久遠の空 ドリーム小説 鬼が辻 25

鬼が辻

update:2011.02.24

鬼が辻 25 

 「京屋はん、京屋はん、開けとくんなはれ!」
 川沿いに立つ京屋までたどり着いた山崎は、追っ手がいないことを確認しながら京屋の戸を叩く。
 すぐに戸口が開かれ、京屋の主人である忠兵衛が二人を中に引き入れた。

 「山崎はん、それに・・・山口はん?」
 京屋はもつれ込むように玄関へと倒れ込んだを見て目を見開く。
 「怪我してますんや、手当を、急いで」
 山崎が今一度外をよく確認してから戸を閉め、京屋に告げた。
 京屋は頷いて下男を呼び、一番奥の部屋へを連れていくよう指示した。



 は奥の部屋に連れて行かれ、行灯の明かりを頼りに手当を施された。
 京屋は大坂における新選組の定宿であり、他の宿より多少は手当のものが置いてある。
 山崎は鍼医の息子で、手当の心得もある。
 加えて自身も幕医法眼の松本良順や、会津藩御典医の南部精一郎から直々に医術の手ほどきを受けている。
 薄暗い闇の中でも血を拭い、傷口を見極めた。

 の傷は、思ったより大きかった。
 左の眉を横切って斜めに切れている。血がじわじわと、いつまでも出てきて止まらない。
 「・・・これは、はん・・・」
 「ええ。縫わないと駄目でしょうね。お願いできますか」
 いつまでも流血が止まる気配のない傷口に、は決断を下す。
 麻酔がないから痛いに違いない。しかし、やらねばならない。
 「承知」
 山崎は針を消毒し、行灯の数を増やして、の傷口を縫合した。



 山崎の器用な手で、すぐに縫合は終わった。
 もともとが痛かったから、縫われている感覚もそれほど感じなかったのはありがたかった。
 ずくずくと痛むそこに、は巻かれた布の上からそっと手をやる。
 (腫れてる・・・)
 こんなみっともない顔を土方には見せられないと、は小さくため息をついた。


 京屋が頃合いを見計らって、温かい茶を持ってきた。
 「ありがとうございます」
 「お手当済みましたか、よかったよかった」
 落ち着いて座っているを見て、京屋が笑みを向ける。
 「お西はんへお知らせは」
 「今はええです。すぐ戻りますさかいに」
 山崎が軽く頭を下げた。



 大坂城で何があったのか、は山崎に語った。
 「そうでっか、それで通詞を行ったはんを・・・逆恨みでんな」
 山崎がの頭に巻かれた白い布に目をやって、眉をひそめる。
 「逆恨みかどうかは・・・」
 わからないとは苦く笑った。
 おそらく当事者にとっては逆恨みなどではない。
 夷狄にこちらの意図が伝わらなければよかった。
 それを伝えてしまった自分に怒りの矛先を向けるというのは、一理ある。

 「こちらも大坂での噂を調べてはみたんですが」
 山崎が、が大坂城で仕事をしている間に集めた情報を話した。



 慶喜が京に入る前から、大坂には夷狄たちが上陸し、それぞれが寺に入って慶喜との謁見を待っていた。
 ぞろぞろと上陸する軍服姿に、市井の人々は恐れをなし、遠巻きにし、何をしに来たのかとひそひそ声で話し合った。

 そして数日後、慶喜がまず英国公使パークスと会見した初日。
 夷狄に兵庫の港を開くのが余程悔しかったと見え、その場にいた誰かの手の者が、早速町中に話を流してしまった。
 十五代将軍、徳川慶喜とその手下の者が、帝の勅許無しで兵庫の港を開くことを了承してしまった、と。

 山崎はそれがのことだとはつゆ知らず、人の立ち話に耳を傾けていた。
 が疑問に思ったように、人々の間でも、慶喜がなぜ勅許無しに兵庫開港を了承したのか、それが話題に上っていた。

 「将軍にならはった大樹公が思い上がり、帝をないがしろにして独断専行で国の大事を決めたんとちゃう?」
 「それはあり得るわあ。あんお人はそういうとこ、ありますもんなあ」

 「実はもう勅許は下りてるとか?」
 「それはないやろ。大樹公が何度も開港の許可を求めて奏上してはるらしいけど、なしのつぶてって話やで」

 「うーん、新帝は先帝と違うて、夷狄嫌いではないとか?」
 「いやいや、まだ幼少であらせられる帝が、そこまでお考えか・・・」
 「それ失礼ちゃいまっか?」
 「でもなあ、幼くして譲位された新帝には、摂政殿がついてはるやろ? 摂政殿が帝にこの件をどうお伝えしてはるか」
 
 「そや、先月、大樹公が仏蘭西の公使と会ったらしいわ」
 「ふらんす、の、公使と?」
 「その時、仏蘭西の公使にこれからの日本についていろいろ言われて、挙げ句の果てにたぶらかされて、開港に踏み切ったいう話もある」
 「ええ? まさか」
 「大樹公のことや、まさかもあるやろなあ」

 人の口に戸は立てられないとはよく言ったもので、さりげなく話の輪に加わってきた山崎に、皆は雀のごとくしゃべくりまくった。



 山崎の報告から察するに、慶喜は新将軍としてあまりよく思われていないらしい。
 そうかもしれない、独断が過ぎるのだ。
 そしてその判断を誤ることはない。正しいのだ。
 誰よりも早く、たった一人で決断できる優秀な男は、無闇に恐れられたりやっかみの目で見られたりしやすい。
 は、もっとも身近にいる同じような男の影を思い浮かべて、心の中だけで苦笑いをこぼした。


 勅許が下りていないのは本当だろう。
 各国公使との会見での、日本側の動揺っぷりを見ていればそれはわかる。

 それでも慶喜が兵庫開港に踏み切ったのは何故なのか想像してみる。
 先ほどの山崎の話で、二月に仏蘭西の公使と慶喜が会見を行ったとあった。
 それが発端なのだろうとは推測する。

 慶喜は仏蘭西との連携を考えている。
 当然、仏国公使と面会するだろう。
 諸外国の情勢を聞き、安全に国を開くにはどうしたらよいか、日本を国際社会に解き放つ方法を相談したのだろう。

 (そこで仏蘭西の公使が、港を開いて諸外国を受け入れるようにせねばならないと言ったら・・・)
 慶喜は、兵庫の開港を視野に入れ、ひと月後の今、決断したに違いない。

 日本が外国に飲み込まれるかもしれない危機が迫っている。
 もう今すぐにでも国を開かねば、力ずくで日本が乗っ取られてしまうかもしれないのだ。
 外国勢の火力が日本のそれを遙かに凌駕していることは、薩英戦争や下関戦争によって証明されている。
 だから慶喜は決断した、帝の許可を待たずに国を開くことを。

 帝が将軍に征夷大将軍という地位を与え、将軍は帝の第一の臣であり、最終の決定権が帝にあるとしても、日本の未来を見越した行動を今取らねばならない。慶喜はそう思ったに違いないのだ。



 はふと慶喜の言葉を思い出す。
 (幕府にも朝廷にも…余と同じ辛酸を舐めてでも日本国を、帝をお守りしようと思う者は一人もおらぬ…!)
 あの、血を吐くような慶喜の叫び。
 (“殿”は・・・今でも同じなのだろうか・・・お寂しい立場なのか)
 今でもあの声を思い出すと、の胸はちくりと痛む。

 慶喜の決断は間違っていない。
 未来から来たは知っている。いずれ日本が諸外国に自らを開き、ともに手を携えて世界の一員となっていく姿を。

 だが、それを今この瞬間、受け入れられる存在は限られているのだろう。
 日本は貿易で多少の恩恵は受けてきたものの、外交的な干渉は受けずにきたのだ。
 (それを、はいそうですかと、すんなり受け入れられなくても仕方がない)
 慶喜の決断も、それを理解できない人たちの気持ちもわかる。
 はこの国の憂いを思い、目を閉じる。
 瞼がつれて、痛みが走った。


 「はん、痛むかもしれまへんけど、夜が明けて京への船が動き始めたらすぐに戻りまへんか? はんを狙ったやつらが諦めてないとは限りまへんし、もう“仕事”が終わったんなら、ここにいる意味もありまへんやろ」
 「はい」
 山崎の提案に、は素直に頷く。
 山崎の言うとおりだ。もし自分を狙ってきた者たちが自分を見かけたらまた襲ってくるだろうし、もう仕事は終わったのだ。これ以上山崎に迷惑をかけないうちに、京へ戻ったほうがいい。



 じくじくと、まるでそこに心臓があるかのように脈打つ傷。
 朝になったら起こすから休んでおくよう、山崎が気を使ってくれたのに、ちっとも眠れない。
 熱が出てきたのかもしれない、頭がぼんやりする。
 とにかく横になり、体だけを休めてひと晩が過ぎた。


 東の空から日が昇り、一日の始まりを告げる。
 山崎が起こしにくる前には準備を整えていた。
 京屋の見送りを受け、二人は船に乗り、大坂を離れたのであった。




 午後遅く、夕方近くなってと山崎は西本願寺へ戻ってきた。
 山崎は大工の千吉の格好になり、は編み笠を被って頭を隠して、それぞれ別々に門をくぐる。
 「さん、お帰りなさい!」
 頭を隠しても神谷はすぐにそれがだと気づき、駆け寄ってきた。
 「ただいま戻りました」
 は集会所の階段の前で笠を取る。
 白い布が、春の柔らかな日差しを浴びて光った。

 「ちょ・・・っ、それ、さん、どうしたんですか!」
 神谷がの髪を掴み、目の高さまで頭を下げさせる。
 「っ、ごめんなさい神谷さん、後で話します。副長はいらっしゃいますか」
 「副長は、じゃないでしょう! 何でこんなに血が滲んでるんですか!」
 傷口の真上には、布での隠蔽をあざ笑うかのような赤が染みてきている。さすがに昨日より、そして今朝よりは出血量が少なくなってきていたが、まだ出ているようだ。

 「たいしたことはありません。それより」
 「ある! あります! たいしたことある! 副長よりこっちが先です!」
 神谷はの腕を引っ張り、屯所内の療養部屋へ連れて行こうとする。
 視界の端で、山崎がこくりと頷くのが見えた。
 副長室へ遅れていくのは、山崎が告げておいてくれる。
 は神谷に引きずられるまま足を進めた。



 「山口です、入ってもよろしいでしょうか」
 神谷の手当を受けたは、副長室へ急いだ。
 「入れ」
 低い声が聞こえ、は障子を開く。
 「失礼します」
 すっと静かに中に入った。


 「・・・
 の姿を見た土方は、思わず息をのんだ。
 白い包帯が斜めに巻かれ、左目がほとんど見えていない。
 山崎から先に聞いていたとは言え、これほどとはと、土方は歯を食いしばる。
 神谷が取り替えてくれたから今は見えないが、包帯に滲んだ血を土方が見なかったことは幸いであったのかもしれない。

 「神谷さんに手当してもらっていて遅くなりました。すぐに報告を」
 自身は痛みも包帯も気にせず、袴を捌いてさっと座った。
 (たかがこれしき)
 自分をあの場に送り込んだ雇い主は、日本を背負って戦っている。外国とも、日本の中とも。
 石を投げつけられて目の上を切ったぐらいでじたばたなどしていられない。
 の目に鬼の火がともる。
 「聞こう」
 その目のきらめきを見た土方は、気を取り直して膝の上に拳を置いた。


 の口から、慶喜と諸外国の公使が会見を行った時の様子が語られた。
 そしてが石で襲われ、さらに斬りつけられそうになったことも。
 土方は腕を組み、黙って最後までその話を聞いていた。




 数日後。
 大坂、薩摩藩邸。
 その門の中に、黒塗りの立派な駕籠が入っていった。
 駕籠から人が降りてくる。
 袴ではなく、スーツの足が降りてきた。


 「サトウ殿、ようこそ参られた。さあ中へ」
 巨漢を揺すり、スーツの男ーーアーネスト・サトウを迎えたのは、西郷隆盛である。その横には薩摩藩家老の小松帯刀が立っていた。



 サトウは部屋に通され、会見の一部始終を西郷たちに語った。
 西郷たちは頭の中にその光景を浮かべ、頷きながらサトウの話に聞き入った。

 「日本側の通詞、山口、あれはいいですね。逸材だと思います」
 サトウが満足げな笑みを湛えながら言う。
 「山口どん・・・ああ、山口どんはついこの前まで、京の薩摩藩邸で」
 『英国歩兵練法』の翻訳の仕事をしていたと、西郷が説明した。


 「ほう・・・そうですか。それはそれは、彼も頑張っているんですね。あれだけ英語を話すことが出来て、しかも翻訳まで行えるとくれば、私なら手放さない」
 「手放さない・・・」
 茶をすするサトウの金髪が揺れる。
 西郷はぽつりと、最後の言葉を繰り返した。



 20120223