鬼が辻 36
西本願寺の南、不動堂村に大きな新築の屯所を建て、幕臣にもなった新選組。
伊東のいる高台寺党に脱走を図る者を多数処分し、たいへんな痛みをともなったが、それを悲しんでいる暇など、彼らにはなかった。
「隊士を増やして、もっと大規模で強い組にせねばならんな」
近藤は、真新しく光る床の間を背に腕を組んだ。
「そうだな」
屯所という入れ物は大きくなり、これからの増員にも充分耐えられる。
土方も増員に異論はない。近藤の言葉に頷いた。
「で、誰を江戸にやるかだ」
「それが問題なんだよなあ。この前江戸に行ってもらった面々は、もう半分以上いないし…」
近藤が深くため息をつく。
前回江戸へ隊士募集に行ったのは、土方、斎藤、伊東、、そして池田屋事件で深手を負い、江戸で療養がてら募集を進めていた藤堂の五人だった。しかし伊東、藤堂、斎藤は御陵衛士として新選組から出て行ってしまっている。
「質のいい隊士をたくさん獲得してきてくれたからな、次の隊士募集でも同じ五人を派遣したいと考えていたんだが…」
「仕方ねえだろ。俺はいいぜ、行っても」
土方は素っ気なく言った。
幕臣となった今、江戸で新選組の隊士を募集するとなれば、幕臣の身分をねらって大勢が集まってくるだろう。
(だがそん中には、身分欲しさに群がってくる奴もいるはずだ)
頭数を揃えるだけで、暴れ者やごろつきばかりの群になっても困る。そこは近藤も心配していることだろう。
(あっちこっちの会議に顔を出しているかっちゃんを江戸にやるわけにもいかねえ。だとしたら、俺が行くのが確実だ)
自分が抱えている仕事を思い浮かべながら、土方は頭の中で江戸に行く算段をし始めた。
「失礼します」
す、と障子が開く。が廊下に控えていた。
「お話中すみません。局長に書状が届いております」
「ありがとう、入っていいよ、君」
「はい」
近藤の許しを得たは室内に入り、近藤に書状の束を手渡す。
近藤は差出人を確認し始めた。
「かっちゃん、こいつも江戸へ連れて行っていいよな?」
土方がを親指で示す。
は薩摩に狙われ、余程の用事がなければ屯所から一歩も出ない生活を続けている。そんなを連れて行けば、少しは江戸で羽が伸ばせるはずだと、土方は即座に考えたのだ。
本人はそのことを嫌だとか不自由だとかは一言も言ったことはない。しかし、神谷や沖田、原田などが気にしてしょっちゅう声をかけに副長室へとやって来る。その度にたまには外へ出してやれとうるさいのだ。
皆がのことを思っての発言なのはわかっているが、のためだからこそ、外へ出してやれないのもまた事実なのである。
「江戸って、また隊士の募集ですか?」
は局長室を出て行こうとした足を止め、その場に腰を下ろす。
「そうだ」
察しがいい。そんなとこは悪くないと土方は頷く。
「あの…申し訳ないんですけど、行けません」
は顔を曇らせる。
「あ? 何でだよ?」
きっと喜ぶと思っていた土方は、の言葉に出鼻をくじかれた。
「“殿”から書状が届いて、火急の用かと思って開けてみたんです。そうしたら、京から動くなと書いてありまして…」
“殿”とは将軍徳川慶喜のことである。
いつ通詞の仕事が入るかわからないので、いつでも自分の呼び出しに応じられるよう、必ず新選組の屯所にいるようにとの命令だった。
「英吉利語の通詞はお前だけじゃねえだろ、江戸の開成所から何人でもひっぱってくりゃあいいじゃねえか。そう言っとけ。俺と江戸に来い」
土方はいささか怒鳴り気味になる。
片時も離さず側に置いてきたからこそ、を守ることが出来ている。薩摩に伊東と、敵の多い京に彼女を置き去りにし、自分が江戸に行っている間に何かが起きたら対応など出来るわけがない。
「まあまあトシ、大樹公の思し召しなら是非もないじゃないか。君、残念だろうけど今回は京で副長室の留守を預かってくれ」
近藤が土方を宥め、をも諭す。
近藤の言うことはもっともだ。土方とは仕方なく副長室に下がった。
「いつから江戸へ行かれる予定ですか?」
部屋に戻るなりは聞く。
「まだ詳しくは決めてねえが、なるべく早くだな」
土方はどっかりと座り、文机に頬杖をついた。
(困ったことになりやがった…が)
嘆いてばかりもいられないことは、土方自身よくわかっている。
江戸への隊士募集には自分が行かねばならない。そしては徳川慶喜の呼び出しに応じなければならない。
離ればなれになっている間の安全を確保出来るよう手を尽くすしかないのだ。
それは監察方の山崎と島田、御陵衛士に潜入している斎藤によく言い含めておこうと土方は心に書き留めた。
そして、なるべく早く京へ戻ってこなければならない。
自分が京を空けている日にちを、何が何でも短くする。
(そのためには、こっちから連れて行く人選も考えなきゃいけねえ)
隊士としてふさわしい奴を見極める目があり、かつ募集に関する作業を早く進めてくれる人物を選ばねばならない。
誰がこの条件にふさわしいか、土方は頬に当てた手を額にもっていきながら考えた。
「あの、土方さん…」
後ろから遠慮がちに、小さな声がする。
「何だ」
土方が振り向くと、が姿勢正しく座ってこちらを見つめていた。
「私、土方さんが戻ってくるまで屯所でおとなしくしていますね」
は唇を引き結んで、真摯な表情で土方の目を見る。
「当たり前だ。あの野郎からのお召しも具合が悪いとか言って断れ、いいな」
嘘だろうと何だろうと、とにかく屯所から出さえしなければいいのだ。
はそんな考えが土方らしいと思い、ぷっと吹き出す。
「…そうですね、頑張って仮病使います」
「そこは頑張るところか? そんなことより茶でも持ってこい」
「はい、ただいま」
くすくすと笑いながらは茶を入れに行った。
を屯所から出さえしなければいい。
(それを徹底させるためには、あいつに声を掛けそうな奴らに、近藤さんから直接言ってもらうか)
が薩摩や伊東から狙われていることは皆が知っている。
しかし、自分が不在の間に、“少しだけ気分転換に”などと言われて外へ連れ出されてしまう可能性もある。
そこは近藤から、が将軍直属の重要人物だからと言ってもらって押さえればいい。
(後は、誰を連れて行くか。それと、それまでに済ませておかなきゃならねえことは…)
土方は手を額から下ろし、文箱を開けて筆を執る。
墨の香りを漂わせて、江戸行きに関する事項を次々としたためていった。
九月二十日。
「これでいいか」
まだ暗い副長室で、土方は旅装を整えた。
「はい、大丈夫です」
は土方の旅姿をぐるりと確認し、頷いた。
江戸行きには、井上源三郎と大石鍬次郎が供として従うことになった。
二人とも多摩の出身で、腕も確かである。隊士となる人物の検分には申し分ない人選だ。
もこの人選にはほっとしていた。気の利く井上が土方についていてくれるとあれば、何も心配することはない。
「これ、道中守りに入れておいてください。神谷さんに頼んで用意してもらったんですけど」
とは紙切れを土方に手渡す。
土方がそれを確認すると、白澤が書かれた旅のお守りであった。
前回江戸に行った時、神谷がに白澤の書かれたお守りを渡したものである。
も土方の旅が無事に終わるよう祈り、外出できない自分に代わって、神谷にお守りを仕入れてきてもらったのだ。
土方は白澤のお守りを小さく折り、道中守りの袋にしまい込んだ。
「日野には行かれるのですか?」
「行くかもしれねえが、何か用か」
「佐藤家とご実家の皆様に、よろしくお伝えください。前回おうかがいしてお世話になったので…」
「ああ、言っとく」
「お願いします」
は前回の江戸行きで土方に連れられ日野に行っている。
土方の姉が嫁いだ日野の名主、佐藤家。実家の土方家。
どちらでもあたたかく迎えてもらったことを思い出した。
「あっ」
「どうした?」
「い、いえ、何でもないです」
が急に声を上げたので、土方は訝る。
は何でもないと言いながらも、赤くなって向こうを向いた。
(…そうか)
土方はにんまりと口の端を上げる。
が赤くなった理由。
それは、土方家を訪れた夜、浅川の土手で押し倒し、唇を重ねたことを思い出したのだろう。
土方はの肩を押し、壁際に追い詰めた。そしてぐっと顔を近づける。
「なっ、何ですか? もう外へ出ないと、そろそろ…」
出立の時間になるのではないかと、はしどろもどろになって言う。
「白澤の守りの礼はしておかなきゃなと思ってな」
土方はますます顔を近づけた。
「あのっ、だったらこんなことじゃなく、えっと…お金、そう、お金とかでもいいじゃないですか」
「ほう、鬼の副長相手に金をせびるたあたいした度胸だな」
「違いますっ、そうじゃなくて…」
「道中いくら使うかわからねえんだ、お前にくれてやる金はねえ。戻ってきて金が余ってたら払ってやってもいいが」
土方はの耳元で笑いながらからかう。
ところが、は何を思ったのか、抵抗する手をぴたりと止めた。
「…必ず、戻ってきてくださいね」
はまっすぐに土方を見上げる。
お守りの礼など最初からいらない。ただ無事に戻ってきてくれたらそれでいい。
本当は離れたくない。だが互いに仕事だ。仕事に私情が禁物なのも、互いに理解している。
無事で戻ってきさえしてくれれば。
それだけがの願いだった。
「ああ」
わかってると土方は頷く。
そしての顎に指を添え、視線を合わせた。
(駄目だと…わかっているのに)
彼の黒い瞳に見つめられると動けなくなってしまう。
これから土方のいない数十日を過ごさねばならない寂しさに耐えられるだろうか。
見えない力に引き寄せられるように、は目を閉じた。
「土方さん、源さんたちが待ってるぜ、まだかよ!」
ばあんと豪快な音を立てて障子が左右に開かれる。
原田が土方を迎えに来たのだ。
土方との唇が、軽く触れあった瞬間だった。
「…あ、悪い」
寄り添う二つの影を視界に捕らえ、原田は腕を大きく広げたまま固まった。
「トシ、頼んだぞ」
「ああ、こっちは任せとけ。かっちゃんこそ留守を頼むぜ」
土方は笠の紐を締め直し、井上と大石と一緒に旅だった。
「お気をつけて!」
たち見送りの面々が土方たちの背中に大きく手を振る。
三人は振り返り、軽く手を振ったり頭を下げたりすると、もう振り返らずに歩いて行った。
「江戸はどんな様子なんでしょうねえ。コホ、私も行きたかったなあ」
沖田が溜息混じりに言う。
沖田は前回の江戸行きには同行していない。それどころか、一度も江戸に戻っていないのだ。
「仕方ないでしょう先生。お熱は上がったり下がったりしているし、咳も止まらないんじゃ、同行を許可出来ませんよ?」
神谷が窘める。
沖田は何日も弱い咳が止まらず、日によっては微かに熱がある。
無く子も黙る一番隊の組長が、たちの悪い風邪にかかったものだと、周りは苦笑いをした。
最初は江戸行きの面々に沖田はどうかと、人選には上がっていた。しかし、神谷が近藤に沖田の最近の症状を伝えると、近藤は沖田の江戸行きを見送る決定をした。
姉の子どもである姪っ子たちに久々に会えるかもしれないと、沖田は大変喜んでいた。が、近藤の決定には逆らわなかった。
「総司が完全に治るまで、様子を気に掛けておいてくれ」
と土方はに言い渡して旅に出た。
一方、京の様子は、たちにとって少しだけ緊張が解ける報が入っていた。
伊東が十五日に尾張へ向けて出立したと、斎藤から聞かされていた。
「尾張ではすぐに戻ってくるかとは思いますが」
斎藤は、を御陵衛士に移籍させる名目で屯所を訪れているのだが、もちろん本気ではない。
それどころか、御陵衛士の情報を事細かに報告してくれていた。
も伊東がいないだけでのびのびするつもりはなかったが、それでも神経を使いすぎ無くて済むのはありがたかった。
土方は、約ひと月後の十月二十一日に江戸を発ち、十一月三日に京へ戻ってくる。
その間に、京では幕府の存在を揺るがす大事件が起きていた。
そして土方が戻ってくるほんの少し前。
は御陵衛士の策略にはまり、屯所から姿を消してしまうのであった。
20120510