久遠の空 ドリーム小説 鬼が辻 31

鬼が辻

update:2011.04.06

鬼が辻 31 

 新選組が、幕臣取立となった。
 隊士は歓喜に沸き、屯所は大変な熱狂に包まれた。



 六月十日、近藤と土方は会津藩の守護職屋敷に呼び出された。
 二人はてっきり今後の京都の守りについて話があるのかと思って、ごく普通の心持ちで門をくぐった。

 ところが守護職屋敷に入ると、二人は通された部屋を見渡して驚いた。
 違い棚のある床の間に、清流を鯉が遡っていく絵の掛け軸。
 時を止めたかのように姿勢良く生けられた花。
 畳の目のひとつひとつまでもが、恐ろしいほどに揃っている。

 新選組の長たる近藤ですら、この部屋に入ったことはない。
 「な…何故このような部屋に通されたのだ?」
 近藤はただならぬ空気を感じ取り、息をのむ。
 「知るかよ」
 土方も目だけを左右に動かしながら、手のひらがじっとりとしてくるのを押さえられなかった。

 会津藩主で京都守護職の松平容保が入室し、公用方の面々がずらりと左右に居並んだ。
 「新選組組長近藤勇、並びに副長土方歳三。本日はそなたらに伝えることがある」
 重々しい声で始められた場に、近藤も土方も、何が告げられるのかと頭を上げることが出来なかった。




 話が終わり、二人は守護職邸を出た。
 その足取りはどことなく現のものに見えず、頼りなかった。



 「新選組を幕臣取立とする内示が、幕府より下った。五年もの間、誠よく励んでくれたな。正式な発表はまだであるが、近々お達しがあるだろう。いつでもお受けできるよう、支度を整えておくがよい」



 松平容保はそう言ったのだ。
 そして新しい裃まで用意してくれたのである。



 近藤と土方は、並んだまま黙って歩き続けた。
 供はつけておらず、下賜された裃は土方が持っている。

 新選組は幕臣になる。
 しかも近藤はお目見えだ。将軍に拝謁できる身分なのだ。
 武士になるどころか、一気に大名の仲間入りである。

 「…あのよ、かっちゃん」
 土方はぽつりとつぶやく。
 近藤は返事をしない。
 だが、声をかけた土方も、それ以上の言葉が出ない。


 そのまま二人は歩いた。
 どのぐらいの時間を歩いたのかも、どこをどう通って歩いたのかも覚えていなかったが、いつの間にか鴨川に出ていた。


 ぎらぎらと照りつける太陽が、笠を通しても感じられる。
 不意に近藤が足を止めた。

 太陽とは裏腹に、滔々と流れる川の水に乗った風が葦の間をそよそよと涼しげに吹き抜けていく。
 風が水の上を滑って上がり、土方の黒い羽織の裾をはためかせる。
 土方は目をつぶり、湿った風を吸い込んだ。
 脳裡で時がぱたぱたと巻き戻る。


 壬生から西本願寺へ引っ越す時。
 自分の句を書いた紙を燃やしながら近藤に誓った。

 近藤と自分が幼かった頃。
 二人が持っていた同じ夢。


 とうとう夢が叶う時がきたんだ。
 近藤勇が武士になる、その時が。



 「かっちゃん」
 川の風に吹かれ、土方は松平容保から賜った言葉がやっと実感となってきた。
 ゆるゆると顔を上げて近藤を見やる。


 「おおおおおおーーーー!!!!!!」


 近藤が急に大声で叫んだ。
 土方は驚いて、思わずあとじさってしまった。
 川岸で遊んでいた子どもびっくりしたようで、小さな叫び声をあげて川の中へと転がり込んだ。


 近藤は泣いていた。
 頬も目の回りも真っ赤にして、細い目の奥の瞳を輝かせて。

 「おい、かっちゃん」
 大音声にやられた耳を触りながら、土方は近藤に近づく。

 どん、と近藤が正面から土方に抱きついてきた。
 「トシ…! トシよ…!」
 抱き締める腕はぎゅうぎゅうときつく、さしもの土方も息が苦しくなるほどである。

 この瞬間を、どれほど夢見てきたことだろう。
 大人たちに笑われながら、百姓の子である自分たちが武士になると長い棒きれを振り回していたあの頃から、どれだけの月日が流れたのだろう。

 やったな、と言いたかった。
 あんたの努力がやっと幕府に認められたんだとか、五年もこっちで本当に頑張ったんだなとか、自分たちの夢を支えてくれた故郷に手紙を書かなくちゃならねえなとか、言いたいことは次から次へと浮かんでくる。しかし土方の喉の奥で言葉がひっかかって出てこない。

 近藤は土方から腕を放すと、その肩に手を置く。
 そして、ばん、と大きな音を立てて叩いた。

 何度も近藤は土方の肩を叩く。
 土方も腕を伸ばし、近藤の肩を叩いた。

 通り過ぎてゆく人たちは、大きな体を真っ黒な羽織で包んだ男たちが向かい合って肩を叩き合うのを奇妙な目で見ている。
 しかし二人は周りの目など気にせず、ひたすら互いの肩を黙って叩き合った。




 近藤と土方は駆け足で屯所に戻ると、まず試衛館組の面々を局長室に呼んだ。
 「どうしたんですか近藤先生」
 近藤が鼻をすすり、涙を必死でこらえているのを見て沖田が聞く。
 永倉や原田、井上も怪訝な顔つきになった。

 近藤は土方と顔を見合わせて頷くと、懐から内示の書状を取り出し、土方に渡した。
 土方が書状を読み上げる。
 すると、沖田たちの目がみるみるうちに輝きだした。

 「やったーーー!!!!」
 男たちの声が大きく響き、隣の副長室にいたはぎょっとする。
 “近藤先生”“幕臣”“お目見え”などの言葉が襖越しに漏れ聞こえてきた。

 どうしたのかとが首を傾げていると、喧噪の収まらない中、土方が副長室に戻ってきた。
 「新選組が、幕臣取立になった。近藤さんはお目見えだ」
 土方はあぐらをかいて座り、煙草盆を引き寄せる。
 「幕臣…局長がお目見えに…? おめでとうございます」
 は手をついて深々とお辞儀をした。

 近藤を武士の身分にするのは土方の悲願だったのを、も知っている。
 ここまで五年という長い歳月を費やしてきた。
 時には局内、局外を問わず命を懸けて非情の刃を振るいもした。
 土方が鬼になり、その名を出すだけでも恐れられる存在になったのも、すべては新選組を導き、近藤をさらにその上の高みに押し上げるためだった。

 「すぐに他の隊士どもを集会所の前庭に集めろ。近藤さんから話をしてもらう。それと酒だ。酒屋に上等なやつをありったけ持ってくるよう頼んでこい」
 「かしこまりました」
 土方の命令には立ち上がり、副長室を出る。
 敷居をまたいだ時、ほんのちらりとだけ肩越しに土方を見た。

 いつもと変わらぬ姿勢で煙草をくゆらす土方だが、その顔は晴れ晴れとしている。
 眉間に皺が寄っていないのも久しぶりだ。

 局長室からはいまだに興奮さめやらぬ声が聞こえてくる。
 (土方さん、守護職邸からは局長と一緒だっただろうし、今も試衛館の方々と喜びを分かち合ってきたんだもの)
 きっと一人になって、静かに己の中の喜びをかみしめたいに違いない。
 だから自分に役目を言い渡したのだろうとは思った。

 はまず局長室に赴き、近藤をはじめ沖田や永倉、原田、井上に祝いの言葉を述べた。皆目元を赤くし、喜びに満ち満ちていた。
 興奮が充満している局長室を辞すと、隊で雇っている小者に酒を調達するよう頼み、その足で隊士部屋を回って全員集会所の前庭に整列するよう伝えた。

 隊士たちはこげるような太陽の下に引っ張り出されて、いささか不機嫌な様子で立ち並んだ。
 近藤と土方が集会所の階段の上に立ち、内示を掲げて幕臣取立を告げる。
 不機嫌だった顔つきは見る見るうちに気色ばみ、隊士たちは雄叫びのような声を一斉に上げた。
 その声に西本願寺の参拝客は仕切の垣根越しにうろんな目を投げかけ、住職にいたってはとうとう新選組が武力蜂起でもしたのかと、敷き布団の下に潜って念仏を唱えたという。


 興奮のるつぼとはまさにこのこと、あまりの嬉しさに泣き叫ぶ者、踊り出す者、なぜか着物を脱いで地べたにたたきつける者など、それぞれが喜びを遠慮なく表現していた。

 「やったー! やりましたよ、さん!!!」
 神谷がに駆け寄り、飛びついてくる。
 「おめでとうございます、神谷さん」
 はよろけながら神谷を受け止めた。
 「あっれー? あんまりさんは嬉しそうじゃないですね? あ、そうか、さんはもうすでに会津藩士だし、大樹公に呼び出されてお仕事もしてるからか。今回の幕臣取立とは関係ないですもんね」
 が沸き立っていないのを、神谷はじとっと見る。
 「その通りですけど、嬉しくない訳じゃないんですよ?」
 とは苦笑いで返した。

 神谷の言うとおり、は新選組の昇進には名を連ねていない。
 だが、この喜びをともに分かち合いたいと心から思う。そう思うからこそ、前庭にこうして立っているのだ。

 くるりと神谷が後ろを振り返り、とある一点で視線を止めた。
 「中村のやつ…」
 と神谷が呟く。
 も神谷の視線の先へと目をやった。

 そこには中村五郎がいた。
 喜びに破顔する影が揺らめく中、あからさまに表情を凍らせて立ち尽くしている。
 「あいつ嬉しくないのかな? どれどれ」
 神谷はぱっと身を翻すと中村の元へと駆け出した。

 あっという間に中村に近づくと、神谷は中村に話しかける。たぶん幕臣になれるのに嬉しくないのかと聞いているのだろう。
 中村はほっといてくれと言わんばかりに神谷をふりほどき、太鼓楼脇の門の外へと歩き去ってしまった。

 「おやおや神谷さんったら、中村さんに振られたみたいですねえ」
 の耳元で、急に沖田の声がした。
 「わ、お、沖田さん」
 沖田の気配に全く気づかなかったは驚いて、背中に冷や汗をかく。

 「幕臣ですか。実感ないなあ」
 と沖田が集会所の階段に腰をかける。
 「まだ内示を受けただけだからじゃないですか?」
 もその隣に座る。
 「そうかもしれませんね。正式に発表があって、幕府の組織に組み入れられたら…」
 そう言いながら沖田はちらちらと前庭に目を走らせている。
 その先には中村と同じように表情を凍り付かせた者が何人かいた。
 (あれは茨木さんと…佐野さん、富川さんだっけ…?)
 は全員はわからないながらも、顔と一致する名前を思い浮かべた。
 そしてふと彼らの共通点を思い出す。
 「沖田さん、あの人たちって」
 は弾かれたように顔を上げた。

 沖田は小さく頷き、声に出すなと言わんばかりに人差し指を口に当てる。
 (やっぱり、全員伊東参謀の下にいた人たちか…)
 伊東の分離に際して、選ばれず隊に残された者たちであった。


 四半刻もすると、酒屋がいくつもの酒樽を運んできた。
 夜の巡察がない者たちは存分に飲み、遅くまで喜びを分かち合った。





 その喜びも束の間の、二日後のことであった。
 沖田が目をつけていた、佐野七五三之助と富川十郎が姿を消した。
 彼らの後を追い、茨木司と中村五郎もいなくなった。


 この四人が直後に事件を起こす。
 それは新選組にとって焼け付くような痛みを伴い、分離していった伊東に決意を固めさせ、の運命を翻弄していく通過点であった。



 20120406