さく細い神谷は、男の体重をかけた力には適わない。
縁側から庭へと転がり落ちた。
男も飛び降り、そのまま神谷を上から斬り伏せようとする。
が、神谷はその刀を自分の刀で受け、横に流した。
数回打ち合い、隙を見て足を払うと相手はやっと後ろに飛び退いた。
神谷は急いで起き上がり、体勢を立て直しながら相手を確認する。
縁側にひとり。
庭先にひとり。
門を入ったところに二人。
いや、門のところにいる二人の後ろにもうひとりいる。
(私の前の男を含めて六人…)
いずれも布で顔を隠して、大刀を抜き、殺気を滲ませていた。
「近藤は何処だ」
神谷を弾き飛ばした男が覆面の下から問う。
「え? 局長?」
「答えぬか」
「誰が言うかっ!」
神谷は刀を正しく構え直す。
それを受け、相手も皆、切っ先を神谷に向けた。
相手は近藤が伏見へ布陣したことを知らない。
(今、ここで斬らなくちゃ)
もし今自分が負けたら、奥の部屋で寝ているお孝やお勇が近藤の居場所を知るために利用されてしまう。
病身の沖田も危ない。
だが、相手は自分より体の大きな男六人。
闇雲な打ち合いと、寝間着だけの体に染みる寒さで体がきしむ。
(私ひとりでどこまでやれる?)
冷たい汗が神谷の背を伝い落ちた。
そこへ。
「う、うっ…」
縁側で斬り込む出番を待っていた男が突然前に倒れて、庭に崩れ落ちた。
何事かと神谷が意識をそちらに向ける。
風が短く鳴ったかと思うと、今度は神谷の目の前の男ががくりと膝を折る。
またひゅっと風が音を立てた。
庭先の男がその場に体を投げ出した。
「近藤先生が狙いですか」
風が低く声を放つ。
「お…っ」
その声に神谷は目を大きく見開いた。
夜明けを告げる鐘が、そこかしこの寺から次々と鳴り響いてくる。
身を切るような寒さと解け合うような薄い朝日を背に負って。
その風は立っていた。
沖田総司、その人が。
寝乱れた髪をゆるく掻き揚げ、沖田は鋭い眼光を覗かせる。
その場にいる誰もがぞくりと身を震わせた。
「近藤先生の居場所をお探しですか。でもあなた方がそれを知る必要はありません」
沖田は素足のまま地面を蹴り、門の前にいる二人に躍り掛かった。
ひとりが胸元から血をまき散らし、もうひとりは腕を切られながらもかろうじて後ろに飛び退く。
逆光に彩られた沖田の影が、黒い。
「新選組一番隊組長沖田総司が、直々に粛正します。さあ来なさい!」
沖田が病身とは思えない声を張って身構える。
残った二人は視線を交わすと、刀を納めることもせず門から遁走した。
「お、沖田先生っ」
神谷が駆け寄る。
「おはようございます、神谷さん。懐紙あります? 持ってなくて」
沖田はべっとりと血のついた刀を神谷に見せる。
「懐紙どころじゃないですよっ! どうして起きてきたんですか! ほら、刀を寄越してください! 部屋に戻って!」
刀を奪い取ると、神谷は沖田の手を引っ張った。
「だって、あなたはあんなに緊張して起きてくるし、相手は多いし」
「沖田先生、気づいてたんですか?」
「ええ、まあ。それに…」
「それに?」
「近藤先生の名前が出たら、黙って寝ていられるわけもないでしょう?」
そう言った沖田は次の瞬間、口を覆って膝を折った。
ごほ、と咳込むと、手には赤い血がこぼれた。
短く息を継ぐ沖田の背を神谷がさする。
「もうお部屋に戻ってください、早く!」
「まだ…まだです、聞いてください神谷さん」
沖田は神谷の袖を掴んで、真剣な眼差しを向けた。
「いいですか…さっきの刺客は御陵衛士の生き残りです」
「え?」
沖田の言葉に、神谷は目にこみ上げた涙を引っ込める。
「一番奥にいた男、気づきませんでしたか? あれは内海さんです」
「内海さん…? 伊東参謀の下にいた、内海次郎さんですか?」
「ええ…伊東さんを殺したことへの報復なんでしょう。近藤先生を狙ってきたけれども、残念でしたね、私たちしかいなくて…」
死体を見下ろし、沖田が冷酷な笑みを浮かべた。
「近藤先生にこのことをお伝えしなければなりません…神谷さん、伏見に向かって…う!」
ごほごほと沖田は咳をし、身を縮める。
「沖田先生、まずは先生からです。布団に戻ってください」
神谷は沖田を無理矢理布団まで引きずっていこうとする。
その手を沖田が振り払い、神谷の胸倉を掴んだ。
「私のことはいいんです! もうこんな体の私は、これぐらいしか近藤先生のお役に立てないんだ! 近藤先生の道場の師範代なのに、一番隊の組長を預かっているのに、今こそ近藤先生を守らなくてはいけないのに…!」
口元を血塗れにしながら、沖田は叫んだ。
「…!」
それを聞いた神谷の目がつり上がる。
神谷の手がぶんと勢いよく上げられ、沖田の頬をはたいた。
「ふざけるのもたいがいにしてくださいっ! 沖田先生が静かに養生できるようにって、近藤局長がお気遣いくださったんじゃないですか!」
「…っ」
「局長が沖田先生に今、一番望んでいることは、師範代としてでもなく、一番隊組長としてでもない! 沖田総司が沖田総司としての姿を取り戻してほしいってことに決まってるでしょう!!」
「神谷、さん」
怒鳴られて沖田は呆然とする。
「…だいたい、近藤局長が斬りかかられてやられるような方じゃないってことは、沖田先生がよくよくご存じのはずです。わかったらさっさと布団に入ってください。お風呂を沸かしますから、沸いたら入って温まること。それと、また刺客が来たらいけないんで、お孝さんたちはおまささんたちと遠くに隠れててもらいましょう」
「そうですね。すみませんが神谷さん、お願いします」
落ち着きを取り戻した沖田はふと微笑むと、おとなしく布団に戻った。
神谷は風呂を沸かし、その間に庭の死体を隅に寄せて筵で覆い隠した。
沖田を風呂に入れた神谷は次の行動にかかる。
奥の部屋で、何も気づかずにお孝とお勇は眠っている。
神谷はお孝をそっと揺り起こし、ただ危険が迫っているだけ伝えて、裏口から二人を連れだした。
至近にある原田の家を訪ねた神谷は、そこで初めてお孝と、原田の妻であるおまさに、つい先ほど近藤の家で起こった事件を話した。そしておまさに、おまさの実家を頼ってどこかへ避難するように願い出た。
おまさも話を聞いた時は驚いたものの、普段から原田に言い聞かされているのか、任せときと胸をたたいてすぐに荷物をまとめた。
お孝に娘のお勇、おまさに息子の茂、おまさの家の女中の五人は、日が昇って人が出てきた通りを、おまさの実家である呉服屋に早足で向かった。
身の回りが落ち着いた神谷から、伏見奉行所に駐屯する新選組に連絡が入ったのは、昼前だった。
「総司が…」
震える文字で書かれた報告を見て、土方は唇を噛んだ。
たとえ一瞬でも刀を陽光に閃かせたことに安堵する反面、それはたった一瞬だけで後は横になっているしかない状態を鑑みると、容態は芳しくない。
「一番隊、醒ヶ井へ沖田を迎えに行け。また妾宅が狙われるかもしれん。どうせ安静にしてねえんなら、こっちにいたって同じだろう。死体の始末もつけてこい」
土方が一番隊に指示を出すと、一番隊の面々は即座に永倉に断りを入れ、醒ヶ井へ向かった。その足取りは非常に迅速であった。
(かっちゃんが狙われている…か)
御陵衛士の残党を取り逃がしたということは、こういったことに繋がる。
だが、近藤は腕に覚えがありすぎるほどあり、今は二条城へ軍議に出向いている。供も数人つけ、近藤自身は馬にも乗っている。
(心配はねえだろうが、戻ってきたら話をしておかなきゃならねえな)
土方はまだ高い日を見上げ、二条城のある北の方角へと視線を移した。
そしてふと自分の傍らを見る。
あるべき細い姿がない。
自分に届けられる書状の中にもその名はない。
(さすがにこの状況で豚一将軍からのお召しじゃ、文も来ねえか)
物々しいざわめきをかもす中、土方はひとり静かにため息をもらした。
その夜、ざわめきは大騒ぎに変わった。
醒ヶ井から運ばれてきた沖田がようやく床についた頃、近藤が二条城から戻ってきた。
近藤の姿は変わり果てていた。
肩から流れる血が羽織を赤黒く染め、髪は乱れ、馬から下りるのもやっとという姿に。
「かっちゃん!」
近藤の惨状を聞いた土方が、式台まで駆けてくる。
「トシ…すまん…やられたよ…」
青白い顔で近藤は無理に笑うと、土方にもたれかかった。
「とにかく止血と治療だ。おい誰か、…じゃねえ、神谷と山崎を呼べ! そこの部屋を開けろ! 急げ!」
土方は近藤を支え、すぐそばにある部屋へ近藤を運びこんだ。
隊内でも医療に通じている神谷と山崎が呼ばれ、近藤の傷口の治療にあたった。
銃創という初めての痛みに、さすがの近藤も呻いた。しかし、歯をぎりぎりと食いしばり、近藤は耐えた。
「出来る限りの消毒はしましたが、これ以上の治療は、ここでは器具が足りません。早く南部先生か松本法眼に看ていただいたほうが…」
神谷が額に汗を滲ませて言う。
手を血で真っ赤にした山崎も頷いた。
沖田に引き続き、近藤までもが重傷を負って倒れた。
は傍らにいない。
言いようのない孤独感が土方を覆う。
20121129