剣葬 1
慶応三年十一月。
伊東甲子太郎一派を壊滅させた新選組は静寂を取り戻した。
組の中には、伊東に憧れていたが御陵衛士への参入を許されなかった者たちがまだ残っていた。その彼らは憧憬を失い、幹部であった伊東ですらこうして粛正されてしまうのだと恐れをなし、思想の火を消さずにはいれらなかった。
しかし。
その静寂も、ほんの瞬きの間のことにすぎなかった。
新選組はここを頂点として、歴史の暗黒坂を転がり落ちていく。
そして新時代の夜明けという大河に投げ込まれるのであった。
「新選組が暗殺の嫌疑をかけられているだと?」
「ああ」
不動堂村の新選組屯所。
局長室に集まった幹部の面々は、近藤の言葉に一同目を丸くする。
幹部の会合に書記として同席していたも、頭の上に疑問符を浮かべた。
昨日の夜のこと。
局長室の近藤に、幕府から書状が届けられた。
差出人は若年寄格、永井尚志である。
「翌朝、登城せよ」とだけ書かれていた。
夜が明けて早々に、近藤は供を引き連れて二条城へ出仕した。
そして面会した永井から、思ってもいなかったことを問われたのだ。
「新選組が坂本龍馬及び中岡慎太郎を暗殺したのではないかと告げに来た者がおる」
永井は静かな、重たい声で近藤に話しかける。
「そのようなことはいたしておりませぬ」
近藤は平伏したまま、屋根の梁のように太い声で答えた。
坂本龍馬については以前、伏見奉行所から暗殺犯として探るよう要請が来た。新選組は神谷と監察方を使って、坂本が伏見の寺田屋に寝泊まりしていることを突き止めた。
しかし新選組も伏見奉行所も、坂本を捕まえることは出来なかった。新選組が寺田屋に踏み込んだ時に坂本は不在で、伏見奉行所が踏み込んだ時には逃げられてしまったのである。
その後、十一月十五日。坂本龍馬は命を落とした。
身の危険を感じた坂本は寺田屋を引き払い、河原町の近江屋に移っていた。
その近江屋を何者かが襲い、坂本および同藩の中岡慎太郎が斬られた。
犯人は現場から逃走し、未だに行方は知れない。
犯人が誰なのか、土佐藩は目の色を変えて探していた。
新選組が犯人との噂もかすかに流れていたが、近藤はその日の隊士の行動を全て聞き出し、組の中に怪しい人物がいないか確認してある。
近藤本人も事件当日の夜は会津藩の人間と会食をしており、店の者が証明してくれる。
「ああ、私もそう信じている。が、現場にちとまずいものが落ちておったらしいのだ」
「まずいもの…でございますか」
「うむ。原田という男がおるな? その者の鞘が落ちていた、ということなのだが」
永井は苦い顔つきになり、室内は真空になったかのように息苦しくなった。
「そんなことねえよ!」
どん、と原田が局長室の畳に拳を振り下ろす。
「俺はあの夜、いや、あの夜だけじゃねえ、毎晩家に帰ってる! 茂がかわいい盛りでいつでも顔が見てえってのに、そんな寄り道するか!」
あらぬ疑いを掛けられ、原田はぎりぎりと歯ぎしりをした。
「わかってるよ左之助。永井様にもきちんとお前ではないことをお伝えしてある」
近藤が落ち着いた様子で原田に視線を向けた。
近藤は永井に証拠の鞘の提出を求めたが、現物はなく、落ちていた鞘を見た人物が原田所有の物だと言っただけらしい。
そこで近藤は原田が実行犯であることを否定し、必要ならば十一月十五日の夜に、自分を含め隊士たちがどこにいたのかを書面にして提出すると上申した。
永井は納得し、信じてはいるが潔白の証明として書面の提出を要求した。
「いいか、皆、よく聞いてくれ」
原田が憤然として座ると、近藤は一同の顔を見渡す。
「今、世情はどう転ぶかわからない。何があっても上からの正式な御沙汰があるまで自重せよと、永井様からお言葉があった。誤解を受けるような行動をしないよう、組下の者たちによく言って聞かせてくれ」
「承知」
幹部たちは薄暗い行灯のあかりの中、しっかりと頷く。
近藤が解散を申し渡すと、幹部たちはさっそく組下へ話をするため、組下の者たちが居住する長屋へと散っていった。
「総司、一番隊へはよかったら俺がまとめて言っとくぜ?」
青白い顔の沖田に、永倉が声を掛ける。
「やだなあ永倉さん、話をするぐらい大丈夫ですよ。でも、ありがとうございます」
沖田はにこやかな笑みを浮かべ、永倉と連れだって長屋へ向かっていった。
「左之助が犯人…か。誰がそんなことでっち上げやがったんだ」
土方が目元を厳しくする。
「坂本をやった犯人か、あるいは、犯人がわからないのをいいことに、我々に恨みを抱くものがそう言ったのかもしれませんな」
最後に席を立とうとした斎藤が呟く。
「どっちにしても俺たちはやってない。この件に関しては堂々としていればいいんだ」
近藤が言うと、斎藤は頷いて局長室を出て行った。
は部屋の隅で会話の内容を書き留めながら考える。
坂本龍馬と中岡慎太郎が暗殺された。
歴史に詳しくない自分でも、それが幕末の一事件だということは知っている。
(もう幕末の、かなり終わりの時期に差し掛かっているのかもしれない)
口元には白い息が漂うが、背には冷たい汗が流れる。
(今、どの辺なんだろう…)
知ったからどうこう出来るというわけでもないが、は歴史の授業で習ったことを頭から引っ張り出そうとした。
が、その刹那。
ずくんと頭が大きく拍動した。
「う…」
突然頭が痛み出し、は筆を取り落とす。
「どうした?」
土方が目ざとくの様子に気付き、側に寄った。
「大丈夫です…ちょっと急に頭痛が…」
は額に手を当てて大きく息をする。
日本の幕末史について、特に“これから先”のことについて思い出そうとすると、いつもこうだ。
まるで、未来からやってきて“結末”を知っているを押し潰すかのように。
「君、記録はだいたいとってあればもういいよ。部屋に戻って休みなさい」
近藤も心配そうな目を向ける。
「すみません、明日…っ、まとめますので、失礼します…」
は手早く書き物と文机を片付けると、副長室へと姿を消した。
副長室に戻り、真新しい襖を開いて、分厚い布団を敷く。
羽織と袴を脱いで衣紋掛けに吊し、額を押さえたまま横になった。
は痛みを逃すように、深く息を吐く。
(これが異分子である私に科せられる代償なのだろうか…)
思い出そうとしなければやがて落ち着いてくるのはわかっている。
思い出してはいけない、ということなのだろう。
ふかふかの布団に身を預け、はゆっくりと眠りに落ちていった。
局長室に残った土方は、が書きかけた記録に目を通していた。
そして時折副長室の方へと意識を向け、物音がしなくなったのを耳で確かめる。
(あいつ、大人しく寝たな)
安堵の溜息が、形のよい唇から静かに吐き出された。
ぷ、と近藤が笑いを漏らす。
「何だよ」
「君に対する気持ちが丸見えだぞ、トシ」
「からかうのはよしてくれ」
土方が赤くなってそっぽを向く。
「悪い悪い。じゃあ真面目に言うよ」
笑いを止めると、近藤は急に真顔になって土方の両肩に手を置いた。
「新選組は幕臣となった。幕府を支えていく存在だ。それはわかるな」
「ああ、わかってる」
近藤と土方が、真剣な眼差しを交わす。
「だが、幕府は今、傾きかけている。長州や薩摩が不穏な動きをしているとの報告もある」
「ああ」
「まだはっきりと確認がとれていないからさっき皆の前では言わなかったが、特に薩摩は怪しい。二本松の藩邸に、大勢の兵が入ったかもしれないと永井様から伺った。二千か三千か…とにかくすごい人数らしいぞ」
「そんなにか? 薩摩め、いったい何をするつもりだ?」
「そこまではわからんし、未確定な情報だと言っただろう? 仮に戦になるとしたら、いつ俺たちも出動するか知れん」
近藤は静かに深く息を吸った。
「君がどういう出自なのかなんてどうでもいいじゃないか。平穏な今のうちにお前の想いを伝えて、一緒になれ。帰ろうとしたら引き留めろ。新選組が幕臣となり、俺がお目見えになったのも、すべてお前のお陰だ、トシ。俺の夢を叶えてくれたのはお前だ。今度は俺がお前の夢を叶える番だ」
「かっちゃん…」
「惚れている女が側にいるんだ、お前も家庭を持ってひと休みしろ。大事なものはしっかりその手で抱えておけ」
「かっちゃんらしいぜ」
土方がくっと喉の奥で笑う。
「トシ?」
近藤は言葉の意味を掴めず、首を傾げる。
「永井様に提出する書面は俺が整えておく。あんたも今日は疲れたろ、妾宅へ帰って休めよ」
肩から近藤の手をはずし、土方はじゃあなと言って局長室を後にした。
土方が副長室に入ると、布団が二組敷かれているのが目に入った。
ひとつの布団はこんもりと盛り上がっており、の寝息に合わせて小さく上下している。
衝立を立てて行灯に火を入れると、土方は硯に墨を擦り、坂本が殺された夜、つまり十一月十五日の夜の、新選組隊士の行動を書き留めた書面を清書した。
書き終えると、書き写しの間違いがないことを確認し、筆を置く。
寝支度を整えて、土方もの布団に潜り込んだ。
土方は腕の中にを閉じ込めると、の頭越しに溜息をつく。
そして近藤に言われたことを思い浮かべ、もうひとつ溜息を追加した。
(一緒になれ…か。簡単に言ってくれるぜ)
そう出来るのならとっくにしているだろう。
もしがこの時代に生きる存在で、ただの男と女として出会ったならば、どんな障壁も乗り越えて、手を携えて生きていこうと誓えたはずだ。
だが、自分たちは違う。
には戻るべき場所がある。そこへ無事に返してやると、この気持ちに気付いた時に決めていた。
そして間もなくその時がーーー池が光り、を元の時代に返す時がやってくる。
だからこの気持ちを告げる必要など無い。
ない、はずだ。
ぎしり。
今考えたことは間違いでないはずなのに、土方の胸は軋んだ。
得体の知れない、色も形も見えない何かに後ろから殴られたように、体がびくりと動く。
「ん…土方さん…?」
微かな振動には目をこする。
「何でもねえ。寝ろ」
土方は胃の奥底に得体の知れない何かを沈め、蓋をするようにを深く抱え込む。
は掠れた声で返事をすると、土方の腕の中で再び寝息を立て始めた。
大事なものは、しっかりこの手で。
(抱えてるぜ、かっちゃん)
土方は自分をつつく何かを追い出すように頭を振り、愛しい女の体温を感じながら目を閉じた。
近藤は翌日、土方が清書した書面を永井に提出した。
これで新選組の嫌疑は晴れるはずだった。
しかし坂本と中岡が殺された、いわゆる“近江屋事件”は長く長く尾を引き、新選組を蝕んで倒すほどになっていくのであった。
20121101