鬼が辻 33
新選組から御陵衛士への脱走を図った四人は壬生の光縁寺にて葬儀が行われ、埋葬された。
佐野らの名を記しただけの、簡素な木の墓碑の前で、次々に隊士たちが手を合わせる。
「沖田先生が説得しに守護職屋敷へ行ったんだろ? 新選組に戻る意志はない、もう脱走扱いになるからここで腹を切るって話だったらしいじゃないか」
「あいつら伊東先生に置いていかれてから、ずっと元気なかったもんなあ」
「脱走がばれたら切腹だってのはわかってたはずなのに。伊東参謀…って、もう参謀じゃないけど、参謀と局長の間で、新選組と御陵衛士の隊士を互いに移籍させることは禁じていたのも言い渡されていたのにな」
「そうだよな。そこは馬鹿だったと思うが、腹を切ったのは潔かったと思うぜ」
墓域なだけあってぼそぼそと小さな声でしゃべる隊士たちの後ろから、沖田と神谷、そしてがやってきた。
神谷とが花をたむけ、沖田が線香に火をつける。
四人が埋葬された場所はこんもりと盛り上がっており、掘り返された土の香りが線香の香りにうっすらと混じっていた。
横に並び、たちは名前が書かれた板の前で手を合わせた。
神谷とは目を閉じて静かに冥福を祈り続ける。
沖田も合掌こそしているが、片方だけ薄目を開けて周囲に気を配っていた。
は薩摩との接触を避けるため、ずっと西本願寺の敷地から外へ出ておらず、今日が久し振りの外出になった。
葬儀には全員が出席し、屯所はもぬけの殻になってしまう。
「を守れ」
葬儀の取り仕切りで多忙な土方は、沖田にの護衛を任せ、をひとりぼっちにしないようにした。
(特に怪しい人影は無さそうですね)
光縁寺から西本願寺への短い道筋、細い横道にも人が潜んでいる気配は感じられない。
言葉の少ないが神谷に話しかけられ頷いている。
沖田も会話に時々混ざりながら、予断無く周囲に目を光らせた。
新選組はこうして四人もの脱走者を一気に処断した。
まだ組の中に脱走を秘めている者がいる可能性を気にかけながら、新選組は多忙な日々を送っていった。
近藤は幕臣になることが決定したのを追い風に、幕府への関与を積極的に行うようになった。
佐野ら四人の処断が行われた日も二条城で行われた親藩会議に出席し、幕府に弓引く長州への処分や兵庫開港についてなどの激論を交わした。三日後の十七日にも、会津藩の公用方から親藩会議が再び行われると聞き、飛び入りで参加している。
二十二日にはまた脱走者が出た。
五番隊組長、武田観柳斎である。
武田は京の南、竹田街道銭取橋にて処断された。やはり伊東の元へ走ったが相手にされず、薩摩藩邸に出入りを試みていた。
土方は監察より武田の情報を入手しており、屯所における切腹ではなく、見つけ次第の処断を行った。幹部の脱走は平隊士よりも重要であり、事態を重く見たためであった。
それに、薩摩との繋がりという面でも土方は危惧していた。
よもやとは思うが、薩摩からの命令でに手を出されるかもしれない。
武田と同調した数名も徹底的に捜索し、数日中に粛正を行った。
新しい屯所も落成し、隊士は少しずつ荷を運び始めた。
「思い出しますねえ、西本願寺へ越してきた時のことを」
沖田が行李を背負いながら言う。
「あの時は桜が咲いて、きれいでしたね」
神谷も荷を背負い、足取りも軽く沖田の前を歩く。
「あの時…」
不意にの顔が曇った。
(壬生から西本願寺へ移転した時…あの時は、山南さんが亡くなった直後だった)
の脳裡に山南の笑顔が浮かぶ。
得体の知れない自分を何かと気にかけ、助言をしてくれた山南。
先日、光縁寺で佐野らの葬儀を行った際に、隣にあった山南の墓にも手を合わせてきた。
(新選組もこんなに大きくなりました、山南さん)
は抜けるように青い空を見上げる。
笠の縁越しの空は高く、太陽が放つ真夏の熱をそのまま伝えている。
「きっと山南さんも喜んでくれてますよ」
沖田がの肩をぽんと叩いて微笑んだ。
「ええ、きっと!」
神谷もの腕に自分の腕を絡めて笑う。
「ほら、早く行って部屋割りを差配しないと、副長に怒られますよ!」
「そうですね」
も頷いて口元を緩め、神谷に引っ張られるようにして不動堂村へ歩を進めた。
そして六月二十三日。
老中板倉伊賀守の署名で、新選組の正式な幕臣取立の書面が作成された。
局長の近藤は見廻組支配格の御目見で、場所高三百俵の旗本。
副長の土方は見廻組肝煎格で七十俵五人扶持。
組長の沖田らは見廻組格で七十俵三人扶持。
その下は見廻組並が四十俵、さらにその下に平士、見廻組並御雇。
以上の取り扱いとなった。
真新しい木の香りが漂う屯所。
大広間に一同が集められ、近藤みずから書面を読み上げた。
堂々とした太い大音声に皆が聞き入る。
「諸君、とうとうわれらはここまで来た。このように大きな屯所も拝領した。今日は思う存分喜んでほしい」
近藤が手を叩くと、大広間の障子が左右に開き、廊下に酒樽が並んでいた。
それを見た瞬間、隊士たちは歓声を上げて酒樽に向かっていった。
鏡開きが行われるや否や、男たちはざぶざぶと酒を酌み、飲み始めた。
「やったな〜近藤さん! こんなにめでてえ日はねえ!」
永倉が目に涙を浮かべながら近藤に寄りかかる。
「おう、茂が生まれた日の次にめでてえや」
原田も枡になみなみの酒をあおって笑う。
「確かにめでたいが、それと比べるのはちょっとのう…」
と井上が苦笑いをする。
「まあいいじゃないか、めでたいことには変わらないんだから」
近藤は涙ながらに頷いた。
「直参おめでとうございます近藤先生。受けていただけますか?」
沖田が銚子に酒を入れて持ってきた。
「あ、沖田先生ずるいですよ〜! 局長、私もお願いします!」
すでにほろ酔いの神谷も沖田に続いた。
「あっれ…?」
ひっく、と軽くしゃくりあげながら、神谷が赤い顔で大広間の中を見回す。
「どうしました?」
沖田が神谷の顔をのぞき込む。
「副長とさんがいなくないですか?」
「…そういえばそうですねえ。さっきまでいたのに」
沖田も周囲を確認してみたが、土方との姿が見あたらない。
「厠じゃねえの?」
「ほっとけほっとけ、二人でしけこんでんのかもしれねえし!」
「永倉先生の意見はまっとうですが、原田先生、子どもが出来てからますます親父くさいです!」
「おっ、神谷、言うねえ。でも俺は親父なんだからいいのよ」
「も〜、居直らないでください」
「まあ、しけこんでいるかはともかく、お二人でいることは間違いないでしょう。そのうち戻ってくるんじゃないですか」
沖田が取りなし、皆は再び酒を飲み、運ばれてきた料理をつつくことに専念した。
その頃、当の本人たちーー土方とーーはどうしていたのかと言うと。
永倉や原田の言っていたことは当たらずとも遠からじで、二人で副長室に下がっていた。が周囲の酌を断りきれずに次々と酒を飲んでしまい、酔ってしまったのである。
土方は喜びに盛り上がる大広間からを連れ出し、副長室で横にならせた。
平隊士の部屋を通り過ぎ、竹の節欄間のついた廊下を越えると、幹部のための部屋が並ぶ。その奥に副長室があった。
近藤の部屋は局長室として豪華に、格天井や絢爛な襖絵が配され、床柱や畳の縁に至るまで美しく光り輝くような装飾や模様が選ばれているが、副長室は局長室とは対照的に、渋めの落ち着いた色でまとめられていた。付け書院の障子などには繊細な竹細工が施されており、直接施工業者に指示しただけあって、土方のこだわりが感じられる。
「飲むなと常々言ってあるだろうが、この馬鹿が」
土方は大きくため息をつく。
行灯の明かりに照らされた顔は、眉間に彼特有のくっきりとした皺を刻んでいた。
「すみません、おめでたい席だから断ったらいけないと思って…」
は吐き気をこらえながら答えた。
酒に強くない彼女が、場の雰囲気を壊さないよう気をつかって飲んでいたのは土方も理解している。だが、飲まされすぎだった。
「限度ってもんを知らねえのか? お前、本当に馬鹿だな」
「そうですね…」
はふふっと笑ったが、すぐに口元を押さえて笑いを止めた。
土方はの横にあぐらをかくと、膝の上にの頭を乗せる。そして懐から扇子を引き抜き、に向かって風を送り始めた。
「ありがとうございます」
土方が送ってくれる風がここちよく、は目を細くする。
「お前のためじゃねえ。新築の部屋で吐かれちゃたまんねえんだよ」
けっと言い捨て、土方はそっぽを向いた。
その態度が照れ隠しなのはとっくにお見通しで、は自然とこみ上げてくる笑いをそっと逃がした。
「おめでとうございます…」
は少しずつ楽になってきて、真上を向いて土方に言った。
すっきりとした顎の線が、柔らかな明かりに浮かび上がっている。
「あ?」
「こんな大きくて豪華な屯所も完成して、新選組は幕臣お取立ですし、局長はお目見えになられて…」
「ああ」
土方は扇子を動かす手を止めた。
五年。前大樹公、徳川家茂の護衛と称した浪士組に入って上京してから、もう五年もの歳月が流れた。やっと新選組の働きが認められたのだ。
その間にはいろいろなことがあった。
やりたくもない金策をしたり、攘夷ではなく市中警護ばかりを担当させられたり。同志を討つという苦い経験もし、敵に向かって命を賭けて刀を振るったりもした。
その時の必要に応じてありとあらゆることをしてきた。それが今、報われたのだ。
「ほんとに、広い屯所ですよね…」
「ああ」
の言葉に、土方はこの屯所の敷地すべてを思い浮かべる。
敷地を囲む高塀はどこまでも続いており、瓦葺きの大きな表門をくぐると式台のある玄関が見える。
局長室や副長室、幹部の部屋はそれぞれの好みに合わせてしつらえられ、平隊士の部屋はひと部屋の収容人数の割には広めにとった。
使者を迎え入れる間や訪問客専用の建物、厩や物見まで作り上げ、移築してきた道場も大きく拡張した。
規模や豪華さこそ及ばないが、守護職邸に追随する素晴らしい屯所が出来たと土方は自負している。
(これから隊士も増やさねえとな…)
現在の人数は百名前後だ。幕府に認められた組織として、もっと大きな編成にする必要がある。
この度の幕臣取立は、五年の苦労が報われた他にも理由があるのを、土方はわかっていた。
会津藩が何度も幕府と朝廷に京都からの撤退願いを出している。万が一それが認められて会津が京都から消えてしまったら。そのための代理組織として新選組に白羽の矢が立ったのだ。
そんなことを思いつくのは、現大樹公の徳川慶喜しかいない。
慶喜がしてやったりとした顔をするのが容易に想像できる。
土方はいけ好かない大樹公の陰に、心の中で舌打ちをした。
だが、新選組が幕府の組織として認められたという事実は変わらない。
長州と薩摩が不穏な動きをしている今、隊士を増やして訓練し、立派な軍事組織として一本立ちしていかねばならない。
大きな屯所を手に入れ、隊士を増やしても対応できるようになった。
(そのうち、江戸でまた活きのいい連中を募集しねえとな)
竹矢来の取り払いや集会所の仕切をはずすなど、西本願寺の現状回復が落ち着いたらすぐにでも江戸へ人を遣わせよう、と土方は画策していた。
(肝煎格、七十俵五人扶持か)
改めて土方は自分の身分を確認する。
「おい、。お前は一応お目見えってことなのか?」
は何度も慶喜に呼び出されては仕事をさせられている。将軍に直接拝顔しているのだから、お目見えなのだろう。
「…」
から返事がない。
「おい、聞いてんのか」
土方がを見下ろすと、はすうすうと眠っていた。
酔いの気持ち悪さが収まって、気分が良くなったのだろう。
土方はを布団の上に横たわらせ、頭の下に枕をあてがってやる。
箱枕は高くて固く、首が痛くなると言い、は自分の枕を作った。
袋状に縫い上げた布の中に綿やぼろ切れを詰め、ちょうどいい案配にしている。
西本願寺から持ってきたその枕を下にして安らかな寝息を立てるの顔を眺めた。
こうしてのんびりと彼女の顔を眺めるのは、いったいいつ以来なのだろうか。
土方はの唇を指でなぞり、柔らかな感触を確かめる。
そして、自分の唇を軽く重ねた。
しばらくは喜びに浸っていた新選組であったが、またすぐに巡察や捕り物などの多忙な日々に戻っていった。
夏を過ぎ、暦は秋の七月に入って少したった頃、屯所にひとりの使者が現れた。
御陵衛士の斎藤一であった。
20120420