久遠の空 ドリーム小説 鬼が辻 34

鬼が辻

update:2011.04.27

鬼が辻 34 

 暦は秋になっても、西暦ではまだ暑い盛りである。
 それなのに来訪者は涼しい顔をし、汗一つかいていなかった。

 「さ、斎藤先生…」
 「御陵衛士の斎藤一と申す。局長と副長にお目通り願いたい」
 門番の隊士が汗だくでうろたえるのも意に介さず、斎藤は笠をほんの少し傾けた。


 たたたっと、軽い足音を立てて神谷が駆け寄ってくる。
 「あ、兄上っ…!」
 「神谷か」
 斎藤は平たい目で神谷を見た。
 「随分お痩せになられたようですけど、ちゃんとご飯食べてますか?」
 「大丈夫だ、案ずるな」
 「そうですか、よかった…」
 斎藤がしっかりとした声で受け答えをするのを聞き、神谷はほっとする。
 緩んだ神谷の顔を見て、斎藤の目元もかすかに和らいだ。

 「斎藤さーん、お久しぶりです、お元気ですか?」
 遠巻きにする平隊士たちをかき分け、沖田もやって来る。
 「ああ」
 斎藤は沖田の登場に表情を戻した。
 そして沖田を上から下までじろじろと眺めると、誰にも気付かれないほど小さく、首を傾げた。

 「新しい屯所は初めてでしたっけ、ご案内しましょうか」
 「いらん」
 「素っ気ないなあ。そこがかっこいいんですけど」
 「馴れ馴れしくするな、俺は御陵衛士の使者として来ている」
 「ああ、その物言い。斎藤さん、やっぱりかっこいい」
 「触るな!」


 「お待たせいたしました、斎藤さん」
 なごやかな場を、打ち水のように涼やかな声が沈める。が現れた。
 「ああ」
 「こちらへどうぞ。ご案内いたします」
 に導かれ、斎藤は屯所の建物へと入っていく。
 その後ろ姿を、神谷が、沖田が、そして平隊士たちが、祈るような目で見つめていた。




 客人を迎えるための部屋に、御陵衛士である斎藤、そして新選組局長の近藤、副長の土方が入った。
 真新しい木の香りが充満する室内は、どこか他人行儀な空気を醸し出していて、妙に居心地が悪かった。

 「新屯所の落成および幕臣へのお取立、誠におめでとうございます。御陵衛士の長である伊東より、よろしく伝えるよう仰せつかってきました」
 「ありがとう。こちらからも、伊東さんによろしくと伝えてくれ」
 外見は少しやせたものの、声は以前と変わらず張りがある。そんな斎藤の様子に近藤は安堵したようだった。

 「余計な挨拶はいい。用件を聞こう」
 土方は低い声で告げる。
 元旗本の息子らしく、きっちりとした仕草の斎藤は、近藤と土方を交互に見つめた。

 「本日訪れましたのは、お祝いを述べる目的もございますが…」
 ふと斎藤の目が動く。
 「失礼します」
 と障子の外から声がかかり、が部屋に入ってきた。傍らの盆には茶が三つ載っている。

 (斎藤さん…久しぶりだな…)
 はちらりと斎藤の顔を見る。
 本当は斎藤から御陵衛士の内情を聞いておかねばならない。会津藩に報告せねばならないからだ。
 だが、自分は今、薩摩藩に狙われているから外出を禁じられている。
 西本願寺にいた時のように、参詣者を装った斎藤と接触することも出来ない。
 斎藤からこっそりと紙切れでも渡されないかと目を配ってみたが、そういった気配もなかった。

 それぞれの前に茶を置くと、は一礼して部屋を出て行こうとする。
 「待て。お前にも話がある」
 その足を斎藤が引き留めた。
 「はい…」
 (私にも、話?)
 御陵衛士に関する情報を提供してくれるのだろうかと思い、は障子の際に腰を下ろした。



 互いに見知っている間柄なのに、まるで赤の他人のような空気が流れる。
 袂を分かつことがこんなに重たいことだったなんて。
 は暑さだけではない息苦しさに、意識的に呼吸を深くした。



 「山口を、御陵衛士に引き渡していただきたい」
 斎藤は、土方に言われたとおり、用件だけを短く伝えた。



 新選組側三人の空気が凍り付く。
 だが、空気の冷たさと相反して、顎に汗が伝う。
 「斎藤君、君は何を言っているのかわかっているのか?」
 まず近藤が口を開いた。
 「新選組と御陵衛士の間で隊士の異動は禁じている、それは重々承知しております。だからこそこうしてお頼み申し上げているのです」
 斎藤は眉一つ動かさずに、まっすぐ近藤を見据える。
 「おおっぴらに頼んで互いが了承すりゃあ、異動が認められると思ってんのか?」
 甘いな、と土方は吐き捨てるように言った。

 男たちの視線はに集まった。
 「…どういった理由で私を御陵衛士に連れて行くのか、お聞かせ願えますか?」
 斎藤がこんな話を持ってくる理由が知りたい、いや、知らねばならない。そう思いは斎藤に問うた。


 「我々もつい先日、屯所を移転したのはご存じでしょうか」
 「ああ。監察方から聞いた」
 土方が頷く。
 斎藤とが接触を持てなくても、新選組には優秀な監察方がある。土方は監察方に命じて、常に御陵衛士の動向を見張らせていた。
 「移転先である高台寺の月真院を用意してくださったのは、薩摩です」
 「薩摩が…」
 ぽたりとの額から汗が落ちる。
 薩摩藩邸に来るよう何度も手紙が来ていたが、土方の言いつけ通り返事を書かなかったし、書く気もなかった。もう翻訳の仕事は終わっていて、薩摩藩邸に出向く用件は何もないはずだ。

 「居所と活動の費用を面倒見る代わりに、お前を連れてこいと」
 「わ、私を…?」
 斎藤の言葉には息をのむ。
 自分が在籍する新選組と御陵衛士は、すでに分かたれた組織だ。それなのに自分を取引の材料にしてくるなど、いったいどのような了見なのだろう。

 「お前ら、それを受けたのか」
 呆れ気味に土方が溜息をつく。
 「事後だったもので」
 と斎藤はこともなげに言う。
 (事後って…月真院に移転させてから、私のことを条件に言い出したの?)
 何てことを、とは目を見開いた。

 ふふん、と土方は鼻でせせら笑う。
 「くだらねえ、他人を生け贄にしなきゃテメエらの生活もおぼつかないようじゃ話にならねえな。俺たちみたいに、金の工面はテメエでやってみやがれ。そう伊東に伝えろ」
 「藤堂さんが工面を申し出てくれたのですが、いかんせん潔癖なお方ゆえ」
 「は、飢えた狼にゃなれねえってか。おきれいなこった」
 「確かに」
 斎藤の眉が、ほんの僅かに困ったように寄った。

 「とにかく、異動は認められねえ。なあ近藤さん」
 「ああ、勿論だ」
 幹部二人は大きく頷く。
 「そうでしょうな。しかし我々も諦めるわけにはいきません。死活問題ですので」
 斎藤は表情を戻し、居住まいを正した。

 「何度来られても答えは変わらねえぞ。そこんとこ、あの腐れマツゲによくよく言って聞かせろ」
 「承知いたしました。では、また」
 厳しい土方の声が、暑さを逃がすために開けられた障子の外まで響く。
 斎藤は一礼し、脇に置いた大刀を腰に差すと立ち上がって出て行った。



 近藤と土方は、何があっても異動を認めないことを再度確認すると、それぞれの部屋に戻っていった。
 も茶を片づけ、後から副長室へ戻ろうとした。
 だが、賄い方にいた男に盆を押しつけると、玄関の方へと駆けだした。


 玄関の式台にはもう斎藤の姿はなかった。
 屯所の門を出て左右を見渡すと、斎藤はまだすぐそこにいた。
 「斎藤さん…っ!」
 「何だ」
 斎藤は足を止めて振り向いた。

 ははあはあと息を切らして斎藤の元に駆け寄った。
 「さ、斎藤さん、あの、大丈夫ですか?」
 「何がだ」
 斎藤は平坦な声で聞く。
 「私の、せいで…すみません」
 が顔を曇らせた。

 「私が…薩摩に目を付けられていなかったら、こんなことには」
 「お前のせいではない。気にするな」
 「でも…私、斎藤さんにも迷惑ばかりかけて…」

 この時代に現れた時から、斎藤には協力をしてもらってばかりで、何も返せていない。
 それどころか、今度は自分を盾に薩摩に無理難題を押しつけられる始末である。
 自分さえ。
 (自分さえこの時代に現れなかったら…斎藤さんにも、土方さんにも、誰にも迷惑をかけずに済んだのに)
 は俯き、唇を噛んだ。

 ぽん、と斎藤の手がの肩に置かれる。
 「お前という取引の材料があったおかげで、今の御陵衛士がある。俺はお前を引き抜いてくるよう、伊東から頼まれてやって来た。お前を口説き落とし、連れて来るには時が必要だと、薩摩の田代に伝えてある」
 「田代さんに…」

 「お前が諾と言うまで、俺は薩摩との契約を引き延ばすことが出来る。まあ、ほどほどにではあるが。今後も俺はお前の引き渡しを求めて、何度か屯所へ来るだろう。だが、お前が気に病むことはない。今まで通り、要求を拒め。それ以外のことは、こちらでどうにでもする」
 斎藤は手を肩からの頭に移し、撫でた。
 外気温は高く、上からは容赦なく太陽が照りつけている。
 それなのに斎藤の手からは、信念のこもった温もりが届いてきた。

 「いい屯所が出来たな。これからも新選組を…土方さんを頼むぞ」
 「はい」
 「それと、沖田さんだ」
 「沖田さん?」
 沖田がどうかしたのだろうか、とは目を瞬かせた。
 斎藤はより声を低めて、に耳打ちする。
 「俺は御陵衛士で食えていない振りをしているから痩せたが、沖田さんも少し痩せたように見える。何かあったのか」
 「いえ…特に何も…いや、違います。ありました」
 は四月にあった小花の事件について語った。

 「そのせいか?」
 「後は思い当たることはありません。暑くて食欲が普段よりないのかもしれませんが、最近一緒にお食事をしていないのでわかりかねます」
 「そうか。沖田さんは池田屋事件の時にも暑さで倒れていたな。少し気をつけてやってくれ」
 「かしこまりました」
 「ではな」

 に軽く手を振り、斎藤は今度こそ振り返ることなく歩いて行った。



 まだ土に馴染みきっていない木々の間から蝉の鳴き声が聞こえてくる。
 が副長室へ戻ると、土方は袴を脱ぎ、襟元も緩め、団扇で自分を扇ぎながら、斎藤が来る前に目を通していた書類を再び手に取っていた。

 「どこへ行っていた」
 土方は書類から目を離すことなく、に話しかけた。
 「すみません、斎藤さんをお見送りしてきました」
 は懐から手拭いを出し、汗を拭く。
 「余計なことしてんじゃねえ。もし人さらいが出たらどうすんだ」
 「はい、申し訳ありませんでした」
 うっかり門の外に出てしまったことを思い出し、は薩摩の連中がうろついていなかった幸運に感謝した。

 「しかし…御陵衛士のやつらも厄介な問題を背負ったもんだな」
 「あ、はい…」
 はどきりとした。
 厄介な問題。それは自分のことだと。

 土方は肩越しにを見る。
 項垂れている姿はいつもより小さく見え、事の重大さは理解しているようだ。

 土方にはわかっていた。斎藤が何故、を引き渡すための交渉役を引き受けたのかを。
 伊東がの引き渡しという条件を呑んでしまった以上、他の御陵衛士の誰かにこの役を任せてしまったら、本当には薩摩の手に渡ってしまうかもしれない。

 (それを阻止するために、自分はと親戚だからどうにかするとか言って、あいつは引き受けたんだろう)
 加えて、堂々とこの屯所にやってきて、御陵衛士の様子を会話の内に挟んでこちらに報告することが出来る。
 相変わらず出来た男だと、土方は喉の奥で笑った。


 だが、誰にも渡す気はない。
 薩摩だろうと伊東だろうと、は必ずこの懐で守る。


 「斎藤が言ったこと、明日の診察の時に南部先生に伝えておけよ」
 「は、はい」
 「いつまでもしゅんとしてんじゃねえ。お前、薩摩に行きてえのか」
 「そんなことありません。嫌です」
 「こっちだって渡す気はねえんだよ。それでいいだろ」
 は顔を上げた。
 事と次第によっては、自分のせいで新選組と御陵衛士、そして薩摩の間が悪くなるかもしれないのに、こんな自分を守ってくれると言うのだろうか。


 「何じっと見てんだ? 惚れたか?」
 「や、な、何言ってるんですか」
 「惚れたら惚れたで素直に言ってくれてもいいんだぜ」
 「お、お茶、淹れてきますっ」
 は勢いよく立ち上がり、逃げるように賄い方へと消えていく。

 (あいつに、薩摩へ行く意思がないならそれでいい)
 土方は鼻歌を歌いながら、扇ぐ手を強めて書類の続きを目で追った。




 幕臣となり、新選組の活動は絶頂を極めた。
 市中見廻りにも一層の熱が入り、人々は新選組の活躍を噂し合う。
 局長の近藤はあちこちへ顔を出し、発言力を強めていった。


 斎藤は時々屯所に来ては、判を押したようにを引き渡すよう要求した。
 だが土方もも否と繰り返すばかり。
 そんなやり取りが何度か交わされ、秋も中頃となった。


 やっと暑さが収まってきたある日のこと。
 監察方からもたらされた情報に、は頭が真っ白になった。


 「赤松先生が…殺された?」




 20120426