久遠の空 ドリーム小説 鬼が辻 40

鬼が辻

update:2011.06.15

鬼が辻 40 

 近藤・土方と伊東は、面会の日を書状のやり取りで煮詰めた。
 最終的には近藤側が提示した日付を、伊東が了承する形になった。

 「斎藤君、この日でいいと返事を書いたから届けてくれたまえ」
 伊東は豊かな墨色を湛えた文を丸め、丁寧に整える。
 「承知いたしました」
 斎藤は書状を受け取ると懐に入れた。その手つきはいつもと何ら変わらず、隣で座っているは安堵すら覚えた。



 斎藤は早速書状を届けるため、月真院の門を出る。
 伊東と、内海次郎、三木三郎、藤堂平助が見送りをした。

 門の外に、風呂敷に包まれた何かがぽつんと置いてあった。
 その風呂敷の柄を見た斎藤は、僅かに目を見開く。
 斎藤の風呂敷だった。

 「斎藤君」
 伊東が斎藤の肩に、ぽんと手を置く。
 「今までご苦労だった。この書状を届けたら、そのまま新選組に帰るんだ、いいね」
 「え?」
 と藤堂は伊東を見上げ、内海と三木にも視線を巡らせる。
 三人とも、固く唇を引き結んでいた。

 「…やはり気づいていらしたのですな」
 斎藤がため息をついた。
 「泳がせておいたと言った方が正しいかな」
 伊東は細い眉を曲げる。
 「土方君に命じられて御陵衛士に加わったのだろう? 君は土方君に御陵衛士の内部事情を明かしていたのだろうけど、こちらにも君がいなければ知り得ない新選組や幕府の情報を渡してくれた。さすがは土方君も僕も見込んだ男だ」
 伊東は一歩進み出ると、地面に置いてあった風呂敷包みを取り上げて斎藤に手渡した。大きさからすると、中身は斎藤の行李だろう。

 斎藤は黙ってそれを受け取った。
 伊東の言葉を肯定も否定もしなかった。

 「ひとつだけ、頼みがあります」
 斎藤が伊東の目を見る。
 「何だい」
 伊東は笑みを浮かべながら聞いた。

 「を連れて行くことをお許し願いたい」
 斎藤は深々と頭を下げた。
 

 (私を…)
 はふらりと前へ一歩出た。
 その体を伊東が引き留める。

 「それは出来ない。はこちらにとって重要な手札だ。君にも土方君にも渡せないよ」
 「しかし伊東さん、アンタはを無理矢理拐かしてきた。このまま副長が黙って見過ごすと思っているのか」
 自分が今連れて帰れば穏便に済ませられると言わんばかりに、斎藤は伊東をじっと見つめた。

 伊東は自嘲めいた笑みを口の端に浮かべる。
 「そのことについては、御陵衛士でない君にどうこう言われる筋合いはない」
 そしての体を後ろへ引き、自らも門の内側へと影を下げた。
 「さらばだ斎藤君。君を失うのは本当に心苦しいが、土方君によろしく伝えてくれたまえ」
 ぎい、と重たい音を立てて門が閉まる。
 「待ってくれ、を」
 斎藤が門の隙間に手を入れようとしたが、僅かに早く門がぴたりと合わさった。

 「!」
 どんどんと、厚い木の板を叩く音が聞こえる。
 「斎藤さん!」
 は門に駆け寄ろうとするが、伊東が両手を広げて前を塞いだ。
 「伊東参謀、お願いします、斎藤さんと一緒に行かせてください」
 「それは出来ないと今言ったはずだよ、
 伊東は頑として道を譲らない。

 「帰りたいんです、土方さんの元に…。お願いします、帰してください…」
 伊東にすがりつきながら、は段々と声を弱めていく。
 今までおとなしくしていたのは、大きな動きが出来ないこともあるが、斎藤が同じ屋根の下で見守ってくれていたから。無事に、何事もなく土方の元に帰りたかったから。
 下手に動いて自分が女だとばれてしまっては、土方に、斎藤に、ひいては新選組全体に悪影響を及ぼしかねない。
 そう思っていたからこそ、伊東の言うとおりに、ひたすらおとなしくしていたのに。

 (土方さん…)
 会いたい。帰りたい。
 じわりと、の目に涙がこみ上げてくる。


 「…」
 慌てて両手で顔を覆うに、伊東は小さく息を吐いた。
 そしての体を腕の中に閉じこめる。
 は伊東をふりほどこうとしたが、男の力にはかなわない。



 (泣かないでくれるかい。こう見えても、女子の涙には弱いんだよ)
 伊東がにしか聞こえない、小さな小さな声で囁く。


 (えっ…)
 は一瞬息が止まった。
 (伊東参謀は、今、何て…)
 女子の涙、女子、おなご。

 伊東に露見してしまったのか。
 自分が、女子だと。

 の体は小刻みに震えだした。




 「あに…伊東先生、これで邪魔者はいなくなりましたね。後はこいつを薩摩に突き出せば終わりです」
 三木が頬を紅潮させる。
 「いや、は薩摩には引き渡さないさ」
 伊東はを抱きしめ腕を緩めない。
 「え? …では、どうなさるおつもりなのですか? 我々は薩摩に、山口を捕らえて渡せと言われているのに!」
 三木は伊東の言葉に声を荒げ、を激しい目でにらみつけた。

 「それについては、薩摩と話を進めているところだ」
 伊東は至極落ち着き払って、静かな瞳で三木を見た。
 「どういうことですか?」
 三木が眦を上げたまま聞く。
 「を引き渡さない代わりに、薩摩からある提案を受けている」
 すっと伊東の目が細くなった。



 「代わりに、新選組局長・近藤勇の命を取ってこいってね」



 (嘘…)
 自分の代わりに近藤が狙われるのか。
 決してばれてはいけないと思っていた相手に女子だとばれてしまったことに続き、はぎゅうと心臓がきつく握りしめられたように感じた。

 「伊東先生、近藤さんを襲うってそれは…それは本当なんですか?」
 それまで口をつぐんでいた藤堂は青白い顔をしている。
 「藤堂君」
 「どうしてですか! 袂を分かつことになっても、俺たちは仲間だったんじゃないんですか! どうして…どうしてこんなことに…」
 伊東を遮り、藤堂は叫ぶ。そして、よりもあからさまに涙をこぼし始めた。

 「藤堂お前、新選組に未練があるのかっ」
 三木が息巻く。
 「違うよ三木さん、違うけどさ…」
 藤堂はしゃくりあげながら弁解のかけらを口にする。

 「…藤堂君、君の言いたいことはよくわかるよ、でも」
 伊東はを抱え込んだまま藤堂に近づいた。
 「もうこれは、誰に求められない歴史の流れなんだ。誰が誰を狙い、いつどうなっていくかなんて、誰にもわからないんだよ」
 「う…」
 「もし君が斎藤君や近藤局長たちとの別れを悲しいと思うなら、僕らからは離れないでくれ」
 「伊東先生っ…俺…」
 「さし当たっては、を頼む。僕の部屋で横にしてやってくれるかい?」
 「はい…」
 事の重大さに呆然とするは藤堂に預けられ、伊東の部屋へと連れて行かれた。


 「伊東先生、いよいよですね」
 「そうだね」
 「でも、どうして伊東先生はそこまで山口をかばうのですか?」
 腑に落ちないと三木が首を傾げる。
 「気に入らないのか? 今はこの僕にすべて任せておいてくれ」
 が実は女子であるという理由は明かさずに、伊東は淡く微笑んだ。

 「しかし甲子太郎さん、あの薩摩が果たしてこんなことで我々を受け入れてくれるものですかね」
 麗しい兄弟を前にして内海が冷静な一言を放つ。
 「さあ…だが、今の僕たちに出来ることはひとつだろう、内海」
 冬の冷たい風が枝を鳴らし、白い息を彼方へ消し飛ばす。
 伊東は不動堂村のある東の空を見上げた。




 「面目次第もありません」
 新選組の屯所へ戻った斎藤は、隊士たちの目もはばからずに局長室へ駆け込み、近藤と土方に向かって土下座をした。
 「いや、ご苦労だった斎藤君。まずは君が無事に戻ってくれてよかったよ」
 近藤は斎藤に頭を上げるよう促す。

 「しかしの奪還には失敗いたしました。申し訳ありません」
 「それはこれから考えればいい。伊東さんには君に危害を加えるつももりはなさそうだからな」
 斎藤が持ってきた伊東の書状が広げられ、中身が改められる。
 伊東は近藤たちが示した会合の日時を了承したと書いており、その場にを連れてくることも書き添えていた。

 「君を連れてくるとは…伊東さんのねらいは何だ?」
 「さあ、そこまでは俺もわかりません」
 眉を寄せる近藤に、斎藤は平坦な声で答える。


 斎藤は横目で土方をちらりと見た。
 微動だにせず、何も言わず、腕を組んで斎藤の報告を聞いている。
 

 「実は、月真院を出るときに、もうひとつ気になることを伊東が言っていました」
 斎藤が正座の膝に拳を乗せた。
 「気になること?」
 近藤が問い返す。

 「の代わりに、局長の首をもらいうけると」

 「何っ…!」
 土方が目の色を変える。
 「近藤さんを狙うだと?」
 「門越しでしたが、確かにそう聞こえました」
 斎藤が頷く。
 斎藤は伊東たちが建物に入るまで、すべてを門の外からうかがっていたのだ。
 「薩摩と伊東は、局長のお命は頂戴する、その代わりにを薩摩へ引き渡さなくてもよいと言う話にまとめてきたようです」
 「あの野郎…」
 土方は唇を噛む。

 「局長の命を狙うたあいい度胸だな」
 「俺は君を助けたいし、そう簡単にやられるつもりもないんだが」
 「当たり前だろうが。あんたがあんな腐れマツゲどもにやられるわけねえだろ。俺たちがやるこたあ、ひとつだ」


 土方が近藤を見つめる。
 近藤も土方を見つめる。
 斎藤も軽く頷いた。



 そこへ。
 「斎藤!」
 「斎藤、戻ってきたんだな斎藤!」
 「お帰りなさい、斎藤さん」
 「兄上っ、兄上っ、お戻りなんですねっ!」
 どどどっと人が局長室になだれ込んできた。

 「お前ら、どこか沸いてきやがった!」
 あまりの騒々しさに土方が怒鳴りつける。
 「だってよう、斎藤が来たって平隊士どもが騒いでるからよう」
 原田が斎藤に抱きつきながら言う。
 「いつもは客間に通される斎藤が局長室へ行ったって言うじゃねえか。ってえことは、戻ってきたって事だろ?」
 永倉も斎藤の月代をぞりぞりと撫でる。
 「御陵衛士に入ったなんて、どうぜどっかの鬼副長の差し金でしょうにねえ」
 沖田が発言とは裏腹の、爽やかな笑顔を見せる。
 「兄上、よかったあご無事で…兄上ええ」
 神谷は半べそをかいて斎藤に抱きついていた。


 「ちょうどいい。野郎ども、聞け」
 土方が襟を正す。
 「斎藤が今持ってきた話によると、局長の命が狙われているそうだ」
 「え?」
 「近藤先生が?」
 「誰にですか?」
 皆は驚き、口々に質問を投げかける。


 「相手は御陵衛士一派だ。しかも奴らはを監禁していやがる。俺たちは今度伊東と会う手はずになっている。の安全を確認次第、伊東を頭とする御陵衛士一派を壊滅に追い込むんだ!」
 土方は勢いよく立ち上がった。
 「これは、君を召し抱えている大樹公のご内意でもある。皆、覚悟をしておいてくれ」
 近藤ものっそりと立ち上がり、土方に並んだ。


 沖田が。
 神谷が。
 斎藤が。
 永倉が、原田が、井上が。
 それぞれ立ち上がり、固く熱く視線を交わらせた。





 舞い落ちる枯れ葉がかさついた音を立て、地面の上を滑ってゆく。
 伊東とは、二人だけで出かける支度をした。

 「護衛をおつけください、絶対に危険です!」
 伊東が身支度を整える横で三木が懇願する。
 「話し合うだけだよ。妾宅なんて私的な邸宅を訪れるのに護衛付きだなんて、怖がっていると思われたくないんでね」
 「しかし! 兄上!」
 「三木! いい加減にしないか!」
 しつこい三木に、とうとう伊東が雷を落とした。
 「心配はありがたいが、近藤さんにはもうふたりで行くと約束している。男同士の約束だ。それに兄と呼ぶなと言っただろう」
 伊東は厳しい言葉を三木に浴びせた。
 三木はあきらめ、しゅんとして下を向く。

 「だが三木、僕にもしものことがあったら、お前に御陵衛士を託す。頼んだよ」
 「あ、兄上…」
 伊東の両手が三木の肩をがっしりと掴む。
 三木は兄と呼ぶなと言われたもの忘れ、こみ上げてくる感情に喉を詰まらせた。

 「内海」
 「はい」
 「後は頼むぞ」
 「かしこまりました。甲子太郎さんもお気をつけて」
 伊東は門をくぐる。も続いた。



 慶応三年十一月十八日。
 新選組史上最大の内部抗争と言われる油小路の変まで、残された時間は後僅かであった。



 20120614