久遠の空 ドリーム小説 鬼が辻 41

鬼が辻

update:2011.06.29

鬼が辻 41 

 「お久しぶりです。お招きありがとう存じます」
 伊東は穏やかな笑みを見せ、近藤と土方に会釈をした。
 「やあ伊東さん、ようこそ」
 近藤も友好的な態度で伊東を迎える。
 「近藤さんの妾宅にお邪魔するのは初めてです。なかなかよい趣のあるお宅ですね」
 釣瓶落としの夕暮れに彩られた近藤の妾宅。橙色に染まる外観を視界に入れ、伊東は感じたままを口にした。

 ここは近藤の妾宅。
 普段は妾であるお孝が起居し、近藤の帰りを待っている。
 が、今日は家の女主はいない。
 「あいにくお孝は留守でして。以前いた大坂の店の主人が病を得たと急な連絡が入りまして、今朝、大坂へ帰りましてなあ」
 「そうですか、それは親孝行なことですね」
 置屋に勤める娘にとって、店の主人は親も同然。その親が倒れたとあっては穏やかではいられない。
 お孝が帰るのも道理だと伊東は頷いた。

 「さあどうぞ中へ」
 近藤が手を伸ばし、伊東に垣根の奥へ進むよう誘う。
 伊東はを振り返り、ついてくるよう促した。

 久しぶりにあいまみえる新選組の幹部たち。
 分離した今、中でどんな会話がなされるのだろう。
 幕府を守る者と倒す者となり、背中を向け合う立場になったのに、今更何を話すことがあるのか。
 なぜ伊東は自分を連れてきたのか。
 は硬い表情のまま、寒さに固まる足で敷石をたどった。



 近藤の案内に従って廊下を進む。
 その突き当たりの部屋の前には沖田が控えていた。
 「沖田君、君も来ていたのか」
 「伊東先生が見えられると聞き、庭の掃除を仰せつかりました。先生に一言ご挨拶をと思い、残っていました」
 沖田がにこやかに笑う。
 「それはどうもありがとう。でも、それは僕にではなく、になんじゃないかな?」
 伊東がを沖田の前へ進ませた。

 「沖田さん」
 「お久しぶりですさん。元気にしていましたか? おいしいお汁粉を出すお店を見つけたんです。今度一緒に行きましょうね」
 何一つ変わらない沖田の柔らかな笑み。
 だが、面差しがすっかり変わっていた。
 すいぶんと痩せて、顔色が青い。

 「お加減がよくないようですけど…」
 は沖田の様子をよくよく見ながら聞く。
 「ええ、風邪がなかなか直らなくって。神谷さんに苦いお薬も飲まされているんですけどねえ」
 ごほ、と沖田は咳をする。

 「お二方、こちらへお入りください」
 沖田が障子を開く。
 近藤と伊東、と続いて敷居をまたいだ。
 同時に向こう側の襖が開き、土方が姿を現した。


 (土方さん…!)
 自分がさらわれたのがひと月。
 土方が江戸へ下ったのがさらにそのひと月前。
 ふた月も会えず、ずっと心に思い描いていた土方が目の前にいる。
 は一瞬頬を緩ませたが、はじかれたようにまた表情を戻した。

 土方は、伊東だけに視線を寄越し、すぐ隣にいるは視界に入れていない。
 意図的に除外されている。
 (当たり前か…)
 鬼副長の小姓でありながら失態を演じたのだ。見てもらえなくても当然だとは思い直した。

 (そういえば、近藤局長も話しかけてはくださらなかった)
 近藤は伊東にばかり話しかけ、自分には声をかけていない。
 (もう新選組には戻れないのかもしれない…)
 そこまで考え、は気を引き締める。


 中には席が四つ設けられており、膳が用意されていた。
 「失礼します」
 もう一度襖が開き、神谷が酒と茶を運んでくる。
 (神谷さんだ…)
 沖田と異なり、神谷の見た目はまったく変わっていない。
 だが、ほっとしたのもつかの間、神谷はの前に差し出した茶をこぼしてしまった。

 「す、すみません!」
 神谷は奥に引っ込むとすぐに手ぬぐいを持って現れ、畳に染みてゆく茶をふき取る。
 その間に沖田が台所へ回り、新しい茶を淹れてきた。


 誰も何も言わない。
 大丈夫かい、神谷君、とも。
 何やってんだテメエ、とも。
 そそっかしいんだから、とも。
 そんなところも君の魅力だ、とも。
 こんな時は、誰かが必ず何か言うはずなのに、誰も、何も。


 「私たちはこれで。伊東さん、どうぞごゆっくり」
 神谷と沖田は近藤の妾宅から退いていった。
 沖田が時々咳込むのがだんだんと遠くなっていった。



 「まずは一献」
 と近藤が徳利を傾け、伊東が杯で受ける。
 土方とは茶をすすった。


 星のまたたきさえ聞こえてきそうな静寂。
 白く淡く揺れる湯気。
 「…寒いね」
 痛いほどの沈黙を先に破ったのは伊東だった。

 近藤、土方、伊東、の四人それぞれの前に火鉢が置かれている。
 伊東は自分の火鉢の前で手をもみ、灰に埋もれる炭に視線を落とした。

 「まったく、君たちには驚かされることばかりだ。失礼ながら、幕臣になるなんてあり得ないのになってしまった。そして…」
 伊東がふと姿勢を正し、膝の上に拳を載せる。
 「まさかが女子だったとはね…君たちは一体何を考えているんだい!」

 長いまつげに縁取られた目をきっと吊り上げ、伊東は懐から扇子を引き抜いた。
 「男だけの新選組に女子がいて、しかも最高幹部たちが匿っていただって? いくら才能があるとはいえ、女子を道具に使うなんて…!」
 「違います、私が無理を言って土方さんにお願いしたんです」
 は思わず口を挟んだ。
 土方、そして斎藤が自分を匿うはめになったのは、紛れもなく自分のせいなのだ。好き好んで二人が匿ってくれたわけではない。
 「君は黙っていたまえ、男同士の話だ」
 伊東はぴしりとを制する。

 「匿っていたのは俺だけだ。近藤さんはついこの前知ったばかりだ」
 土方が伊東を遮る。
 (私がいない間に、局長にお話が行ったのか…)
 近藤にまで知られてしまった。
 今まで何があっても黙っていてくれた土方が、近藤にまで話さなければならない事態になったことに、の視界がぐらつく。

 「斎藤君もなんじゃないのかい、土方君」
 伊東は顔を下に傾け、土方を睨み上げた。
 御陵衛士から追い出された時の、斎藤の必死な様子。
 何としてでもを連れていこうと、伊東に頭まで下げ、門を激しく叩いていた。
 「清三郎にすら厳しい姿を見せる斎藤君があそこまでするなんてね。もし僕が斎藤君と同じ立場だったらそうしていただろう」
 土方は否定せず、微動だにもしない。
 それを見て伊東は、自分の推測が正しいことを認識した。
 「新選組の中では圧倒的な権限を持つ君と、切れ者の斎藤君が組んでを匿っていた…なるほど、だから江戸行きの時に僕からを遠ざけようとしていたんだね」
 伊東はひとりごち、納得がいったように頷く。



 「それで伊東さん、お話とは」
 近藤が伊東の手元に酒を注ぐ。
 「無論、のことですよ」
 ぐいっと伊東は杯の中身を飲み干した。
 そして杯を置き、扇子をぱらりと開いた。
 美しい山並みに色とりどりの紙片がちりばめられ、行灯の光を受けてきらきらと輝く。

 「薩摩に言われてを拐かしてみれば、まさか女子だったとはね。おかげで薩摩にを引き渡すことが出来なくなってしまったじゃないか」
 伊東は口元を扇子で隠しながら、伊東は近藤と土方に流し目を送る。
 「何故だ。引き渡せばいいじゃねえか」
 土方がその視線を跳ね返す。

 「君ならそうするのかい?」
 「必要ならそうする」

 土方ならそうするだろうとは頷いた。
 土方が伊東の立場なら、相手が男だろうと女だろうと関係ない、御陵衛士存続のために、ためらうことなく自分を薩摩に突き出すだろうに。


 「残念ながら、僕は男の世界に女子にでしゃばらせるような真似はしない主義でしてね。を薩摩に引き渡すことはしない。だが」
 ぱちんと扇子を閉じ、伊東はまっすぐに近藤を見据えた。
 「それでは僕たち御陵衛士も食っていけない。いつまでも高楊枝を気取るわけにはいかないのです。そこで新選組に相談があります」
 「ご相談…ですか」
 近藤が目を瞬かせる。
 (何を相談するのだろう。薩摩からは私を引き渡す代わりに局長の首を取れと言われているのに)
 は寒さを緩和するために両手で湯飲みの側面を包み込んでいた。が、手のひらには茶の温度によるものではない汗がじわりと沸いてくる。


 「を薩摩に引き渡したくないのはそちらも同じでしょう。三百両用意してください」


 「三百両…?!」
 近藤が驚く。
 「ええ。政治活動というのは何かと物入りなのはあなたもよくよくご存じのはずです。御陵衛士たちを養っていかねばならないし、まず当座の資金として頂戴したい」
 伊東はどうだとばかりに唇の橋を吊り上げた。

 (三百両って…)
 も伊東の隣で目を丸くする。
 伊東が自分を薩摩に突き出すことなく従うならば、近藤の首を取るために何か策を講じるのかとでも思ったのに。

 「金がありゃ薩摩のフンにならずにすむってか? あんたも汚れてきたもんだな」
 土方が嘲りの言葉を向ける。
 「君たちのやり方を見てきているんでね。清濁併せ呑むとはこのことだよ、土方君。君たちに否は言えないはずだ」
 伊東はの肩を引き寄せる。まったく引く様子はない。


 「…わかりました、三百両用意しましょう」
 近藤が意を決して言葉を放つ。
 「局長、いけません!」
 は伊東の手を振り払って腰を浮かせる。
 そんな大金と引き替えられるような身の上ではない。今までずっと皆をたばかってきた自分は、身代金と引き替えにしてもらえるような価値などないのだ。
 「黙ってろ! 局長の決定だ!」
 土方の鋭い声がに飛ぶ。
 はその声に打たれ、へたりと座り込んでしまった。

 「しかし大金ですので、今すぐというわけにはいかない。なるべく早く用意させますので、出来たら連絡します。それでよろしいですか、伊東さん」
 「もちろんですとも。それまでは僕が責任を持って預かります」
 伊東はにんまりと笑った。


 「伊東さんには参りました。このような手で来られるとはこの近藤、思いもしておりませんでした」
 近藤は緊張から解き放たれたかのように表情を崩し、頬の辺りをぽりぽりとかいた。
 「こちらもいかんせん死活問題でしてね。ご理解いただけて何よりです」
 自分の案が通り、伊東は満足したようである。
 「固い話はここまでにして飲みましょう。私も上洛して壬生浪士組となったばかりの頃は金が無くて困ったものです。その時のことを思い出しましたよ」
 「僕はその頃のことは存じませんが、ご苦労もあったことでしょう」
 近藤の言葉に引き込まれるように、伊東は杯を傾けた。


 近藤と伊東は話に花が咲き、ふたりしてとことん飲んだ。
 もともとふたりは道場の大小はあれど、道場主をつとめていたし、今もひとつの組織の頂点に立つもの同士である。どこか通じるところもあるようであった。

 酒は台所に充分な量が置いてあり、は何度も燗をしに立った。
 土方だけがほとんど口を開くこともなく、料理にも手をつけず、黙ってそこに座っていた。



 20120628